野巻 椋神社(のまき むくじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の5つある論社の一つです 明治初期 秩父郷に5つある椋神社の間に式内社論争が起こり 五社を合わせて式内社とする知事の裁定がありました「野巻」という地名は「野牧」とも書かれ 昔 当地に牧〈大和朝廷の牧場〉があったとされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
野巻 椋神社(Muku shrine)
【通称名(Common name)】
・野巻 椋神社(のまき むくじんじゃ)
・明神様(みょうじんさま)
・椋宮明神(むくみやみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県皆野町野巻363
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)
《合》菅原道真公(すがはらみちざねこう)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
大日霊貴尊(おほひるめむちのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
椋神社(むくじんじゃ)(野巻)
一、御祭神 猿田彦大神(無病息災 子孫繁栄の神)
合祀社 牛頭天王 秋葉神社 金山神社 稲荷神社 諏訪神社 八幡神社 神明社 八坂神社 天神社 他 数社
二、御祭事
元旦祭 元日
節分祭 2月3日
春祭り(祈年祭) 3月14日(近年は14日前後の休日)
例大祭(例祭) 10月15日(近年は15日前後の休日)
初穂祭(新嘗祭) 12月 5日(近年は5日前後の休日)
大祓(大祓祭) 12月28日(近年は28日前の休日)三、御由緒
当神社は延喜式内の一社で秩父地方屈指の古社であります
延喜式内とは 平安時代中期延喜五年(九二七)醍醐天皇の勅命により 全国の著名神牡二千八百六十一社を撰上し『延喜式内神名帳』に記載されたものをいいます
秩父で延喜式内といわれる神社は秩父の総社である秩父神社と椋神社のみです
「野巻」という地名は「野牧」と書かれた時代もあり 昔 当地に牧があったことから付けられたとされております
この地の牧は秩父三牧の一つで秩父十郎武綱によって開かれたとされております
また承平三年(九三三)朱雀天皇が秩父三牧を勅旨牧に指定し およそ百年間 何度かにわたり朝庭に献馬させたという記録が太政官布告に残されております
当地は自然環境にも恵まれ 牧の設置には最適の地であったと思われますし 牧原 まご田 まごが前 まごが屋敷 まごが滝 くつうちば うますてば 等々牧に関係したと思われる地名が数多く残ざれていることからも 秩父牧の一つであったことが確信されます
そして この時代にこの地に住んだ人々が牧と自分達の守護神として 当御祭神をお祀りされたものと思われます
当神社は明治から昭和にかけて 国神村の村社として多くの人々から崇拝されましたが 現在も当所の人々の心のよりどころとして大切な役割をはたしております四、御社殿
御社殿は当初 間口九尺奥行十二尺で 棟が前後に走る木造茅葺屋根の小さなお社てあったとされております
明治四十二年に現在の御社殿が造営されましたが 屋根は麦藁葺 棟は千木鰹木造りでした
その後 昭和二十五年に屋根を入母屋造り瓦葺きに改修し 現在に至っております
また 境内は多くの当社崇敬者からのご奉納の品によって 神社としての体裁を整えることができております五、歴代宮司
不詳-船嵜千代松-船嵜覚三郎-船嵜富太郎-船嵜鶴吉境内案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・正面の 狼の狛犬〈秩父の信仰 神使のお犬様〉
・正面の鳥居
・裏手の社号標゛延喜式内 椋神社゛
・拝殿
・〈本殿向かって左 境内社群〉
牛頭天王、秋葉神社、金山神社、稲荷神社、諏訪神社、八幡神社、神明社、八坂神社、天神社
・その向かって左 六つの石祠
・〈本殿向かって右 陰陽石〉
・御神木
・神楽殿
・手水舎
・社務所
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
巻二十 貞觀十三年(八七一)十一月十日〈壬午〉の条
○十日壬午
授に 武藏國
