虎狛神社(こはくじんじゃ)は 今から1430年以上前の崇峻天皇2年(589年)8月に創建され 農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされ祭事が始まったと伝えられています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社(とらかしはの かみのやしろ)」の論社の一つです
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
虎狛神社(Kohaku Shrine)
(こはくじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
東京都調布市佐須町1-14-3
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大歳御祖神(Ohotoshimioya no kami)
《合》稲蒼魂命(Uanomitama no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
第32代 崇峻天皇2年(589年)8月に創建
【由 緒 (History)】
虎狛神社
虎狛神社は、今から1425年前の崇峻天皇2年(589年)8月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられています。
爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっております。
後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀され、江戸末までは、虎狛山 祇園寺の別当が、神事を司っておりました。
尚 地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする「神明宮」、晃華学園南西角には、「里の稲荷」別名「樫ノ木稲荷」があり、これらも神社の氏子によって守られてきました。
延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には 武蔵国の式内社44座、多摩郡8座の一つとしての記録があります。
現在の社殿は 天和3年(1683年)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成24年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた3枚の棟札が調布市文化財の指定を受けました。樹齢数百年ともいわれた「黒松の大木」は昭和39九年(1964年)に「東京都の天然記念物」の指定を受け、生え際近くでは太さ2.3×2.4m、高さ約30mで、都内では三本の指に数えられる松の大木でした。しかし落雷等の被害もあり、残念ながら平成8年には、枯死してしまいました。
文政11年(1828年)には 神社正面入り口に石造りの大鳥居が、また参道右側には、高さ1.8mもある巨大な「佐須郡虎狛神社の碑」が建立されました。
碑文は、当時の名主温井義邦の撰によるもので、神社の名称の由来、歴史、「里の稲荷」等にについても詳細に記されています。
現在のような輸送手段がない当時としては、驚くべき大きさであり、極めて貴重な文化財です。
拝殿が いつ建立されたかについての詳細な記録はありませんが、文化12年(1815年)に社殿の修理が地元の職人によってなされた記録があります。
その後 大正8年(1919年)に遷座式が行われた時にも改修されたようです。
それから約百年が経過した平成24年(2012年)、本殿が文化財の指定を受けたことを機に、拝殿屋根、社殿の覆い屋、幣殿、そして手水舎の改修、新築工事に着手、平成26年(2014年)11月に完了しました。宗教法人 虎狛神社 平成27年1月吉日
境内掲示板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・稲荷神社
・佐須神明宮
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 虎柏神社
[ふ り が な ](とらかしはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Torakashiha no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の2つの論社について
「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の2つの論社の祭神は 共に大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)を祀っています
一方の調布市の虎狛(こはく)神社は 延喜式の写本が「狛むの字を「柏」に写し間違えたものとの説により 論社となっています
・虎狛神社(調布市佐須町)
虎狛神社(こはくじんじゃ)は 今から1430年以上前の崇峻天皇2年(589年)8月に創建され 農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされ祭事が始まったと伝えられています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社(とらかしはの かみのやしろ)」の論社の一つです
虎狛神社(調布市佐須町)
・虎柏神社(青梅市根ヶ布)
虎柏神社(とらかしわじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の論社です 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代に勅祭され これを創建とします 天慶3年(940)に平将門征伐の源経基が 相殿に諏訪神社を勧請し 天正18年(1590)木村常陸介 浅野弾正少弼が 当社の由来を記したとされます
