実践和學 Cultural Japan heritage

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宮中に鎮座せらる式内社 36座『延喜式神名帳』の所載一覧  

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

大分類は 当時の行政区分ごと
「宮中・京中」「畿内」
「七道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)」
中分類は 国 別(現在の県に近い分類)
小分類は 郡 別(現在の市町村に近い分類)
詳 細は 神社別 に網羅され記されています

このページは
「宮中」に鎮座する(36座…大(預月次新嘗)30・小6)神社の一覧表です

宮中とは(平安京大内裏中)・京中とは(平安京中)の事です

宮中神 36座

神祇官西院坐御巫等祭神 23座(並 大 月次 新嘗)(かんづかさ にしのいんにます みかんなきのまつるかみ)

御巫祭神 8座(並 大 月次 新嘗・中宮東宮御巫亦同)(みかんなきのまつるかみ はちくら)

神産日神(かむむすひのかみ)
髙御産日神(たかみむすひのかみ)
玉積産日神(たまるむすひのかみ)
生産日神(いくむすひのかみ)
足産日神(たるむすひのかみ)
大宮賣神(おほみやひめのかみ)
御食津神(みけつのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)

宮中三殿 神殿

八神殿(宮中 神殿に鎮座)

八神殿(hasshin den)は 「天皇守護の神」と言われる「八神」を祀り 古代日本において 国家祭祀の中枢として「宮中神祇官 西院」に祀られて  神祇官が 祭祀を司ってきた神殿です 
神祇官西院の西北に八神殿として 八社南北に東面して並んでいたと伝わります 
現在は 宮中三殿の「神殿」において 祭祀は 継承していると云われています 

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※延喜式の制定以前平城宮にあった神祇官八神殿の後身
初宮神社(奈良市鍋屋町)

初宮神社(奈良市鍋屋町)

初宮神社(はつみやじんじゃ)は 平城京〈710~794年頃〉奈良時代 宮中の神祇官にて祀られていた八神殿の跡〈第九代 開化天皇の時代〈BC.157~BC.98年〉の八神殿であるとも伝〉とされる聖地です 八神殿は その後 京都への遷都とともに京都に遷り 現在は東京の皇居に鎮座しています 現在の初宮神社は 世界遺産・春日大社(かすがたいしゃ)の境外末社となっています

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(平安京にあった大宮売神)の名残り地
・大宮姫命稲荷神社(上京区主税町)

一緒に読む
大宮姫命稲荷神社(上京区主税町)

大宮姫命稲荷神社(おおみやひめのみこといなりじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 宮中神 八神殿の一座 大宮賣神の遷座後の旧跡とされています 応仁の乱後 神祇官西院から遷座されたと云われ 現在地は かつての平安宮の太政官の跡地で 当時の内裏の南に位置し 神祇官西院の西北側辺りとなります

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〈平安京にあった大宮姫命稲荷神社の古社地
鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神京都市上京区主税町 

一緒に読む
鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神(京都市上京区主税町)

鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神(ぬえだいみょうじん たまひめだいみょうじん あさひだいみょうじん)は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 宮中神 神紙官西院坐御巫の八神殿の一座「大宮賣神」の名跡 大宮姫命稲荷神社があります この地は その更なる古跡とされています 又『平家物語』で 有名な「鵺」の話の舞台で 平安時代末期 近衛天皇(在位1141~1155)〉の御代 源頼政卿が鵺を退治して ここの池で 鵺(ぬえ)を射た矢じりを洗ったと伝えられます

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座摩巫祭神 5座(並 大 月次 新嘗)(ヰかすりの みかんなきの まつりのかみ いつくら)

生井神(いくヰのかみ)

福井神(ふくヰのかみ)

綱長井神(つなかヰのかみ)

天正十五年(1587)豊臣太閣が聚楽邸を造営の時 ・福井・綱長井の二坐を合祀し福長大明神とする
・福長神社(上京区福長町)

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福長神社(上京区福長町)

