久留真神社(くるまじんじゃ)は 往昔 伊勢の森という神域に鎮座゛福徳さん゛と称され 樹齢1千年以上の゛福徳の松〈御植木〉゛が天に聳えていたと云う その後 第21代雄略天皇の御代(465年頃)相殿に漢織姫尊を合祀して゛福徳の車の女神゛と称された 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
久留眞神社(Kuruma shrine)
【通称名(Common name)】
・福徳之宮 車之女神(ふくとくのみや くるまのめがみ)
【鎮座地 (Location) 】
三重県鈴鹿市白子 1-15-15
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴尊(おほなむちのみこと)
《配》須世理姫尊(すせりひめのみこと)
漢織姫尊(あやはとりひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・開運招福、商売繁盛、延命長寿、学業成就、縁結び
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
伊勢ノ國 久留真神社本宮
御祭神
- 主祭神
大己貴尊(おほなむちのみこと)(大国主尊の別名)- 相殿神
須世理姫尊(すせりひめのみこと)(大国主尊の妻)
漢織姫尊(あやはとりひめのみこと)(福徳の女神)御神徳
大国主尊は全智全能の大神さまで、福大黒さまとして親しまれ、開運招福・商売繁盛・延命長寿・学業成就・縁結び・交通安全等、開運導きの大神さまとして厚く信仰されています。
また、漢織姫尊は福徳の車の女神として女性の守護神として尊ぱれ、多くの女性に崇敬され、美貌・美容・恋愛・健康等の成就祈願に遠近より多数参拝されております。久留真神社御由緒
- 古代
往昔は、大己貴尊と須世理姫尊の2柱の神さまを 伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神域にお祀りして 福徳さんと称え奉り、その眉引こは御植木である樹齢1千年以上の『福徳の松』が天にそびえていました。
その後、第21代雄略天皇の御代(約465年頃)に相殿神である漢織姫尊を合祀して、『福徳の車の女神』として仰ぎ奉られてきております。
- 淡路肩へ分祀(別言 伊勢矢留麻神社)
第30敏達天皇の御代(約580年頃)に相殿神である漢織姫尊の御神霊を淡路国(淡路島)へ分祀しました。
現在も淡路市久留麻町に当神社別宮伊勢久留麻神社として鎮座されており、氏神さまとして地域の方々に厚く崇敬されています。
- 延喜式内社
延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳に登載された延喜式内社であって(全国で3132座)、遠近の崇敬を集めた古社であり、その御神徳は崇高なることを物語っております。
- 特別御遷座
寛永11年(1634年)3月、徳川頼宣南龍公(初代紀州藩主)御殿並びに執政別府(代官所)設立用地の為、伊勢の森境内を譲地し現在地へお移りになられました。その時に、初代、追って2代目の『福徳の松』が植樹されました。
- 総社・御神刀
紀州徳川頼宣公は安藝郡十三社の総社として奉祀せられ、御遷座に当たりましては多額の公費を以って奉賛されると共に、葵の御紋付太刀を奉納されました。この太刀は当神社の宝物として現存されています。
- 社号改称
相殿神漢織姫尊を合祀して以東、その御神徳は時代の移り変わるに従い益々厚い崇敬を受ける様になりました。衣織物の神・紡績の祖と漢織姫尊を崇め奉る事より『福他の女神』と尊崇されると共に、荘園時代に当地方一帯の地名を栗真荘と呼ばれていたことから、文政4年(1821年)に栗真荘で奉る福徳の女神の故をもって『福徳天王久留眞神社』から『福徳之宮・久留眞神社』と社号を改称するに至りました。
- 明治天皇代参
明治2年(1869年)3月、明治天皇が伊勢神宮参拝される途上、参宮街道筋の総社の故を限って勅命により当神社に御代参され御幣帛料を御下されました。
- 県社昇格
昭和18年(1943年)4月、神祇院・第1 6 3号を以って内務大臣より村社から県社(県から幣帛を授かる神社)に列せられました。
- 伊勢神宮奉納神事
平成8年(1996年)、伊勢神宮ご鎮座二千年を奉祝し 当神社獅子舞神事を伊勢神宮内宮にて舞を奉納(バス2台、約80名が参加)致しました事は誠に名誉に輝く奉祝行事でした。
- 平成の御造営
平成12年(2000年)、拝殿の改修と神輿殿・社務所・神具庫の新築等の工事を行い、同年11月26目、御造営奉祝祭を執り行ない現在に至ります。拝殿立札の張出紙より
【由 緒 (History)】
由緒
古代 往昔は大已貴尊と須世理姫尊の2柱の神さまを 通称 伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神奈備(神域)にお祀りして 福徳さんと称え奉り その周りには、御神木である樹齢1千年以上の福徳の松が、天に聳えていました。
合祀
第二十一代 雄略天皇の御代に 呉の国(中国)の漢織、呉織、衣縫兄姫、弟姫等来朝し 勅命によって 伊勢の国民に紡績や衣縫など文明技術を伝授した功績は実に偉大であり 万民を感動せしめ 永遠に称え偲び奉らんとして 漢織姫命を当社に合祀して、福徳の女神と仰ぎ奉りました。
延喜式内社
延長5年に集大成された延喜式内社であって、遠近の崇敬を集めた古社であり その御神徳の崇高なることを物語っています。
特別御遷座
寛永11年3月徳川龍院御殿 並びに 執政別府(代官所)設立用地のため伊勢の森の境内を上地して 現在地に御遷座いたしました。その時に、二代目・三代目の福徳の松が植樹され現在に至ります。
昭和18年4月村社から県社になる。三重県神社庁・皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2997
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・拝殿
・〈本殿の向かって右横の境内社〉
・四柱神社《主》素戔嗚神・事代主神・宇迦神・大山祇神
・〈本殿の向かって左奥に並ぶ境内社三社〉
