中尾神社(なかおじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇7年〈BC23〉正月の勧請と伝わる 延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)で 天慶年中(938~947)には 藤原忠文が平将門征討の時 幣帛を奉ったと云う 旧号は゛飛永明神゛と呼ばれ 新羅三郎義光以来 武田氏代々に崇敬厚く社領が寄せられました
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
中尾神社(Nakao shrine)
【通称名(Common name)】
・道祖神さん
【鎮座地 (Location) 】
山梨県笛吹市一宮町中尾字上手1331
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
中尾神社略記
御祭神 大己貴命 少彦名命
配 祀 道祖神 天満宮 山神社 大神社旧社格 村社 延喜式甲斐二十社の一社
鎮座地 一宮町中尾字上手一、三三一
境内面積 一、八七二平米(五六七坪)御由緒については 飛永明神と号し 垂仁天皇七年 正月甲子の日勧請し 古くは延喜式神名帳にも見ゆる大社にして、天慶年中(九三八―九四六年)藤原忠文、平将門征討の時奉幣あり、新羅三郎義光以来、武田氏代々に崇敬厚く社領を寄せられた。
本殿は唐破風(からはふ)桧皮葺(ひはだぶき)、江戸初期の建築、拝殿は 明治四十年改築し、規模大ならずと雖(いえど)も宮殿の形体に於いては欠くる所なく 自から神威の尊さを仰がしむに足る神社である。道祖神は社側にあり、明治四年当地に奉遷し、一月十四、十五日はお蚕の神様として近郷に知られた大きな祭であるが、近年は寧ろ交通安全の御神徳が大である。また昭和五十七年天神社を境内に遷祀し、家内安全、果実の豊作、交通安全、学問の向上等信仰が篤い。
平成六年一〇月吉日 笛吹市教育委員会
現地案内板より
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由緒沿革:
垂仁天皇七年正月甲子日勧請。
醍醐天皇の御宇 延喜式神名帳所載の中尾神社なり。
天慶年中 藤原忠文東征に当たり幣帛を奉せりと云ふ。新羅三郎義光以降 武田家代々崇敬、社領を寄進す。
徳川家に及びても旧例を継ぐ。
明治四年 管領により従来の社領を上知す。境内に道祖神あり 毎年一月十五日直近の祝祭日 土日曜日二日間多数の人出で賑ひを見せる。山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/3056
【由 緒 (History)】
由緒
飛永明神と号し 大己貴命、少彦名命を合幣し 垂仁天皇7年正月甲子の日勧請せし大社にして 延喜式甲斐二十社の一社であり、
天慶年中 藤原忠文、平将門征討の時 奉幣ありしという、新羅三郎義光以来 武田氏代々崇敬厚く 社領を寄せられしこと多かり、
本殿は 唐破風桧皮葺(江戸初期)拝殿は明治40年新築規模大ならずといえども宮殿の形体においては劣ることなく自ら神威の尊く仰しむるに足る。
境内に中尾道祖神社と中尾天神社奉遷したるなり。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容
【抜粋意訳】
第二 延喜式内社 八代郡六座
・中尾神社 村社
東八代郡相興村中尾組字上手 鎭座
祭神
大己貴命 少彦名命社記云。中尾神社也。
御朱印社領七斗餘。國志所載 飛水明神にして 往古 大社なりしか如し。今に正祝屋敷等の地稱あり。
【原文参照】
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 中尾神社
[ふ り が な ](なかをの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakawo no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)の論社について
・中尾神社(笛吹市一宮町)
中尾神社(なかおじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇7年〈BC23〉正月の勧請と伝わる 延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)で 天慶年中(938~947)には 藤原忠文が平将門征討の時 幣帛を奉ったと云う 旧号は゛飛永明神゛と呼ばれ 新羅三郎義光以来 武田氏代々に崇敬厚く社領が寄せられました
中尾神社(笛吹市一宮町中尾)〈『延喜式』中尾神社〉
・中尾神社(笛吹市八代町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央本線 石和温泉駅から県道208号・306号経由で東へ約7.7km 車で16分程度
社頭は南南西を向いています
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境内の周囲は 石垣の上に玉垣が廻されていて 南方向に鳥居が建てられています
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鳥居の扁額には゛中尾神社゛と刻字があります
中尾神社(笛吹市一宮町中尾)に参着
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一礼をしてから鳥居をくぐると すぐ目の前に拝殿があり
境内の向かって右手には 御神木と ゛延喜式内 中尾神社゛と刻字された石の社号標があります
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境内の向かって左手〈西側〉には 境内社 天満宮が祀られています
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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には 透塀に囲まれて 本殿が祀られています
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本殿の向かって右横には 2宇の石祠と石神or道祖神が祀られています
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境内の向かって右側〈東側〉には 金網のフェンスで囲われた場所にブランコなど子供の遊具が置かれた敷地があります
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この敷地内に゛田村家四将軍顕彰碑゛がありました
おそらく社家であろうと想われます
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境内へと戻ります
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御神木の脇を抜けて 境内参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
延喜式内社 中尾神社について 所在は゛中尾村に在す、今 飛永明神と称す゛〈現 中尾神社(笛吹市一宮町)〉と記しています
【抜粋意訳】
中尾神社
中尾は奈加哀と訓べし
○祭神 大己貴命、〔名勝志〕
○中尾村に在す、今 飛永明神と称す、〔名勝志〕例祭 月 日
社領
當代 御朱印高八石余
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
延喜式内社 中尾神社について 所在は゛今 中尾村にあり、飛永明神と云゛〈現 中尾神社(笛吹市一宮町)〉と記しています
【抜粋意訳】
中尾(ナカヲノ)神社
今 中尾村にあり、飛永明神と云 盖是也、〔甲斐名勝志、甲斐國志、巡拝舊祠記、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
延喜式内社 中尾神社について 所在は゛中尾村(東八代郡相興村大字中尾)゛〈現 中尾神社(笛吹市一宮町)〉と記しています
【抜粋意訳】
中尾神社
祭神 大己貴命
祭日 正月二十日 九月十九日
社格 村社所在 中尾村(東八代郡相興村大字中尾)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
中尾神社(笛吹市一宮町中尾)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について