熊野神社(くまのじんじゃ) は 明徳三年(1392)大内義弘公は 将軍 足利義満から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた時 野上修理亮に命じて 紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し この地に熊野権現を創建したと伝わり 境内社 出雲社(いずもしゃ)は 延喜式内社との伝承もあります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
熊野神社(Kumano shrine) & 境内社 出雲社(Izumo sha)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
山口県防府市上右田1078
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊弉册尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまのをのみこと)
事解男命(ことさかをのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・国生みの神・祓の神・正邪を見分ける神
【格 式 (Rules of dignity) 】
〈境内社 出雲社は 参考論社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
熊野神社(権現さま)
由緒
後小松天皇の明徳二年(一三九一)大内氏の命をうけ旗下野上修理亮が紀州熊野三社より分祀した。以来歴代領主の崇敬篤く氏神として住民の尊崇あり。(平成二年に六百年祭を斉行す)祭神
伊弉冉尊(いざなみのみこと)国生みの神
速玉男命(はやたまおのかみ)祓の神
事解男命(ことさかをのみこと)正邪を見分ける神現地案内板より
【由 緒 (History)】
熊野神社は、昔は熊野権現宮と言い、地元の人々が権現様と呼んで親しんできた古いお宮であり、紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し、この地に創建したといわれています。
熊野神社(くまのじんじや)
上右田の新町にある熊野神社〔太平寺の隣〕は、昔は熊野権現宮と言い、地元の人々が権現様と呼んで親しんできた古いお宮である。
権現(ごんげん)というのは、神仏集合思想すなわち本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)によると、仏がすべての生物(いきもの)を救うため、神に姿をかえて現れたものを言うとされている。明治初年の神仏分離により、権現というような神仏いずれともつかないものや[宮(ぐう)]という呼び名は認められなくなり、熊野神社と名をかえて今日に至っている。
玉祖地区歴史文化史跡研究会著『剱神社(つるぎじんじや)と熊野神社(くまのじんじや)と右田の神様~山口県防府市右田地区の神様~』2022年発行より抜粋
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・出雲(いずも)社〈延喜式内社 出雲神社二座の参考論社〉
境内社 出雲社《主》大己貴命(おほなむちのみこと)・三穂津姫命(みほつひめのみこと)
・妙見社〈天御中主(あまのみなかぬし)社〉
《主》天御中主命(あまのみなかぬしのみこと)
・恵比須社〈小野(おの)社〉(石段のある祠)と石祠
《主》奥津彦命(おきつひこのみこと)・奥津姫命(おきつひめのみこと)・大土祖神(おほつちのみおやのみこと)
文政年間の勧請で昭和十三年熊野神社境内に遷座と石碑に刻まれています
・稲荷(いなり)社
《主》宇賀御霊(うかのみたま)
・厳島(いつくしま)社
《主》宮鳴三神(みやじまさんしん)
・そのほかに境内社として 大元社・村上社
大元社・村上社の2社は 特定できませんでした 石祠はあと二ヶ所あるので どちらかでしょうか
・縁結びの御神木
縁結びの御神木
分かれて仲びた2本の樹が合体し、1本のクロガネモチの樹となって大きく枝を伸ばしています。古くから縁結びの御神木として祀られてきたこの樹は、インターネットでぱツリー・オブ・マッチメイキング"とされ、外国の方から紹介されるようになりました。この熊野神社は、日本全国に勧請された熊野権現の一つで.明徳2年(1391)に紀州熊野三社から分祀されています。
御利益:男女の縁が結ばれる
ビュースポットやまぐち
現地案内板より
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・人丸(ひとまる)社〈尾根の上〉
《主》柿本人麿命(かきのもとのひとまろ)
・新町のキリシタン灯寵
新町のキリシタン灯寵
太平寺前の小径が熊野神社の参道と交わるところの右角に、防府市の民俗文化財に指定されている「キリシタン燈籠(とうろう)」がある。これは昔のキリスト教信者の遺物と考えられるもので、竿石(さおいし)の上部がくびれていて、十字架(じゅうじか)を思わせる形をしており、その下にマリアを連想させる人物像が彫られている。
太平寺所有のこの灯能は、宝珠(ほうじゅ)・傘(かさ)・火袋(ひぶくろ)・中台(なかだい)が失われており、現在のものは後から補ったものである。しかし、このような灯能の竿石が残っていることは、右田にも熱烈なキリシタン信者が住んでいたことをうかがわせるようで、興味深いものがある。
玉祖地区歴史文化史跡研究会著『剱神社(つるぎじんじや)と熊野神社(くまのじんじや)と右田の神様~山口県防府市右田地区の神様~』2022年発行より抜粋
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
