物見処遺跡(もれんど いせき)は おおよそ中世から近世にかけての遺跡と考えられています 仏教的な経塚信仰と 三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設遺跡です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「伊豆國 賀茂郡 伊賀牟比賣命神社(Ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)」の比定社とされる「后神社(Kisaki Shrine)」(三宅島 伊ヶ谷に鎮座) の旧鎮座地だったと伝わり 室町時代の文明3年(1471) 伊カ谷部落を創設するときに 「后神社」は現在地へ遷座したとされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
物見処遺跡(Morendo ruins)
【后神社 旧鎮座地】【Kisaki Shrine Old location】
(もれんど いせき) 【きさきじんじゃ きゅうちんざち】
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村伊豆13
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
不詳
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の旧鎮座地
〈后神社 旧鎮座地(Kisaki Shrine Old location)〉
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
※おおよそ 中世から近世にかけての遺蹟
【由 緒 (history)】
不詳
※文明3年(1471)伊カ谷部落を創設するときに現地へ遷座
物見処(もれんど)遺跡
物見処遺跡は、大船渡湾を臨む地につくられた積石塚群です。
昭和57年から平成11年まで國學院大學考古学研究所により発掘調査が行われ、4基の大型積石遣構と、多数の積石遣構が70 m×10 mの範囲に確認されています。おおよそ中世から近世にかけての遺跡と考えられています。
積石遺構は大船渡の海岸あたりから石を運んで構築されており、その石に、中には仏教経典の文字を記した礫石経が含まれており、仏教的な経塚信仰と、三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設です。
文化財を大切にしましょう
平成19年8月31日 三宅村教育委員会
案内板より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 伊賀牟比売命神社
[ふ り が な ](いかむひめのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆國(izunokuni) 賀茂郡(kamonokori)
伊賀牟比売命神社(Ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)
各々の神社の記事をご覧ください
・后神社(三宅島 伊ヶ谷)
后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります
后神社(三宅島 伊ヶ谷)
・物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】〈当社〉
物見処遺跡(もれんど いせき)は おおよそ中世から近世にかけての遺跡と考えられています 仏教的な経塚信仰と 三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設遺跡です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「伊豆國 賀茂郡 伊賀牟比賣命神社(Ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)」の比定社とされる「后神社(Kisaki Shrine)」(三宅島 伊ヶ谷に鎮座) の旧鎮座地だったと伝わり 室町時代の文明3年(1471) 伊カ谷部落を創設するときに 「后神社」は現在地へ遷座したとされます
物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】(三宅島 伊豆)
・浅間神社(伊豆国二之宮)
-
-
浅間神社(伊豆国二之宮)
浅間神社(せんげんじんじゃ)は 伊豆国二之宮とされています 古くは三嶋大社の摂社「八所別宮」でした 富士講が賑わいを見せた当時は 富士登山をする三島・伊豆方面の者は 必ず立ち寄り 安全を祈願して出発した と伝えられています 同じ境内敷地内に祀られる「芝岡神社」は 世古本陣から遷座されました
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阿古湾から三宅一周道路を北上 約6km 車12分程度
どこが入口なのか 判りにくいですが 案内板の設置してある所から入れます
物見処遺跡(Morendo ruins)に参着
三宅一周道路から見えるのは 案内板と 手前の塚一つだけです
そのまま奥へと 入っていくと 大きな積石(浜から運びあげている丸石)の塚が4つ 他にもいくつもあります
〈仏教的な経塚信仰と三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設〉と分類されています
下の方にある遺蹟が【后神社 旧鎮座地】【Kisaki Shrine Old location】とされているようですが 目印があるわけではなく 特定は難しいです
多分ですが 三宅島の その他の神社にあるように 立てた石の周りに玉石が配置されている積石の遺蹟がありましたので
こちらに賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
念のため
その他の積石遺蹟にも 頭を垂れます
一番手前の積石まで戻ります
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
・后神社(三宅島 伊ヶ谷)に記載してあります 記事をご覧ください
物見処遺跡(Morendo ruins)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
・后神社(三宅島 伊ヶ谷)
后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります
后神社(三宅島 伊ヶ谷)
・物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】〈当社〉
物見処遺跡(もれんど いせき)は おおよそ中世から近世にかけての遺跡と考えられています 仏教的な経塚信仰と 三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設遺跡です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「伊豆國 賀茂郡 伊賀牟比賣命神社(Ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)」の比定社とされる「后神社(Kisaki Shrine)」(三宅島 伊ヶ谷に鎮座) の旧鎮座地だったと伝わり 室町時代の文明3年(1471) 伊カ谷部落を創設するときに 「后神社」は現在地へ遷座したとされます
物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】(三宅島 伊豆)
・浅間神社(伊豆国二之宮)
-
-
浅間神社(伊豆国二之宮)
浅間神社(せんげんじんじゃ)は 伊豆国二之宮とされています 古くは三嶋大社の摂社「八所別宮」でした 富士講が賑わいを見せた当時は 富士登山をする三島・伊豆方面の者は 必ず立ち寄り 安全を祈願して出発した と伝えられています 同じ境内敷地内に祀られる「芝岡神社」は 世古本陣から遷座されました
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について