『記紀神話(ききしんわ)』「天孫降臨(てんそんこうりん)の段」には 邇々杵尊(ににぎのみこと)が 笠紗御前(かささのみさき)で 大山津見神(おほやまつみのかみ)の女(むすめ)木花之佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)と出逢い 結婚 妊娠 出産についての伝承が語られています その舞台は日向國(現 宮崎県)です
〈神宮徴古館の代表的な収蔵作品〉『天孫降臨』作者 狩野探道https://museum.isejingu.or.jp/news/6u8fhebb.html
『記紀神話』にある 邇々杵尊〔邇邇藝能命〕と木花之開耶姫〔木花之佐久夜毘賣〕の神話について
最初に『記紀神話』天孫降臨の段で「天孫降臨された邇邇芸命(ににぎのみこと)が 笠紗御前(かささのみさき)で 大山津見神(おほやまつみのかみ)の女(むすめ)木花之佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)と出逢い 結婚 妊娠 出産の話」が載せらていますので 見てみましょう
『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
【抜粋意訳】
〈神阿多都比賣(かむあたつひめ)との出逢い〉
さて 天津日高日子番能邇邇藝能命〔ににぎのみこと〕は 笠紗御前(かささのみさき)において 麗しき美人に お遇(あ)いになられた
そこで「誰の女(むすめ)であるか」と問ひたまい 答えて言うには
「大山津見神(おほやまつみのかみ)の女(むすめ)名は 神阿多都比賣(かむあたつひめ)と申します〔この神の名は音を以て〕亦名(またのな)を木花之佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)と謂います〔此の五字は音なり〕」と申されましたまた問われて云われるには
「汝(なんじ)に兄弟姉妹はあるのか」と答えて云うには
「我が姉〔石長比賣(いわながひめ)〕がおります」と云うそこで 詔りたまわれた
「吾〔私は〕汝(なんじ)に目合はむ(夫婦になる)と欲しています 奈何〔いかがでしょうか〕」と答へ申すに
「僕〔私〕は申し上げられません 僕〔私〕の父 大山津見神(おほやまつみのかみ)が申し上げることでしょう」と申された故に その父 大山津見神を乞ひ〔求め〕遣われた時
大いに歓ばれ その姉 石長比賣を副(そえて) 百取机代の物〔多くの獻上物〕を持たせて奉(たてまつり)出されたところが
その姉は 甚だ凶醜〔容姿が醜かった〕であったので 因(よ)りて 見畏みて〔見て驚き〕返し遣はされ〔送り返した〕
唯その弟〔妹〕木花之佐久夜毘賣を留めて 一宿を以て婚と為したまひき〔一夜を共にして夫婦とされた〕しかるに
大山津見神 石長比賣を返されたるに因(よ)りて 大いに恥ぢ 言葉を添えて申し送った
「我が女(むすめ)二人を並び立て 奉(たてまつり)ました理由は 石長比賣により 天神の御子(あまつかみのみこ)の命(いのち)は 雨零り風吹くとも 常に石の如(ごとく)常堅(つねにかたく)動かず坐(ましまし)と欲〔ほつした〕ればこそです
亦(また)木花之佐久夜毘賣により 木花(このはな)の栄(さかえ)るが如(ごとく)栄え坐(ましまし)と 宇気比(誓いをたてて)て貢進したのです
これ
石長比賣を返し 独(ひとり)木花之佐久夜毘賣のみを留(とめ)たまわれた
故(ゆえ)に
天神の御子(あまつかみのみこ)の御寿〔寿命〕は 木花の阿摩比の微く坐すなり〔木の花のように はかないものとなってしまった〕」と申した故(ゆえ)是を以て〔これによって〕
今に至るまで 天皇(すめらみこと)の命等の御命〔御寿命〕は 長くないのですかくして後に
木花之佐久夜毘賣 参(まいり)出(いでて)申された
「妾〔私〕は 妊み身〔妊娠〕にして 今まさに産む時〔出産〕に臨(のぞみ)ます これ天神の御子(あまつかみのみこ)の御子です 私には勝手には産むことは出来ません 故(ゆえ)に請ふ〔申し上げます〕」と云うそこで申されるには
「佐久夜毘賣よ 一宿にして妊めるは 是れ我が子に非ず〔一夜で身ごもるとは、私の子ではあるまい〕必ず 国つ神の子ならむ〔国つ神の子であろう〕」とそこで答え申し上げるに
「吾〔私〕が妊める子〔妊娠している子〕が 若(もし)国つ神の子ならば 產不幸〔無事には産めないでしょう〕
若(もし)天神の御子(あまつかみのみこ)の御子ならば 幸〔無事に出産〕するでしょう」とすなわち
戸のない 八尋殿〔大きな屋敷〕を作り その殿の内〔中〕に入り 土を以て塗(ぬり)塞(ふさぎ)て 方産む時に及びて〔出産におよばれた時〕その殿に火をつけて産みき〔出産された〕故(ゆえ)
その火盛りに焼く時に 生みませる子の名を 火照命(ほでりのみこと)と名づく〔これは隼人阿多君の祖なり〕次に生みませる子の名を 火須勢理命(ほすせりのみこと)といふ〔須勢理の三字は音なり〕
次に生みませる子の御名を 火遠理命(ほをりのみこと)といひ
亦名(またのな)を 天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)と申す此の三柱なり
【原文参照】
『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承
『日本書紀』には 本文の他に 一書(ある伝え)として 幾つかの異伝が載せられています
【抜粋意訳】
天孫降臨段〔第九段〕〈本文〉
天孫降臨段〔第九段〕〈本文〉
そのときに
高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は 皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこ ひこほのににぎのみこと)を 真床追衾(まどこおいぶすま)で包み 地上へ降らせた皇孫は 天磐座(あまのいわくら)を離れられた〔天磐座とは 阿麻能以簸矩羅(あまのいはくら)という〕
そして
天の八重雲(あまのやへぐも)を押し分け 神威の満ちた道を幾重にも切り分けながら 日向(ひゅうが)の襲(そ)の高千穂の峰(たかちほのみね)へ天降(あまくだ)られたその後
皇孫が巡り歩かれた様子というのは 槵日(くしひ)の二上(ふたかみ)から 天の浮橋(あめのうきはし)に立ち 浮渚のある海岸近くの平らな場所に立たれた
〔この「浮渚のある平地」を 羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志(うきじまりたひらにたたし))という〕そして
「膂宍(そしし)の空国(むなのくに)」を 頓丘(ひたを)から国を探し求めて進まれた
〔頓丘は毗陀烏(ひだお)といい 覓國を探し求めることを矩貳磨儀(くにまぎ)といい 行去ことを騰褒屢(とおる)という〕こうして
吾田( あた )の長屋の笠狭の岬 ( かささのみさき)に到着されたその地に一人の人物がいて
自らを事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と名乗っていた皇孫が
「この地に国はあるのか」と尋ねるとその者は
「ここに国はございます どうぞご自由にお過ごしください」と答えたそこで皇孫は
そこに留まり住まわれたその国に一人の美しい女性がいた
名を鹿葦津姫(かしつひめ)といい また神吾田津姫(かむあたつひめ)さらに 木花之開耶姫(このはなさくやひめ)とも呼ばれていた皇孫が
「あなたは誰の娘か」と尋ねると姫は
「私は天神(あまつかみ)が 大山祇神(おほやまつみのかみ)を娶ってお生みになった子です」と答えた皇孫はその姫を寵愛され
すると一夜にして身ごもったしかし
皇孫はこれを信じず
「たとえ天神(あまつかみ)であっても どうして一夜のうちに人を身ごもらせることができようか あなたが宿している子は 私の子ではあるまい」と言われたこれを聞いた
鹿葦津姫(かしつひめ)は 激しく憤り 入口のない産屋(無戸室)を造り その中に籠(こもり)て誓った「もし私が身ごもっている子が天孫の血を引かない者なら 必ず焼け死にましょう
しかし 本当に天孫の御子であるならば 火も害することはできないでしょう」そう言って火を放ち 産屋を焼いた
すると
最初に
煙の立ちのぼる中から生まれ出た子を 火闌降命(ほのすそりのみこと)と名づけた
〔この神が 隼人たちの祖である 火闌降(ほのすそり)とは 褒能須素里(ほのすそり)という意味である〕次に
熱を避けるようにして生まれ出た子を 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と名づけたさらに次に
生まれた子を 火明命(ほあかりのみこと)と名づけた
〔この神が 尾張連らの祖である〕合わせて三柱の御子であった
その後しばらくして
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこ ひこほのににぎのみこと)は 崩御され 筑紫の日向の可愛(え)の山陵に葬られた
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
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【抜粋意訳】
天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第二)(第三)
天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第二)
そこで
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこ ほのににぎのみこと)は 日向の槵日(くしひ)の高千穂の峰(たかちほのみね)に降臨されたそして
「膂宍(そしし)胸副国(むなそうくに)」を 頓丘(ひだお)から国を探し求めながら進み 浮渚のある平らな地に立たれたそこで
国主の事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)を召して訪ねられた国主は答えて言った
「ここには国がございます 治めるも捨てるも すべてご命令のままです」そこで
皇孫は宮殿を建て そこを住まいとして過ごされたその後
海辺へお出ましになり 一人の美しい女性をご覧になった皇孫が
「あなたは誰の娘か」とお尋ねになると女性は答えた
「私は大山祇神(おほやまつみのかみ)の娘で 名を神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)と申します また 木花開耶姫(このはなさくやひめ)とも呼ばれます」さらに言った
「私には姉の 磐長姫(いわながひめ)がおります」皇孫は言われた
「あなたを妻にしたいが どうだろうか」姫は答えた
「私の父は大山祇神です どうか父にお尋ねください」そこで皇孫が大山祇神に
「あなたの娘を見て 妻にしたいと思う」と伝えると大山祇神は
二人の娘を差し出し 多くの飲食物を添えて献上したしかし
皇孫は 姉の磐長姫は醜いとして受け入れず 妹の木花開耶姫は美しいとして迎え 共に過ごされたすると
わずか一夜にして木花開耶姫は身ごもったこれを知った
磐長姫は 深く恥じ 呪いの言葉を吐いた「もし天孫が私を退けずに妻としていれば 生まれる子孫は 岩のように永遠の命を保ったでしょう
しかし 今は妹だけが選ばれた ゆえにその子孫の命は 木の花のように移ろいやすく すぐに散るものとなるでしょう」別の伝えでは
磐長姫は 恥と恨みのあまり涙を流しながら言ったという
「人の世に現れる者たちは 木の花のように たちまち移り変わり やがて衰えてゆくであろう」これが 人の寿命が短い理由である
その後
神吾田鹿葦津姫は 皇孫に言った
「私は天孫のお子を身ごもっています 人知れず産むことはできません」しかし
皇孫は疑って言った
「たとえ天神の子であっても 一夜で人が身ごもることがあるだろうか 私の子ではないのではないか」これを聞いた
木花開耶姫は 深く恥じ 無戸室(入口のない産屋)を造って誓った「もし私が身ごもっている子が他の神の子であるなら、無事に生まれはしないでしょう
しかし 本当に天孫の子であるなら 必ず無事に生まれるはずです」そう言って
産屋に入り 火を放って焼いたそのとき
炎が燃え始めた時に 生まれた子を 火酢芹命(ほのすせりのみこと)という次に 炎が盛んな時に生まれた子を 火明命(ほのあかりのみこと)という
次に 生まれた子を 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)別名を 火折尊(ほのおりのみこと)という
齋主(いはひぬし)〈祭祀の主〉此を伊播毗(いはひ)と云ふ
顕露(あらはれ)〈神が姿を現すこと〉此を阿羅播貳(あらはに)と云ふ
齋庭(いはひには)〈祭場〉此を踰貳波(ゆには)と云ふ天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第三)
別の書(第三)では
最初に
炎が明るい時に 生まれたのが 火明命(ほのあかりのみこと)次に
炎が激しい時に 生まれたのが 火進命(ほのすすみのみこと)別名を 火酢芹命(ほのすせりのみこと)最後に
炎を避けた時に 生まれたのが 火折彦火火出見尊(ほのおりひこ ほほでみのみこと)であるといういずれにしても
この三人の子は 火に焼かれることなく 母も少しも傷つかなかったその後
竹の刀で 子のへその緒を切った捨てられた竹刀は
やがて竹林となったため その地を「竹屋」と呼ぶようになったまた
神吾田鹿葦津姫は 占いによって田を定め「狹名田(さなだ)」と名づけたその田の稲で
天甜酒を醸して神に供え
さらに
淳浪田の稲で飯を作り これも供えた
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
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【抜粋意訳】
天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第五)
また別の書(第五)によれば
天孫は
大山祇神の娘である 吾田鹿葦津姫(あたかあしつひめ)(木花開耶姫)を寵愛し すると一夜にして身ごもり ついに四人の子を生んだそこで
吾田鹿葦津姫は 子を抱いて天孫のもとへ参り「天神の御子を どうして私的に育てることができましょうか ですから 事情を申し上げます」と訴えました
そのとき天孫は
その子どもたちを見て からかうように言われた
「なんと美しいことか 我が皇子たちは 喜びに満ちて生まれてきたのだな」これに対し
吾田鹿葦津姫は憤って言った
「なぜ私を嘲るのですか」天孫は答えた
「疑う心があったからだ たとえ天神の子であっても 一夜のうちに人が身ごもるなどということがあるだろうか どう考えても 私の子ではないと思われたのだ」そこで
吾田鹿葦津姫は いよいよ恨みを深め 入口のない産屋(無戸室)を造り その中に入って誓った「もし私が身ごもった子が天神の血を引かぬ者なら 必ず滅びるでしょう
しかし本当に天神の血を引く子であるなら 何ものにも害されることはないはずです」そう言って火を放ち 産屋を焼いた
火が初めて明るく燃え上がったとき 子が踏み鳴らしながら現れて言った
「私は天神の子 名は 火明命(ほのあかりのみこと)父はどこにおられるのですか」次に火が最も盛んなとき また子が現れて言った