虎柏神社(青梅市根ヶ布)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京王線 布田駅から 三鷹通りを北上 約1.6km 車10分程度
途中 野川に架かる榎橋を渡り左折 佐須街道に面して 鎮座しています
虎狛神社(Kohaku Shrine)に参着
龍神が刻まれた扁額の文字は「虎狛神社」とあり 一礼をして鳥居をくぐります
石畳の参道には 味のある狛犬が座し 右手に手水舎が建っています その横には 郷社由緒石碑〈難解な漢文体〉「狛江郷社 佐須邨 虎狛神社」が並びます
拝殿にすすみます 拝殿には虎の彫刻が施されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
市指定有形文化財(建造物)
虎狛神社本殿(こはくじんじゃ)附(つけたり)棟札三枚(むなふださんまい)
所在地 佐須町1丁目14番地3
指 定 平成24年3月30日拝殿の奥に位置する本殿は、天和(てんわ)3年(1683)に建立されたもので、市内では深大寺の深沙大王堂内宮殿(じんじゃだいおうどうないくうでん)に次いで古い建造物です。建築形式は、一間社流造(いちげんしゃながれづく)りの見世棚造(みせだなづく)りと呼ばれるもので、正面と側面に疑宝珠高欄(ぎぼしこうらん)付の切目縁(きりめえん)をめぐらせ、向拝(こうはい)には五段の木階と浜縁(はまえん)が設けられています。屋根は銅板葺ですが、当初は茅葺であったことが棟札から明らかになりました。
江戸時代初期の建築技法をよくとどめた建造物で、極めて高度な技量がうかがえます。小屋裏に収蔵された棟札から、願主貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工柏崎佐太郎などにより建立され、文化(ぶんか)12年(1815)に地元の大工によって修復されたことが判り、地域の歴史を知るうえでも重要な建造物です。
平成24年11月30日 調布市教育委員会
境内掲示板より
本殿は 覆屋に囲われているので拝見出来ませんが 社殿の全体像です
参道を戻り 振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
創建は 第10代 崇神天皇2年己酉8月として
祭神は 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)
論社として 現在と同じく2か所「・調布市佐須町・青梅市根ヶ布」をあげて記しています
【意訳】
虎柏(トラガシハ)神社
捴風
虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之
〇阿波国 賀志波比賣神社地考 佐津村の内にあり この辺りを柏ノ里と云う 古木多し
式考 根筒布村にあり 村山より3里 西の方
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
現在の虎珀(コハク)ではなく 虎柏(トラカシハ)神社として記載
江戸時代には 御神体も失くし 祭祀も一旦途絶えていたと記し 佐須村の祇園寺に管理されていた神社で 延喜式の虎柏神社と伝わっている社である
式内社の論社には 現在の青梅市根ヶ布にも論社があるがなんでそうなっているのかわからないと記しています
【意訳】
巻之94 多磨郡之6 三田領 佐須村(サスムラ)神社 の条
虎柏神社
社地二段餘 二間半四方の覆屋 是 式内の虎柏神社なりといふ
風土記に 虎柏に作り 圭田七十三束 所祭 大歳御祖神也 崇峻天皇二年乙寅酉八月 始祭事有之と載せたり
社地は 村の北にありて 深大寺村内 難波田弾正の壘跡の南に當れり そのかみ大手門當社の大門と相向ひしといへり
村内に宮田耕地といふ所あり 是 古へ圭田の遺跡なるべしなど土人いへり
後世 衰微して神體もなく 祭祀も 十年前までは 毎年八月十五日に行れしが 廃絶して久しく 其 沙汰なし 近年に及て 漸く地頭の寄附によりて 九月十三日神楽を執行すといふ
村内 祇園寺 古へ當社の別當なりといふ 今に尚その寺の持なり當郡 根ヶ布村に諏訪明神あり 社傳に式内 虎柏神社なりといふ いまだ何が是なることを知らず
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=
『江戸名所図会(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉に記される伝承
深大寺縁起(ジンダイジエンギ)から 満功(マンコウ)上人の祖母(ソフ)「虎(トラ)」の名と 祖父(ソフ)の住んでいた「柏野(カシワノ)」に里の名とにより 佐須村の旧名「狛野の里」が名付けられたと紹介し 社名「虎狛」の起源を記しています
【意訳】
巻3 天璣之部より
虎柏神社(とらかしはのじんじゃ)
同所の北の方 10丁計(バカリ)を隔(ヘダ)てて佐須村(サスムラ)あり
佐須を古(イニシエ) 当社の神主(カンヌシ)の姓(セイ)なりしを 後(ノチ)地名と呼ぶこととなり 今も その遠裔(トウエイ)この地の里正(リセイ)ゆゆしく連綿(レンメン)なり聳(ソビエ)より 9月13日を以って 祭祀(サイシ)の辰(シン)とす
武蔵国風土記に曰く
武蔵国 多摩郡 虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之 云々延喜式神名記曰く 武蔵国 多摩郡 虎柏神社 云々
虎柏神社 云云
按ふ 深大寺縁起(ジンダイジエンギ)に
満功(マンコウ)上人の祖母(ソフ)「虎(トラ)」と 祖父(ソフ)の住まいし「柏野(カシワノ)」に里の名とふよりあり 虎柏(トラカシハ)の神社(ジンジャ)ありといへるは その是非(ゼヒ)を志しに 柏字の古い犬子従い 狛は作っているを 後世 字形あ以ること 以って 今は木に従い柏誤るといえん歟
