許曽志神社 元宮阯(こそしじんじゃ もとみやあと)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社「許曽志神社(松江市古曽志町)」の 本宮阯〈旧鎮座地〉です 貞享元年(1684年)4月 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座 址地の地名を『元宮』と称すとあり 旧社地は寛大 古木繁茂 馬場の左右に松の並木在りと伝わります
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
➂最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】許曽志社
【読み】(こそし)のやしろ
【How to read】(kososhi no) yashiro
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori)
【社名】許曾志神社
【読み】こそしのかみのやしろ
【How to read】Kososhi no kami no yashiro
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
許曽志神社 元宮阯(こそしじんじゃ もとみやあと)
〈許曾志神社の旧鎮座地〉
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県松江市古曽志町
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
【御神格】(God’s great power)
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社の旧鎮座地
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』所載社の旧鎮座地
【創建】(Beginning of history)
許曽志神社は 出雲風土記・延喜式にも記された社であり、
貞享元年 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座。
社地寛大、古木繁茂、馬場の左右に松の並木在りと傳う。
址地を『元宮』と称す。
本年奉遷三百歳を寿ぎ 茲に記念の碑を建つ。
昭和59年10月吉日記念碑の裏面に刻まれた案内
【由緒】(history)
由緒記
鎮座地 松江市古曽志町字松尾466
祭 神 猿田毘古命(さるたひこのみこと)
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)祭 日 ・・・・・・
由 緒
創祀年代は不詳であるが 出雲國風土記及び延喜式に記された古社で 祭神は当地方開発の祖神であるとともに農耕、延命長寿、結婚、安産、交通安全の守護神として尊崇されている
大正十一年七月由緒古き故を以て「村社」から一躍「県社」に昇格になった
往古は現鎮座地の南、記念碑建立地周辺(地名を元宮と言ふ)が社地であったが貞享元年(1684年)4月現地へ奉遷した「許曽志神社」の案内板より
【境内社】(Other deities within the precincts)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
往古は現鎮座地の南 記念碑建立地周辺(地名を元宮と言ふ)が社地であったが貞享元年(1684年)4月現地へ奉遷した
・許曾志神社〈元宮の跡〉
許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社「許曽志神社(松江市古曽志町)」の 本宮阯〈旧鎮座地〉です 貞享元年(1684年)4月 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座 址地の地名を『元宮』と称すとあり 旧社地は寛大 古木繁茂 馬場の左右に松の並木在りと伝わります
許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)
・許曽志神社
許曾志神社(こそしじんじゃ)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社です 祭神の猿田毘古命(さるたひこのみこと)で 猿田は狭田に通じ 五穀の守り神として国土を開拓した当地の開拓神と伝わり 狭田の国にあって産業の振興に尽くされた神として信仰されてきました
許曽志神社(松江市古曽志町)
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
宍道湖の北岸 松江イングリッシュガーデン前駅から北上約1.5km 車5分程度
「式内社 許曽志神社」が鎮座します
そこから 南方へ300m程の田の中に記念碑が建立されています
許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)に参着
お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
祈りの間 すぐ上の電線に鷹がいて 祈りを終えると飛び立っていきました
神の化身のようでした
背後の松尾山の麓に現社殿「許曽志神社」が見えています
神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『雲陽志(unyo shi)』秋鹿郡 古曽志 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
「許曽志神社」と記され
風土記 延喜式に載たり・・・
縁起に許曽志神社 猿田彦神也 天鈿女命を合祭れり・・・
近江国に在ては 白鬚明神と言て湖水七変して葦原とならむ 道路に在ては道祖神と号し 旅の諸人を守り 此地に坐しては 古曽志大神と号て 里民守護し給う 此の六つの大功あるを以て 六所大明神と云り 此神寿命かぎりなければ 又 白鬚明神ともいう・・・・・ と記しています
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『原文』参照
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』秋鹿郡 にある伝承
意訳
『 許曽志神社
風土記にも同じ古曽志村に在り・・・・・
猿田毘古神を祭るといふ 天鈿女命を併せ祭るともいふ
いづれも信じがたし』
※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『原文』参照
許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社
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出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について