実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

胡禄御子神社(対馬 琴)

胡禄御子神社(ころくみこ じんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座 御祭神は 神功皇后の三韓征伐 出陣伝説で 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時 海中に入って取り上げた 舵取りの「安曇磯武良(あずみいそら)〈御祭神 磯武良いそたけらが 住吉三神とともに祀られています 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の論社として 琴崎(キンザキ)鎮座「胡禄神社」が 胡禄御子神社であるとの説もあります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

胡禄御子神社Korokumiko Shrine)
(ころくみこ じんじゃ)

 [通称名(Common name)]

江戸時代には「郷崎大明神」

【鎮座地 (Location) 

上県郡上対馬町琴字郷の浦3

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》表筒男命Uwatsutsu no ono mikoto)
   中筒男命Nakatsutsu no ono mikoto)
   底筒男命Sokotsutsu no ono mikoto)
   磯武良Iso no takera

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

○ 胡録御子神社 

正月元旦の祭典や厄払い。また旧暦10月の神無月には、御出船(旧暦9月29日)、御入船(旧暦1030日)と言われる行事があり、御入船の翌日(旧暦の11月1日)に祭典が行われている。
琴崎神社と並んで、地区の重要な神社として崇められている。(郷ノ浦)

対馬市役所「地域づくり計画(上対馬町茂木・琴地区)  」より

【由  (History)】

不詳

胡簶御子神社平成2510吉日平成2510吉日」の棟札あり

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・祠1宇  祭神不明

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

『延喜式Engishiki)』に所載の2つの神社の論社となっています

(對馬嶋上縣郡 胡簶神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 胡禄神社(貞)
[ふ り が な ]ころくの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no kamino yashiro)

(對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 胡禄御子神社(貞)
[ふ り が な ]ころくみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no miko no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当神社は『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の論社です

(對馬嶋上縣郡 胡簶神社)

・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

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・胡簶御子神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄御子神社(対馬 琴)

胡禄御子神社(ころくみこ じんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座 御祭神は 神功皇后の三韓征伐 出陣伝説で 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時 海中に入って取り上げた 舵取りの「安曇磯武良(あずみいそら)」〈御祭神 磯武良(いそたけら)〉が 住吉三神とともに祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社として 琴崎(キンザキ)鎮座「胡禄神社」が 胡禄御子神社であるとの説もあります

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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(對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社)

・胡簶御子神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄御子神社(対馬 琴)

胡禄御子神社(ころくみこ じんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座 御祭神は 神功皇后の三韓征伐 出陣伝説で 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時 海中に入って取り上げた 舵取りの「安曇磯武良(あずみいそら)」〈御祭神 磯武良(いそたけら)〉が 住吉三神とともに祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社として 琴崎(キンザキ)鎮座「胡禄神社」が 胡禄御子神社であるとの説もあります

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・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

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・能理刀神社(対馬 芦見)

一緒に読む
能理刀神社(対馬 芦見)

能理刀神社(のりとじんじゃ)は 神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 この地「芦見(アシミ)」で 鷲(ワシ)を見て吉凶を占ったとの伝説があり 故に 鷲見(ワシミ)から葦見(アシミ)へと訛ったとされ 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動の時の仮御所〉の跡で 雷大臣命(イカヅチノオオオミノミコト)の亀卜処で在ったとも伝えます 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社」の論社です

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から R382号を北上 48km 車1時間程度
対馬の北東部にあたる (キン)地区へ向かいます

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(キン)漁港の先 郷の浦に鎮座します

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白い砂利の敷かれた参道に 三重の鳥居が 建っています
胡禄御子神社Korokumiko Shrine)に参着

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一礼をして鳥居をくぐります 扁額には「胡禄御子神社」と刻まれています

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愛嬌のある狛犬が座しています

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殿にすすみます 

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拝殿の中には 賽銭箱が置かれ 拝所には蝋燭なども置かれていました
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿内には 棟札が3枚
「大江神社〈平成5年6月吉日〉」「大江神社〈平成25年10月吉日〉」
胡簶御子神社平成2510吉日平成2510吉日

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拝殿の奥に 幣殿 本殿と続いています

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参道を戻ります
鳥居のすぐ先は 郷の浦の海辺です

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鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼をします

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境内のすぐ右横から
琴崎(キンザキ)にある「胡禄神社」琴崎大明神〉へ通じる山道があります
徒歩にて「胡禄神社」へと向かいます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

神功皇后の航路が記されていて
往路「琴(キン)」が 記されています

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http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

