実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良イソタケラ〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

胡禄神社Koroku Shrine)
(ころくじんじゃ)or(やなくい)or(しこ)

 [通称名(Common name)]

琴崎大明神

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市上対馬町琴1

 [  (Google Map)]

[blogcardurl="https://www.google.com/maps/place/%E8%83%A1%E7%B0%B6(%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%AF)%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@34.5545864,129.4686761,17.36z/data=!4m11!1m5!8m4!1e2!2s103000322469529635115!3m1!1e1!3m4!1s0x3569a538f31a5a07"]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》表津少童命(Uwatsu watatsumi no mikoto)
   中津少童命Nakatsu watatsumi no mikoto)
   底津少童命Sokotsu watatsumi no mikoto)
   太田命Owota no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

○ 琴崎神社(胡録神社)

琴地区郷ノ浦から、山道を歩いて20分程の海岸線に鳥居を構え、階段で山へ上がったところに神社がある。海から船で見る景色は、荘厳で神秘的であり、旧暦の33日に祭典が執り行われ、誕生後、初めて祭典を迎える子は、親や祖父母に抱かれて、お参りする慣わしが今も続いている。

1回の祭典の準備は、地区世帯を2つに分けて、各世帯1人以上の参加と、地区消防団も加わって、神社や参道の清掃、草刈り、しめ縄づくりと設置、旗立を交互に行っている。

祭典後に、家・船・身・交通安全のお守りが販売され、地区民の1年間の健康と安全を守ってくれている。

対馬市役所「地域づくり計画(上対馬町茂木・琴地区) 」より

【由  (History)】

不詳

海神 イソラ

【日本神話】
イソラ(磯良)は、志賀島(しかのしま。福岡県)を拠点とした古代の海洋民族・安曇(あずみ)氏の祖神です。記紀には登場しませんが、中世の「太平記」では、海底に棲む精霊として描かれ、神功皇后の三韓出征の際に招かれたものの、海藻や貝が顔にはりついて醜いことを恥じて現れず、住吉の神が舞を奏したところそれに応じて参上し、神功皇后の水先案内を務めたとされています。

【対馬の伝承・異伝】
イソラは豊玉姫の子とされ、ウガヤフキアエズと同一視されています。
和多都美神社(番号63)の社殿前の干潟には、亀のウロコのような亀裂があるイソラエベス(磯良夷)と呼ばれる霊石が祭られています。
 また、神功皇后の出征に関連し、厳原町阿須(あず)で皇后を出迎えたとか、上対馬町琴(きん)・琴崎沖で沈んだ碇を潜水して取りもどした、損傷した船の傷口に大きなアワビを貼りつけて応急処置した、上対馬町五根緒(ごねお)に上陸した、などの伝承があります。
 琴崎は海神にまつわる伝承が色濃く、海底には「竜宮の門」があり、亀に乗ったイソラがその門を出入りするとか、琴崎大明神(=胡禄神社、番号124)の御神体は海神の祭日である3月3日に、巫女が磯ですくいあげた金色の小蛇だとされています。

胡禄神社 ころくじんじゃ

 胡禄神社の鳥居は海に向いて立ち並び、眼前には対馬海峡の大海原が広がり、対馬の原始的な海神信仰の雰囲気を今に伝えています。神島である黒島様とのケンカの際、竹を投げつけたので竹が無く、松が残ったという伝説があります。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』に所載の3つの神社の論社となっています

(對馬嶋 上縣郡 胡禄神社)
(對馬嶋 上縣郡 胡禄御子神社)
(對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大)

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Myojin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

和多都美御子神社 一座  と記されています

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

(對馬嶋 上縣郡 胡簶神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 胡禄神社(貞)
[ふ り が な ]ころくの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no kamino yashiro)

(對馬嶋 上縣郡 胡簶御子神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 胡禄御子神社(貞)
[ふ り が な ]ころくみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no miko no kamino yashiro)

(對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 和多都美御子神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]わたつみみこの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]Watatsumi no miko no kamino yashiro)(Myojin dai)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当神社は『延喜式Engishiki)』に所載の3つの神社の論社となっています
それぞれの論社をご紹介します

(對馬嶋 上縣郡 胡禄神社)

・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

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・胡簶御子神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄御子神社(対馬 琴)

胡禄御子神社(ころくみこ じんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座 御祭神は 神功皇后の三韓征伐 出陣伝説で 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時 海中に入って取り上げた 舵取りの「安曇磯武良(あずみいそら)」〈御祭神 磯武良(いそたけら)〉が 住吉三神とともに祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社として 琴崎(キンザキ)鎮座「胡禄神社」が 胡禄御子神社であるとの説もあります

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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(對馬嶋 上縣郡 胡禄御子神社)

・胡簶御子神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄御子神社(対馬 琴)

胡禄御子神社(ころくみこ じんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座 御祭神は 神功皇后の三韓征伐 出陣伝説で 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時 海中に入って取り上げた 舵取りの「安曇磯武良(あずみいそら)」〈御祭神 磯武良(いそたけら)〉が 住吉三神とともに祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社として 琴崎(キンザキ)鎮座「胡禄神社」が 胡禄御子神社であるとの説もあります

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・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

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・能理刀神社(対馬 芦見)

一緒に読む
能理刀神社(対馬 芦見)

能理刀神社(のりとじんじゃ)は 神宮皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の時 この地「芦見(アシミ)」で 鷲(ワシ)を見て吉凶を占ったとの伝説があり 故に 鷲見(ワシミ)から葦見(アシミ)へと訛ったとされ 境内社の「仮殿神社」は その時の行宮(アングウ)〈天皇・皇后が外出移動の時の仮御所〉の跡で 雷大臣命(イカヅチノオオオミノミコト)の亀卜処で在ったとも伝えます 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社」の論社です

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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(對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社 名神大)

・和多都美御子神社(対馬 仁位)

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和多都美御子神社(対馬 仁位)

和多都美御子神社(わたつみみこじんじゃ)は 承和7年(840)11月 に官社となり 927年12月編纂『延喜式神名帳』には「名神大」として所載される古社です 貞和5年(1349)大宰府より天満宮を勧請し合祀して「天神宮」と称していたので 明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども 和多都美としての由緒は無いとしています

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・和多都美神社(対馬 仁位)

一緒に読む
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉

和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります

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・胡簶神社(対馬 琴)

一緒に読む
胡禄神社(対馬 琴)

胡禄神社(ころくじんじゃ)は 琴(キン)地区に鎮座し 伝説では 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐への出陣の際 琴崎東沖を過ぎて 御船の碇が海底に沈んだ時に 舵取りの「安曇磯武良(アズミイソラ)」=〈御祭神 磯武良(イソタケラ)〉が 海中に入って 御船の碇を取り上げたと伝わります まさしく海神(わたつみのかみ)を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 「胡禄御子神社」或いは「和多都美御子神社」であるとの説もあります

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・海神神社(対馬 木坂)

一緒に読む
海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

胡禄御子神社Korokumiko Shrine)右横から山道を1km弱 徒歩20~30分程度

胡禄御子神社Korokumiko Shrine)境内の右側の森の中へ入ると道があります

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そのまま進むと山道になります

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途中分岐点があり 立札「琴崎遊歩道 平成23年度改修」があります 直進は琴崎灯台へ  左折して〈車両止めのロープが掛かっています〉 琴崎へ向かえば「胡禄神社Koroku Shrine)」です

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道幅は少し狭まり 猪の足跡だらけの道を進みます

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暫くすると 森が明るくなり 「琴崎神社200m」の立札 視界が開け 右手の森の先に海が見えます

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道の先に鳥居が見えてきます

胡禄神社Koroku Shrine)に参着

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いきなり 社殿の前に出てしまいます 鳥居は 海に向かって下りる階段があり そちらに建っています
軽く 社殿に一礼をして 階段の下から お詣りを始めようと階段を下ります

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海を見下ろしながら 下りる参道に鳥居が建ち 絶景です

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海岸に降りると ちょうど干潮で岩場まで下りることが出来ました
満潮なら 一番下の鳥居の足元まで海水が満ちるようです 満潮だと船での上陸も難しそうです
しかし 下から見上げた 鳥居も中々見事です

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とても澄んだ穏やかな海でしたので 暫く呆然と海岸でたたずんでいました 島の東海岸ですので この海の先は 山口県辺りであろうと思います
短い動画をUPします

それでは 一礼をして鳥居をくぐり 階段を上ります

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途中の鳥居の扁額には「琴崎大明神」と刻まれています

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次の鳥居の扁額には「胡禄神社」とあります

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最後の鳥居をくぐり 拝殿にすすみます 

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神紋は「桐紋」
「目結紋(メユイモン)」〈佐々木氏の家紋です〉

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿内には 「奉祝 御大典記念 平成2年11月吉日」
棟札2枚「胡禄神社 社庭 平成5年4月吉日」「琴崎神社 拝殿屋根替工事 昭和62年2月8日」が有ります

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拝殿から出ると 海へ繋がる参道と階段を見ながら 境内を元の道に戻ります

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胡禄御子神社Korokumiko Shrine)境内戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

神功皇后の航路が記されていて

往路に「琴(キン)」が 記されています

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http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

