事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)は 『日本書紀〈養老4年(720)〉』神功皇后紀に此の神の事が記載されているので それ以前からの鎮座と伝わる古社です 鎮座地の伊月(いつき)は 事代主神を斎(いつき)祀る所から来ているとのこと 延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)であるとされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
事代主神社(Kotoshironushi shrine)
【通称名(Common name)】
おっべっさん
【鎮座地 (Location) 】
徳島県阿波郡市場町大字伊月字宮の本100-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》事代主命(ことしろぬしのみこと)
大国主命(おほくにぬしのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
〈『日本書紀〈養老4年(720)〉』神功皇后紀に此の神の事があるので それ以前からの鎮座と伝わる〉
【由 緒 (History)】
安寧天皇の伯父にあたる多臣の子孫が出雲族をつれて阿波へきた。 多臣は神祇を司る役柄であつたが、伊月に土着して祭殿をたて祖先の事代主命と祖母五十鈴依媛を奉齋した との伝えあり
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・森壱岐神
・大住大明神
・鎮守神社
・地神
・稲生大明神
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波国 50座(大3座・小47座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)阿波郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 事代主神社
[ふ り が な ](ことしろぬしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kotoshironushi no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)について
『古事記』に 大国主神(おほくにぬしのかみ)と神屋楯比賣命(かむやたてひめのみこと)との間に生まれた
『先代舊事本紀』では大国主神(おほくにぬしのかみ)と高津姫神(たかつひめのかみ)〈多岐都比賣命〉との間に生まれた と記される神
『記紀神話』では 国譲りの段に 出雲の三保の御崎にまします神〈大国主神が 国譲りの決断をゆだねる御子神〉として登場します
延喜式内社 出雲國 島根郡 美保神社 (みほの かみのやしろ)
事代主神を祀る 出雲神話の地 美保神社(島根県松江市)
・美保神社(島根県松江市)
美保神社(みほじんじゃ)は 特殊な形式の本殿〈大社造の二殿が連なった美保造または比翼大社造〉には 向かって・右側の御殿〈三穂津姫命〉・左側の御殿〈事代主神〉を祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「美保社(みほ)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』の「美保神社(みほのかみのやしろ)」です
美保神社(松江市美保関町美保関)〈延喜式内社・出雲國風土記 掲載社〉
゛事代主神゛の社号を冠する 3つの式内社について
大和国 大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主命の子にあたることから 大神神社の別宮とも称されます
①延喜式内社 大和國 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座(貞改号・並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(かもつは やへことしろぬしのみことの かみのやしろ)
・鴨都波神社(御所市宮前町)
鴨都波神社(かもつわじんじゃ)は 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代 勅命により大田田根子命の孫 大賀茂都美命(おおかもずみのみこと)が創建 『延喜式(927年編纂)』では 月次・相嘗・新嘗に宮中より官幣に預る名神大社に列した 大和国 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座(かもつはやへことしろぬしのみことの かみのやしろ)です
鴨都波神社(御所市宮前町)
阿波國には 二つあります
②延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)
・事代主神社(阿波市市場町伊月)
事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)は 『日本書紀〈養老4年(720)〉』神功皇后紀に此の神の事が記載されているので それ以前からの鎮座と伝わる古社です 鎮座地の伊月(いつき)は 事代主神を斎(いつき)祀る所から来ているとのこと 延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)であるとされます
