実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉

麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前社考』に「此御社は木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

麻氣神社(Maki shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県丹生郡越前町 真木(まき)1-1

〈旧住所 丹生郡朝日町真木1-1〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》少彦名命(すくなひこなのみこと)
   薬師如来(やくしにょらい)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『大日本史』巻之二百五十九 神祇十六に記される内容

【抜粋意訳】

越前 丹生郡十四座

麻氣神社

〇國内帳作従五位目開神、

 今在 眞木村者、蓋是、

【原文参照】

源光圀 編 ほか『大日本史』第113,114 巻258・259 志,徳川総子,明39-40. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/769973

【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

越前國 丹生郡 麻氣(マケノ)神社
【社名】

 武田本、九條家本、吉田家本ともに「マ」と訓んでをり、『神社覈録』には「麻氣は假字也」とある。

現在は「マキンジャ」とする。

【所在】

 麻氣神社に比定される神社は三社ある。

A 南條郡南條町牧谷第一九號字堂村町一番地( 村牧谷)麻氣神社。
B 丹生郡朝日町木第三號字下平等四番地 糸生村麻氣神社。
C 武生市牧町(舊 丹生郡白山村牧第一六號字上稲葉一番地。酒列神社。

【祭神】

A 奇玉饒速日命。大御氣津短命。菅原道
B・Cは いづれも少彥名命である。

【論社考證】

A 『南越温故集』に「或云、在牧村、此村在南條都、『越前古名考』に「或云 今南條郡牧谷村に在すか。」とあり、『大日本地名辭書』も「延喜式丹生郡 麻氣神社は牧谷に存す。(丹生郡の麻氣社の山に在るを明として湯尾峠以北は 敦賀郡の域内たらざるを知る)」とする。

 『足羽社記』は「牧谷〔麻氣多仁。又曰 杣山。麻氣二字、後人合作 牧也。 天皇伯父 麻和加介〔父意富富等王、母 伊久牟尼利止古大王。〕舊趾。其神社今在 宮谷延喜式云 麻氣神社是也。」と説き、『越前名勝志』『越前名考』『越藩拾遺錄』が、いづれもこの説を引用し支持してる。

 神社明細帳は、「往昔 大男皇子 當園 御潜 大連大友ノ金村 始諸臣ノリテ 帝位玉ハントスル時 麻気坂〔当村ノ北ニアリテ 北ハ今立郡ニ界シ 山背菅谷ニ接ス〕ヨリ還 御其際 皇 息長王女 麻績ノ娘子ト申スヲ 故アリテ今ノ牧谷ニシ玉ヒケル 然ル處 皇妃長ク病床ニシ玉 療藥其効ナク 天皇深ク憂 該病全癒 奇玉饒速日命ヲ祈念アラセラレ 惣チ全 テ社堂等 一般新營 特ニ 信仰被遊時々 勅使御代參アリ

ヨリ皇妃 御病気平癒セヲ祝ヒ 麻績麻ト病氣氣トラ採リテ 村名モ麻 后チ村名牧谷ト通稱リ。」と記してゐる。

B 『越前社考』に、「此御社は木村に座す續日本紀 文武天皇四年三月丙寅令 諸國定 牧地放 牛馬とありて 江家次第にも八月十五日 諸國の牧より名馬を率駒迎といふ事あり 當園にも郡々に牧とふ地あり 其地形を考るに飼馬に可なる原地也〔牧神社 牧村ならんが神龜三年 民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕

神代紀 大己貴神と少彦名神共  一心經營天下  蒼生及畜產(ケモノ) 療病之方とあり 神療の法を知食し 殊に畜産み給ふ大神ゆへ 牛馬を放ち飼ふ牧の地に祭り来るべき御社なるが  衰廢ながら牧村に産神として大己貴少彦名磯崎師菩薩神を祭祀りいと奇しき事ぞかし〔牧村高十三石余の土地なれども山家にして芝原多く牛馬飼ふに最上の地也〕木村より御領主〔鯖江君〕へ上たる寫しに〔是は元文年中御改の節〕氏神 藥師堂一社萱葺〔但し二間四方〕藥師御長け八寸座像宮地二五坪 祭禮九月八日。」とあり、『神社覈録』が、これを採用して「木村に在す。今藥師堂と稱す、〔官社考〕」と説いてる。

『朝日町史』は、當社の由緒につき「少名を祭神として越知神社の分神として祭られてり、分社となつてゐる。由來 眞木部落が越知神社の眞参(ジキサン)の氏子となつた時代や理由ははつきりしてない。(中略) 越知神社史中につながる因話として宮大工の領の名が朝倉家お抱えとして記録されてあり、その一族の地なりとして、明治の初期までは大工・きこりを生業とした所である。」と述べてる。舊無格社。

C 地名・祭神の類似から麻気神社に比定する説が生じたものであらう。神社明細帳には「創建不詳ト雖モ從來 當村 稲葉山峰 安置タルト村老ノ云、然 明治十年四月 焼ニ  社殿失仍 再建ス。」とある。舊村社。