福長神社(ふくながじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 宮中神 神祇官西院坐 座摩巫祭神(イカスリノミカンナキノマツルカミ)5座大の内2座の合殿 元々は 一条猪熊の神祇官西院に祀られていましたが 豊臣秀吉公の聚楽第の造営の時より 2座合殿となり 現在の地に遷されたと伝わります 天明の大火(1788年)で焼失の後 現在は小祠となっていますが 宮中の井水を守る大変に由緒ある神社です

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波比祇神(はひきのかみ)

阿須波神(あすはのかみ)

御門巫祭神 8座(並 大 月次 新嘗)(みかと みかんなきのまつるかみ はちくら)

櫛石窓神・四面門に各一座〈4座〉(くしいはまとのかみ)

豊石窓神・四面門に各一座〈4座〉(とよいはまとのかみ)

生嶋巫祭神 2座(並大月次新嘗)(いくしまの みかんなきのまつるかみ ふたくら)

生嶋神(いくしまのかみ)

足嶋神(たるしまのかみ)

宮内省坐神 3座(並大)

園神社(貞・名神大 月次 新嘗)(そのかみのやしろ)

韓神社二座(名神大 月次 新嘗)(からのかみのやしろ)

園神社 韓神社宮中三殿 神殿 

鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神京都市上京区主税町 

一緒に読む
鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神(京都市上京区主税町)

鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神(ぬえだいみょうじん たまひめだいみょうじん あさひだいみょうじん)は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 宮中神 神紙官西院坐御巫の八神殿の一座「大宮賣神」の名跡 大宮姫命稲荷神社があります この地は その更なる古跡とされています 又『平家物語』で 有名な「鵺」の話の舞台で 平安時代末期 近衛天皇(在位1141~1155)〉の御代 源頼政卿が鵺を退治して ここの池で 鵺(ぬえ)を射た矢じりを洗ったと伝えられます

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漢国神社奈良市漢国町)〈元宮〉

一緒に読む
漢國神社(奈良市漢國町)〈延喜式内社名神大社〉

漢国神社(かんごうじんじゃ)は 推古天皇 元年(593)大神君白堤が勅を賜ひ 園神〈大物主命〉を祀り その後 元正天皇の養老元年(717)藤原不比等公が 更に 韓神の二座〈大己貴命・少彦名命〉を相殿として祀りました 清和天皇 貞観元年(859)平安城宮内省へと 園神韓神は勧請されたと社伝にあります

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大膳職坐神 3座(並小)(おほかしわでのつかさにますかみ みくら)

御食津神社(貞)(みけつの かみのやしろ)

火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)

髙倍神社(たかへの かみのやしろ)

造酒司坐神 6座(大4座・小2座)(さけつかさにますかみ むくら)

大宮賣神社四座(延・並大月次新嘗)(おほみやひめの かみのやしろ しくら)

酒殿神社 二座(並小・酒弥豆男神・酒弥豆女神)(さかとの かみのやしろ ふたくら)

主水司坐神 1座(小)(もいとりのつかさにますかみ ひとくら)

鳴雷神社(なるいかつちの かみのやしろ)

宮中「鳴雷神社」は平城京から平安京への遷座の際大和国の鳴雷神社を遷座したものと考えられている
・鳴雷神社〈春日神社境内 春日山林内〉(奈良市春日野町)

一緒に読む
鳴雷神社&高山神社〈春日大社末社〉(奈良市春日野町 春日山内)

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)&高山神社(こうせんじんじゃ)は 佐保川と能登川の源流 春日山の分水嶺 香山(こうせん)に鎮座する水神様 水源祭祀の御神体として龍王池を祀る鳴雷神社は 明治8年(1875)までは香山龍王社とも呼ばれ 又『延喜式神名帳AD.927』所載 宮中神 36座 主水司坐神(もいとりのつかさにましますかみ)1座 鳴雷神社は 大和国の式内大社 鳴雷神社〈当社〉を遷座したものとされます

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その他 式外社

庭火神(内膳司)

  • B!

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています