実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

葛木御歳神社(御所市東持田)

葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)は 葛城氏・鴨氏の氏神高鴨神社高鴨社・葛城御歳神社中鴨社〉・鴨都波神社〈下鴨社〉で 全国の賀茂社・加茂社の総本社もあります御歳神(みとしのかみ)を祀る全国御歳神社・大歳神社の総本社を称します延喜式神名帳927 AD.所載 大和国 葛上郡 葛木御歳神社(名神大 月次新嘗)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

葛木御歳神社(Katsuragi Mitoshi shrine)

[通称名(Common name)]

御歳神社(みとせじんじゃ

【鎮座地 (Location) 

奈良県御所市東持田269

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》御歳神(みとしのかみ)

《配》大年神(おほとしのかみ)
   高照姫命(たかてるひめのかみ)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

五穀豊穣の神

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

葛木御歳神社

御由緒・いわれ

御祭神はご本社の背後の御歳山にお鎮まりになって、五穀豊穣をご守護された神であります。創祀は神代。弥生期からの神の宿る地であり、古くは神奈美(神の鎮座する山や森)の御歳山に自然石の磐座をたて、神を迎えてお祭りするという古式の形式だったと思われます。現在の本殿は、江戸期に春日大社の本殿第一殿を移築したものであります。

御神名の「トシ」は穀物特に稲、またはその実りを意味する古語で、御歳神は稲の神、五穀豊穣をもたらす神また、穀物の生長を司る神として古くから尊崇されています。また「トシ」は年に一度の収穫を基準とした時の単位であることから、何か事を始める時にお祈りするとよいとされています。古来より朝廷で豊作祈願のために行われた年頭の祈年祭(としごいのまつり)には、まず本社の御歳神の名が読みあげられました。
古書の記録では、仁寿2年(852年)には、大和国で本社だけが最高の正二位の神位を授かる程篤く尊崇され、後に従一位に昇格され、延喜の制では、名神大社に列した神社として尊ばれた古社であります。
また、水害の度に朝廷より奉幣された記録もあり、風雨を司る神としても神力を示され、尊信されたものと思われます。

私たちが正月に祭り親しんでいる年神様は、この御歳神、大年神、若年神といわれています。
鏡餅は御歳神へのお供え物(依り代)であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今のお年玉の起源であります。

葛木御歳神社 パンフレットより

御所市役所 観光HPより
https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001400.html

葛城御歳神社

御祭神 御歳神
 殿 大年神・高照姫命

由緒
本社は葛城の地で奉祭した三社の一つで 俗に中鴨神社ともいう。
稲の神として古来から名高く、朝廷で行われた年頭の祈年祭には本社の御祭神を中心として豊作祈願がなされた。
そのため仁寿二年852)には大和国で本社だけが最高位の正二位の神位を授かる篤く 尊崇され後に 従一位に昇格され 延喜の制では名神大社に列した 各地の御歳神社・大年神社の総社である。
一九九四年(平成六年五月 更新)贈 御所ライオンズクラブ

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

御本社の背後に御年(みとし)山という美しい神体山があり、古く御祭神は御年山にお鎮まりになって、金剛山の扇状地にひらけた稲田を御守護された神であります。
御神名のトシは穀物、ことに稲をさす古語で、稲の神として古くから知られ、朝廷で豊作祈願のために行われた年頭の祈年祭(としごひのまつり)には、まず本社の御歳神の名が読みあげられました。

その由緒について、『古語拾遺』には下のように記されています。
むかし、神代に大地主(おおとこぬし)神、田つくりましし日に、牛のシシをもて田人に食わしめたまいき。
時に御歳神の子、その田に至(き)まして、饗(みあえ)に唾(つば)きて還りまして、ありさまを父に告げましき。
御歳神、いかりまして、イナゴをその田に放ちたまいしかば、苗の葉たちまちに枯れ損なわれて、篠竹のごとなりき。
ここに大地主神、片巫(かたかんなぎ)・肱巫(ひじかんなぎ)をして、その由を占求(うらな)わしめたまいしに、御歳神たたりをします。
宜しく白猪・白馬・白鶏(しろかけ)を献りて、その怒りをなごめまつるべしともうすに、教えのまにまに謝(の)り奉(まつ)りますときに、御歳神 答えたまわく、実(まこと)に吾が意(こころ)ぞ。
宜しく 麻柄(あさがら)をもて カセをつくりてカセぎ、すなわち その葉をもて掃い、天押草(あめのおしぐさ)もて押し、烏扇(からすおおぎ)もて扇ぐべし。もし しかして出で去らずば、宜しく牛の宍をもて溝口におき、男茎(おはせ)の形を作りて加え、(ここでいう「牛の宍」「男茎」とは、男・女の性の印を意味する古語であって、これは、その神の怒りを鎮め、陰陽の和合を、称えたものである。)ツスダマ・ナルハジカミ・クルミ、また塩をもてその畔(あ)にまきおくべしとのたまいき。
すなわち、その教えのまにまにせしかば、苗の葉また茂りて、年穀豊稔(たなつものゆたか)なりき。
これ今、神祇官に白猪・白馬・白鶏もて御歳神を祭ることの縁(もと)なり。以上のことの意味は、人々が、「土」とのかかわりあいにおいて、稲作する時、その耕作に役立つ午(うま)等(農耕器具等の生産手段)を大切にし、心を清くして、農耕等(如何なる仕事においても)をすべきことを、教えたものであります。
このことを、別に解釈すれば人と「土」(自然)とのかかわり方の方法等を、教えたものであり、自然との結合、人と人との結合(陰陽和合)をたたえたものであります。

