仁多郡の神社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "
『出雲國風土記』仁多郡(nita no kori)条 所載の神社の数は「10社」です
「 2社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「 8社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
『出雲國風土記』仁多郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】2社は 写本の順番で並んでいます
弎澤社 (みさわ) (misawa no) yashiro
・三澤神社
三澤神社(みさわじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 神祇官社「弎澤社(みさわ)のやしろ」とされます 三津郷(みさわのさと)の条には 大穴持命が願をかけ 言葉を発しなかった御子 阿遅須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)が 口をきく夢をみます すると御子は 初めて「三澤」と口をきいた と記されています
三澤神社(奥出雲町三沢)
伊我多氣社 (いがたけ) (igatake no) yashiro
・伊賀多氣神社
伊賀多氣神社(いがたけじんじゃ)は 神代以来の旧祠とされ『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 神祇官社「伊我多氣社(いがたけ)のやしろ」の論社です 13世紀後半より衰微〈横田八幡宮が横田庄の一之宮となり〉さらに兵火により廃頽 天文二十年(1551)再建されて現在に到ります
伊賀多氣神社(奥出雲町横田)
・鬼神々社(鬼神神社)
鬼神神社(おにかみじんじゃ)は 「素盞嗚尊(susanoo no mikoto)」と その御子「五十猛命(isotakeru no mikoto)」を祀ります 裏手の御神体山「船燈山」には「鬼神の御陵」があり・里人はヤマタノオロチの怨霊を鎮める「龍燈(ryu to)(頭)祭」を今でも続けます
鬼神神社(奥出雲町大呂)
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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社