大和佐美命神社(おおわさみのみことじんじゃ)は 式内社 大和佐美命神社(おほやまと さみのみことの かみのやしろ)とされます 御祭神 大和佐美命の御名は〈オワサミノミコトorオホヤマトサミノミコト〉とされ 諸文献には記されない神で 野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の父ではないかとの説もあります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大和佐美命神社(Ohowasaminomikoto shrine)
[通称名(Common name)]
旗差大明神(はたさしだいみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
鳥取県鳥取市上砂見674
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大和佐美命(おほやまとさみのみこと)十七柱
〈・國之常立神(クニノトコタチノカミ)・豊雲野神(トヨグモヌノカミ)・宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)・須比地邇神(スヒヂニノカミ)・角杙神(ツノグイノカミ)・活杙神(イキグイノカミ)・意富斗能地神(オオトノヂノカミ)・大斗乃辨神(オオトノベノカミ)・淤母陀琉神(オモダルノカミ)・阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)・伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)・天照大御神(アマテラスオオミカミ)・天之忍穂耳神(アメノオシホミミノカミ)・瓊々杵命(ニニギノミコト)・彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)・鵜賀屋葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)〉
《合》素盞嗚命(すさのをのみこと)
大山祇命(おほやまつみのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・地元では当地開発の祖神として大変崇拝されている
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
御由緒
創立年代不明だが、延喜式所載の高草郡七座の一つ。江戸時代は、旗刺大明神と称し、上砂見地区と中砂見字大湯棚地区の産土神が小字谷平に鎮座。
万延元年(1850年)谷平おん谷で山崩れがあり、社殿などが破損した。
明治元年8月に大和佐美命神社と改称し、同時に当村字谷平に鎮座の谷前神社(素盞鳴命)と同字小畑に鎮座の山神社(大山祗命)を合祀する。
明治4年に村社に列格。明治28年10月に本殿を改築、同40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定される。
雌雄二頭の麒麟獅子舞は、県無形民俗文化財に指定されている。ヤマトサミノミコトか?
「オワサミノミコト神社」とか「オホヤマトサミノミコト神社」など記されている書物もありますが、国史大系本や鳥取県郷土史(昭和7年刊)では、「オホワサミノミコト」と読み、鳥取県神社誌(昭和9年刊)は「ヤマトサミノミコト」となっています。
「オホヤマト」か「ヤマト」か、「オホワ」が正しいのか決め難いところです。現在は、一部の古老に「ヤマトサミノミコト」が正しいとする人もありますが、当地では、一般に「オホワサミノミコト」と呼ばれています。
創立年代は不明ですが、三代実録巻十一貞観七年(865年)六月の條に、「八日丁巳因幡国無位(中略)大和佐美命神社並授従五位下」と記されてあります。
因幡誌によれば、旗差大明神・大和佐美尊神社とし、大和は姓、佐美は名であり、神の名を呼ぶ地名であるとしています。神祗志料にも「佐美」が「砂見(すなみ)」に転化したとしています。
また、大日本地名辞書や鳥取県郷土史には、大和佐美命を「野見宿禰の祖父ならむも計りがたし。」と記されていますが、地元では当地開発の祖神として大変崇拝されています。
- 禰宜の一考察 -
大和(やまと)は「倭」ととも書き、日本国そのもののことも解されます。「さ」は、昔から言語の発音の中で神様そのものを表す言葉ともいわれます。(例えば、荘厳で見る人を圧倒するくらいな花を咲かせる「桜」の語源には諸説ありますが、「さ(神様)」が「くら(神様の坐る所)」に降臨されるヨリシロ(憑代)であるという説があります。)
つまり、大和佐美命は、大和(日本国)の佐(神々)が、美しく(麗しく、神々しく)御鎮座されている神社で、ご祭神様(国土形成~神武天皇誕生までのあらゆる神様をご奉斎)を見ても、こんな山奥(おいで頂ければわかります)に、こんな由緒の神社があることに驚くとともに、氏子崇敬者また祖先の皆様の深い敬神の心を感じ、おもわず自然と手を合わせたいという心持ちにさせてくれます。公式HPより引用http://shitori-jinjya.main.jp/oowasaminomikoto.html#goyuisho
【由 緒 (History)】
県指定無形民俗文化財
大和佐美命(おおわさみみこと)神社の獅子舞
指定年月日 昭和34年12月25日県指定保護文化財
木造麒麟獅子頭
指定年月日 昭和29年 9月21日大和佐美命神社の麒麟獅子舞は、県内でも珍しい二頭による獅子舞である。
中砂見大湯棚(なかすなみおおゆだな)地区と上砂見(かみすなみ)地区の二地区からそれぞれ一頭ずつの獅子が出されるのである。
大湯棚地区の獅子は、雄(お)獅子といわれ、その獅子頭は、江戸時代中頃のものと伝えられている。また、その風貌は、口や鼻の穴が大きく、極めて男性的である。霊獣としての威厳も十分に感じられ、麒麟獅子頭の傑作として県指定保護文化財となっている。
上砂見地区の獅子は雌(め)獅子といわれ、獅子頭は、雄獅子と比較すると、その呼び名のとおりやさしい雰囲気が感じられる。この麒麟獅子舞は、江戸時代、大湯棚地区に住む夫婦が鳥取藩の家老家に奉公したおり、「権現流」を習い覚え、それを伝えたものといわれている。また、この地区には麒麟獅子の頭より古い神楽獅子の頭が残されている。このことからも元々は神楽獅子であったものが、権現流の麒麟獅子舞へ移り変ったものと思われる。
この麒麟獅子舞は、雌雄の舞とも「正統権現流」といわれている。始めに雌獅子の「剣の舞」があり、続いて「本舞」が始まる。この雌獅子の舞に次いで雄獅子の「本舞」が始まるのである。
大和佐美命の獅子舞は、県内での麒麟獅子舞の歴史を知るうえでもその価値は高い。平成十八年 鳥取県教育委員会
現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)因幡国 50座(大1座・小49座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高草郡 7座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大和佐美命神社
[ふ り が な ](おほやまと さみのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Atakatsu takemikuma no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
大和佐美命神社の社叢は ヒメハルゼミ生息地です
ヒメハルゼミ生息地:大和佐美命神社社叢
ヒメハルゼミは全長30~35mmの小型のセミで、成虫は7月に入って発生し、中旬に最盛となり8月上旬におよぶ。鳴き声は大きく、合唱性があるため、その特有のせみ時雨は聞くものに強い印象を与える。
南方系の種で、新潟県、茨城県を北限としてシイ類やカシ類を主とする常緑広葉樹の極相的な自然林に生息する。四国・九州では広く分布するが、本州においては常緑広葉樹林は人為によって破壊され、社寺林などにわずかに残っているにすぎないため、生息地は局地的で少ない。
本市においても数カ所の社寺林で確認されているだけの貴重な種となっている。
平成8年4月 鳥取市動植物保護地区指定現地案内板より
社叢に同じように ヒメハルゼミの生息地を持つ 式内社 花長下神社(揖斐川町谷汲名礼)について
・花長下神社(揖斐郡揖斐川町)
花長下神社(はなながしもじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』美濃國大野郡に所載の式内社です 御祭神「赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかぶすまいのおおすみひこさわけのみこと)」は『出雲国風土記』に登場する神とされ 同地区には 御祭神が夫婦神同士 祭礼が交互に行われるなど密接な関連の式内社 花長上神社も坐まします
花長下神社(揖斐川町谷汲名礼)
因幡国 髙草郡(たかくさの こおり)に鎮座する「天穂日命(あめのほひのみこと)」に関連する5つの式内社 それぞれの論社について
3.因幡國 高草郡 天穗日命神社(あまのほひのみことの かみのやしろ)
・天穗日命神社(鳥取市福井)
天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 古代 稲葉国造(いなばのくにのみやつこ)の氏神として天穂日命が祀られたものであったと伝わります 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の因幡國 高草郡 天穗日命神社の論社です
天穂日命神社(鳥取市福井)
・天穂日命社〈日吉神社 境内摂社〉(鳥取市布勢)
