大神岩(おおかみいし)〈久須夜神社旧地〉は 久須夜神社の由緒によれば「境内 山中に岩があり大神岩という 往古 大神がこの岩上に鎮座されたという 里人は 狼岩といって畏怖している 若狭国の名山 久須夜岳は 久須夜神社の名に依って生まれ 久須の夜雨は若狭八景に数えられている」
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大神岩〈久須夜神社旧地〉(Okamiishi)
(おおかみいし)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
福井県小浜市堅海
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴命(Ohonamuchi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載社の始まりの地
【創 建 (Beginning of history)】
大神岩 おおかみいし(霊石 れいせき)
この岩は久須夜神社の祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)が遊行されたと伝えられる遺跡です。
大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)とも申し上げ 縁結びの神として広く知られています。
霊峰 久須夜岳の象徴としてここに大神岩を祭祀し 参拝の皆様に良縁と福徳円満家内安全がもたらされますようねがっています。
[この岩が狼に似ているところから、別名狼岩とも云われています]現地案内板より
【由 緒 (History)】
久須夜神社社叢
風光明媚な堅海の里に鎮まる久須夜神社は、延喜式神名帳(撰進927)所載の古社で、鎌倉時代には若狭国鎮守大明神十社の一つに列して崇敬され、文永2年(1265)の当国 惣田数帳写には「久須夜宮壱町 堅海村」とある。
当社の初現は定かでないが、久須夜ヶ岳の山腹、エンゼルラインに沿って聳立する巨巌「大神岩」(狼岩)は、祭神(大己貴神)降臨の磐座と伝え、この辺りから山麓の現社地を含む一帯を「烏帽子の森」と称し、古来より堅く不浄を禁じているが、壮厳な神域を形成する見事な社叢の存在もこうした厳しい禁忌と篤い信仰の所産である。
長い参道の両側には、スギが植栽されているが、その中には、ケヤキ、ムクロジ、イヌマキなどが混生し、境内社を配する本殿右側の山麓は、スダジイ、ヤブツバキ、カナワラビの群落で、シイの巨木と、カナワラビの調和が見事である。古代祭祀遺跡を連想させる本殿背後はヤブツバキ、タブノキの群落であるが、その第一層(高木層)には、タブノキ、スダジイ、ケヤキの巨樹が、第二層(亜高木層)には、ヤブツバキ、ケヤキ、シカラシ、ウラジロガシが、第三層(低木層)には、ヤブツバキ、イヌマキ、タブノキ、アオキなどが生え、林床には、カナワラビ、リョウメンシダ、アオキなどがみられる。
特に本社叢中に散見されるイヌマキは日本の植物分布上の北東限にあたっている。
市域には、他に若狭姫神社の社叢等があり、当地方の自然を観察する上で貴重なものである。小浜市教育委員会「若狭小浜のデジタル文化財」HPより
http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/rekisi/sekai_isan/Japanese/data/180.htm
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
現在の鎮座地 ・久須夜神社
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)若狭国 42座(大3座・小39座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)遠敷郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久須夜神社
[ふ り が な ](くすやの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kusuya no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の神社の内
「久須(くす)」の名の付く式内社について
大和國 城下郡 久須々美神社
・久須須美神社(田原本町蔵堂)〈村屋坐彌冨都比賣神社境内〉
久須々美神社(くずずみじんじゃ)は 社伝に「元は 今の蔵堂橋の南のたもとに鎮座 伊豫氏(伊与戸)の氏神であった」が明治初めに現在地〈村屋坐弥冨都比賣神社 境内摂社〉に遷されました《式内社》大和国 城下郡 久須須美神社(くすすみの かみのやしろ)とされます
久須須美神社〈村屋坐弥冨都比賣神社 境内摂社〉(田原本町蔵堂)
河内國 交野郡 久須々美神社 鍬
・片埜神社(枚方市)に合祀
片埜神社(かたのじんじゃ)は 社伝に 第11代垂仁天皇〈在位BC29~AD70年頃〉創建とある古社 延喜式内社 片野神社とされ 明治期に 延喜式内社 久須須美神社を合祀しています 戦国時代には兵火にかかり荒廃 天正11年(1583)豊臣秀吉公が大坂城の鬼門鎮護の社と定め 方位鬼門除けに霊験あらたかな社と世に知られます
片埜神社〈一の宮〉(枚方市牧野阪)〈延喜式内社〉
・久須々美神社の址
・九頭神廃寺跡
若狭國 遠敷郡 久湏夜神社
・久須夜神社
・大神岩(久須夜神社旧地)
大神岩(おおかみいし)〈久須夜神社旧地〉は 久須夜神社の由緒によれば「境内 山中に岩があり大神岩という 往古 大神がこの岩上に鎮座されたという 里人は 狼岩といって畏怖している 若狭国の名山 久須夜岳は 久須夜神社の名に依って生まれ 久須の夜雨は若狭八景に数えられている」
大神岩〈久須夜神社旧地〉
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
小浜駅からR162号と県道107号経由 約13.5km 車30分程度
若狭国の名山 久須夜岳 小浜方面を見下ろす崖の上にあります
小浜湾越しに 久須夜岳が聳えます 山頂まで通るエンゼルラインの途中にある大神岩を目指します
かなり山を上ると左側の路肩が広がり 大きな岩に注連縄がかかり それとわかります
大神岩(久須夜神社旧地)(Okamiishi)に参着
大神岩の大きさは写真では分かりにくく 車と一緒に撮影した写真を見ると大きいと感じられます
大神岩(おおかみいし)にすすみます
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
眼下(南下方)に小浜の街を一望できます
この崖の下(南下方)は 小浜市の堅海地区で 久須夜神社が鎮座しています
・久須夜神社
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
「久須夜嶽下に在す」と記しています
【意訳】
久須夜神社
久須夜は 仮字なり
祭神 大己貴命 国志 郡縣志 私考
〇下中郡堅海浦久須夜嶽下に在す例祭 2月21日 9月11日
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在は「久須夜嶽下」と記しています
【意訳】
久須夜神社
祭神 大己貴命
祭日 9月11日
社格 村社
所在 堅海浦久須夜嶽下(遠敷郡内外海村大字堅海浦)
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
大神岩(久須夜神社旧地)(Okamiishi)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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若狭国(わかさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 若狭国には 42座(大3座・小39座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
若狭國 式内社 42座(大3座・小39座)について