久度神社(くどじんじゃ)は 『續日本紀』に゛延暦二年(783)官社に列した゛と記され 『延喜式神名帳(927 AD.)』に゛大和國 平群郡 久度神社(くとの かみのやしろ)゛と所載される由緒ある古社です 尚 奈良の平城京から平安遷都〈延暦十三年(794)〉に際し創建された 平野神社(京都市北区平野宮本町)の第二座には 当社から遷された゛久度神゛が祀られています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
久度神社(Kudo shrine)
【通称名(Common name)】
・おくどさん
【鎮座地 (Location) 】
奈良県北葛城郡王寺町久度4丁目9-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》 久度大神(くどのおほかみ) 又は〈久度神〉
八幡大神(はちまんのおほかみ)又は〈誉田別命〉
住吉大神(すみよしのおほかみ)又は〈底筒男命〉
春日大神(かすがのおほかみ)又は〈天児屋根命〉
※中世以降は 八幡神などが祀られていて
元々祀られていた久度神については 昭和四十三年(1968)平野神社から久度神を勧請しています
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・竈(かまど)の神
・寿命・幸福の神
・水運・交通の神
・子孫繁栄の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
久度(くど)神社
当社は続日本紀(しょくにほんぎ)に延暦(えんりゃく)二年<西暦七八三年>官社に列せられたとあり、延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)<西暦九二七年>にも載っている古い社です。
また延暦十三年<西暦七九四年>平安遷都に際し創建された京都市北区の平野神社第二座に当社から遷されて久度神が祀られています。
久度神の「久度」は「窖(くど)」の意味で御厨神の総称であり「竈(かまど)の神」<伴信友(ばんのぶとも)説>といわれています。
久度神社には 現在 久度神のほか八幡<寿命・幸福の神>、住吉<水運・交通の神>、春日<子孫繁栄の神>の神をおまつりしています。
現地案内板より
【由 緒 (History)】
久度神社
一、御鎮座
奈良県北葛城郡王寺町久度
一、御祭神
久度大神 かまどの神・火の元の神
八幡大神 寿命、幸運の神
住吉大神 水運、交通の神
春日大神 子孫繁栄の神御由緒
久度神社は延喜式内の古社で、 その創祀の年代は古く、 奈良町以前のものであり、 第五十代桓武天皇の延暦二年には特に官社に列せられ、 従五位下という神位を賜わったことが続日本紀に載っています。 その後毎年朝廷から幣帛を捧げられ官祭に預っていましたが、 延暦十三年の平安遷都に際し、 久度の神をはじめ平素から信仰のあつかった二・三の神々を皇居の近くにうつされて、 新しく建てられたのが、 京都の平野神社であり、 その第二座が久度の神であります。
その後約一千二百年の間当久度神社は八幡大神等をお祀りし、 氏神として時により多少の興廃はありましたが、 昭和十七年橿原神宮の古殿をもつて拝殿・瑞垣・中門等の造営によって面目を一新し、 また昭和四十三年四月十日には平野神社からはるばる久度の神をお迎えし、 四十四年四月十日本殿造営完工によって基の神御座である久度の社にお祀り出来ましたことは、 この古い由緒とともに郷土の誇りであります。
昭和四十八年十月 吉祥月日 宮司 森村秀夫謹識
神さびし木立に深しとざされて
昔ゆかしき久度のみやしろ現地案内板より
久度神社
更新日:2017年02月28日
久度の氏神で、誉田別命・天児屋根命・底筒男命・久度神を祀っています。『続日本紀』の延暦2年(783)12月の記事に「大和国平群郡久度神」と見えることから、すでにこのころからあった神社であることがわかります。久度神は、「久度」という言葉が竈を意味するクドに通じるため竈神ともいわれ、平安京に遷都するさいに現京都市北区の平野神社に遷されたと考えられています。境内には南北朝時代の暦応元年(1338)12月に奉納された石灯籠があり、文明8年(1476)8月の箱書をもつ春日曼荼羅が奈良国立博物館に寄託されています。