正五位上勳七等 秩父神(チチフノカミ)に 從四位下。
從五位下 椋神(ムクノカミ)に 從五位上。飛騨國 正五位下 水無神 正五位上。
出雲國 正五位上 湯神。佐往神 並從四位下。
從五位上 能義神。佐草神。揖屋神。女月神。御譯神。阿式神並 正五位下。
從五位下 斐伊神。智伊神。温沼神。
越中國 從五位下 楯桙神 並從五位上。
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)秩父郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 椋神社
[ふ り が な ](むくの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Muku no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の論社について
明治初期 秩父郷に5つある椋神社の間に式内社論争が起こり 五社を合わせて式内社とする知事の裁定がありました
・井椋塚(秩父市下吉田)〈椋神社の社殿が焼失〈永禄十二年(1569)兵火〉以前の旧社地〉
井椋塚(いくらづか)〈吉田 椋神社の旧鎮座地〉は 永禄十二年(1569)の兵火〈武田勢の侵入による秩父谷の社寺焼打ち〉で吉田 椋神社の社殿が消失する迄の旧社地とされます 天正三年(1575)に鉢形城主 北条氏邦が五宇あった神殿を一宇に改めて現在地に再建したと伝わります
井椋塚(秩父市下吉田)〈吉田 椋神社の旧鎮座地〉
・吉田 椋神社 奥宮(秩父市下吉田)
吉田椋神社 奥宮(よしだ むくじんじゃ おくみや)は 龍勢を打ち上げる龍勢櫓のある芦田山の中腹に鎮座します 御祭神は本社と同じですが 祭典は御犬様を祀る祭りとされて ゛延喜式内 椋神社 服従神犬 秩父吉田郷五峯山鎮゛と伝わります
吉田椋神社奥宮(秩父市下吉田)
・吉田 椋神社(秩父市下吉田)
吉田 椋神社(よしだ むくじんじゃ)は 日本武尊が道に迷われ時 鉾の先から一条の光が走り大きな椋の木の根元近くに猿田彦大神が顕われ導かれた この鉾を神体として大神を祀ったのが創始とされ 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の有力論社とされます
吉田 椋神社(秩父市下吉田)
・上蒔田 椋神社(秩父市蒔田)
上蒔田 椋神社(かみまいた むくじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の5つある論社の一つです 明治初期 秩父郷に5つある椋神社の間に式内社論争が起こり 五社を合わせて式内社とする知事の裁定がありました 日本武尊が 当地の椋の大樹の根元に 大己貴命を奉祭し 椋大神と称したと伝わります
上蒔田 椋神社(秩父市蒔田)
・中蒔田 椋神社(秩父市蒔田)
中蒔田 椋神社(なかまいた むくじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の5つある論社の一つです 明治初期 秩父郷に5つある椋神社の間に式内社論争が起こり 五社を合わせて式内社とする知事の裁定がありました 祭神は秩父国造の祖である天下春命を主祭神として大己貴命・猿田彦命を祀ります
中蒔田 椋神社(秩父市蒔田)
・野巻 椋神社(皆野町野巻)
野巻 椋神社(のまき むくじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の5つある論社の一つです 明治初期 秩父郷に5つある椋神社の間に式内社論争が起こり 五社を合わせて式内社とする知事の裁定がありました「野巻」という地名は「野牧」とも書かれ 昔 当地に牧〈大和朝廷の牧場〉があったとされます
野巻 椋神社(皆野町野巻)
・皆野 椋神社(皆野町皆野)
皆野 椋神社(みなのむくじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の5つある論社の一つです 社記には 景行天皇四十年日本武尊が知知夫国を巡見した折 この地に至り御矛を立て猿田彦命・大己貴命・ 八意思兼命を鎮祭したことを創祀としています
皆野 椋神社(皆野町皆野)
・井椋神社(深谷市畠山)〈参考 井椋五所宮〈現 秩父市下吉田にある椋神社の分祀〉
井椋神社(いぐらじんじゃ)は 男衾郡 畠山の地に進出した 秩父郡吉田(旧・吉田町、現・秩父市)を本拠地とする秩父氏の嫡流の畠山氏が 守護神として祀っていた 井椋五所宮〈現 秩父市下吉田にある椋神社(式内社)〉を 秩父権守 重綱公が 畠山の地に勧請(分祀)したのが始まりと伝えられています 又 境内社「白旗八幡社」は 式内社「武蔵國 男衾郡 出雲乃伊波比神社」の論社にもなっています
井椋神社(深谷市畠山)〈境内社の白旗八幡社は式内社〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
秩父鉄道 皆野駅から県道43号・県道37号経由 西へ約3km 車7分程度
荒川と その支流 赤平川の合流地点付近を渡り 赤平川沿いに西へ 神社の裏手側に道が続いていて 駐車スペースが作られています
社号標が建ち「延喜式内 椋神社」と刻されています
野巻 椋神社(皆野町野巻)に参着
こちらは 神社の裏手になっていて 境内に入ると本殿の横 境内社の祀られる位置にいきなり出てしまいます
良く見ると 社務所の横に道があり 社頭へ出られるようなので 一回りして正面に向かいます
社殿 境内 鳥居は南向きに建てられていて 正面南には秩父の盆地が広がっています
社頭は 石垣で養生されていて 石段を上がると 狼の狛犬〈秩父の信仰 神使のお犬様〉が 構えています
一礼をして 石鳥居をくぐり 境内へと進みます 鳥居の扁額は読めず
境内の右手には 神楽殿 神饌所か? 正面に拝殿が建てられ 左手には鳥居が建ち その奥に境内社が祀られています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥は 瑞垣が廻され 本殿が鎮座しています
境内社にお詣りをします
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 椋神社の所在について 下吉田郷〈現 皆野 椋神社(皆野町皆野)〉と記しています
【抜粋意訳】
椋(ムク)神社
三代実録 貞観十三年十一月十日壬午 授武藏國從五位下椋神從五位上
〇在 下吉田郷
式社考 芦田村 井椋大明神と云う 祭神 天ノコヤネノ命
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
蒔田に鎮座する二つの椋神社について 村の鎮守と記しています
野巻 椋神社(皆野町野巻)について 椋宮明神と記しています
【抜粋意訳】
巻二百五十七 秩父郡巻十三 野巻村
椋宮明神
村民持
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 椋神社の所在について 矢田庄下吉田村〈現 皆野 椋神社(皆野町皆野)〉と記しています
【抜粋意訳】
椋神社
椋は久良と訓べし
〇祭神 猿田彦大神、(地名記〇式社考には、祭神天児屋命と云り、)
○矢田庄下吉田村に在す、(同上)今井椋 五社明神と称す、
例祭月日、神位
三代實録、貞観十三年十一月十日壬午、授武藏國從五位下椋神從五位上、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
近隣に椋神社は4か所あったが
明治政府に於いて 式内社 椋神社の所在について 大社であるが故に 矢田庄下吉田村〈現 皆野 椋神社(皆野町皆野)〉が定められた しかし 蒔田村の氏子等訴訟などで 其の他の3社・蒔田村上組上〈現 上蒔田 椋神社(秩父市蒔田)〉・吉田村立會〈現 野巻 椋神社(皆野町野巻)〉・吉田村中組〈現 中蒔田 椋神社(秩父市蒔田)〉も式内社の論社とされた と記しています
【抜粋意訳】
椋神社
神位
清和天皇 貞観十三年十一月十日壬午 授武藏國從五位下椋神從五位上所在
今按〈今考えるに〉
本社所在 蒔田村上組上 吉田村立會にて祭る椋神社と云あり
又 吉田村中組にも椋神社あり 下吉田村にも椋神社あり
此の三村の内に就いて 下吉田村は大社にて氏子戸数も多く 人民崇敬の神社なるを以て 郷社に定められし處 蒔田村の氏子等訴訟のことあるを以て 姑く三社を以て一社と見做し 式社と定め置るるの指令あり 尚よく確証を得て 後に定むべきなり
【原文参照】
野巻 椋神社(皆野町野巻)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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