元森神社(もとのもりじんじゃ)は 本殿をもたず御室山(御室ヶ嶽)を遥拝した上古に於ける信仰形態と伝わる金鑚神社の社殿跡地です 社伝には景行天皇の御代 (西曆100年頃 )日本武尊(やまとたけるのみこと)が火打石・火鑽金を鎮め祀ったことを創始とする 延喜式内社 武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)の旧跡となります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
・元森神社(Motonomori shrine)〈金鑚神社の旧鎮座地〉
・八坂神社(Yasaka shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
元森神社《主》天照大神(あまてらすおほかみ)
八坂神社《主》素盞嗚尊(すさのをのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
・〈金鑚神社の旧鎮座地〉元森神社(神川町二ノ宮)
【創 建 (Beginning of history)】
元森神社
本社の北東約500メートルの地、国道沿いに八坂神社と並んで鎮座する。 元々は金鑚神社の旧鎮座地であって当地から御室山(御室ヶ嶽)を遥拝したと伝えられている。 摂社元森神社秋尽祭では御室山を褒める「山ほめ神事」が行われている。
例祭(摂社元森神社秋尽祭):10月19日
金鑚神社公式HPよりhttps://www.kanasana.jp/2.html
【由 緒 (History)】
『児玉郡神社一覧』〈昭和10年〉に記される内容
【抜粋意訳】
縣社 金鑚神社
一境外神社 元森神社
祭神 天照大神、素戔嗚尊、日本武尊
由緒 上古に於ける神社 社殿跡地なりと傳へあり
社殿 本殿、外宇
【原文参照】
当社古は村の東方今の本森社ある処に建し由こゝに移せし 年代詳ならされども今の社地も陰森とし・・・
『武蔵国郡村誌』第8巻,埼玉県立図書館,1954. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2976653より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・石祠二宇
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
元森神社は 金鑚神社(神川町)の境外社です
・金鑚神社(神川町)
金鑽神社(かなさなじんじゃ)は 背後の山全体〈禁足地 御室ケ獄〉を御神体として とくに本殿はなく 自然の山を祀る太古の信仰形態を残しています 社伝には景行天皇の御代 (西曆100年頃 )日本武尊(やまとたけるのみこと)が火打石・火鑽金を鎮め祀ったことを創始とし 延喜式神名帳には武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)と所載の古社です
金鑽神社(神川町二ノ宮)〈武藏國二之宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
貞觀四年(八六二)に 官社・神階を授けられたことが記されています
【抜粋意訳】
卷六 貞觀四年(八六二)六月四日辛丑
○六月戊戌朔 四日辛丑 武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神 列に於官社に
卷六 貞觀四年(八六二)八月六日壬寅
○六日壬寅 授武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神に 從五位下を
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
名神祭 二百八十五座
・・・
・・・金佐奈神社 一座 巳上 武蔵國
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)児玉郡 1座(大)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 金佐奈神社(名神大)
[ふ り が な ](かなさなの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kanasana no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『原日本考』〈昭和17年〉に記される内容
金鑚神社の神寶゛火打ち金゛は ゛八咫御鏡゛の破片であると所傳される 事が記され 御祭神〈天照大神〉の由縁について考えることが出来ます
【抜粋意訳】
七 金鑽神社と八咫御鏡
このサナが固有の意味をもって他の言葉と結合し、特異な表勇してゐるものに金鑽神社(埼玉縣兒玉郡青柳村)がある。武藏四十四座の神社のうち、氷川神社と共に大名神と延喜式に記され、往事から御神體のない宮であることで有名で、更に此の特徴を以て非常に古い宮であることとなってゐる。現在は國幣中社と立てられてあるが、社格はそれ以上に高かるべきものに推せられる。惜しいことに由緖を示す確たるものが不備である。從って明治の初め僅かに縣社として立てられた。後に昇格して國幣中社となっても一般にはこの神社の尊い意味が知られてゐない。