又 当社の南にある所の耕田は 古社領なりしとて 今も 宮田と称へたり
風土記に 奉る 73束(ソク)の圭田(ケイデン)こりれなりん歟
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『江戸名所図会』選者:斎藤長秋/画家:長谷川雪旦 20冊 刊本(後修)天保05年~刊本(後修),天保07年 旧蔵者 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002802&ID=M2017051812072139297&TYPE=&NO=
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
祭神を大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)とし 所在は 現在の青梅市根ヶ布を比定していますが 参考として 現在の調布市佐須町にも論社があると記しています
【意訳】
虎柏神社
虎柏は 登良加志波と訓ずべし
〇祭神 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)風土記
〇小曽木郷 根箇布村に在す 地名記 今 諏訪明神と称す 郷中の惣社なり
〇惣国風土記 七十七残欠云う
武蔵国 多摩郡 虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之
古松軒の筆記には 佐須村に至りての小社あり 虎柏神社と称す また同村に 虎柏山祇園寺と云うもあるよし見えたり
社領 当代 御朱印高3石
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社の虎柏神社として 祭神は どの説も証がなく不詳とし 所在については 現在と同じく2か所「・調布市佐須町・青梅市根ヶ布」ですが 調布市佐須町に軍配を上げて 比定して記しています
【意訳】
虎柏神社
祭神
今 按〈考えるに〉
社伝 祭神 大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)とあるは 総國風土記の説なれば従いがたし
又 武蔵演露に 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)とあれど明証なし 姑附て考に備ふ祭日 9月13日
社格 郷社
所在 (北多摩郡佐須村にあり)
今 按〈考えるに〉一説に根ヶ布村 高峯山に虎柏神社ありと云えど 証なければ信じがたし
武蔵演露に 虎柏神社 今 虎柏大明神と云う 佐津村の内なり この辺りを柏ノ里とす この村に虎柏山祇園寺あり 当社の別當歟 と云えるは由縁あり 佐津は佐須の訛なるべし この虎柏山の号にても 虎柏神社の この村にある証とすべし故 今これに従う
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
式内社 虎柏神社の論社として 現在と同じく2か所「・調布市佐須町・青梅市根ヶ布」をあげていますが どちらとも決め難いので 後考を待つと記しています
【意訳】
東京府 武蔵国 西多摩郡 霞村 大字 根ヶ布 字 後澤
郷社 虎柏(トラカシハノ)神社
祭神 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)惶根神(カシコネノカミ)
相殿 建南方命(タケミナカタノミコト)事代主命(コトシロヌシノミコト)
素盞嗚尊(スサノヲノミコト)
社伝によれば 崇神天皇 御宇 勅祭せられしが 後 天慶3年経基再び造営すと
惣国風土記 残欠に「武蔵国 多摩郡 虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之」と見ゆ
祭神につき特選神名帳に「今 按〈考えるに〉社伝 祭神 大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)とあるは 総國風土記の説なれば従いがたし 又 武蔵演露に 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)とあれど明証なし 云々」と姑く附して参考に備ふ 相殿 諏訪神社は 天慶年間 源経基の創基ありしを 天正18年 木村常陸介 浅野弾正少弼 当社の由来を記し 諏訪上下の神を祭るといふ然るに式内 虎柏神社につき
新編武蔵風土記稿は左の如く述べたり 云く
「諏訪明神社(スワミョウジンノヤシロ)
虎柏神社 高峯神社を相殿に祭る 諏訪明神社 領三石の御朱印を附せらる
本社 三間に一間 拝殿 三間に一間半 前に鳥居を建つ
吉田派の神職 宮崎左近 持 社傳に延喜式の内 虎柏神社は 當社のことにして 祭神 進雄尊(スサノヲノミコト)なりと云 いつの頃よりか 諏訪明神を以て 通稱とし 虎柏の名は 古名とのみ 心得 幷せて 三神鎮座の由来をも失へり 今 小曾木郷の總社とす 云々」然るに同郡 柏江郷 佐須村にも 又 虎柏神社ありて これも式内なりと称し その何れか定かならず由を云えり
即ち
武蔵地名考 四神地名録 山吹日記 神祇志料も佐須の社を以って 式内なりとなし
神社覈録は地名記を引きて 根箇布村の社これなりとなす 姑く記して後考えを俟つ
明治6年11月 郷社に列せらる
社殿は 本殿 拝殿及び神門 水屋等を具へ
境内 2209坪(官有地第一種)あり境内神社
高峯山(タカミネヤマノ)神社
稲荷(イナリノ)神社
藤原(フジハラノ)神社祭日 8月28日
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2
虎狛神社(Kohaku Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る
武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について