実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

水分神社〈広瀬大社境外摂社 〉(河合町川合)

水分神社(みまくりじんじゃ)〈広瀬大社境外摂社 〉は 廣瀬神社 社傳には 水分神(みまくりのかみ)〈若宇加乃分身とも女子とも〉を祀り 水の分配を司るとあり 又 延喜式神名帳廣瀬郡 (ウヘノ)神社ハ 卽チ 當社ナリト云ヘリ゛と 式内社である旨が記されています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

水分神社(Mimakuri shrine

通称名(Common name)

若宮社・可伊止山氏神
・御子守神

【鎮座地 (Location) 

奈良県北葛城郡河合町川合40

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》水分神(みまくりのかみ)

廣瀬神社 社傳 若宇加乃分身とも女子とも〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

水の分配を司る

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
〈広瀬大社境外摂社 〉

【創  (Beginning of history)】

水分神社

俗称「若宮社・可伊止山氏神」

祭神 水分神
創建 持統天皇五年(六九一)
神階 弘安四年に正三位を授かる

此神は本社「若宇賀乃売命」の女子也
神号を水分神と申し水の分配を司る
子供を守る「御子守神」とも云う

現地立札より

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【由  (History)】

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

広瀬大社の社伝に゛延喜式神名帳廣瀬郡 (ウヘノ)神社ハ 卽チ 當社ナリト云ヘリ゛と 式内社であると記されています

【抜粋意訳】

水分(ミマクリ)神社

  若子社傳若宇加乃命ノ分身 水分神ヲ祭 卜云フ木俣 命ナリモ云フ是非ヲ知ラス但延喜式神名帳ニ 廣瀬郡 (ウヘノ)神社ハ 卽チ當社ナリト云ヘリ、

社記略抄曰 若子社ー處  水分神殿一座
在窪田西南岡上去本社可一町俗云ニ加伊止山氏神 御子守神
件ノ神者 御氣保爲若稲女(ミケモタスルワカウカメ)命之分身、所謂 於(ウヘノ)神社是也 訓於云上亦云乃倍
人皇四十一代持統天皇 卽位六年壬展五月十七日辛巳 曾根連韓麻呂 後改人足 建ニ神社於當地ニ奉祀之依勅命乎 嘉祥四年(851)辛未正月二十七日辛巳 大和國 無位 於水分神ニ新叙正六位上

享保明細帳日 若子社 俗ニ氏神殿ト申ス 舊従ハ 本社南西方ニアリ 此神ハ若宇賀乃賣命ノ女子也 神琥ヲハ水分神卜申ス 亦御子守神トモ名ク 神名帳ニ云フ 於神社ハ當社之事也
昔ハ 河曲ノ上方ニアレバ 上神社卜申ス、件社ノ大小鳥居 井垣等ノ有ル由古圖ニ見タリ、永正焼亡以後ハ 御殿モ造立モナク荒蕪シテ今ニ及フ、御神體ハ本社ニ納メ奉ル、當社ノ境内三百十坪ハ御除地ナリ。

略本緣曰 若宇賀乃神ノ御子ハ 辛水ヲシテ甘水卜成レ ノ水田ニ分入テ苗草ヲ浞シ給フ事ヲ掌ル、神ヲ水分神トモ亦御子守神トモ申ス、人王四十一代持統天皇ノ卽位五年八月二十三日ニ 詔シテ曾根連韓麻呂ヲシテ廣瀬ノ河曲ノ岡上ニ 件ノ水分神御子守命ヲ 齋ヒ奉ラシム、於上神社卜申ス、永正ノ回祿以後ハ 神體ヲ本殿ニ遷シ祭リ奉ラシム。

大神分身類社鈔附尾曰 於神社一座 大和國 廣瀬郡 木俣命

以上ノ記錄ニ據レハ 當社ハ永正兵火ヨリ 享保年中 明細帳編製マテハ 再建ナリ、其神體ハ本社ニ合祭セラレシナリ、而シテ慶應四年五月 舊神主 樋口眞忠ヨリ奈良府辨事官ニ差出セシ 廣瀬社由緒書ニ 現存ノ末社ヲ記シテ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈現在 水分神社(河合町川合)は 広瀬大社境外摂社です

