実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

能理刀神社(対馬 芦見)

能理刀神社(のりとじんじゃ)は 神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 この地芦見アシミ」で 鷲(ワシ)を見て吉凶を占ったとの伝説があり 故に 鷲見(ワシミ)から葦見(アシミ)へと訛ったとされ 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動のの仮御所〉の跡で 雷大臣命(イカヅチノオオオミノミコト)の亀卜処で在ったとも伝えます 『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社」の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

能理刀神社Norito Shrine)
(のりとじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市上対馬町芦見字スダリ274

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天児屋根命Ameno Koyane no mikoto)
   天太玉命Ameno Futodama no mikoto)
   雷大臣命Igazuchi no oomi no mikoto)
   海祇神Watatsumi no kami)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

言い伝えによれば
神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 鎮座地「芦見アシミ」で 鷲を見て吉凶を占った伝説があり 故に鷲見(ワシミ)から葦見へと訛ったとしています 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動のの仮御所〉の跡であり
雷大臣命イカヅチノオオオミノミコトの亀卜処で在ったと伝えます

【由  (History)】

不詳

【境内社 (Other deities within the precincts)】

仮殿神社Karidono Shrine)祭神不詳

Please do not reproduce without prior permission.

神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 鎮座地「芦見アシミ」で 鷲を見て吉凶を占った伝説があり 故に鷲見(ワシミ)から葦見へと訛ったとしています 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動のの仮御所〉の跡とされています

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 胡禄御子神社(貞)
[ふ り が な ]ころくみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no miko no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社「對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社」の論社は4つです

・胡簶御子神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄御子神社(対馬 琴)

胡禄御子神社(ころくみこ じんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座 御祭神は 神功皇后の三韓征伐 出陣伝説で 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時 海中に入って取り上げた 舵取りの「安曇磯武良(あずみいそら)」〈御祭神 磯武良(いそたけら)〉が 住吉三神とともに祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社として 琴崎(キンザキ)鎮座「胡禄神社」が 胡禄御子神社であるとの説もあります

続きを見る

・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

続きを見る

・能理刀神社(対馬 芦見)

一緒に読む
能理刀神社(対馬 芦見)

能理刀神社(のりとじんじゃ)は 神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 この地「芦見(アシミ)」で 鷲(ワシ)を見て吉凶を占ったとの伝説があり 故に 鷲見(ワシミ)から葦見(アシミ)へと訛ったとされ 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動の時の仮御所〉の跡で 雷大臣命(イカヅチノオオオミノミコト)の亀卜処で在ったとも伝えます 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社」の論社です

続きを見る

・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

続きを見る

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港からR382号・県道39号を北上 約44km 車60分程度

芦見アシミ漁港から村落奥に鎮座します
村の道は狭く 徒歩がベスト

Please do not reproduce without prior permission.

浜から北北東へ 真っ直ぐに延びる村道の突き当りに鎮座します
能理刀神社Norito Shrine)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 鳥居をくぐります 鳥居扁額には能理刀神社」と刻まれています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

境内に入ると 真っ直ぐに前に 手水鉢 石灯篭 狛犬 鳥居と続いていて こちらが参道です

しかし 鳥居を過ぎて すぐ右側に石段があり 上に境内社「仮殿神社Karidono Shrine)」が建っています 先にお詣りをします

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

 さすがに神功皇后(ジングウコウゴウ)の伝説を持つ祠なので 境内社と云えども実に立派に祀られています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

かなり高台にあり 目の前の木々が無ければ 海を見渡せて 神功皇后が 飛び交う鷲を見て吉凶を占ったのも 確かに頷けます

Please do not reproduce without prior permission.

参道の入口に戻ると コンクリートで整備された参道が緩やかに山肌に続いています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

参道の脇を沢が流れていて 先般の台風鉄砲水があった様子で 倒木丸太が沢山流されてきています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿大丈夫だろうかと 前を見ると 倒木の先に無事にありました

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます 神紋は桐

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿奥には 幣殿本殿が建ちます

Please do not reproduce without prior permission.

境内は 綺麗に整備されて 気持ちよく参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

深い森から 一の鳥居まで戻ると鳥居の先は光に溢れています
鳥居を過ぎ 振り返り一礼をします

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

神功皇后の航路が記されていて

往路に「葦見アシミ)」が 記されています

能理刀神社」(ノリト ジンジャ)の名の通り 祀られている神は 祝詞の神です
天児屋根命Ameno Koyane no mikoto)
天太玉命Ameno Futodama no mikoto)
 2柱神は 有名な「天の岩戸神話」で岩戸の前で祝詞を唱え 天照大御神が岩戸を少し開いたときに 2柱神がともに鏡を差し出した祝詞の神

雷大臣命Igazuchi no oomi no mikoto)
 神功皇后の審神者(サニワ)〈祭祀において神託を受け 神意を解釈して伝える者で 天児屋根命14世孫or5世孫とされ 中臣氏の祖(オヤ)です

言い伝えによる
神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 鎮座地「芦見アシミ」で 鷲を見て吉凶を占った伝説があり 故に鷲見(ワシミ)から葦見へと訛ったとしています 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動のの仮御所〉の跡であり
雷大臣命イカヅチノオオオミノミコトの亀卜処で在ったと伝えるの納得がいきます

Please do not reproduce without prior permission.

http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221

能理刀神社Norito Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

一緒に読む
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています