賣布神社(めふじんじゃ)は 社傳には 推古天皇十八年の勧請とある 神仏習合時に「貴船大明神」と称されましたが 徳川八代将軍吉宗公が元文元年(1736)寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査し「賣布社」であると判明 延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の比定社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
賣布神社(Mefu shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県宝塚市売布山手町1-1
〈旧住所〉川邊郡小濱村大字 米谷(まいたに)
※小濱村は宝塚町の前身
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》高比賣神(たかひめのかみ)〈下照姫神〉
《配》天稚彦神(あめのわかひこのかみ)
※祭神について 若湯坐連祖 意富売布連(おほめふのむらじ)とする説あり
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・衣・食・財の守護神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
賣布神社の由来
今から約一千四百余年前の推古天皇十八年の御創建で 御祭神は下照姫神(大国主神の姫君)とその夫君の天稚彦神をお祀りしています。
当地に来られた下照姫神は 住民が飢えと寒さで困窮せるを見給いて 稲を植え 麻を紡ぎ 布を織ることを教えられました その後豊かな生活を送ることができた里人は その御神徳を慕い 聡明で美しい姫神さまをお祀りしました
現在では、衣・食・財の守護神として また恋愛 結婚成就の神様として崇敬されています
延喜式内社として近郊に知られ 宝塚市内唯一の旧・郷社であります
拝殿前の社号標石「賣布社」一基と社叢約四一〇〇平方米は宝塚市文化財に指定されています
平成八年 元旦 社務所
現地案内板より
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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇兵庫縣 攝津國 川邊郡米谷村字宮西村
郷社 賣布(メフノ)神社
祭神
高比賣(タカヒメノ)命
天稚彦(アメノワカヒコノ)神創建は文化七年の炎上の際 舊記古文書儘く失ひ。為めに今 由緒沿革を詳にすること能はずと雖も、〔〇社傳〕推古天皇十八年の勧請にして、〔〇明細帳〕延喜の制小社に列せらる、御神體は木像に坐ます由、舊貴布禰明神とも稱し、古来此の地の産土神たり、〔〇摂津名所巡覧圖會、神名帳考證〕
神社覈録に、
「祭神 若湯坐連等祖、舊事紀
〔天孫本紀〕宇蒙志麻知命七世孫 大咩布命 若湯坐連等祖」
姓氏録〔摂津國神別〕若湯坐宿禰、神饒速日命六世孫 伊香我色雄命之後也、」
髙橋氏文〔本朝月令所引用〕若湯坐連始祖、意富賣布連、云々」
と見ゆ、
明治六年八月郷社に列す、社殿は本殿、拝殿、及社務所を具へ、境内地は千に百五十三坪(官有地第一種)あり、三十六年中 内務省指令甲第一三七号を以て、上地林反別二町六畝二十八歩を境内に編入せられたるも、新に編入の反別は四十二中切畑村へ下戻確定に付、民有地に組換らる。
社地は山麓に位し、老松四周を廻らし、南方遙に大阪湾を望む。
境内神社 嚴島神社
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
【由 緒 (History)】
賣布神社(メフジンジャ) 由緒
第66代醍醐天皇の延喜5年(905)制定の延喜式巻九神名帳上に摂津国七十五座の一つに加えられ官幣社として、神祇官をして幣帛を供進されました。
第55代文徳天皇が綸旨あれてからは代々の天皇が続けられ、右大将源頼朝が命じてから庶民の信仰も多くなり、第91代後宇多天皇が参篭されました。
いづれの頃からか佛者に乱されて「貴船大明神」と誤り崇められていたのを、徳川八代将軍吉宗が元文元年に寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査した結果、「売布神社」が正しい名称であることが判明、同年「売布社」の社号右を寄贈され、現在も拝殿前に存しています。
現在では、衣・食・財の守護神として特に繊維業界、食料業界、金融界の方々の信仰が深く、またご夫婦の神をお祀りしているところから恋愛・結婚・就職の神さまとして崇敬されています。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6303005.html
由緒
一、第六十六代醍醐天皇の延喜5年(約1050年前)制定の延喜式巻九神名帳上に摂津国七十五座の一つに加えられ官幣社として、神祇官をして幣帛を供進されました。
二、第五十五代文徳天皇が綸旨あれてからは代々の天皇が続けられ、右大将源頼朝が命じてから庶民の信仰も多くなり、第九十一代後宇多天皇が参篭されました。
三、いづれの頃からか佛者に乱されて「貴船大明神」と誤り崇められていたのを、徳川八代将軍吉宗が元文元年9月(約740年前)に寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査した結果、「賣布神社」が正しい名称であることが判明、同年12月「賣布社」の社号右を寄贈され、現在も拝殿前に存しています。
四、現在では、衣・食・財の守護神として特に繊維業界、食料業界、金融界の方々の信仰が深く、またご夫婦の神をお祀りしているところから恋愛・結婚・就職の神さまとして崇敬されています。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・賣布神社 社殿 本殿覆い屋
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・賣布神社 拝殿
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・〈拝殿前 社号標〉「賣布社」〈元文元年(1736)12月〉
「いづれの頃からか佛者に乱されて「貴船大明神」と誤り崇められていたのを、徳川八代将軍吉宗が元文元年に寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査した結果、「売布神社」が正しい名称であることが判明、同年「売布社」の社号右を寄贈され、現在も拝殿前に存しています。」
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
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・〈社殿向かって右 境内社〉豊玉神社《主》豊玉比古神 豊玉比賣神
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・〈社殿向かって右 境内社〉稲荷神社《主》宇迦之御魂神
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・〈境内 東端〉神武天皇遥拝所
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・〈社殿向かって左 境内社〉厳島神社《主》市杵島比賣命
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・参道石段
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・注連柱
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・〈境内入口〉鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河邊郡 7座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 賣布神社
[ふ り が な ](ひめふの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Himefu no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(ひめふの かみのやしろ)」について
八社があり それぞれの式内論社について
延喜式内社 尾張國 中嶋郡 賣夫神社(大貞)(ひめふの かみのやしろ)
・賣夫神社(稲沢市平和町嫁振)
・天神社(一宮市萩原町西宮重東光堂)
延喜式内社 攝津國 河邊郡 髙賣布神社(たかひめふの かみのやしろ)
・高賣布神社(三田市酒井)
高賣布神社(たかめふじんじゃ)は 推古天皇の頃の創立と伝えますが明らかでない 神社の後方に独立丘は 古の齋場の跡とされ 土俗は酒井の斎さま(さかいのいつきさま)と称し 勧請の昔は齋女が神の意を伝えた古代の様子を今に伝えている 延喜式内社 攝津國 河邊郡 髙賣布神社(たかひめふの かみのやしろ)です
高売布神社(三田市酒井字宮ノ脇)〈『延喜式』高賣布神社〉
延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)
・賣布神社(宝塚市売布山手町)
賣布神社(めふじんじゃ)は 社傳には 推古天皇十八年の勧請とある 神仏習合時に「貴船大明神」と称されましたが 徳川八代将軍吉宗公が元文元年(1736)寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査し「賣布社」であると判明 延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の比定社です
賣布神社(宝塚市売布山手町)〈『延喜式』賣布神社〉
延喜式内社 丹後國 竹野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)
・賣布神社(京丹後市網野町木津女布谷)
賣布神社(めふじんじゃ)は 垂仁天皇90年 但馬国造 田道間守は 勅を奉じて常世國に渡航し 不老不死の香菓たる橘を得て 景行天皇元年に帰国しました この時 報賽の爲めに この地〈田神山〉に神籬を設けて奉祀したのが 当社の創始と伝わります 延喜式内社 丹後國 竹野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)です
賣布神社(京丹後市網野町木津女布谷)〈『延喜式』賣布神社〉
延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)
・賣布神社(京丹後市久美浜町女布初岡)
賣布神社(ひめふじんじゃ)は 『丹後一覧記』等によると第11代 垂仁天皇の御代 川上麻須の勧請に係れりと云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)です 当初の鎮座地は「久美浜町谷の足洗井戸があり 祭神が始めて留りし地であり 野中 安養寺を経て船にて女布に着き小字舟處に上陸された」と伝わります
賣布神社(京丹後市久美浜町女布初岡)〈『延喜式』賣布神社〉
・布森神社〈布杜神社〉(京丹後市久美浜町女布)
〈賣布神社の神幸時の御旅所〉元宮であるとも云う
布森神社〈布杜神社〉(ふもりじんじゃ)は 由緒など不祥ですが 賣布神社の神幸時の御旅所で 元宮であるとも云います 里での呼称も 賣布神社を大宮 布杜神社を小宮と呼んでいます 延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の参考論社とも考えられています
布森神社〈布杜神社〉(京丹後市久美浜町女布)〈『延喜式』賣布神社〉
延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)
・禰布ヶ森遺跡公園(豊岡市日高町祢布)
〈賣布神社の当初の鎮座地〉
・賣布神社跡地(豊岡市日高町国分寺字山ノ脇)
〈令和元年(2019)荒神神社に合祀〉
賣布神社跡(めふじんじゃ あと)は 延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の跡地です 往古は禰布ヶ森に鎭座し 洪水で社殿が流され 中世に天神山中腹に遷宮 萬延元年(1860)本殿再建 文久二年(1862)この地に遷座 令和元年(2019)中世の鎮座地〈現 荒神神社に合祀遷座〉へと戻りました