・廣瀬大社(河合町川合)

一緒に読む
廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

大和國 廣瀬郡 於神社
廣瀬大社 境外摂社 水分神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)広瀬郡 5座(大1座・小4座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 於神社(鍬)
[ふ り が な ]うへかみのやしろ)
[Old Shrine name]Uhe no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳927 AD.所載される於神社(うへの かみのやしろ)゛について

大和國廣瀬郡 ②越前國足羽郡 ③讃岐國苅田郡
の三か所に所載されています

各々の論社について

①大和國 廣瀬郡 於神社(鍬)(うへの かみのやしろ)の論社

・於神社(広陵町大塚)

一緒に読む
於神社(広陵町大塚)

於神社(うえのじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 於神社(鍬)(うへの かみのやしろ)の論社とされますが 『大和志(江戸中期)』には「大塚村にあり、城宮と称す、已に廃す」とあり その頃には廃されていたと記されています 神社の沿革由緒は 元禄十年九月十日の失火のため日記 古文書等消失して不明であるが 口碑によると享保七年(1722)十月に再建と伝わります

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・水分神社(河合町川合)
〈広瀬大社境外摂社 〉

一緒に読む
水分神社〈広瀬大社境外摂社 〉(河合町川合)

水分神社(みまくりじんじゃ)〈広瀬大社境外摂社 〉は 廣瀬神社 社傳には 水分神(みまくりのかみ)〈若宇加乃賣命の分身とも女子とも〉を祀り 水の分配を司るとあり 又 ゛延喜式神名帳ニ廣瀬郡 於(ウヘノ)神社ハ 卽チ 當社ナリト云ヘリ゛と 式内社である旨が記されています

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②越前國 足羽郡 於神社(うへの かみのやしろ)の論社

・足羽神社(福井市足羽)に合祀

③讃岐國 苅田郡 於神社(うへの かみのやしろ)の論社

・於神社(観音寺市粟井町)

・應神社(観音寺市大野原町)

・井上神社(観音寺市大野原町萩原)

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

廣瀬大社 一の鳥居をくぐり 参道を進みます

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・廣瀬大社(河合町川合)

一緒に読む
廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

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廣瀬大社の境内西側にある゛太鼓橋(ひろせばし)゛を渡り 約100m程度

こんもりとした鎮守の杜があります

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朱色の鳥居が建ちますので すぐにわかります

水分神社(河合町川合)〈広瀬大社境外摂社 〉に参着

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一礼をして 鳥居をくぐると 10段程の石段があり 手前に説明書きの立札 社殿は一段高い境内にあります

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石段を上がると 社地は もう一壇が設けられ 鳥居が建ち 石積みの上に社殿が祀られています

殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 於神社について 所在は大塚村〈現 於神社(広陵町大塚)〉と記しています

【抜粋意訳】

於神社 鍬

於は宇倍と訓べし、
〇祭神詳ならず
○大塚村に在す、城宮と称す、今巳に廃す、(大和志)

類社

越前國足羽郡、讃岐國刈田郡於神社(各一座)因幡國法美郡宇倍神社、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 於神社について 所在は大塚村〈現 於神社(広陵町大塚)〉と記しています

【抜粋意訳】

(うへの)神社

 大塚村にあり、城官といふ、

醍醐天皇 延喜の制、祈年祭に鍬一口を加奉りき、延喜式

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 於神社について 所在は大塚村〈現 於神社(広陵町大塚)〉と記しています

【抜粋意訳】

(うへの)神社

祭神 埴安姫命(はにやすひめのみこと)

祭日 六月九月並二十一日
社格 村社
所在 大塚村 字古垣内(北葛城郡馬見村大字大塚

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

水分神社(河合町川合)〈広瀬大社境外摂社 〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

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