櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことじんじゃ)は 本殿が前方後円墳の後円部に鎮座するという古墳信仰に基づく古代祭祀の遺跡とされ 古墳は 聖徳太子の築造とも伝わります 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
櫛玉比女命神社(Kushitamahime no mikoto shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県北葛城郡広陵町弁財天399
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》櫛玉比女命(くしたまひめみこと)
〈饒速日命(にぎはやひのみこと)の妃 御炊屋媛命〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
社 名 櫛玉比女命神社
延喜式内小社
御祭神 櫛玉比女命(御炊屋媛)
当社の創建は白鳳年間と言われ延喜式には大和国広瀬郡五座の一つに数えられた古社である
前方後円墳の後円部に鎮座するという古墳信仰に基づく古代祭祀の遺跡として注目される
明治 六年 村社
明治四十年 神饌幣帛料供進神社旧箸尾村四ヶ大字(弁財天・南・的場・萱野)の産土神として崇敬を享けている
例祭 (戸閉祭)
宵宮 十月三十一日
本宮十一月 一 日摂社 辨財天社
末社 白山神社・熊野神社
稲荷神社
天照皇太神社
八幡神社・春日神社平成二十七年乙未八月 宮司
現地案内板より
【由 緒 (History)】
櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことじんじゃ)
延喜式にいう「広瀬郡五座」のひとつで、いわゆる式内社の格を誇る。その位置は前方後円墳の後円部にあたり、埴輪片が出土する。古墳と神社が結びつく例として注目される。祭神櫛玉比売命は櫛玉彦命に配されるが、「大日本史」では、饒速日命(にぎはやひのみこと)の妃である御炊屋姫を当社祭神としている。現在の本殿は春日造檜皮葺を銅板葺に改め、その前方に入母屋造り浅瓦葺、正面千鳥破風付きの拝殿を設けた江戸期の建築である。
現地案内板より
『奈良県史』第5巻 神社〈平成元年発行 奈良県史編集委員会編集〉 に記される伝承
【抜粋意訳】
櫛玉比女命神社(弁財天三九九)
弁財天集落の東南、字長泉寺畑に鎮座、前方後円墳の後円部に本殿があり、古墳全体が当社の境内になっている。古墳信仰にもとずく古代の祭祀遺跡である。一応式内社をこの神社に比定されてはいるが、他に広瀬神社の相殿に祀る同名神社をあてる説もある。
祭神は、櫛玉比女命であるが、古墳との関連は明らかでない。
『大和志』に弁財天と称し、箸尾荘五村共に奉祀に預るとあり、『大乘院雑事記』の長享三年 (一四八九 )二月五日の条に「箸尾弁財天勧進奉伽帳加判ノ事自ニ東院ー申レ之」とあるところから、当社の修補か改築資金の奉加とみられる。
本殿右に弁財天の小祠があり、市杵島姫命を祀るが、当本社の北方的場の大福寺 (真言宗 )所蔵の応長二年 (一三ー二) の箸尾満嶋弁財天瑞夢記付記の「縁起現記」 (文安元年写)(一四四四)に、神社鎮座の古墳は、聖徳太子の築造で、弘安七年 (ー二八四)に、当地氏人僧侶等が天河弁財天 (吉野郡天川村坪内鎮座 )を勧請して、墳上に社殿を造立したとある。近世には、大福寺の鎮守であったが、明治初年神仏分離令で、弁財天・南・的場•菅野の氏神となった (『奈良県の地名』 )。
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿〈前方後円墳の後円部に鎮座するという古墳信仰に基づく古代祭祀の遺跡の上に祀られている〉
・本殿
・拝殿
〈本殿向かって右(北側)境内社 四宇〉
・合殿〈八幡神社・春日神社〉
・天照皇太神社
・稲荷神社
・合殿〈熊野神社・白山神社〉
・市杵嶋辨財天社〈境内の北隅〉
・手水舎
・神池
・社頭・注連縄柱
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・鳥居
〈境内の東方150m葛城川の堤防上〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)広瀬郡 5座(大1座・小4座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 櫛玉比女命神社(貞)
[ふ り が な ](くしたまひめのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kushitamahime no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)の論社について
・櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)
櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことじんじゃ)は 本殿が前方後円墳の後円部に鎮座するという古墳信仰に基づく古代祭祀の遺跡とされ 古墳は 聖徳太子の築造とも伝わります 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です
櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)
・廣瀬大社(河合町川合)
〈相殿に合祀 櫛玉比女命神社〉
廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます
廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄田原本線 箸尾駅から 高田川と葛城川の間を南下 約1.4km 車5分程度
〈境内の東方150m葛城川の堤防上〉鳥居が建ちます
参道の桜が満開の中を進むと 社頭に出ます
社頭の注連縄柱には 注連縄〈勧請縄〉が張られています
櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)に参着
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿には 神拝詞(しんぱいし)が置かれていましたので 奉唱しました
拝殿の奥には 古墳の上に本殿が祀られています
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 櫛玉比女命神社について 所在 弁財天村〈現 櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)〉と記されています
【抜粋意訳】
櫛玉比女命神社
櫛玉は久志多麻と訓べし、比女は假字也、
○祭神明か也
○弁財天村に在す、今弁財天と称す、(大和志、同名所図会)
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 櫛玉比女命神社について 所在 辨才天村〈現 櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)〉と記されています
【抜粋意訳】
櫛玉比女命(くしたまひめのみことの)神社
今 辨才天村にあり、大和志名所圖會
櫛玉比女命を祀る、此は蓋 饒速日命の妃 御炊屋媛也、参酌舊事紀、延喜式大意
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 櫛玉比女命神社について 所在 辨才天村〈現 櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)〉と記されています
【抜粋意訳】
櫛玉比女命(くしたまひめのみことの)神社
祭神 櫛玉姫命
祭日 十月一日
社格 村社
所在 辨才天村(北葛城郡箸尾村大字辨財天)
【原文参照】
櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)