美歎神社(みたにじんじゃ)は 『三代實録』貞観十六年(八七四)「因幡国従五位下 美歎神に従五位上を授く」とあり 又『延喜式』因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)です 元々は昔 因幡山の頂上付近 屋敷鳴に氏神として祀られていたが 金内(屋敷谷)に移転更に現在地に奉遷されたと云う
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
美歎神社(Mitani shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
鳥取県鳥取市国府町美歎261
〈旧住所〉鳥取県岩美郡国府町大字美歎261
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》經津主命(ふつぬしのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
《配》保食神(うけもちのかみ)
《合》市杵島媛命(いちきしまひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
美歎神社の由緒
美歎神社の創建は詳細には分らないが、清和天皇貞観十六年(八七四)「因幡国従五位下 美歎神に従五位上を授く」とあるから、少くも一千余年の昔から朝廷にも認められていたものと思われる。 また承徳三年(一〇九五)国主として因幡に下った平時範の日記にも「二月二十六日惣社並びに宇倍神社に参拝にあと美歎神社を巡拝した」と記されている。当然 延喜式神名帳(九二七)にも記載された「式内社」である。
御祭神は經津主(ふつぬし)命、武甕槌(たけみかづち)命、市杵島姫(いちきしまひめ)命の三神で、前二神は天照大御神の命を受け、大国主命と談判して、国ゆずりの大業を達成された武勇の神であり、市杵島姫命はもと美歎の空ケ滝(そらがたき)に鎭座していた「滝神社」の祭神(水の神)であったが、当社に合祀されたものである。
もともと美歎部落は、その昔 因幡山の頂上付近(屋敷鳴(やしきなる)=奥三谷)にあり、 戸数四戸の氏神として祀られていたが、人口がふえるに及び金内(きんない)(屋敷谷=二度村)に移転し、更に現在地(宮の前)に部落と共に奉遷されたと云われている。 因に現在地の社殿の造営は正徳二年(一七一二)と棟札に記されている。 最近 昭和十二年(一九三七)本殿、幣殿が、更に昭和六十二年(一九八七)社務所、参籠所がそれぞれ改築された。
当社の例祭日は四月十一日であるが、お祷祭として前日の十日夕刻より、御祭神が氏子のお祷宿に御降神になり、氏子衆と共に一夜を歓談されることになっている。
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
由緒
創立年代不詳。『日本三代実録』巻25貞観16年(874)5月の条に「授因幡国従五位下美嘆神従五位上」とあり、『延喜式』神名帳(927)には「法美郡美歎神社」と記される古社である。
承徳3年(1099)、国主として因幡に下つた平時範の日記(『時範記』)に、2月16日惣社参拝のとき、美歎神社を参拝したとある。
近世は武王大明神と称した。
往古は因幡山頂上付近字屋敷鳴(奥三谷)に戸数4戸の氏神として崇敬されていたが、人口増加するに及び字金内(二度村)に神人共に移転、その後、更に現今の地に集落と共に奉遷されたと云われている。
正徳2年(1712)、社殿を現在地に建立する棟札がある。
明治初年に現社名に改称。明治45年4月に字空ケ滝の瀑神社(市杵島姫命)を合祀。
昭和12年に本殿、幣殿を新築した。武勇の神。
日清戦役従軍6名、日露戦役従軍15名(内奉天戦三角山三勇士の1名あり)、全員無事凱旋を記念して狛犬一対が奉納された。
宗教法人鳥取縣神社廳HPより
https://tottori-jinjacho.jp/pages/475/
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・美歎神社 本殿
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・美歎神社 社殿
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・美歎神社 拝殿
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・〈境内社〉稲荷神社《主》保食神〔元美歎神社本殿・明治7年建立〕
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・社務所・御神木
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・参道石段
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・社頭・鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
因幡國 美嘆神に神階が授けられています
【抜粋意訳】
卷二十五 貞觀十六年(八七四)五月戊戌十一日
○十一日戊戌
授くに
因幡國 從五位下 賀露神 須賀神 鷲峯神 服織神 美嘆神 並に從五位上を
遠江國 正六位上 蒲太神 白伊大刀自神
常陸國 立野神 飛護念神 國都神
出羽國 矢向神 並に從五位下を
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)因幡國 50座(大1座・小49座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)法美郡 9座(大1座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 美歎神社
[ふ り が な ](みたにの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mitani no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「みたにの かみのやしろ」について
「みたにの かみのやしろ」と読まれる神社は二ヶ所あります
①山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)
②因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)
各々の論社について
①延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)
・御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)
御谷神社(みたにじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)と伝わります 鎮座する浄土谷宮ノ谷の一帯は 平安時代以前に開かれたらしく「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土し「釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っています
御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〈『延喜式』御谷神社〉
②延喜式内社 因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)
・美歎神社(鳥取市国府町美歎)
美歎神社(みたにじんじゃ)は 『三代實録』貞観十六年(八七四)「因幡国従五位下 美歎神に従五位上を授く」とあり 又『延喜式』因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)です 元々は昔 因幡山の頂上付近 屋敷鳴に氏神として祀られていたが 金内(屋敷谷)に移転更に現在地に奉遷されたと云う
美歎神社(鳥取市国府町美歎)〈『三代實録』美歎神『延喜式』美歎神社〉
類社について挙げます
延喜式内社 和泉國 大鳥郡 美多彌神社(みたみの かみのやしろ)
・美多彌神社(堺市南区鴨谷台)
延喜式内社 出雲國 出雲郡 美談神社(みたみの かみのやしろ)
・美談神社(出雲市美談町)
美談神社(みたみじんじゃ)は かつて『出雲國風土記』に御祭神「和加布都奴志命(Waka futsunushi no mikoto)」が祀られていた「彌太彌(Mitami no)社」として所載されていました 「彌太彌(Mitami no)社」は全部で13社あったと記されています 現在の美談神社は その13社全てと 他の所載の論社と合わせて 風土記所載の論社が「16社」も境内に合祀されて坐ます
美談神社(出雲市美談町)
出雲風土記 掲載神社 彌多仁社 (みたに) (mitani no) yashiro
・彌多仁神社
弥多仁神社(みたにじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「彌多仁社(みたに)のやしろ」です 古くは社地より西方200mに潮が湧き出る所があり これを汲んで神前に供える祭りが催されたが 地勢の変化で潮が止まり 地名の塩谷にその名残を留めると伝わります
彌多仁神社(松江市荘成町)〈『出雲國風土記』彌多仁社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 鳥取駅から県道251号経由で東へ約8.0km 車での所要時間は17~20分程度
JR山陰本線 鳥取駅から
宇倍神社の前を通ります
延喜式内社 因幡國 法美郡 宇倍神社〔貞・名神大〕(うへの かみのやしろ)
・宇倍神社(鳥取市)〈因幡国一之宮〉
宇倍神社(うべじんじゃ)は 因幡国一之宮です 鎮座する稲葉山(イナバヤマ)の麓一帯は・奈良・平安・鎌倉時代を通し因幡国府があり 政治経済・文化の中心地であり 大和朝廷が『名神祭』〈国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀〉を司る名神大社です
宇倍神社(鳥取市国府町宮下)〈因幡国一之宮〉
さらに南西に進み 美歎川沿いに北東へ1Km程です
川そばにこんもりとした丘の麓に鳥居が建っています
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社頭は南向きです
美歎神社(鳥取市国府町美歎)に参着
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鳥居をくぐり 石段を上がります
社殿 境内は東向きです
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境内の向かって右手〔東側〕には〈境内社〉稲荷神社と社務所があります
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拝殿にすすみます
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拝殿に張られていた「美歎神社 神事めも表」
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 参道石段を下ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 歎神社について 所在は゛廣西郷三谷村西山下に在す、今 武王大明神と稱す、゛〈現 美歎神社(鳥取市国府町美歎)〉と記しています
【抜粋意訳】
美歎神社
美歎は彌陀彌と訓べし
○祭神詳ならず
○廣西郷三谷村西山下に在す、今 武王大明神と稱す、
類社
和泉國 大烏郡 美多彌神社の條見合すべし神位
三代實錄、貞観十六年五月十一日戊戌、授ニ 因幡國從五位下 美歎神從五位上、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 歎神社について 所在は゛今 廣西郷三谷村に在り、武王大明神と云ふ、゛〈現 美歎神社(鳥取市国府町美歎)〉と記しています
【抜粋意訳】
美歎神社、
今 廣西郷三谷村に在り、武王大明神と云ふ、〔因幡民談、因幡志、〕
盖 出雲美談郷に坐 和加布都怒志命を祀る、〔參酌出雲風土記、土人傳説、〕〔○按 本社 祭神 經津主神、建御雷神と云を以て、武王大明神と云ひ、出雲美談神社にも、同神を祭ると云傳ふるも、皆 和加布都怒志命を經津主命に誤りしものなる事著ければ之を訂せり、〕
清和天皇 貞観十六年五月戊戌、從五位下 美歎神に從五位上を授く、〔三代実録〕
凡 九月九日祭を行ふ、〔神社明細帳〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 歎神社について 所在は゛三谷村 (明細帳に美歎村とあり) (岩美郡宇倍野村大字美歎)゛〈現 美歎神社(鳥取市国府町美歎)〉と記しています
【抜粋意訳】
美歎神社
祭神
經津主神 稱 武王大明神
建御雷神神位 清和天皇 貞觀十六年五月十一日戊戌 授因幡國從五位下 美歎神 從五位上
祭日 二月十八日 十月九日
社格 村社
所在 三谷村 (明細帳に美歎村とあり) (岩美郡宇倍野村大字美歎)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
美歎神社(鳥取市国府町美歎)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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因幡国 式内社 50座(大1座・小49座)について に戻る
因幡国(いなばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 因幡国には 50座(大1座・小49座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
因幡國 式内社 50座(大1座・小49座)について