〈境内社 出雲社は 式内社の参考論社です〉
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
〈境内社 出雲社は 式内社の参考論社です〉神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷十四貞觀九年(八六七)八月十六日〈壬午〉の条
○十六日壬午
周防國 正五位上 出雲神。石城神。比美神 並授從四位下。
從五位上 劔神。二俣神 並正五位下。
豐後國 從五位上 火男神。火神 並正五位下。
大和國 從五位下 生竜穴神 正五位下。從五位下 武雷神。保沼雷神 並從五位上
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
〈境内社 出雲社は 式内社の参考論社です〉
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)周防国 10座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)佐波郡 6座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 出雲神社二座
[ふ り が な ](いつもの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Itsumo no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社 出雲神社(イツモノカミノヤシロ)とその論社について
①『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)出雲神社(イツモノカミノヤシロ)」の論社
・素鵞社〈出雲大社の本殿奥〉
素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです 御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています
素鵞社(出雲市)【前編】
・富神社(出雲市斐川町富村)
富神社(とびじんじゃ)は 社伝によると 出雲国風土記 国引き神話において 八束水臣津野命が 出雲郡の神名火山(かんなびやま)(仏経山)の山上に立ち 国引きを思いつかれて その大事を成しとげられた後 神門水海に近い この豊かな土地に鎮座し出雲社としたとあります
富神社(出雲市斐川町富村)
・長浜神社(出雲市西園町)
長浜神社(ながはまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』意宇郡の総記に 御祭神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の国引き神話が書かれ「その引いた綱は 薗の長浜(そののながはま)」とあるその地に鎮座します 出雲郡 神祇官社「出雲社(いずも)のやしろ」の論社でもあります
長浜神社(出雲市西園町上長浜)
・諏訪神社(出雲市別所町)
諏訪神社(すわじんじゃ)は 明治以前は鰐淵寺を別当とした「諏訪神社」に〈八束水臣津野神を祀る「出雲神社」〉と〈五十猛命を祀る「韓國伊大弖神社」〉が合祀されています 元社地は「帆柱山」の山中に鎮座と伝わり『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社となっています
諏訪神社(出雲市別所町)
➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「丹波國 桑田郡 出雲神社 名神大」の論社
どちらも磐座(イワクラ)を信仰の拠所としています
・出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲後田無)
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります
出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉
・出雲神社(亀岡市本梅町井手西山)
出雲神社(いずもじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の丹波國 出雲神社(名神大社)の論社です 創建年代は不詳ですが 境内には 巨岩が 磐座として祀られていて 最古の祭祀形態を存じています かつては磐座の横に出雲大明神といふ祠が祀られていたと伝へ 昭和3年(1928)に大改築を行ない 現在の社殿・鳥居・石段などが整備され 磐座の横の祠から遷座したと伝わります
出雲神社(亀岡市本梅町)
➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「周防國(スオウノクニ)佐波郡(サハノコオリ)出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)」の論社
・出雲神社(山口市徳地堀)
出雲神社(いづもじんじゃ)は 第44代 元正天皇 霊亀元年(715)鎮座と伝えら 周防国二之宮です その起源はさらに古く 大古 出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い その祖神を鎮祭したものと考えられています 式内社 周防國 佐波郡 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)とされています
出雲神社(山口市徳地堀)
・出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)
