波上宮(なみのうえぐう)は 古来琉球の信仰として 海神の国(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げる 御嶽拝所(聖地・拝所)がある崖の上の場所に鎮座しています 琉球王朝(琉球國)時代には「琉球王国の無事安泰を祈願」する守り神として 王朝から特別の待遇を受け信仰された「琉球八社(官社)の制」の首座を占めた格式を持つのが「波上宮(naminoe gu)」です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
波上宮(naminoe gu)
(なみのうえぐう)
[通称名(Common name)]
なんみー なんみんさん
【鎮座地 (location) 】
沖縄県那覇市若狭1-25-11
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》 伊弉冊尊(izanami no mikoto)
左神座 速玉男尊(hayatamawo no mikoto)
右神座 事解男尊(kotosakawo no mikoto)
別鎮斎(相殿神)
《配》火神(hinukan)
《配》産土神(ubusuna no kami)(鎮守神)
《配》少彦名神(sukunahikona no kami)(薬祖神)
【御神格 (God's great power)】
・初宮詣・交通安全祈願・厄祓・商売繁盛・健康祈願・神恩感謝・心願成就・合格祈願・良縁祈願・攘災招福・海上安全・等
【格 式 (Rules of dignity) 】
・琉球国 新一之宮
・別表神社
・琉球八社
・沖縄総鎮守
【創 建 (Beginning of history)】
創始年は不詳
【由 緒 (history)】
那覇市若狭鎮座、祭神、伊弉冊尊、速玉男尊、事解男尊、例大祭5月17日
当宮の創始年は不詳であるが、遥か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。
波上宮霊の御鎮座伝説に[往昔、南風原村(なえばる)に崎山(さきやま)の里主(さとぬし)なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な「ものを言う石」を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。
この事を知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山(現在の波上宮御鎮座地で花城とも呼んだ)に至った時に神託があった。即ち「吾は熊野権現也この地に社を建てまつれ、然らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上して社殿を建てて篤くまつった]と言う。
以来、中国、南方、朝鮮、大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船は、波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海無事の感謝を捧げた。
また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから毎年正月には列を整え参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、琉球八社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一に位せしめ、「当国第一の神社」と尊崇された。
明治の御代になるや、同23年官弊小社に列格し、沖縄総鎮守としてふさわしい社殿、境域の結構を見るに至ったが、先の大戦で被災した。琉球朝野のあつい崇敬を受けて沖縄総鎮守の神として御神威は古今を通じて高く、海外貿易の海上交通、豊漁、豊穣、諸産業の振興を守護され、又身近には厄除、安産、家内安全、病気平癒の信仰は古昔よりあつく、近年は結婚式、建築関係諸祭祈願、商売繁昌、受験合格祈願、初宮詣、交通安全祈願等、諸願成就の神として神徳著しく、正に「守礼の邦」沖縄の永世泰平の守護を戴く御神徳である
略年表、正平23年(1368)頼重法印が当宮の別当寺として護国寺を建て王の祈願所とする。大永2年(1522)倭僧日秀上人、当宮を再興。慶長10年(1605)倭僧袋中上人が「琉球神道記」の中に「当国第一の神社」と記す。元和9年(1623)「おもろ草紙」巻十が完成。歌中に御造宮の様子あり。
寛永10年(1633)社殿炎上。同12年再興。享和3年(1803)社殿大破。それまでの三殿を一殿に改め三戸前として改築。明治23年(1890)官弊小社に列格す。御鎮座告祭式を行う(現、例大祭日)。昭和10年(1935)御再興三百年祭を行う。同13年頃にかけ神苑の整備なさる。昭和20年戦火激しく、御神体を奉じ安原宮司、摩文仁に避難。
昭和27年上原宮司復興に着手。本土、ハワイに呼掛け推進。翌年本殿、社務所を再建。鎮座祭を行う。(36年拝殿を再建)昭和47年本土復帰を迎え、沖縄復帰奉告祭を行う。皇室より玉串料を賜る。昭和62年旧社務所並び参集所を撤去し、社務所を新築。平成2年平成御大典記念に第一鳥居を改築。
「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]
【境内社 (Other deities within the precincts)】
境内 仮鎮座
・浮嶋神社(天照大神奉斎・別称----長寿宮)
・世持神社(沖縄産業 三大恩人奉斎)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
波上宮(naminoe gu)には 琉球王朝時代の面影が残ります
「琉球八社(ryukyu hassha)」について
琉球王国(琉球國)時代には「琉球八社(官社)の制」が敷かれ 王朝から「琉球王国の無事安泰を祈願」する守り神として 特別の待遇を受け信仰され祀られた8つの神社を云います
琉球八社の首座を占めたのは「波上宮(naminoe gu)」です