日吉神社(ひえじんじゃ)は 国の史跡「布勢古墳」と同じ丘陵地にあり 俗に「布勢の山王さん」と呼ばれ親しまれています 境内摂社の天穂日命社〈あめのほひのみことのやしろ〉は 山王社地宝筐印塔(さんのうしゃじほうきょういんとう)を御神体とする式内社 因幡國 高草郡 天穗日命神社の論社です
日吉神社(鳥取市布勢)&天穂日命社〈境内摂社〉
4.因幡國 高草郡 天日名鳥命神社(あまひなとりのみことの かみのやしろ)
・天日名鳥命神社(鳥取市大畑)
天日名鳥命神社(あめのひなどりのみことじんじゃ)は 中古に神廟 燹火(へいか)の災に遭(あ)ひ 燔滅(せんめつ)し 後の代に 本社一宇を建て 三神〈天日名鳥命 天穂日命 天日鷺命〉共に祭祀し「天三祇の宮」と称したとの事 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の因幡国 高草郡 天日名鳥命神社(あまひなとりのみことの かみのやしろ)とされます
天日名鳥命神社(鳥取市大畑)
5.因幡國 高草郡 阿太賀都健御熊命神社(あたかつたけみくまのみことの かみのやしろ)
・御熊神社(鳥取市御熊)
阿太賀都健御熊命神社(あだかつ たけみくまのみこと じんじゃ)は 社殿一帯に玄武岩柱状節理がみられ これは「御祭神 健御熊命が 一夜で 隠岐島に石橋を架け造ろうとしたが にわかに夜が明けたと思い 事成らず捨置き給ふ趾」と伝説があります 式内社の阿太賀都健御熊命神社(あたかつ たけみくまのみことの かみのやしろ)とされます
阿太賀都健御熊命神社(鳥取市御熊)
6.因幡國 高草郡 大和佐美命神社(おほやまとさみのみことの かみのやしろ)
・大和佐美命神社(鳥取市上砂見)
大和佐美命神社(おおわさみのみことじんじゃ)は 式内社 大和佐美命神社(おほやまと さみのみことの かみのやしろ)とされます 御祭神 大和佐美命の御名は〈オワサミノミコトorオホヤマトサミノミコト〉とされ 諸文献には記されない神で 野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の父ではないかとの説もあります
大和佐美命神社(鳥取市上砂見)
7.因幡國 高草郡 大野見宿禰命神社(おほのみのすくねのみことの かみのやしろ)
・大野見宿禰命神社(鳥取市徳尾)
大野見宿禰命神社(おおのみすくねのみことじんじゃ)は 御祭神に出雲国造の血筋にあたる角力(すもう)の祖 野見宿禰命(のみのすくねのみこと)を祀ります 『延喜式神名帳927 AD.』所載 因幡国 高草郡 大野見宿禰命神社(おほのみのすくねのみことの かみのやしろ)とされます
大野見宿禰命神社(鳥取市徳尾)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
鳥取市街から千代川を遡るようにR53号を南下 千代川と砂見川の合流辺りで県道32号へ右折 そのまま進み 鎮座地の上砂見を目指します〈鳥取駅からは 14.5km程 車25分程度〉
砂見川を渡ると右手に鳥居が見えてきます
小山の上に鎮座する社殿 参道 鳥居は 東北東を向いています
大和佐美命神社(鳥取市上砂見)に参着
鳥居前の社号標には「式内 大和佐美命神社」と刻まれています
一礼をして 一の鳥居をくぐります
続いて 鳥居柱の跡があり 石燈籠の先に 二の鳥居が建ちます
二の鳥居の先には左手に神楽所だろうか 右手には芝生地があり
県指定無形民俗文化財
大和佐美命(おおわさみみこと)神社の獅子舞 が奉納されるのだと思います
二の鳥居に一礼をして 参道を進みます
手水鉢があり 清めます
苔生した石段を上がります
石段を登ると「照輝 神徳」と刻まれた注連縄柱が建ちその先に社殿が建ちます
注連縄柱のすぐ後ろには 狛犬が座します
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 幣殿 本殿が鎮座します
本殿に一礼をして 境内を戻ります
石段を下り 鳥居を抜けます
鎮座する小山に一礼をしながら 辺りを見回すと山深い地であることが良くわかります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
巫女ケ淵(みこがふち)伝説
巫女ケ淵(みこがふち)伝説
昔、当神社のある谷を流れる「砂見川」が度々氾濫しては人々を苦しめていた頃、砂見川の氾濫によって大きな「淵」が出来てしまった。(場所の特定はできない)
そこで、何とか人々を苦しめる砂見川をお鎮めすることはできないものかとして、当神職家の女性神主(当時は巫女と称していた)が、この淵に身を投じて人身御供となったところ、以後、砂見川の氾濫は治まったとの伝承がある。
この出来事は、現在も当神職家に伝わり、また、地区の長老にも伝承されている。公式HPより引用http://shitori-jinjya.main.jp/oowasaminomikoto.html#goyuisho
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