熊野神社(くまのじんじゃ) は 明徳三年(1392)大内義弘公は 将軍 足利義満から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた時 野上修理亮に命じて 紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し この地に熊野権現を創建したと伝わり 境内社 出雲社(いずもしゃ)は 延喜式内社との伝承もあります
熊野神社 & 出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)
➂『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「信濃國(シナノノクニ)水内郡(ミノチノコオリ) 伊豆毛神社(イツモノカミノヤシロ)」の論社
・伊豆毛神社(長野市豊野町)
伊豆毛神社(いづもじんじゃ)は 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます
伊豆毛神社(長野市豊野町)
因みに 出雲大社(出雲市)は
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)杵築大社 名神大(きづきの おほやしろ)
・出雲大社(出雲市)
出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています
出雲大社(出雲市)【前編】
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
国道2号 防府東ICから県道24号を北上 約1.8km 車3分程度
熊野大社の二の鳥居と石橋があります
熊野神社(防府市上右田)に参着
鳥居の辺りにも空地はあるのですが 駐車場は社殿の近くにあります との案内があり参道を進みます
キリシタン灯篭を過ぎて 境内脇の駐車場に進みます
駐車場から 正面参道へと戻ります
社殿を振り向くと 正面に熊野神社の社殿 参道の左右に鳥居が向かい合って建っていて ちょっと変わった雰囲気です
左手には 手水舎があります
正面には 石段があり その上に熊野神社の社殿が建ちます
右手の鳥居に一礼をして くぐります
こちら側の境内は 駐車場を兼ねて居ますが 御神木があり その先に境内社 出雲社の鳥居が建っています
一礼をして 出雲社の鳥居をくぐり 石段を上がります
すぐ右手には 磐座のようなものに 石祠が祀られています
出雲社の向かって右手奥には 恵比寿社が祀られています
出雲社への石段を上がります
石燈籠に狛犬も座していて 社殿には 出雲社 と社号銘板が懸けられています 式内社 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)とも伝わる社です
社殿は 拝殿本殿があり 立派な社となっています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
出雲社の向かって左手に 熊野神社の社殿があります
拝殿の奥 幣殿 本殿が鎮座する立派な社殿です
拝殿にすすみます
拝殿の前 左右に石造りの樽の彫物があり 中央に榊が祀られています
拝殿の扁額には 熊野神社 と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
向かって左手から社殿を見ると 社殿に併設されているのは 神饌所でしょうか
境内の左手にも 鳥居の建つ境内社が祀られていますのでお参りをします
左側の境内から 中央参道に戻るには 鳥居をくぐることになります
中央参道に戻り 社殿に一礼をします
参道を戻ります
神社は東南を向いて鎮座していますが その背後の山々は 実に神々しい
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『剱神社(つるぎじんじや)と熊野神社(くまのじんじや)と右田の神様~山口県防府市右田地区の神様~』に記される伝承
【抜粋】
右田村史の記録によれば、次のような言い伝えもある。
昔、大内義弘の一族に野上修理亮(のがみしゅりのすけ)という者がいた。明徳三年(1392)に、大内義弘は将軍 足利義満(あしかがよしみつ)から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた。その時野上修理亮に命じて、紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し、この地に熊野権現を創建した。
このように、その昔、熊野本宮を勧請(かんじょう)〔神仏を移し祭ること〕したと伝えられているが、創建時代についてはちがった意見もあってはっきりしない。しかし、平成二年(1990)には、鎮座六百年大祭が盛大に行われ、併せて社殿の大改修もなされた。
同社にある文化財としては、獅子頭(ししがしら)(南北朝時代と室町時代のもの・防府市指定文化財)や猿田彦面(さるたひこめん)等がある。
玉祖地区歴史文化史跡研究会著『剱神社(つるぎじんじや)と熊野神社(くまのじんじや)と右田の神様~山口県防府市右田地区の神様~』2022年発行より抜粋
熊野神社 & 境内社 出雲社(防府市上右田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
周防国 式内社 10座(並小)について に戻る
周防国(すおうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 周防国の官社のことで 10座(並小)゛周防国には 10座(並小)゛熊毛郡2座・佐婆郡6座・吉敷郡1・都濃郡1座゛の神が坐しま゛の神が坐します
周防国(すおうのくに) 延喜式内社 10座(並小)について