 以上の如くで、三社いづれも式内社であることを裏づける證據にとぼしい。
中でも、Aの南條都南條町牧谷
 氣神社は特に式内の古社であることを主張し、境内、社殿等の整備に心懸けてゐるやうである。

 尚 麻氣神社については越前神分丹生郡の中に見當らない。『大日本史』に「國內帳作 從五位目開神」今在 眞木村 者蓋是」とあり、『神社覈録』では「連胤按るに、神分に當郡麻氣神を載せず、從五位和神といふが見えたり、疑ふらくは麻を和とやうに土俗唱へしによりて、自然にれるものならんか。」と記す。

【祭祀】

A 例祭九月二十一日。境内三〇四坪。氏子一二四戶。宮司 稻川隆雄氏(兼務)。
B 例祭十月五日。境内六〇坪。氏子九戶。宮司 大谷義鷹氏(兼務)。
C 例祭十月四日。境内三六八坪。氏子一五戶。宮司 小泉命氏(兼務)

(西森清隆)

【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Englishmen Jericho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Englishmen)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Englishmen Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 麻氣神社
[ふ り が な ](まけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Make no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』に記載される「まけのかみのやしろ」の社号をもつ式内社について

延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)

・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)

延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)

・山神社(高島市マキノ町牧野)

延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社

・麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)

・麻氣神社(丹生郡越前町真木)

一緒に読む
麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉

麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前官社考』に「此御社は眞木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

・酒列神社(越前市牧町)

一緒に読む
酒列神社(越前市牧町)〈『延喜式』麻氣神社〉

酒列神社(さかつらじんじゃ)は 神社明細帳には「創建不詳と雖も 從來 當村 稲葉山峰に安置したると村老の云、然る處 明治十年(1877)四月 類焼に罹り社殿失より該地に再建す」とあり 地名「牧」祭神「少名彦尊」の類似から延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社とされています

続きを見る

延喜式内社 越前國 足羽郡 麻氣神社(まけ かみのやしろ)〈廃絶〉

・廃絶とされる 所在など不明

延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)

・摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〈延喜式内社 名神大社〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

福井鉄道福武線 神明駅からR417号・県道184号経由で北西方向へ約14.7km 車での所要時間は25~30分程度

県道184号から゛真木(まき)゛の案内板に従って脇道へ進みます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

地図によると この藪の後ろに神社がある事になります 車を降ります

Please do not reproduce without prior permission.

車を降りましたが こちら側に道はなくて 小高い樹木が住宅の裏手の方へ道を進む その辺りのハズです

Please do not reproduce without prior permission.

住宅の裏手に周ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

先程の小高い樹木の脇に 祠があります

麻氣神社(丹生郡越前町真木)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

祠は 東南東を向いています

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がると境内となっています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

境内の本殿の向って左前には 地蔵堂があります
その中には 三体の石仏が祀られています
おそらく 神社の祭神も薬師如来ですので 薬師堂なのでしょう 薬師如来像であろうと想われます
花が添えられています

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿内には 絵馬が掲げられて 麻氣神社の提灯があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿は 本殿の覆い屋ともなっている様で 提燈の後ろの扉の中に 本殿が祀られているのだと想います
外観からも 拝殿は 奥に長い造りとなっていますので 奥側に本殿がある筈です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

山を下ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 麻氣神社について 所在は゛眞木村に在す、 薬師堂と稱す、゛〈現 麻氣神社(丹生郡越前町真木)〉と記しています

【抜粋意訳】

麻氣神社

麻氣は假字也
○祭神 詳ならず

○眞木村に在す、 薬師堂と稱す、〔官社考〕

例祭 九月八日、

〇當國足羽郡 麻氣神社あり

類社
 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社の條見合すべし

連胤〕按るに、惣神分に當郡 麻氣神を載せず、從五位和氣神といふが見えたり ,疑ふらくは麻氣を和氣とやうに土俗唱へしによりて、自然に訛れるものならんか、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 麻氣神社について 所在は゛ 牧谷村にあり、゛〈現 麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〉と記しています

別説として゛ 牧村あり゛〈現 酒列神社(越前市牧町)〉も挙げています

【抜粋意訳】

(マケノ)神社、

 牧谷村にあり、大野藩大社取帳〕〔〇按 越前國圖、本 牧村あり 神社覈録 蓋此地に在るべし〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 麻氣神社について 所在は゛越前名勝志に牧谷 南條郡 鯖波の宿の東にあり゛〈現 麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

麻氣神社

祭神
祭日
社格 村社

所在

 今按 越前名勝志に牧谷 南條郡 鯖波の宿の東にあり 足羽の宮の伯父 麻和加介の舊跡なり 其社は今は宮谷村にあり 延喜式に云 麻氣神社是也とみえたり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

麻氣神社(丹生郡越前町真木) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る

一緒に読む
越前國 式内社 126座(大8座・小118座)について

越前国(えちぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越前国には 126座(大8座・小118座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています