実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

森市神社・千代神社(もりいちじんじゃちしろじんじゃ)は 『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和城下郡 千代神社ちしろ かみのやしろ)とされます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

森市神社・千代神社(Moriichi shrine・chishiro shrine)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県磯城郡田原本町大安寺11-2

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

摂社 森市神社 《主》生雷命(いくいかづちのみこと)

摂社 千代神社 《主》八千千姫命(やちちひめのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 村屋坐彌冨都比賣神社 境外 摂社

【創  (Beginning of history)】

森市神社・千代神社

延喜式内社(千代神社)

祭神 生雷命
摂社 千代神社 八千千姫命

由緒
『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が、洪水の為に流失して下流に流れ着き、現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている。」と記されている。宮司家の伝承では天長年間(824年~)の洪水。

森市神社は 明治中期に当地より西のカキノモリというところからへ遷座している。

千代神社は 千代連が天八千千姫命を祭った神社と思われる。
『播磨国風土記 揖保郡大法山』に推古天皇の世、遣いに大倭千代連勝部をして墾田とあり、勝部であり、秦氏に属していた氏族ではなかったかと思われる。
祭神の天八千千姫命は 少し北方方面(磯城郡川西町唐院)の比売久波神社の祭神でもある。

 また次のような伝承もあります。
川東村大安寺にあり。元千代(ちしろ)にありしかども、洪水のために社殿流失し、大安寺村に漂着せるにより、ここにまつれるなりと。その後 神社を元の千代に持ち帰りてまつりしことありしが、神の崇りにて米の出来不作なりしかば、遂に大安寺にまつりしという。

(『磯城郡川東村外三ヶ村風俗誌』より)

所在地:奈良県磯城郡田原本町大安寺11-2

村屋坐彌冨都比賣神社 公式HPより
http://murayajinja.com/keigaisessha/moriichijinja/

【由  (History)】

由緒

壬申の乱に功のあった生雷神を祀る。もとはこの地より西、カキノモリというところにあり郷社村屋神が例祭に渡御されるところであった。

奈良県神社庁HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

森市神社・千代神社(田原本町大安寺)は 村屋坐彌冨都比賣神社の境外摂社です

・村屋坐彌冨都比賣神社(田原本町蔵堂)

一緒に読む
村屋坐彌冨都比賣神社(田原本町蔵堂)

村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は 祭神は大物主命の妻神 三穂津姫命で 大神神社の別宮とされます 壬申の乱(673)の時には 村屋神が 天武天皇を勝利に導く神託を下し 神社として初めて位階を皇室から賜りました《式内社》大和國 城下郡 屋坐彌冨都比賣神社(大月次相嘗新嘗)(むらやにます みふつひめの かみのやしろ)です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城下郡 17座(大3座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 千代神社
[ふ り が な ]ちしろ かみのやしろ)
[Old Shrine name]Chishiro no kamino yashiro)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)の摂社について

境内・境外に鎮座する式内社が多くあります

【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿の向かって右には
摂社・村屋神社(むらやじんじゃ)《式内社》

・村屋神社(田原本町蔵堂)〈村屋坐彌冨都比賣神社境内摂社〉

一緒に読む
村屋神社〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社〉(田原本町蔵堂)

村屋神社(むらやじんじゃ)は 社伝に「元は大宮から200mほど東 初瀬川の川べり宮山と字する所に鎮座されていたが 天正の兵火後 今の地〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内〉に遷し祭る」と伝わります《式内社》大和国 城下郡 村屋神社 二座(むらやの かみのやしろ ふたざ)です

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本殿の向かって左には
摂社・服部神社(はとりじんじゃ)《式内社》

・服部神社(田原本町蔵堂)〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社

一緒に読む
服部神社(村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社)

服部神社(はとりじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される古社です 社記によれば 旧鎮座地は 現在地より西2kmばかりの所に 大安寺村 字 神来森(カキノモリ)という土地があり そこに鎮座して波登里(ハトリ)村・阿刀(アト)村の氏神であったが 天正中(1573年~1591年)社殿兵火に罹り後 村屋坐社の本殿横の瑞垣の中に遷座して現在に至ります

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拝殿の向かって左には
摂社久須々美神社(くすずみじんじゃ)《式内社》

・久須須美神社(田原本町蔵堂)〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社

一緒に読む
久須須美神社〈村屋坐弥冨都比賣神社 境内摂社〉(田原本町蔵堂)

久須々美神社(くずずみじんじゃ)は 社伝に「元は 今の蔵堂橋の南のたもとに鎮座 伊豫氏(伊与戸)の氏神であった」が明治初めに現在地〈村屋坐弥冨都比賣神社 境内摂社〉に遷されました《式内社》大和国 城下郡 久須須美神社(くすすみの かみのやしろ)とされます