琉球八社 (併設寺院)一覧
・波上宮 (護国寺)
・沖宮 (臨海寺)
・識名宮 (神応寺)
・普天満宮 (神宮寺)
・末吉宮 (遍照寺)
・安里八幡宮(神徳寺)
・天久宮 (聖現寺)
・金武宮 (金武観音寺)
8つの神社は 神仏習合の頃に琉球王国と守り神となりましたので いずれも全て真言宗寺院の境内に鎮座していました
この関係で御祭神は同じく「熊野権現」が祀られています 安里八幡宮のみ「八幡神」が祀られます
以来 中国 南方 朝鮮 大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船は
波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み 出船は神に航路の平安を祈り 入船は航海無事の感謝を捧げたとあります
その様子を彷彿させる屏風が社務所に飾られていましたので許可を頂き撮影させて頂きました
1879年の王府解体(沖縄県設置)以降は 明治政府が管理下に置きますが 里人の信仰対象は「各村落にある御嶽拝所」だったようです
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
「波の上」は 琉球王国時代には「はなぐすく」とよばれていました
「はなぐすく」とは「端城」を云います 地形的にも 那覇の突端であり 波の上が 神の居住地であることを意味しています
波上宮(naminoe gu)が 鎮座している場所は もともとは琉球古来の神に祈りを捧げる御嶽拝所(聖地・拝所)があり その周りに他国の信仰の場となる施設(寺や社)が建てられて 現在に至っています 那覇においても 琉球古来の信仰と外国の信仰が 共存してきた歴史を伺い知ることができます
「ニライカナイ信仰」と呼ばれている信仰
この信仰は 遙か昔の人々が洋々たる遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方 海神の国(ニライカナイ)の神々に 日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈ったとされています
豊穣や生命の源で 神々が来訪してこの世の人々を祝福する儀礼や伝承は各地にみられます
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
那覇空港から R58号経由 約4.5km 車10分程度
「黒塗の大鳥居」には扁額「波上宮」とあります
波上宮(naminoe gu)に到着
一礼して大鳥居をくぐると すぐに案内板があり読み耽ります
石段が続き その先に今度は「白塗りの鳥居」が構えます
境内に上がると 広めの石畳の参道の左手に手水舎があります 清めます
社殿も含め 建屋はすべて 琉球瓦(赤瓦)と朱塗りをふんだんに取り入れた沖縄らしい建築様式です 南国に来ていることを実感します
狛犬も「シーサー」で造りも見事です
拝殿にすすみます 扁額には「波上宮」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
この奥に もともとの琉球古来の神に祈りを捧げる御嶽拝所(聖地・拝所)があります こちらからお詣りします
境内 仮鎮座にお詣りです
・浮嶋神社(天照大神奉斎・別称----長寿宮)
・世持神社(沖縄産業 三大恩人奉斎)
社務所はいつも賑わっています ご朱印帳やお守りを授与して頂きます
境内を後にします
白塗りの鳥居をくぐり 振り返り一礼
そのまま 神社の下にある「波の上ビーチ」へと向かいます 人口渚ですが 白砂が美しく 祈りの聖地「波の上の崖端」が良くわかります 崖の上に本殿が建ちます
この神社は 古来琉球の信仰 海神の国(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げる御嶽拝所(聖地・拝所)がある崖の上の場所に鎮座しています
波上宮(naminoe gu)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
社伝による「波上宮の御鎮座伝説」
琉球王朝が この地「波の上」に琉球八社(ryukyu hassha)の首座を占めて「熊野権現(kumano gongen)」を祀り 波上宮(naminoe gu)が鎮座した由来が記されています
その様子を彷彿させる絵が社務所に飾られていましたので許可を頂き撮影させて頂きました
遙か昔の人々は 洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に
祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。
波上宮の御鎮座伝説に
『往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な"ものを言う石"を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現在の波上宮御鎮座地で花城と(はなぐすく)も呼んだ》に至った時に神託(神のお告げ)があった。即ち、「吾は熊野(くまの)権現也(ごんげんなり)この地に社を建てまつれ、然(しか)らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上し、王府は社殿を建てて篤く祀った』と云う。
公式HPより
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について
琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社゛について
琉球八社(りゅうきゅうはっしゃ)は 琉球王国(琉球國)の゛歴代の王統゛と「琉球八社(官社)の制」として 王府から特別の扱いを受けた八つの神社を云い〈「熊野権現」を祀る七社(・波上宮・天久宮・沖宮・末吉宮・識名宮・普天間宮・金武宮)「八幡神」を祀る一社・安里八幡宮〉から構成されます
琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社゛について