王寺町 地域交流課 文化資源活用係HPより
https://www.town.oji.nara.jp/kakuka/chiikiseibi/chiikikoryu/ojicyorekishishiryoshitsu/ojibunkazai/148.html
由緒
久度神社は 昔よりその名京畿地方に隠れもなき古社でありまして、その創祀の年代は古く奈良朝以前にかかり、歴代皇室の崇敬篤く、殊に第五十代桓武天皇の延暦2年には特に官社に列せられ、従五位下という神位を賜りましたことが、続日本紀に記戴され その後 毎年朝廷より幣帛をささげられ 延暦13年都を奈良から京都に遷され久度の神を始めその他平素から信仰の篤かった二、三の神神を皇居の近くに遷されて新たに平野神社を建てられました。
これ実に今から約1180年の昔であります。これが京都の元官幣大社平野神社であり、その第二座の祭神が久度の神で出あります。平野神社は京都守護の神として、ますます皇室の御尊崇をあつめられ久度の神の神位も次第に高められて、白河天皇の永保元年には正一位に進められた。中世以降京都に遷られた久度の神は皇居に近く、ますます字上下の尊信を得て栄えましたが、一方、大和に残存の当久度神社は、何分京都より離れた地のため朝廷直接の御崇敬は漸く遠ざかりましたが、なお厳然と名高い古社として民間遠近の尊信は絶えませんでした。
平安朝の初めに日本国中の神社を調査された延喜式神名帳の中にもその名が記されています。その後約1000年の間、時により多少の変遷興廃はありましたが、昭和17年橿原神宮の古殿をもつて拝殿・瑞垣・斎館・中門等の造営により面目を一新し、昭和43年4月10日には京都平野神社からはるばる久度の神を迎え、基のみ座である久度神社の本殿にお祀りする。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承
官社に列したことが 記されています
【抜粋意訳】
巻第卅七 延暦二年(七八三)十二月丁巳〈十五〉
○丁巳
大和國 平群郡 久度神 叙従五位下 為官社
《巻尾》続日本紀巻第卅七
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)平群郡 20座(大12座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久度神社
[ふ り が な ](くとの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuto no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
゛久度神゛を祀る 式内社 ゛山城國 葛野郡 平野祭神四座 並名神大゛について
奈良の平城京から平安遷都〈延暦十三年(794)〉に際し創建された 平野神社(京都市北区平野宮本町)〈旧官幣大社〉第二座には 当社から遷されて久度神が祀られています
現在の祭神は次の4柱
第一殿:今木皇大神(いまきのすめおおかみ、今木神) - 主神
第二殿:久度大神(くどのおおかみ、久度神)
第三殿:古開大神(ふるあきのおおかみ、古開神)
第四殿:比売大神(ひめのおおかみ、比売神/比咩神)
※一番北の第一殿から順に1殿1柱ずつ祀られます 第二殿が゛久度神゛
・平野神社(京都市北区平野宮本町)
平野神社(ひらのじんじゃ)は 延暦13年(794)平安京遷都の際 第50代・桓武天皇の命により 平城宮〈奈良〉で祀られていた今木神 久度神 古開神をこの地に遷座し 後に相殿に比賣神が祀られて四座となり『延喜式神名帳』には゛山城國 葛野郡 平野祭神四座(ひらのの まつりのかみ よやしろ)並名神大゛と所載されます
平野神社(京都市北区平野宮本町)〈全国唯一の「皇太子御親祭」が定められた神社〉
同じく゛久度神゛を祀ると伝わる 式内社 ゛淡路國 三原郡 久度神社(くとの かみのやしろ)゛について
・久度神社(南あわじ市神代國衙)
久度神社(くどじんじゃ)は 『六国史』に神階を進む記録があり 『延喜式神名帳(927 AD.)』所載 淡路國 三原郡 久度神社(くとの かみのやしろ)とされます 戦国時代に廃絶し その由蹟も不詳となり 元禄(1688~1703)中頃 僧の碧湛が探り得て 此処に宮居を再建したと伝わります
