仲神社(なかじんじゃ)は 社記には もと仲神社と称し 中古 伊那上神社(松崎町宮内)に合祀して高根名神社と改称 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したとあり 現在は三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
仲神社(Naka shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡松崎町那賀64
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》事代主命(ことしろぬしのみこと)
《配》天神(てんじん)〈本殿に合祀 津島神社〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
社記に曰く
本社はもと仲神社と稱せしも 中古 賀茂郡宮内村 村上神社(今 松崎町宮内伊那上神社)と合祀して高根名神社と改めしが 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したり
『豆州志稿』巻之9に記される内容
旧称の「高嶺明神」として記されています
【抜粋意訳】
巻之九下 神祠四 那賀郡
高嶺明神 那賀村 〔増〕村社 仲神社 祭神不詳
〔増〕式内 伊那上神社なる可し〔前記〕伊那は往古此邊の總稱にして式の伊那上、伊那下兩社は同地鎭座ならむ而、伊那下神社は江奈村舟寄神社なる可きは已に前述す伊那上神社は中川東北の沿岸、櫻田、那賀、建久寺、吉田、船田、諸村の内に在る可きを此社の殊に舊祠なると池形の正に伊那上の稱に適へるとを相すれは則是れに當るを妥當とす可し原書 式内仲神社に當たるは諾ひ難し
〔前記、仲神社の事 賀茂郡宮内村上之神社の條参観〕〇末社二〔天神 津島〕
〔増〕二百十九坪 民一
【原文参照】
秋山章 著 ほか『豆州志稿』巻之9,栄樹堂,明21-28. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765148
【由 緒 (History)】
『南豆繁昌記』に記される内容
【抜粋意訳】
中川村 〇社寺
〇村社 仲神社
祭神〔事代主命 天満宮〕創立年月不祥
中川村那賀字宮小路にあり 元祿年間の再建なるは棟札に徵して明なり
一棟両扉同位奉齋式内の社なり
【原文参照】
長谷川作太郎 編『南豆繁昌記』,長谷川作太郎,明35.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765238
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
仲神社(松崎町那賀)は 三つの式内社の論社となっています
①延喜式内社 伊豆國那賀郡 伊那上神社
②延喜式内社 伊豆國那賀郡 仲神社
③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社
①延喜式内社 伊豆國那賀郡 伊那上神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 伊那上神社
[ふ り が な ](いなかみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Inakami no kaminoyashiro)
②延喜式内社 伊豆國那賀郡 仲神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 仲神社
[ふ り が な ](なかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Naka no kaminoyashiro)
③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 仲大歳神社
[ふ り が な ](なかをほとしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakawohotoshi no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
仲神社(松崎町那賀)は 三つの式内社の論社となっています
①延喜式内社 伊豆國那賀郡 伊那上神社
②延喜式内社 伊豆國那賀郡 仲神社
③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社
①延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)
・伊那上神社(松崎町宮内)
伊那上神社(いなかみじんじゃ)は 社伝には 第52代 嵯峨天皇弘仁2年(811)伊豫國越智郡三島より遷座と伝えられ 又一説に弘仁8年(817)伊豆國府三島より遷座とも云う 三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉
・仲神社(松崎町那賀)
仲神社(なかじんじゃ)は 社記には もと仲神社と称し 中古 伊那上神社(松崎町宮内)に合祀して高根名神社と改称 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したとあり 現在は三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
仲神社(賀茂郡松崎町那賀)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉
②延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲神社(なかの かみのやしろ)
・仲神社(松崎町那賀)
