子神社(ねのじんじゃ)は 大正初年(1912)境内より4世紀頃の神獣鏡(仿製鏡)が出土しています 古代からの祭祀場であったのかもしれません『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の所載「伊豆国 田方郡 輕野神社(かろのの かみのやしろ)」の論社でもあります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
子神社(Neno Shrine)
(ねのじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県伊豆市加殿404
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大國主命(Okuninushi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の論社
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
子(ねの)神社
鎮座地 修善寺町加殿四〇四番地
御祭神 大國主命(おおくにぬしのみこと)
・天神社(てんじんじゃ)
・金比羅宮(こんぴらぐう)
・山の神(やまのかみ)
・三ッ峰社(みつみねさん)例祭日 10月11日
由 緒
創立年代は不詳だが、慶長拾五年 (1610)所(ところ)地神修理をするとあり、以後 子神社となっている。
本殿は文化9年(1812)宇久須村 棟梁 清七により、拝殿は明治2年 加殿の佐藤忠兵ヱにより改築された。例祭には氏子の青年が、 神楽を奉納する。
大正初年 境内より 4世紀頃の神獣鏡(仿製)が出土し、神楽と共に町指定文化財となっている。
境内案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 輕野神社
[ふ り が な ](かろのの かみのやしろ)
[How to read ](Karono no kamino yashiro)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆国(izu no kuni) 田方郡(tagata no kori)輕野神社(Karono no kamino yashiro)の論社
・軽野神社(伊豆市)
・子神社(伊豆市)
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子神社(伊豆市加殿)
子神社(ねのじんじゃ)は 大正初年(1912)境内より4世紀頃の神獣鏡(仿製鏡)が出土しています 古代からの祭祀場であったのかもしれません『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の所載「伊豆国 田方郡 輕野神社(かろのの かみのやしろ)」の論社でもあります
・廣瀬神社(伊豆の国市)
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廣瀬神社(伊豆の国市)
広瀬神社(ひろせじんじゃ)は 古来より 田中郷5ヶ村の総鎮守で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社です 社伝によれば 往古 社殿は 金銀をちりばめ壮大にして 禰宜36人 供僧6坊を置き 神領8町8反大50歩永80貫文を充てられ 隆盛を極めたとされ 三島大社はその昔 下田の白浜から この地に移り その後に三島に遷祀したと伝わります
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
修善寺駅から県道12号経由 南へ約1.7km 車5分程度
加殿圃場整備完成記念碑を見て 山側(南)へ右折
子神社(Neno Shrine)に参着
一礼して鳥居をくぐります
左手に手水舎があり その後ろに玉石の石垣が組まれています
この玉石は 大正3年に 当時の青年が毎夜身を清め 大見川から背負い上げて奉納したものと記念碑に記されています
参考までに 大見川までは 直線で400m程 鎮座地は少し高台にあります
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥は 覆屋の中に本殿が鎮座しています
整備されていてる境内を後に 鳥居をくぐり振り返り一礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
「加殿 子神社」の神楽
この神楽(かぐら)は村内の安全と五穀豊穣を祈願して、子神社で10月11日の秋季大祭と元旦の拝賀式に奉納されます。舞は、一人で舞う下がり葉と剣の舞、2人で舞う狂いの舞の3部から構成されています。舞手の他に笛、太鼓の担当もいますが、舞手の後ろ足になる唐人以外は地区の長男が継承する慣わしでした。神楽の道具を収納する長持には「元治元年(1864)丑の刻」の墨書があり、それ以前から続いていることが伺われます。
昭和49年12月4日指定 伊豆市加殿404
加殿区保存会伊豆市役所 公式HP 市指定-民俗文化財①より
http://www.city.izu.shizuoka.jp/gyousei/gyousei_detail000166.html
子神社(Neno Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について