賣布神社跡(豊岡市日高町国分寺字山ノ脇)〈『延喜式』賣布神社〉
・荒神神社(豊岡市日高町国分寺)
・〈中世~文久二年(1862)までの賣布神社の鎭座地 中世の鎮座地〉
・〈令和元年(2019)荒神神社に賣布神社を遷座合祀 現在の合祀先〉
延喜式内社 出雲國 意宇郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)
賣布神社(めふじんじゃ)は 遠く神代に始まると伝わり 『出雲風土記』に賣布の社 『延喜式神名帳』に賣布神社と列記される古社です 摂社の御祭神「櫛八玉神(くしやたまのかみ)」が 速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)〈大祓詞のなかにある潮の流れの神(水戸ノ神 祓戸ノ神)〉をお祀りになられたのが起源とされます
賣布神社(松江市和多見町)〈『延喜式』賣布神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阪急宝塚線 売布神社駅から西へ約400m 徒歩での所要時間は6分~8分程度
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売布神社駅の西改札から北側には 菰池(こもいけ)があります
巡礼街道の標識があり 売布神社が〈西〉となつています
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賣布神社・売布小学校の案内矢印があり 曲がって 坂道を上がって行きます
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売布小学校の正門の前が 社頭となつていて 鳥居が建てられています
賣布神社(宝塚市売布山手町)に参着
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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けると 境内参道口に「延喜式内 賣布神社」と刻字されている社号標が建ちます
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境内の参道を進みます
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灯篭の並ぶ参道が表れます
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注連柱があり その先には長い石段があり 最上部には社殿の屋根が見えています
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長い石段を上がって行きます
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石段を上がって行くと 社殿の建つ境内地が見えてきます
向って右側には境内社が祀られているようです
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向って左側には 授与所があるようです
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には 斜面となっていて その斜面なりに本殿が祀られています
外部からは 本殿の覆い屋のみが見えます
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社殿の向かって右側には いくつかの境内社が祀られています
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社殿に一礼をして 参道石段を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 賣布神社について 所在は゛多田荘米谷(マイタニ)村に在す゛〈現 賣布神社(宝塚市売布山手町)〉と記しています
【抜粋意訳】
賣布神社
賣布は假字也
〇祭神 若湯坐連祖歟
○多田荘米谷(マイタニ)村に在す
〇舊事紀、〔天孫本紀〕宇摩志麻知命七世孫 大咩布命、若湯坐連等祖、」
姓氏禄、〔摂津國神別〕若湯坐宿禰、神饒速日命六世孫 伊香我色雄命之後也、」
高橋氏文、〔本朝月令所引用〕若湯坐連始祖、意富賣布連、云々、類社
丹後國竹野郡、同國熊野郡、但馬國氣多郡、出雲國意宇郡 賣布神社、〔各一座〕尾張國中島郡 賣夫神社、氏人
三代實録、貞観五年八月八日戊辰、摂津國河辺郡人散位正六位上 若湯坐連宮足、主殿允正六位上 若湯坐連仁高等三人、改ニ本居 隷ニ右京職
(現代誤訳 貞観5年(863)8月8日 摂津国河辺郡の人で 位は散位〈官職に就いていない貴族〉正六位上の若湯坐連宮足、主殿允〈宮中の雑務を担当する官職〉正六位上の若湯坐連仁高ら3名は 本居地を改めて 右京職の管轄下に属した)
【原文参照】
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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 賣布神社について 所在は゛今 米谷村にあり、゛〈現 賣布神社(宝塚市売布山手町)〉と記しています
【抜粋意訳】
賣布神社
今 米谷村にあり、〔摂津志、神名帳考、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 賣布神社について 所在は゛米谷村(川邊郡小濱村大字米谷)゛〈現 賣布神社(宝塚市売布山手町)〉と記しています
【抜粋意訳】
賣布(メフノ)神社
祭神 高賣布(タカメフノ)命
祭日 九月十九日
社格 郷社所在 米谷村(川邊郡小濱村大字米谷)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
賣布神社(宝塚市売布山手町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る
攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです
摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)