仲神社(なかじんじゃ)は 社記には もと仲神社と称し 中古 伊那上神社(松崎町宮内)に合祀して高根名神社と改称 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したとあり 現在は三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
仲神社(賀茂郡松崎町那賀)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉
・伊那上神社(松崎町宮内)
伊那上神社(いなかみじんじゃ)は 社伝には 第52代 嵯峨天皇弘仁2年(811)伊豫國越智郡三島より遷座と伝えられ 又一説に弘仁8年(817)伊豆國府三島より遷座とも云う 三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉
大歳神(おほとしのかみ)について
大歳神は 記紀神話『古事記』によれば 須佐之男命と神大市比売命〈大山津見神の娘〉の間に生まれた御子神〈大年神(おほとしのかみ)〉で宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の兄弟神とされています
穀物や豊穣を司る神として信仰され 年神(歳神)とも呼ばれることがあります
「大歳神(おほとしのかみ)」を社名に持つ式内社について
延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大 月次 新嘗)(おほとしの かみのやしろ)
・大歳神社(京都市西京区大原野灰方町)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 境内を栢の森と称し゛栢の社(かやのやしろ)゛とも云う主祭神は大歳大神で 延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大月次新嘗)(おほとしの かみのやしろ)です 又 相殿は 後に大歳神社に合祀したと伝わる 石作氏の祖神 石作大神を祀る延喜式内社 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)です
大歳神社〈相殿に合祀 石作大神〉(大原野灰方町)〈『延喜式』大歳神社・石作神社〉
延喜式内社 大和國 高市郡 大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ ふたくら)
・大歳神社(橿原市石川町)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代は不明ですが 創祀について鎮座地の石川村を開発した人物「石川楯〈雄略天皇の臣下〉」であると推測されています 延喜式内社 大和國 高市郡 大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ ふたくら)の論社で 中世両部習合神道から大山咋命を主神として社名を山王社と云ったと棟礼にみえています
大歳神社(橿原市石川町)〈『延喜式』大歳神社 二座〉
延喜式内社 攝津國 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつおほとしの かみのやしろ)
・〈旧鎮座地〉式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)
式内 草津大歳神社趾(しきない くさつおおとしじんじゃあと)は 明治40年(1907)大依羅神社に合祀された 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 摂津国 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつをほとしの かみのやしろ)の旧鎮座地です 創建・由緒など不明ですが 跡地に残る大楠が御神木であったことを彷彿させます
式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)
・〈合祀先〉大依羅神社(大阪市住吉区庭井)
大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は 神功皇后が新羅征討の際 住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見(よさみのあびこをたるみ)」が住吉三神を祭る祭主を務めたことが『日本書紀』に記載されるのが起源とされている 式内社 大依羅神社 四座(おほよさみの かみのやしろ しくら)(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)に比定される古社です
大依羅神社(大阪市住吉区庭井)
・大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)
大歳神社(おおとしじんしゃ)は 住吉大社の「はったつさん」と呼ばれる゛初辰まいり゛〈商売や家庭の発達繁栄を祈るお参り〉の四社の締めくくりに参拝する習わしのある境外摂社です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 摂津国 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつをほとしの かみのやしろ)の論社ともされています
大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)
延喜式内社 和泉國 大鳥郡 大歳神社(貞・鍬)(をほとしの かみのやしろ)
・等乃伎神社(高石市取石)
〈等乃伎神社に合祀 大歳神社(高石市西取石)〉
延喜式内社 遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)
・大歳神社(浜松市中央区天王町)
・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)
延喜式内社 駿河國 安倍郡 大歳御祖神社(おほとしみおやの かみのやしろ)
・静岡浅間神社(静岡市)
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 駿河国総社として崇敬され(通称 おせんげんさま)と云い 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社の総称です 徳川家康公(幼名 竹千代)の元服式より幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です
静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)〈『延喜式』神部神社・大歳御祖神社〉
・別雷神社(静岡市)
③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)
・神明神社(西伊豆町中)
神明神社(しんめいじんじゃ)は かつて火災に遭って多くの記録を失い 創建年代等は不祥 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)の論社です 毎年十一月の秋祭りに奉納される三番叟は初演が享保年間即ち1700年代と伝えられ 三世紀に渡り伝承される貴重な民俗文化財です
神明神社(賀茂郡西伊豆町中)〈『延喜式』仲大歳神社〉
・伊那下神社(松崎町松崎)
伊那下神社(いなしもじんじゃ)は 三つの式内社〈伊豆國 那賀郡① 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)②伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です 又 三韓征伐の時 この国の人が神功皇后の御船を守り 長門豊浦から松崎に来て唐(新羅)征討の住吉三神を祀り俗に唐大明神と称します
伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎)〈『延喜式』伊志夫神社・伊那下神社・仲大歳神社〉
・仲神社(松崎町那賀)
仲神社(なかじんじゃ)は 社記には もと仲神社と称し 中古 伊那上神社(松崎町宮内)に合祀して高根名神社と改称 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したとあり 現在は三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
仲神社(賀茂郡松崎町那賀)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉
・伊那上神社(松崎町宮内)
伊那上神社(いなかみじんじゃ)は 社伝には 第52代 嵯峨天皇弘仁2年(811)伊豫國越智郡三島より遷座と伝えられ 又一説に弘仁8年(817)伊豆國府三島より遷座とも云う 三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です
伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉
延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)
・大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 貞観3年(861)の創立と伝える 延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされます 所藏の棟札によれば 足利時代の永享2年(1430)11月 足利義教の時に社殿の再建とあり 中世この地は 延喜式の大歳神社がここに鎭座するを以て 大歳莊と呼ばれたと云う
大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〈『延喜式』大歳神社〉
延喜式内社 石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)
式内社 大歳神社について 所在は゛大年神社は當郡中 數多ありて 何れを式内と定め難し゛と 大年神社が多数あって決め難いとされます
・大年神社(江津市都野津町)
大年神社(おおとしじんじゃ)は 神亀貮乙丑(725年)六月朔日伊勢別宮より 都濃郷大年免に鎮座と伝わり『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされます 正徳元卯年(1711年)都山〈現地〉に遷座したと伝わります
大年神社(江津市都野津町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大年神社(江津市和木町)
大年神社(おおとしじんじゃ)は 伊勢別宮より勧請され都農郷 大年免(おとしめ)山に奉斎されたと伝えられ『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされ 江戸時代 和木村庄屋小川氏によって和木川ほとりの現在地に遷座しました
大年神社(江津市和木町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大年神社(江津市渡津町塩田)
大年神社(おおとしじんじゃ)は 口碑に「神龜二年(725)六月朔日 伊勢別宮より勧請 天正年間(1573~1592)都野刑部少輔元康 社領寄附す」とあり 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされています
大年神社(江津市渡津町塩田)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大歳神社(江津市千田町大年迫)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創建は口碑に延長年間(923~931年)と云います 『三代實録』に貞觀十三年(871)大歳神 從五位上を奉授と所載され 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされる神社の所在については確証がなく 論社がその数多くあり その一つとされています
大歳神社(江津市千田町大年迫)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大歳神社 (浜田市元浜町)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授し 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされる由緒ある神社ですが 所在については確証がなく 数多くの論社があります その一つとされています
大歳神社(浜田市元浜町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大歳神社(浜田市弥栄町小坂)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創祀年代について 「神亀元年(724)十二月 田村修理によって当地に創建」と云われる由緒を持ち 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)と伝わります この論社は数が多く その内の一つとされます
大歳神社(浜田市弥栄町小坂)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大歳神社(浜田市大金町)
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 元 大金神社と称していたが 昭和30年(1955)神社本庁の許可を得て大歳神社を創立し神社本庁に従属したとあり 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つです
大歳神社(浜田市大金町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大年神社(浜田市国分町)
大年神社(おおとしじんじゃ)は 景勝地として知られる石見畳ケ浦の入口にあたる唐鐘漁港の高台に鎮座します 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』に石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とある古社の論社の一つです
大年神社(浜田市国分町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大歳神社(浜田市三隅町下古和)
大年神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代はあきらかでないが 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つとされています 明治期に地域の神社を合祀しています
大歳神社(浜田市三隅町下古和)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
・大歳神社(浜田市金城町波佐)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅からR414号と県道15号経由で約23.2km 車での所要時間は30~35分程度
松崎町の街から那賀川を遡るように県道15号を東へ進んだ那賀の集落の中に鎮座します
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仲神社(賀茂郡松崎町那賀)に参着
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には本殿
昭和三十三年(1958)台風で社殿が倒壊して コンクリート造の社殿が再建されたとの事 白く塗られているので 漆喰の土蔵のような印象を受けます
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社殿に一礼をして境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 伊那上神社について 所在は゛宮内村に在す、゛〈現 伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊那上神社
伊那は假字也、上は加美と訓べし、
○祭神詳ならず
○宮内村に在す、〔國圖志、〕例祭
伊豆志ニ、神主 金差氏四十八世祖河野氏、豫州ヨリ奉遷ト云フ、昔ハ大社ナリシガ、天正慶長ノ両度ノ火災ニ、舊記等迄多ク焼失ス、今所存古文書八通アリ、と云り
神位
國内神階記云、從四位上いなかみの明神、社領
当代御朱印高十五石、下社五石、合廿石、雑事
古文書、文治元年三月、伊豆國仁科庄那賀郷 三島宮納御劔之事、右彼御劒者、薩他山御合戦之依ニ御祈祷申、当社之御室殿え被ニ納置者也、後見記録畢如件、駿州目代判、」正中二年三月上旬、伊豆國那賀郡 三島大明神 御本社大禰宜野地之事、畠一段、云々、右金指孫四郎義長所ニ宛行也、云々、石田藤平六平高宗判、』天正十四年七月六日、那賀郡 三島大明神 大禰宜職等之事、云々、氏光判、神主金指大炊助殿、〔以上伊豆志所引〕
式内社 仲神社について 所在は゛那賀郷中村に在す、今 高峰明神と称す゛〈現 仲神社(松崎町那賀)〉と記しています
【抜粋意訳】
仲神社
仲は郡名に同じ、那賀と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕那賀、