神階の奉授が 記されています
【抜粋意訳】
貞観七年(865)六月八日(丁己)の條
因幡國(いなばのくに)無位(むい)
阿太賀都建御熊神(あたかつたけみくまのかみ)
大和佐美神(やまとさみのかみ)
に並びに 授くに 従五位下を
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
神社の読みは「おほやまとさみのみこと」と記しています
【抜粋意訳】
大和佐美命神社
大和は於保夜麻止と読り、佐美は假字なり
〇祭神明らかなり
〇砂見庄上砂見村に在す、今 旗指大明神と称す神位
三代実録 貞観七年(865)六月八日(丁己)因幡國(いなばのくに)無位(むい)大和佐美神(やまとさみのかみ)に並びに 授くに 従五位下を
【原文参照
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
祭神について考証し〈野見宿祢の父などにはあらざる歟(や) 後人がよく検討して欲しい〉と記しています
【抜粋意訳】
大和佐美命神社
祭神
今按〈今考えるに〉
明細帳鳥取縣注進状に祭神を記して 國之常立神より鵜賀屋葺不合命〈俗にいはゆる天神七代地神五代〉まで十七座の御名を挙たれど信じがたし故今とらず
当国の神社に神名を記せるもの本郡 天穂日命神社以下五座のみ 其の五座の内四座はみな天穂日命の御子また御裔の神なるを思ふに この大和佐美命も必ず 其の族類の神にますべき事 神社の順序と書法とによりて知らるるなり されど この神名ものに見えざれば 考えべき由なけれど 野見宿祢の父などにはあらざる歟(や) 後人よく考べし神位
清和天皇 貞観七年(865)六月八日(丁己)因幡國(いなばのくに)無位(むい)大和佐美神(やまとさみのかみ)に並びに 授くに 従五位下を祭日 九月十三日
社格 村社
所在 上妙見村字宮谷(氣髙郡神戸村大字上妙見)
【原文参照】
『鳥取県神社誌(Totoriken jinjashi)〈昭和10年(1935)〉』に記される伝承
三代実録に記される 延喜式所載の神社で 古くより旗差大明神と称している と記しています
【抜粋意訳】
村社 大和佐美命神社
氣髙郡神戸村大字上砂見字縄手鎮座
祭神 ・國之常立神(クニノトコタチノカミ)・豊雲野神(トヨグモヌノカミ)・宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)・須比地邇神(スヒヂニノカミ)・角杙神(ツノグイノカミ)・活杙神(イキグイノカミ)・意富斗能地神(オオトノヂノカミ)・大斗乃辨神(オオトノベノカミ)・淤母陀琉神(オモダルノカミ)・阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)・伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)・天照大御神(アマテラスオオミカミ)・天之忍穂耳神(アメノオシホミミノカミ)・瓊々杵命(ニニギノミコト)・彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)・鵜賀屋葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
素盞嗚命(すさのをのみこと)大山祇命(おほやまつみのみこと)
由緒
延喜式所載の神社にして、三代実録巻十一貞観七年六月の条に「八日丁巳因幡国無位中略大和佐美神並授従五位下」と見ゆ、古くより旗差大明神と称し、上砂見、中砂未字大湯棚の氏神なり、明治元年8月大和佐美命神社と改称す、又同年同月 当村字谷平鎮座 谷前神社(祭神 素盞鳴尊)同字小畑鎮座 山神社(祭神 大山祇命)を合祀す、同4年村社に列格せらる、
同二十八年十月十一日本殿改築、明治四十年四月二十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。例祭日 十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽所、倉庫
境内坪数 千七百三十二坪
氏子戸数 百二十戸
【原文参照】
大和佐美命神社(鳥取市上砂見)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 の記事を見る
大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台
因幡国 式内社 50座(大1座・小49座)について に戻る
因幡国(いなばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 因幡国には 50座(大1座・小49座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
因幡國 式内社 50座(大1座・小49座)について