事代主神社(阿波郡市場町大字伊月字宮の本)〈延喜式内社〉
③延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社
・生夷神社(勝浦町沼江田中)
生夷神社(いくいじんじゃ)は 『新撰姓氏錄』゛長公(おさのきみ)は 大奈牟智神兒 積羽八重事代主命之後也゛と記載されている 長の地は 阿波国 那賀郡の地に由縁があるので その氏人〈長〉の祖神として祀られたものであろうとされています 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社です
生夷神社(勝浦郡勝浦町大字沼江字田中)〈延喜式内社〉
・蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉
蛭子神社(えびすじんじゃ)は 大将軍神社(勝浦町沼江一楽)の境内に祀られています 勝浦町沼江地区には 二つの゛ゑびすさん゛を祀る神社があり 二つ共に延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社とされていて その内の一つになります
蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR徳島線 鴨島駅から 吉野川を渡り約4.2km 車10分程度
吉野川の北岸の堤防の下に 一の鳥居が建ちます
事代主神社(阿波市市場町伊月)に参着
一礼して 鳥居をくぐり 田の中の参道を進みます
境内の入り口には゛伊月農村公園゛の立札があります
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 本殿 脇には境内社が祀られています
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 事代主神社について 所在は確かめられないが
ある説には阿波郡 伊月村にある事代主神社〈現 事代主神社(阿波市市場町伊月)〉とし 神社帳には板野郡下庄村 琴代社とあると記しています
【抜粋意訳】
事代主神社
事代主は 古止志呂奴之と訓べし
〇祭神 明か也
〇在所 慥ならず 或は云、伊月村 事代主明神、當國神社帳 板野郡下庄村 琴代社
例祭〇日本書紀、神功皇后巻云、於尾田吾田節之淡郡所居之神有也、問亦有耶、答曰、於天事代於虛事代玉籤入彦嚴之事代神有之也、云々、
〇當國 勝浦郡 事代主神社あり、類社
大和國 葛上郡 鴨都味波八重事代主命神社の條見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 事代主神社について 所在は 伊月村に在り 事代大明神と云ふ〈現 事代主神社(阿波市市場町伊月)〉と記しています
【抜粋意訳】
事代主(コトシロヌシノ)神社
今 伊月村に在り、事代大明神と云ふ、阿波式社略考、阿府志、神名帳考
蓋 大國主神の子 事代主神を祭る、古事記、延喜式、
事代主神 又 八重事代主神と云ひ、亦名 天乃八重事代主命と云ふ、即是也、古事記、新撰姓氏録、
凡十月四日祭を行ふ、式社考証
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 事代主神社について 所在は 伊月村 事代明神〈現 事代主神社(阿波市市場町伊月)〉と記しています
【抜粋意訳】
事代主神社
祭神 事代主命 稱 事代明神
今按 日本紀 神功巻 幡荻穂出吾也於尾田吾田節之淡郡所居とあるは神名なき故に 皆人の疑ふ事なれとこは 此次の文に之有也問亦右耶答曰 次の文に此九字あるをもて紀にあやまり写せしものなるへし とある文を除き 直ちに 於 天事代於虚 事代主神社なるへし 但し十二月に神教ありし神たてを祭る事を云る條に事代主神の上に稚日女尊の事あるを以て此神ならんと云説もあれと淡郡に由なきを如何にせんかかれは 釋日本紀に幡萩云々の文を挙たる所に神名帳曰 阿波國 建布都神社 事代主神社と云て 當社にあてたるは動くましき説也 猶よく考へ定むへし
祭日 九月十日
社格 郷社
所在 伊月村(阿波郡八幡町大字伊月)
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
事代主神社(阿波市市場町伊月)について 神功皇后紀に此の神の事があるので それ以前からの鎮座であり 式内社 事代主神社であることに間違いない と記しています
【抜粋意訳】
〇德島縣 阿波國 阿波郡八幡町大字伊月(イツキ)
郷社 事代主(コトシロヌシノ)神社
祭神 事代主(コトシロヌシノ)神
創建年代詳ならすと雖も、神功皇后紀に此の神の事見ゆれば、其以前の鎮座なること推知すべきが如し、醍醐天皇 延喜の制 小社に列す (延喜式 )、中頃事代主大明神と稱しなりしが、明治三年三月事代主神社の號に復し、五年郷社に列す。
社殿は本殿、幣殿、拜殿、社務所等を備へ、境内八百九十除坪 (當村共有地 )を有す、式社略考に「伊月村に事代主大明神あり、疑なく是なり、又 神功紀の條に、於天事代於虚事代玉簸入彦嚴之事代主神と宣ひて、國郡をいひ給はざるにて皇后に数へ給ひし事代主神は、此郷社の神なる事しるく、淡郡と告げ給ひしも、関東の安房なる安房郡にてはなく、此郡の建布都神なる事、互ひに通はして知るるなり云々。」
境内神社 地神社 山神社 猿田彦神社
【原文参照】
事代主神社(阿波市市場町伊月)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について に戻る
阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について