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摂社・物部神社(もののべじんじゃ)
《主》炊屋姫命 宇麻志摩遅命《配》物部守屋連

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

摂社・岐多志太神社(きたしたじんじゃ)《式内社》

・岐多志太神社(田原本町伊与戸)

一緒に読む
岐多志太神社(磯城郡田原本町伊与戸)〈延喜式内社〉

岐多志太神社(きたしたじんじゃ)は 社名の岐多志太は キタ氏の田という意味で ゛キタ゛ 即ち 鉄を鍛える鉄工の神 とされます 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の大和国 城下郡 岐多志太神社 二座(鍬靫)(きたしたの かみのやしろ ふたざ)とされます

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摂社・森市神社・千代神社(ちしろじんじゃ)《式内社》

・森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

一緒に読む
森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

森市神社・千代神社(もりいちじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)とされます

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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和城下郡 千代神社ちしろ かみのやしろ)論社は 三つあります

・春日神社・千代神社(田原本町千代)

一緒に読む
春日神社・千代神社(田原本町千代)

春日神社・千代神社(かすがじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とされます 天長年間(830年頃)洪水によって社殿が流れ 大安寺に漂着し遷座 大正九年(1920)地元の崇敬が厚く 当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっています

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・森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

一緒に読む
森市神社・千代神社(田原本町大安寺)

森市神社・千代神社(もりいちじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)とされます

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・八阪神社・千代神社(田原本町阪手)

一緒に読む
八阪神社・千代神社(田原本町阪手)

八阪神社・千代神社(やさかじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 式内社 千代神社は 千代村に鎮座 春日神社の境内摂社だったが 洪水の為に流失して下流 大安寺の森市神社の境内に祀られた 明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈現 八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の現在の合祀先とされます

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄橿原線 田原本駅から 県道50号を東へ約2km 車6分程度

大和川面する村屋坐彌冨都比賣神社から 大和川を600m程 北上し大川橋のたもとを左折〈西へ〉800m程

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小高い堤のよう境内地に鎮座
森市神社・千代神社(田原本町大安寺)に参着

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境内には南側から上がります 社号標には「森市神社」と刻まれ 鳥居が建ちます

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一礼をして鳥居をくぐり 小高い堤のよう境内地を進みます

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿向かって右には 丸く仕切られた区画に円形に笹竹が植えられています

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こちら側から拝殿の裏を除くと 瑞垣中に本殿が祀られています

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瑞垣中央には 鳥居が建てられていて 本殿が二座 祀られています
向かって 右側(東側)が 本社森市神社〉の本殿
向かって 左側(西側) 摂社〈千代神社の本殿

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一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 千代神社の所在について 田原本町法貴寺辺りある と記しています

【抜粋意訳】

千代(チシロノ)神社

書記 千敷神
〇今 法貴寺辺りに有る 斎宮之社 按に道祖(和抄)佐倍乃加美 佐倍乃宮の訛字

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 千代神社の所在について「八條村に在す、今 八幡宮と称す」〈現 春日神社・千代神社(田原本町千代)〉と記されています

【抜粋意訳】

千代神社

千代は 知之呂と読り
〇祭神 詳ならず
〇八條村に在す、今 八幡宮と称す、今 十市郡に属す、大和志

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 千代神社の所在について 大安寺村 森市神社境内 と記しています

【抜粋意訳】

千代(チシロノ)神社

祭神 八千千姫(ヤチチヒメノ)

祭日 九月十三日
社格 (明細帳に森市神社境内 千代神社とあり無格社)
   (大安寺村字西馬場 無格社 森市神社あるのみ 覈録には十市八條とあり 明細帳には見えず この森市境内の方なるべし)

所在 大安寺村字西馬場(磯城郡 川東村大字大安寺)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内社 千代神社の所在について 旧跡は〈現 春日神社・千代神社(田原本町千代)
その後 森市神社境内神社、千代神社〈現 森市神社・千代神社(田原本町大安寺)〉と記し
更に明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀、同九年十六日合祀済 と記しています

【抜粋意訳】

千代(チシロ)神社

川東村大字大安寺あり、延喜式神名帳「城下郡 千代神社」とこれなり。
もと十市郡にあり、大安寺流記資材帳に「大倭國伍處、一は在に十市郡千代郷に・・」と 即ち その所なり。
後、洪水の為に社殿を流失し、本郡大安寺に漂着せるにより 遂に ここに祭れるものと云う。年代詳ならず、村屋神主の家には天長中と云へり 旧址 彼の郡八條にありて 今尚 千代と字せり。註

(註)神社明細帳に、森市神社境内神社、千代神社、祭神 八千千姫命、明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社に合祀、同九年十六日合祀済とあり。

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

森市神社・千代神社(田原本町大安寺)に (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

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