久度神社(南あわじ市神代國衙)〈延喜式内社 久度神社の論社〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
王寺駅・新王寺駅から西へ約650m 車3分程度
駅からの途中 二又路に゛左 式内久度神社゛と標柱があり 左に進みます
境内の東側に駐車場があり 脇参道があります
久度神社(王寺町久度)に参着
社殿 境内は東南を向いています 道沿いに暫く進むと 参道正面の社頭は 境内の東南にあります
表参道を進むと 脇参道は 右側から鳥居の前に出ています
一礼をして 鳥居をくぐります
鳥居の扁額には゛徳維馨゛と刻されています
鳥居をくぐると 狛犬が座します
手水舎があり清めます すぐ横には由緒書きがあります
拝殿にすすみます
拝殿内には屋根吹替の銘板があり これを見ると拝殿の向かって左側の建物は゛神饌所゛のようです
拝殿の内部には 沢山の絵馬が奉納されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 瑞垣が廻されて 神門があり その中に本殿が祀られています
一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 久度神社について 所在は゛王寺久度村に在す゛〈現 久度神社(王寺町久度)〉と記し
祭神については゛荒木田襲津彦゛としています
【抜粋意訳】
久度神社
久度は 假字也
〇祭神 荒木田襲津彦
〇王寺久度村に在す、今葛下郡に属す、〔大和志、同名所圖會〕
〇惣國風土記残缺云、久度神社、圭田二十八東三字田、所祭 荒木田襲津彦也、賜圭田初神禮、
當社の事は、山城國 葛野郡 平野祭神の下見合すべし、
神位
績日木紀、延曆二年十二月丁已、大和國 平群郡久度神、叙ニ從五位下 爲ニ官社、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 久度神社について 所在は゛今 葛下郡王寺村の久度邑にあり゛〈現 久度神社(王寺町久度)〉と記し
祭神については゛桓武天皇外戚の神を祀る゛としています
〈一説に 百済系の渡来人が祀った外来の竈神〈中国北部から朝鮮半島にかけて信仰される「竈王神」の流れをくむ〉が゛久度神゛だとする説があり 桓武天皇の母 高野新笠は 百済系の渡来系氏族である和氏の出身の為か〉
【抜粋意訳】
久度(クドノ)神社
今 葛下郡王寺村の久度邑にあり、〔大和志、神名帳考証、名所圖會〇按 村中に久土寺あり〕
盖 桓武天皇外戚の神を祀る、〔延喜式、江家次第、〕故此神を以て、平野神社に合せ奉りは、〔延喜式、〕
桓武天皇 延暦二年十二月丁已、平群久度神に從五位下を授けて官社とせらる、〔續日本紀〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 久度神社について 所在は゛王寺村久度(北葛城郡王子村大字王子)゛〈現 久度神社(王寺町久度)〉と記し
祭神については゛卸竃神なるべし゛として 考証しています
【抜粋意訳】
久度(クドノ)神社
祭神
今按 木社祭神は卸竃神なるべし 其は日本紀略天徳四年十一月十九日の條に今夜坐ニ内膳司ニ忌火(イミビ)庭火(ニワビ)等ノ御神奉遷ニ冷泉院円膳云々平野ハ謂ニ釜二口ヲ也 庭火(ニワビ)ハ謂ニ綺(アジカナハ)一口也云々 又中右記寬治八年十ー月三日の條にも内膳司御竃神(ミカマノカミ)三所也一所ハ 平野 件(コノ)癸御祭(ミツノトミマツリ)奉仕之神也一所ハ庭火(ニハビ)是等尋常ノ御飯ニ奉仕之神也一所ハ忌火ノ三神也 是則十一月新嘗 六月神今食ノ祭ニ奉仕之神也とみえたる 平野の文によりて平新神社四座の内に久度神あるを合せて考ふるに内膳司に坐す神と同神にて御竃神ならんとぞ思はる故今附て後考を俟つ神位
桓武天皇 延暦二年十二月丁巳 大和國平群郡久度神叙ニ從五位下 爲ニ官社祭日
社格 (村社)所在 王寺村久度(北葛城郡王子村大字王子)
【原文参照】
久度神社(王寺町久度)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)