実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

長柄神社跡(八尾市)

長柄神社跡(ながらじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社ですが 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  長柄神社跡(nagara jinja ato)
 (ながらじんじゃ あと)

 [通称名(Common name)]

 【鎮座地 (location) 】

大阪府八尾市東本町1丁目4−11

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》八言事代主命(yae kotoshironushi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の旧鎮座地

【創 建 (Beginning of history)】

創建不詳

当社 延喜式内 長柄神社は 八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)を祀れるも 明治40年10月 政府の命により 矢作神社に合祀され 現在に至る。
案内看板より

【由 緒 (history)】

式内社 長柄神社

旧信貴道に面した長柄神社は、旧庄内村と旧東郷村の境にあり、祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、別に八言事代主(やえことしろぬし)ともいわれ、大国主命の子とされている。
 古くから、子守勝手宮(こもりかってのみや)と呼ばれ、神の託宣(お告げ)をする神社といわれていた。延喜式の制に列し、祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある神社である。
明治40年10月9日、矢作神社へ合祀され、社域には、今も古木が残っている。
八尾市教育委員会  境内案内石版より

 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)
       ・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)若江郡 22座(大2座・小20座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 長柄神社(鍬)
[ふ り が な  ](なからの かみのやしろ)(くわ)
[How to read ](nakara no kamino yashiro)(kuwa)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社です 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄八尾駅から 南方向へ400m 徒歩 約5分

長柄神社跡(nagara jinja ato)に到着

現在の境内跡地は 遊具が設置されて児童公園として 親しまれているようです
しかし 神社跡地として 社殿が建っていた頃の面影は しっかりと残っています 西向きの社殿跡から延びる参道が残り 社頭の鳥居も在りし日のままに建っています

一礼して鳥居をくぐります
社殿の跡の周囲には 今も古木が残っていす

境内から 一段高い壇には 灯籠が建ち 狛犬も構えていて 社殿はありませんが 御神威は ほぼそのまま残されているような感がします

おそらく 狛犬や灯籠のある檀には 拝殿が建っていたのであろうと想われます

さらに 最奥部は もう一段高い壇があって玉垣で囲われています 
ここには 本殿が建っていたとわかります

玉垣の内側 本殿の跡地には「式内 長柄神社址」と刻まれた社名の石碑が建っています

拝所にすすみます
お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

公園を後にします
鳥居をくぐり抜け 振り返り一礼します

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

当社の創建年代は不明で 神階授与の記録もありません 創建後の経緯も不明

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社です 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました

長柄神社跡(nagara jinja ato)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る  

一緒に読む
河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)

河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです

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