境内社三社を向かって右から順に
・千倍稲荷神社《主》宇迦之魂神
・石神神社(山の神)《主》大山祇神
・護国神社《主》護国の英霊
・社号標・ご神木の福徳の松(三代目)
・西からの参道鳥居
・社頭の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉通称 伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)
白子小学校の辺りと云われています
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)奄藝郡 13座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久留眞神社
[ふ り が な ](くるまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuruma no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社について
延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社であった〈伊勢の森に鎮座した゛福徳さん゛〉が 寛永11年(1634)紀州藩の別邸と代官所を創設する時に 久留真神社を移転した その際 氏子が南北に分かれ「久留真神社」と「勝速日神社」に分社されたとのこと
・久留真神社(鈴鹿市白子)
〈伊勢の森 福徳之宮 車之女神〉
久留真神社(くるまじんじゃ)は 往昔 伊勢の森という神域に鎮座゛福徳さん゛と称され 樹齢1千年以上の゛福徳の松〈御植木〉゛が天に聳えていたと云う その後 第21代雄略天皇の御代(465年頃)相殿に漢織姫尊を合祀して゛福徳の車の女神゛と称された 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社です
久留真神社(鈴鹿市白子)〈伊勢の森 福徳之宮 車之女神〉
・勝速日神社(鈴鹿市白子本町)
〈通称 勝手さん 勝手大明神〉
勝速日神社(かつはやひじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社であった〈伊勢の森に鎮座した゛福徳さん゛〉が 寛永11年(1634)紀州藩の別邸と代官所を創設する時に 久留真神社を移転した その際 氏子が南北に分かれ「久留真神社」と「勝速日神社」に分社し 創設されたものです
勝速日神社(鈴鹿市白子本町)〈通称 勝手さん 勝手大明神〉
・逆川神社〈龍王大権現〉(津市栗真小川町)
久留真神社の別宮゛伊勢久留麻神社(淡路市久留麻)゛について
伊勢久留麻神社(淡路市久留麻)は「伊勢の久留真神社の御祭神をお遷しした」事を表す名称とされます
延喜式内社 淡路國 津名郡 伊勢久留麻神社(いせくるまの かみのやしろ)
・伊勢久留麻神社(淡路市久留麻)
伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)は 伊勢國の式内社 久留真神社より勧請せるものと云われます 第三十代敏達天皇〈西暦572~585年〉御病気平癒 祈願の砌り(名)明神祭を奉祀し 快復されましたことにより「明神社」の称号を賜った 延喜式内社 淡路國 津名郡 伊勢久留麻神社(いせくるまの かみのやしろ)です
伊勢久留麻神社(淡路市久留麻)〈淡路國三之宮〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄名古屋線 白子駅と鼓ヶ浦駅の中間辺り どちらの駅からも900m程度 ゆっくり徒歩15分程度
神社は 旧伊勢街道に面していて 近くには゛伊勢参宮街道の道標゛ もあります
社頭は 旧伊勢街道に面して 南東側を向いています
久留真神社(鈴鹿市白子)に参着
社号標には゛縣社 久留真神社゛とあり
木製の神明鳥居は 伊勢神宮からの賜下された鳥居との事
一礼をして 鳥居をくぐり抜けて境内へと進みます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 御透塀に囲まれて 御本殿が鎮座します
本殿の向かって右横には゛四柱神社゛が祀られています
本殿の向かって左奥には 三社の境内社が 西参道に並んで祀られています
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 久留眞神社について 所在は゛白子村南栗間に在す、今勝手大明神と称す゛〈現 勝速日神社〈通称 勝手さん 勝手大明神〉(鈴鹿市白子本町)〉と記しています
【抜粋意訳】
久留眞神社
久留眞は假字也
○祭神 呉織、〔考証、俚諺〕
〇白子村南栗間に在す、今勝手大明神と称す、〔考証、俚諺〕
類社
淡路國 津名郡 伊勢久留麻神社
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 久留眞神社について 所在は゛白子村の南栗間にあり、゛〈現 勝速日神社〈通称 勝手さん 勝手大明神〉(鈴鹿市白子本町)〉と記しています
【抜粋意訳】
久留眞神社
今 白子村の南栗間にあり、〔神名帳考証、勢陽雑記〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 久留眞神社について 所在は゛白子村 字栗間゛〈現 久留真神社(鈴鹿市白子)〉(鈴鹿市白子本町)〉だが どう見ても古社ではないが 寛永十一年に紀州藩の陣屋があった所に鎮座した゛白子栗間の福得天王と稲する祠゛から 現在地に遷座したものと云い これに従う と記しています
【抜粋意訳】
久留真神社
祭神
祭日 三月十二日
社格 村社所在 白子村 字栗間(河藝郡白子町大字白子)
今按るに 白子栗間の福得天王と稲する祠を 文政四年に紀藩より判定して本社とす 其社域 古社の體裁ならざるを以て 質すに 舊は今社より北 紀藩の陣屋在たる地にありたるを 寛永十一年に今の社地に遷移する所なりとぞ 依て今はこれに從ふ
【原文参照】
久留真神社(鈴鹿市白子)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について