長門国(ながとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 長門国 5座(大3座・小2座)の神社です
長門国(ながとのくに)について
長門国(Nagatonokuni)は 令制国の一つ〈山陽道に属する〉
現在の・山口県西部北部
長門(ながと)は 古くは「穴門(あなと)」と呼ばれ 「穴戸」とも
穴戸(あなと)は 海峡のことで 関門海峡を示している
『日本書紀』には
大化6年(650)穴戸(あなと)の国司(草壁醜経)が白雉を献上
天智4年(665)長門国(ながとのくに)が初見する
古墳時代に成立した穴門国造(あなとのくにのみやつこ)の領域と阿武国造(あむのくにのみやつこ)の領域をあわせ 7世紀に穴戸国(あなとのくに)が設置され 7世紀後半に長門国(ながとのくに)に改称
長門国(ながとのくに) 5座(大3座・小2座)
大社3座は1社〈名神大社〉
小社2座は2社
計5座は3社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・豊浦郡(とよらの こおり) 5座(大3座・小2座)
豊浦郡(とよらの こおり) 5座(大3座・小2座)
住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしにゐますあらみたまの かみのやしろ みくら)
・住吉神社(下関市一の宮住吉)長門国一之宮
住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『日本書紀』に記される 神功皇后が三韓征伐より凱旋の折 神託を得て 住吉三神の荒魂(あらみたま)を穴門 山田邑(現在地)に奉斎したとこれが住吉神社の起こりとされます 式内社 住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしにゐますあらみたまの かみのやしろ みくら)・長門国一之宮です
住吉神社(下関市一の宮住吉)長門国一之宮
忌宮神社(いむみやの かみのやしろ)
・忌宮神社(下関市長府宮の内町)長門国二之宮
忌宮神社(いみのみやじんじゃ)は 第14代仲哀天皇が熊襲ご平定の為 穴門(長門)豊浦宮を興し7年間政務をとられた旧趾です 天皇は筑紫国 香椎宮で崩御せられ 神功皇后は喪を秘して武内宿禰に御遺骸を奉じて豊浦宮に帰らしめ 殯斂(仮埋葬)せられた ご懐妊中の神功皇后は 新羅征討ご凱旋の後 天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭されたのが当社の起源と『日本書紀』に記されています
忌宮神社(下関市長府宮の内町)長門国二之宮
村屋神社(むらやの かみのやしろ)
・杜屋神社(下関市豊浦町黒井)長門国三之宮
杜屋神社(もりやじんじゃ)は 創建の伝説が幾つかあり 日本武尊が大海化にあった時 亀甲に乗った三穂津命が現われ船を無事に毛呂の長浜に導いた 或は 仲哀天皇が九州御征討で 海路豊浦宮に行幸された時 穴門の中ッ村毛呂の里に霊光が終夜輝き渡り この霊光を守り屋の神と称しお祀りされた とも伝わる古社で 式内社 長門國 豊浦郡 村屋神社(むらやの かみのやしろ)とされます
杜屋神社(下関市豊浦町黒井)長門国三之宮
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
山陽道に鎮座する 140座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「山陽道」に鎮座する(140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124)神社の一覧表です