「私は天神の子 名は 火進命(ほのすすみのみこと)父と兄はどこにいるのですか」次に火勢が衰えたとき また子が現れて言った
「私は天神の子 名は 火折尊(ほのをりのみこと)父や兄たちはどこにいますか」さらに火の熱を避けるころ また子が現れて言った
「私は天神の子 名は 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)父や兄たちはどこにおられるのですか」その後
母である吾田鹿葦津姫が 焼け跡の中から出てきて言った
「私が産んだ子も 私自身も 火の災いに遭いながら 少しも損なわれていません 天孫は これをご覧になりますか」天孫は答えた
「私はもとより これらが我が子であることを知っていた ただ一夜で身ごもったため 疑う者が出ることを恐れたのだ
人々すべてに これが我が子であり また天神が一夜で人を身ごもらせる力を持つことを知らせ さらにあなたに霊妙な威力があり 子どもたちにも並外れた気質があることを明らかにしたかった
だからこそ 先日の嘲りの言葉があったのだ」〔なお 梔(くちなし)は「波茸(はた)」頭槌は「箇歩豆智(かぶづち)」老翁は「烏膩(うに)」という〕
【原文参照】
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【抜粋意訳】
天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第六)(第七)(第八)
〔第九段〕一書曰(第六)
吾田(あた)の笠狭(かささ)の御碕に到着し さらに長屋の竹嶋へ登られた
そして
その土地を巡ってご覧になると そこに一人の人物がいた 名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)という天孫がその者に問われた
「ここは誰の国であるか」事勝国勝長狭は答えた
「これは もともと私・長狭の住んでいた国です しかし今は 天孫にお献上いたします」天孫はさらに問われた
「波穂の美しく立ち上がる高みの上に 八尋の宮殿を建て 手に玉のように輝く織り具を持って機を織っている乙女たちは 誰の娘なのか」答えて言った
「大山祇神の娘たちで
姉を 磐長姫(いわながひめ)といい
妹を 木花開耶姫(このはなのさくやひめ)といいます
また 豊吾田津姫(とよあたつひめ)とも呼ばれます」そこで
皇孫は豊吾田津姫(とよあたつひめ)を寵愛され すると一夜にして身ごもったしかし
皇孫はこれを疑われた 云々〔以下、省略〕やがて
火酢芹命(ほのすせりのみこと)が 生まれ次に
火折尊(ほをりのみこと)別名を彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が 生まれた母の誓いが事実として証明され
そこで初めて これらの子がまことに皇孫の血を引く者であると知られたしかし
豊吾田津姫(とよあたつひめ)は 皇孫が心を通わせてくれなかったことを恨んでいた皇孫はこれを憂え
歌を詠まれた憶企都茂播 陛爾播譽戻耐母 佐禰耐據茂 阿黨播怒介茂譽 播磨都智耐理譽
オキツモハ へニハヨレドモ サネ卜コモ アタハヌカモヨ ハマツチ卜リヨ(※歌の内容は原文音写のため、意味訳は伝本により異なるが
「心はあなたを思っている 決して疎んじているわけではない」という趣旨の恋歌)天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第七)
ある書(第七)によれば
高皇産霊尊の娘は
天万幡千幡姫(あまよろずたくはたちはたひめ)であるまた別の伝えでは
高皇産霊尊の子である万幡姫の子 玉依姫命という神があり
この神は天忍骨命(あまのおしほねのみこと)の妃となって
天之杵火火置瀬尊(あまのきほほおきせのみこと)を生んだというまた別の伝えでは
勝速日命の子である天大耳尊(あまのおおみみのみこと)が
丹舄姫(にひつひめ)を妻とし
その間に火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)が生まれたというまた別の伝えでは
神である高皇産霊尊の娘 万幡千幡姫が 火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)を生んだというまた別の伝えでは
天杵瀬命(あまのきせのみこと)が吾田津姫(あたつひめ)を妻とし
火明命(ほあかりのみこと)を生み
次に 火夜織命(ほのよおりのみこと)を生み
次に 彥火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだという天孫降臨段〔第九段〕一書曰(第八)
ある書(第八)によれば
正しくは
吾勝勝速日天忍穂耳尊(あがつかちはやひ あまのおしほみみのみこと)は
高皇産霊尊の娘である天万幡千幡姫(あめのよろづはたちはたひめ)を妻とし
その間に生まれた子を 天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)といった
〔この神が 尾張連(おわりのむらじ)らの遠祖である〕次に
天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎし あまつひこほのににぎのみこと)は
大山祇神の娘である木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を妻とし
その間に生まれた子を 火酢芹命(ほすせりのみこと)といい
次に 生まれた子を 彥火火出見尊(ひこほほでみのみこと)といった
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
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国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
木花之開耶姫〔木花之佐久夜毘賣〕の出産した子について
天孫瓊瓊杵尊(てんそん ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の御子〈三柱の兄弟神〉
三神の名前は 母神・木花開耶姫尊が火を放った産屋で出産した故事に由来すると伝えられています
①火照命(ほでりのみこと)〈海幸彦〉『古事記』では 火が燃え始めた時に誕生し 海での漁を得意とする神
②火須勢理命(ほすせりのみこと)『古事記』では 火が最も盛んに燃え盛る時に誕生した神
③火遠理命(ほをりのみこと)〈山幸彦〉『古事記』では 火が衰える時に誕生し 山での猟を得意とした神〔神武天皇の祖父神〕
『記紀神話』の中では 諸説が入り込んでいて わかり難いので 一覧表にしました
| 第1子 | 第2子 | 第3子 | 第4子 | |
| 『古事記』 |
火照命 (ほでりのみこと) |
火須勢理命 (ほすせりのみこと) |
火遠理命 (ほをりのみこと) |
|
| 『日本書紀』 第九段 〈本文〉 |
火闌降命 (ほのすそりのみこと) |
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) |
火明命 (ほあかりのみこと) |
|
| 『日本書紀』 第九段 〈一書 第二〉 |
火酢芹命 (ほのすせりのみこと) |
火明命 (ほのあかりのみこと) |
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) 別名を火折尊 (ほのをりのみこと) |
|
| 『日本書紀』 第九段 〈一書 第三〉 |
火明命 (ほのあかりのみこと) |
火進命 (ほのすすみのみこと) 別名を火酢芹命 (ほのすせりのみこと) |
火折彦火火出見尊
(ほのをり ひこほほでみのみこと) |
|
| 『日本書紀』 第九段 〈一書 第五〉 |
火明命 (ほのあかりのみこと) |
火進命 (ほのすすみのみこと) |
火折尊 (ほのをりのみこと) |
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) |
| 『日本書紀』 第九段 〈一書 第六〉 |
火酢芹命 (ほのすせりのみこと) |
火折尊 (ほをりのみこと) 別名を彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) |
||
| 『日本書紀』 第九段 〈一書 第七〉 |
火明命 (ほのあかりのみこと) |
火夜織命 (ほのよおりのみこと) |
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) |
|
| 『日本書紀』 第九段 〈一書 第八〉 |
火酢芹命(ほのすせりのみこと) | 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) |
邇々杵尊 木花咲也姫尊の伝承地「西都原古墳群」の記事を参照
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は 邇々杵尊 木花之開耶姫 大山津見神の墳墓とされる古墳がある『記紀神話』の伝承地です その他 姫が出産の時 周囲に火をかけたとされる産屋「無戸室」・産湯としたとする「兒湯の池」もあり 又 鬼の伝説を持つ大山津見神を祀る石貫神社(いしぬきじんじゃ)もあります
西都原古墳群〈石貫神社〉『記紀神話』邇々杵尊 木花之開耶姫の伝承地
『記紀神話』に載る邇々杵尊 木花之開耶姫尊の伝承に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
〈神宮徴古館の代表的な収蔵作品〉『天孫降臨』作者 狩野探道https://museum.isejingu.or.jp/news/6u8fhebb.html
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日向国(ひむかのくに / ひゅうがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 〈現在の宮崎県〉日向国 4座(並小)の神社です
日向國(ひむかのくに)式内社 4座(並小)について