だが御神實として保存されてある火打ち金は、日本武尊が燒津で野火の難に遭はれた時に使用せられたものを、尊から献進せられたもので、元來に八咫の御鏡の破片であると所傳されることから、本社の社格に一層高義な意義が帶びさせられてゐる。
八咫御鏡に御瑕のあることは、日本書紀の一書に立派に明記してあり、崇神天皇の朝に是れを模して、以後宮中内侍所に奉安置せられたる御鏡に就いても、
内裏焼亡の時、内侍所の神鏡焼損せず、其の鏡經八寸許り頭に小瑕ありと雖も、專ら圓矩を損ふ事無し云々
と天徳御起 (村上天皇大徳年間文献 )に記してあると傅へ、御瑕があるとすれば本社の火打ち金の由來説も、かうして丸きり根のないものではない。八咫の御鏡が、銅製の御品であるか、乃至鐵製の御品であるか、何分國家最高の神器であって、神秘森厳窺ひ知るよしもないのであるが、金鑚社が前述の如く我が國内でも稀れなる古い特徵を帶びてゐる神社であることと共に、著名な火切りの神事があり、火切り金は當然に鐵製物であるから、こゝの所傳も却々に棄てられない。
わが日本金属文化史の研究に手を着けられた先覚の一人山本信也博士は、伊勢雜例集二の、
内侍所神鏡今度焼亡 (中略)天地開闘之初、高天原に於て銅を以て鑄造之神鏡也
とある語句、並に小野宮•實資の小右記の、
十一月十七日迄申神鏡焼損事其定趣者。可改鑄歟。將如何 (中略)。若改鑄すべくば俗銅を以て神物と混ずべからず。焼遺されたる神物等を以て齋き奉る可き歟。猶鑄造せらるべき鏡體は、新たに銅を以て鑄奉り相副奉安置るか如何。
とある語句を以て、御鏡の銅製の御物たることを主張する人であるが、それにしても此の金鑚の所傳はわが國の最も古い記憶に添ひ、解釋さるべき貴重なものがある。と云ふのは此のカナサナなる言葉に、わが民族の最も古い信仰の徵表が見えるからである。
【原文参照】
延喜式内社 武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)の論社
・金鑚神社(神川町)
金鑽神社(かなさなじんじゃ)は 背後の山全体〈禁足地 御室ケ獄〉を御神体として とくに本殿はなく 自然の山を祀る太古の信仰形態を残しています 社伝には景行天皇の御代 (西曆100年頃 )日本武尊(やまとたけるのみこと)が火打石・火鑽金を鎮め祀ったことを創始とし 延喜式神名帳には武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)と所載の古社です
金鑽神社(神川町二ノ宮)〈武藏國二之宮〉
・元森神社〈金鑚神社の旧鎮座地〉・八坂神社
元森神社(もとのもりじんじゃ)は 本殿をもたず御室山(御室ヶ嶽)を遥拝した上古に於ける信仰形態と伝わる金鑚神社の社殿跡地です 社伝には景行天皇の御代 (西曆100年頃 )日本武尊(やまとたけるのみこと)が火打石・火鑽金を鎮め祀ったことを創始とする 延喜式内社 武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)の旧跡となります
元森神社〈金鑚神社の旧鎮座地〉・八坂神社(神川町二ノ宮)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
金鑚神社に参詣
・金鑚神社(神川町)
金鑽神社(かなさなじんじゃ)は 背後の山全体〈禁足地 御室ケ獄〉を御神体として とくに本殿はなく 自然の山を祀る太古の信仰形態を残しています 社伝には景行天皇の御代 (西曆100年頃 )日本武尊(やまとたけるのみこと)が火打石・火鑽金を鎮め祀ったことを創始とし 延喜式神名帳には武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)と所載の古社です
金鑽神社(神川町二ノ宮)〈武藏國二之宮〉
金鑚神社の一の鳥居〈R462号沿い〉を出てから北へ250m 徒歩3分
途中左手に「大光普照寺」があり 聖徳太子の開創 舒明天皇 (じょめいてんのう)の 勅願寺 (ちょくがんじ)と伝えられています
金鑚神社の別当寺でした
金鑚大師(かなさなだいし)大光普照寺に参着
お詣りをします
大光普照寺の境内には神社も祀られています
境内を戻ります
〈R462号沿い〉の東側に大木がありますのでわかります
元森神社(神川町二ノ宮)〈金鑚神社の旧鎮座地〉・八坂神社に参着
祠に近づくと 大きな石が置かれていて その後ろに石祠が二宇
御神木は老木で 胴は抜けていますが 注連縄が廻され威厳を放っています
御神木の奥に 覆い屋があり 二つの本殿が祀られています
扁額には
向かって右 元森神社
向かって左 八坂神社 とあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の脇は すぐR462号です
道路側から見ると
社殿に一礼をして 空を見上げると
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 金鑚神社 名神大について 所在は金鑽村に在す〈現 金鑽神社(神川町二ノ宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
金鑚神社 名神大
金佐奈は 加奈左那と訓べし
〇祭神 素箋嗚尊、地名記
〇金鑽村に在す、地名記、参考、
例祭 月 日、
〇式三、臨時祭 名神祭二百八十五座、中略 武蔵國 金佐奈神社一座
神位 官社
三代実録 貞觀四年(八六二)六月四日辛丑 武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神 列に於官社に貞觀四年(八六二)八月六日壬寅 授武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神に 從五位下を
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 金鑚神社 名神大について 所在は金鑚村にあり、五宮金鑚大明神といふ〈現 金鑽神社(神川町二ノ宮)〉と記しています
金佐奈(カナサナ)と 銅が産出した山なので 金砂の意から来ていると記しています
【抜粋意訳】
児玉郡一座大 金佐奈(カナサナノ)神社
今 金鑚村にあり、五宮金鑚大明神といふ、神道集、武蔵志料、拝舊祠記、神名帳考証、
〇按 本社の後なる山を金華山といふ、銅を掘し岩穴今現存と云り、之に據るに、金佐奈、金砂の義、其銅を出す山なるを以て、之を神とし祭る事 陸奥八溝黄金神社の如し、姑附て考に備ふ、清和天皇 貞觀四年(八六二)六月四日辛丑 武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神 列に於官社に
貞觀四年(八六二)八月六日壬寅 授武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神に 從五位下を
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 金鑚神社 名神大について 所在は金鑚村(児玉郡青柳村大字二の宮)〈現 金鑽神社(神川町二ノ宮)〉〈明治五年金鑽村 萩原村 二村を合して二宮村と改称す〉と記しています
【抜粋意訳】
児玉郡一座大 金佐奈神社 名神大 稱 金鑚大明神
祭神
神位 清和天皇 貞觀四年(八六二)六月四日辛丑 武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神 列に於官社に
貞觀四年(八六二)八月六日壬寅 授武藏國 正六位上 金佐奈(カナサナノ)神に 從五位下を祭日 (四月十五日)
社格 (明治十八年四月二十二日列官幣中社)所在 金鑚村(児玉郡青柳村大字二の宮)
今按 岩鼻縣神社考に本村に金鑚寺あり 寺の朱印高三十石はもと此神社のなりけむを奪はれしならんと云りさもあるべし さて思ふに金鑽寺は金佐奈神社の神宮寺なりけん 二宮村金鑽神社と云へとも 金鑽村と云ひ金鑽寺あれば此方なるべし
(湯川潔云 明治五年金鑽村 萩原村 二村を合して二宮村と改称す されば二宮村は即 金鑽村なり本書注 両村とせしば誤なり)
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
金鑚神社について 延喜式内社であるとし 往古 八幡太郎義家の奥州征伐の伝承を記しています
旧跡地として 見先社 本森社〈現 元森神社(神川町二ノ宮)〈金鑚神社の旧鎮座地〉・八坂神社〉を記しています
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 卷之二百四十一目錄 兒玉郡之四 八幡山領之一 金鑚村 金鑚神社
神體金山彦命或は 素戔嗚尊とも云 二十二村の惣鎮守なり
延喜式神名帳に 武蔵國兒玉郡 金佐奈神社名神大と載す
三代實録に 貞観四年六月四日武蔵國正六位上金佐奈神列於官社 同年八月六日授武蔵國正六位上金佐奈神從五位下と見ゆ
古は 村東今の見先森の兩社ある所に建し由 今の社地も松杉繁茂したれば
轉遷も古きことなるべし
往古の社傳は 元禄十一年回禄にかかり烏有となり 永禄年中の古鰐口を別當寺に蔵す 銘文に金鑚□五宮と彫れり 其故は詳ならず 其圖前に載す末社 白山 諏訪 天神 駒繋石 旗掛杉 義家橋
此の三祠 何れも社邊にあり 往古 八幡太郎義家 奥州征伐のとき当社へ参籠ありて 駒を繋ぎ旗を掛 橋を渡せしものと云 今橋は石にて作り長九尺許・・・
・・・〇見先社 祭神詳ならず 以下同じ
〇本森社 以上二社は 金鑚明神の舊地にあり 即ち金鑚の末社に屬せりと云 村民の持
・・・
【原文参照】
元森神社(神川町二ノ宮)〈金鑚神社の旧鎮座地〉・八坂神社に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る
武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について