対馬の神々(上縣・下縣)とともに 神階 无〈無〉位から昇叙が記されています
承和4年2月に胡禄御子神(ヤナクイノミコノカミ)
承和8年8月に胡禄神(コロクノカミ)

意訳

承和4年2月甲午朔 戊戌の条

伯耆国(ホウキノクニ)川村郡 无〈無〉位 伯耆神 大山神 国坂神

及び

對馬嶋(ツシマノシマ)の上縣郡(カミツアガタ)の 无〈無〉位
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡禄御子神(ヤナクイノミコノカミ)

下縣郡(シモツアガタ)の无〈無〉位
高御魂住吉神(タカミムスミスミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
多久都神(タクツノカミ)
大調神(ヲオツキノカミ)

並びに 奉(タテマツ)り 従5位下 を授(サズ)く

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意訳

承和8年(841)8月戊戌朔 戊午の条

奉(タテマツ)り 授(サズ)くに

阿波(アワノクニ) 正8位上 天石門和氣八倉比

對馬(ツシマノシマ)
無位 胡禄神(コロクノカミ)

无〈無〉位 平神(タイラノカミ)

並びに 従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下


従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)

並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)

並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

意訳

胡禄(コロク)神社

神階の昇叙・・・承和8年8月・貞観12年3月

信友云う
(武蔵国造風土記)(総国風土記)の荏原郡 赤坂庄 小六天神
或いは 古呂 故に云々 下可に見合う
〇信友 胡禄 やなくいの事あれば 伊奈久比神社も由あるなり

胡禄御子(コロクミコ)神社

神階の昇叙・・・承和4年2月・貞観12年3月

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(jinja kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

現在同様に 
「胡禄御子神社」は 郷の浦(ゴウノウラ)にある神社 
「胡禄神社」は 琴崎(キンザキ)にある神社琴崎大明神しています

 

意訳

神社

録は 夜奈久比(ヤナクイ)と訓ずべし

和名鈔 征戦具 箙(ヤナグイ)仮字の如し 盛[レ]矢器也」とみえ さらに「唐韻云 胡簏(胡鹿二音) 箭室也」としている

祭神 詳(ツマビラカ)ならず
古蹟集云う 少童神
考証 火雷という 今は従わず

〇伊奈郷琴村に在す 
今は 琴崎社と称す 古蹟集 玉勝間

神階の昇叙・・・承和8年8月・貞観12年3月

 

御子神社

御子は 前に同じ

祭神名 詳(ツマビラカ)ならず
 考証 若産霊という 今は従わず

伊奈郷琴村に在す
 今は 郷崎社と称す 玉勝間

神階の昇叙・・・承和4年2月・貞観12年3月

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

所在地ついて 「胡禄神社」「胡禄御子神社」どちらも 琴村 字 琴寄山としています 

意訳

神社

祭神 表津綿積命 中津綿積命 底津綿積命

今 按〈考えるに〉
長崎県式内記に 祭神 綿津見3柱大神とみえ
由緒書に 神功皇后 韓国に幸したまう時 琴崎東沖を過ぎて 御船を繋ぎ給う 御船の碇 海底に沈みつるを以って 舵取りの安曇磯武良(アズミイソラ)海中に入りて 碇を取り上げると云う 今の祭場は 皇后の行宮(アングウ)跡なりと云える
安曇磯武良(アズミイソラ)は 安曇磯良など八幡愚董訓の類にみえたる同人と聞こえ この人 名古書にはみあたらねど 海神の末裔にて皇后の御時に舟舵に功ありし人なりけんを 誤り伝えたるものなるべし
さて 思うに この人の名を伝えて 祭神 綿津見神と云うは由あるべし
されど 神社にこの神を祭れる由縁 詳(ツマビラカ)ならず
故に 今は 姑く 社伝に従う

神位 神階の昇叙・・・承和8年8月・貞観12年3月

祭日 1月7日
社格 村社
所在 琴村 字 琴寄山

 

御子神社

祭神 表筒男命 中筒男命 底筒男命

今 按〈考えるに〉
長崎県式内記に 祭神 豊玉昆売命 表筒男命 中筒男命 底筒男命とあれども もとは住吉3柱神なるを 御子神社とあるに依りて 豊玉昆売を加えたる由なれば 従いがたし

住吉3柱神を祭ると云うは 神功皇后の祭りたまう処と云い伝わるのみにて 確証なければ疑わしきに似たれど 姑く 社説に従いて記せり

神位 神階の昇叙・・・承和4年2月・貞観12年3月

祭日 3月3日
社格 村社
所在 長崎県 琴村 字 琴寄山 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

胡禄御子神社Korokumiko Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

一緒に読む
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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