対馬の神々(上縣・下縣)とともに 神階 无〈無〉位から昇叙が記されています
承和4年2月に「胡禄御子神(ヤナクイノミコノカミ)
承和8年8月に「胡禄神(コロクノカミ)

意訳

承和4年(837)2月甲午朔 戊戌の条

伯耆国(ホウキノクニ)川村郡 无〈無〉位 伯耆神 大山神 国坂神
及び

對馬嶋(ツシマノシマ)の上縣郡(カミツアガタ)の 无〈無〉位

和多都美神(ワタツミノカミ)
胡禄御子神(ヤナクイノミコノカミ)

下縣郡(シモツアガタ)の无〈無〉位

高御魂住吉神(タカミムスミスミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
多久都神(タクツノカミ)
大調神(ヲオツキノカミ)

並びに 奉(タテマツ)り 従5位下 を授(サズ)く

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意訳

承和8年(841)8月戊戌朔 戊午の条

奉(タテマツ)り 授(サズ)くに

阿波国(アワノクニ) 正8位上 天石門和氣八倉比

對馬嶋(ツシマノシマ)
無位 胡禄神(コロクノカミ)

无〈無〉位 平神(タイラノカミ)

並びに 従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下


従5位上 

和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)

並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 

『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

意訳

胡禄(コロク)神社

神階の昇叙・・・承和8年8月・貞観12年3月

〇信友云う
(武蔵国造風土記)(総国風土記)の荏原郡 赤坂庄 小六天神
或いは 古呂 故に云々 下可に見合う
〇信友 胡禄 やなくいの事あれば 伊奈久比神社も由あるなり

胡禄御子(コロクミコ)神社

神階の昇叙・・・承和4年2月・貞観12年3月

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(jinja kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

現在と同様に 
「胡禄御子神社」は 郷の浦(ゴウノウラ)にある神社 
「胡禄神社」は 琴崎(キンザキ)にある神社琴崎大明神しています

意訳

胡録神社

胡録は 夜奈久比(ヤナクイ)と訓ずべし

和名鈔 征戦具 箙(ヤナグイ)仮字の如し 盛[レ]矢器也」とみえ さらに「唐韻云 胡簏(胡鹿二音) 箭室也」としている

〇祭神 詳(ツマビラカ)ならず
古蹟集云う 少童神
考証 火雷という 今は従わず

〇伊奈郷琴村に在す 
今は 琴崎社と称す 古蹟集 玉勝間

神階の昇叙・・・承和8年8月・貞観12年3月

胡録御子神社

胡録御子は 前に同じ

〇祭神名 詳(ツマビラカ)ならず
考証 若産霊という 今は従わず

〇伊奈郷琴村に在す
 今は 郷崎社と称す 玉勝間

神階の昇叙・・・承和4年2月・貞観12年3月

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

所在地について 「胡禄神社」「胡禄御子神社」のどちらも 琴村 字 琴寄山としています 

 

意訳

胡録神社

祭神 表津綿積命 中津綿積命 底津綿積命

今 按〈考えるに〉
長崎県式内記に 祭神 綿津見3柱大神とみえ
由緒書に 神功皇后 韓国に幸したまう時 琴崎東沖を過ぎて 御船を繋ぎ給う 御船の碇 海底に沈みつるを以って 舵取りの安曇磯武良(アズミイソラ)海中に入りて 碇を取り上げると云う 今の祭場は 皇后の行宮(アングウ)跡なりと云える
安曇磯武良(アズミイソラ)は 安曇磯良など八幡愚董訓の類にみえたる同人と聞こえ この人 名古書にはみあたらねど 海神の末裔にて皇后の御時に舟舵に功ありし人なりけんを 誤り伝えたるものなるべし
さて 思うに この人の名を伝えて 祭神 綿津見神と云うは由あるべし
されど 胡録神社にこの神を祭れる由縁 詳(ツマビラカ)ならず
故に 今は 姑く 社伝に従う

神位 神階の昇叙・・・承和8年8月・貞観12年3月

祭日 1月7日
社格 村社
所在 琴村 字 琴寄山

胡録御子神社

祭神 表筒男命 中筒男命 底筒男命

今 按〈考えるに〉
長崎県式内記に 祭神 豊玉昆売命 表筒男命 中筒男命 底筒男命とあれども もとは住吉3柱神なるを 胡録御子神社とあるに依りて 豊玉昆売を加えたる由なれば 従いがたし

住吉3柱神を祭ると云うは 神功皇后の祭りたまう処と云い伝わるのみにて 確証なければ疑わしきに似たれど 姑く 社説に従いて記せり

神位 神階の昇叙・・・承和4年2月・貞観12年3月

祭日 3月3日
社格 村社
所在 長崎県 琴村 字 琴寄山 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

胡禄神社Koroku Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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