○祭神詳ならず
○那賀郷中村に在す、今 高峰明神と称す、〔國圖志、〕例祭
類社
伊勢國多氣郡 仲神社
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
式内社 仲大歳神社について 所在は゛中村海名(カイナ)野に在す、今 神明と稱す、゛〈現 神明神社(賀茂郡西伊豆町中)〉と記しています
【抜粋意訳】
仲大歳神社
仲は前に同じ〈仲は郡名に同じ、那賀と訓べし、〉大歳は於保登志と訓べし、
〇祭神 大歳神歟
〇中村海名(カイナ)野に在す、今 神明と稱す、例祭
伴信友云、按に、仲は地名也、大歳神は大山祇神の外孫也、廣瀨神社の下考合すべし、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 伊那上神社について 所在は゛今 賀茂郡 宮内村に在り、盖 三島大明神を祭る゛〈現 伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊那上神社
今 賀茂郡 宮内村に在り、盖 三島大明神を祭る、
凡 神主 金差氏、世々本社の事を掌る、〔豆州志、神社古文書〕
凡 其祭 正月八月十六日之を行ふ、〔足柄縣式社取調書〕
式内社 仲神社について 所在は゛今 賀茂郡中村の那賀にあり、高峯明神と云ふ゛〈現 仲神社(松崎町那賀)〉と記しています
【抜粋意訳】
仲神社
今 賀茂郡中村の那賀にあり、高峯明神と云ふ、
凡 三月 十一月十六日祭を行ふ、〔豆州志、足柄縣式社取調書〕
式内社 仲大歳神社について 所在は゛今 中村海名野にあり、神明といふ、゛〈現 神明神社(賀茂郡西伊豆町中)〉と記しています
【抜粋意訳】
仲大歳(ナカノオホトシノ)神社
今 中村海名野にあり、神明といふ、〔豆州志〕
盖 大年神を祭る、此は建速須佐之男命、大山津見神 女神 大市比賣に娶て生坐る神也、〔参酌古事記、延喜式、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 伊那上神社について 所在は諸説を考証しています
゛賀茂郡宮内村上宮を當られた゛〈現 伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〉
゛那賀郡那賀郷の那賀と云處にあり゛〈現 仲神社(松崎町那賀)〉
【抜粋意訳】
伊那上(イナカミノ)神社
祭神
祭日
社格 郷社所在 足柄縣 (賀茂郡松崎町大字宮内 )
今按 式社孜證には 賀茂郡宮内村上宮を當られたれど 此は仲神社と思はるれば 伊那上ノ神社は舊説に仲神社と唱來れる那賀郡中村の神社なるべし 此社は豆志に今 高嶺明神と稱す 那賀郡那賀郷の那賀と云處にありとみえたる是なり 伊那下神社は伊奈村舟寄明神なるべし 彼村より上 所謂中川東北側の諸村 櫻田 中村 建久寺 吉田 船田等を伊那上と稱したること的然(シル)く 此村々を點檢するに 當社許り舊社と思はるゝは無く 此地許り伊那上の稱に協へる處なきを以てなりとあるを縣の註進に賀茂郡宮内村にあてたるは誤れるか疑はし
式内社 仲神社について 所在 所在は諸説を考証しています
゛賀茂郡宮内村上宮゛〈現 伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〉
゛那賀ノ郷三島宮゛〈現 仲神社(松崎町那賀)〉と記しています
【抜粋意訳】
仲(ナカノ)神社
祭神
祭日
社格
所在今按 式社孜證に 仲ノ神社は舊説に伊奈上神社と稱へ來れる賀茂郡宮内村上宮なるべく思はる 此ノ社は豆志に伊那上神社〔宮内村〕神主四十八世ノ祖河野氏 豫州より奉遷と云云々とみえたり 此邊の地理を考るに東北に中川流れ南西に岩科川有て 二川の中間に有るより那賀と云稱起たる所と思はれ 古く那加ノ郷中なりし由に傳へ 文治三年文書に伊豆ノ國 仁科ノ庄 那賀ノ郷三島宮とみゆ 古來 仲ノ郷中の總鎭守なる由 口碑に傳たねなど緣由有を以て知べし 尚 仲ノ大歳神社も同地鎭座にて 先説に伊那ド神社と唱へ來れる松崎村下宮なるべく思はるれば 當社の仲ノ神社と云考の據あるを思ふべしと云るを 縣の注進に那賀郡那賀村の社をあてたるはいかが 猶よく考ふべし
式内社 仲大歳神社について 所在は゛無記入゛不明
ただし 諸説を挙げています
゛仲ノ大歳ノ神社在ニ中村海名野゛〈現 神明神社(賀茂郡西伊豆町中)〉
゛伊那下神社と唱へたる賀茂ノ郡 松崎村下ノ宮゛〈現 伊那下神社(松崎町松崎)〉
゛仲神社゛〈現 仲神社(松崎町那賀)〉
゛縣の注進には江奈村の神社゛〈現 舟寄神社(松崎町江奈)〉
【抜粋意訳】
仲大歳(ナカノオホトシノ)神社
祭神
祭日
社格
所在今按 式社考證に豆志に云 仲ノ大歳ノ神社在ニ中村海名野〔今云 那賀郡仁科中村也〕亦 神明と稱す云々と有ど 仲ノ大歳は仲と同所の地名にして 必ず仲神社の近邊と聞ゆるに 此地〔仁科中村〕は彼 仲神社の地〔舊説の中村 今按の宮内村〕よりは所謂 江奈山を隔て各一區別ある所にて 古に仲と云し地内に非ること明瞭なれば 適はざる事判然なるに
因て考ふるに 舊説に伊那下神社と唱へたる賀茂ノ郡 松崎村下ノ宮なむ仲大歳神社なるべく思はる 此社は豆志に相傳ふ神功皇后 新羅を征し給ふ時に彼國人 皇后の御船を守護し奉りて長州豊浦に留り後此に鎭座す 故に額に唐大明神と書來れり云々と云るが如く
仲神社は舊説に伊那上神社と云る宮内村上宮なるべく 彼社とは僅に八町許を隔てゝ上宮下宮と唱へ來れるなど 緣由有て聞ゆるは更なり 此邊に當社より外に舊社と思はるるは有事無きを以て證とすべしとあるを 縣の注進には江奈村の神社と定められたるは疑はし 猶よく考べし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
仲神社(賀茂郡松崎町那賀)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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