古代における朝廷でも、祈年祭には、この御歳神社にだけ、白猪・白馬・白鶏を、献じられたのも、上のような意味あいにおいてであります。
この御歳神社では、昔は、祈年祭の前日の2月2日、今では、5月3日に、御田祭りが執り行われ、諸々の神事と共に参詣者には、杉葉を守札に包んだ蝗除け等の護符を配布しています。
なお、古書の記録では、仁寿2年(852)には、大和国では、最高の神とされ、正二位の神位を授かり、延喜の制では、名神大社に列した神社として尊ばれた古社であります。以上

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

拝殿 東側壇上に祀られる境内 摂社四社
向かって左側北側〉より

味鋤高彦根命神社
高皇産命神社
神皇産霊命神社
天照皇大神神社

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拝殿 西側壇上に祀られる境内 摂社四社
向かって左側〈南〉より

事代主命神社
天稚彦命神社
稚日女命神社
一言主命神社

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境内の西側に祀られる境内

・英霊殿(祖霊社)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 二月祈年祭

御歳神社には特別に 白猪(しろい)・白馬(しろうま)・白鶏(しろかけ)を献じていると記されています

【抜粋意訳】

二月祭 祈年祭(としこひのまつり)

祈年祭の神 三千一百丗二座
・・・・
・・・・
前五十八座
座別に絁(アシギヌ)〈絹織物〉3尺 綿(ユウ)2両 麻(オ)5兩 四座置八座置 各一束 盾一枚 槍鋒一口 嚢(フクロ)葉蔦三尺
・・・・・
御年社(みとしのやしろ)には 加(くわふる)に
・白馬(しろうま)・白猪(しろい)・白鶏(しろかけ)各一
・・・・
・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並 大社 一百九十八所

坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

名神祭 二百八十五座
・・・
・・・

葛木御歳(かつらぎみとしの)神社 一座

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛上郡 17座(大12座・小5座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 葛木御歳神社(名神大 月次新嘗)
[ふ り が な ]かつらぎみとしの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]KatsuragiMitoshi no kamino yashiro)(Meijin dai)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

葛城御歳神社(御所市東持田)は 葛城氏・鴨氏によって祀られた神社

葛城氏・鴨氏の氏神として祀られたのは・高鴨神社高鴨社・葛城御歳神社中鴨社〉・鴨都波神社〈下鴨社〉です

高鴨神社高鴨社

・高鴨神社(御所市鴨神)

一緒に読む
高鴨神社(御所市鴨神)

高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます

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葛城御歳神社中鴨社

・葛城御歳神社(御所市東持田)

一緒に読む
葛木御歳神社(御所市東持田)

葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)は 葛城氏・鴨氏の氏神・高鴨神社〈高鴨社〉・葛城御歳神社〈中鴨社〉・鴨都波神社〈下鴨社〉で 全国の賀茂社・加茂社の総本社でもあります 又 御歳神(みとしのかみ)を祀る全国の御歳神社・大歳神社の総本社を称します『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 葛上郡 葛木御歳神社(名神大 月次新嘗)です

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鴨都波神社〈下鴨社

・鴨都波神社(御所市宮前町)

一緒に読む
鴨都波神社(御所市宮前町)

鴨都波神社(かもつわじんじゃ)は 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代 勅命により大田田根子命の孫 大賀茂都美命(おおかもずみのみこと)が創建 『延喜式(927年編纂)』では 月次・相嘗・新嘗に宮中より官幣に預る名神大社に列した 大和国 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座(かもつはやへことしろぬしのみことの かみのやしろ)です

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・大神神社(桜井市三輪)の別宮

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR和歌山線 御所駅 近鉄御所駅から R24号を南下 約5.2km 車10分程度

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車で鳥居の横をすり抜けるように参道へと進むと 参道の突き当りに数台の駐車場があります

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二の鳥居建ちます
葛城御歳神社(御所市東持田)に参着

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二の鳥居の手前には 手水舎があり 清めます

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一礼をして 二の鳥居くぐります
社 参道 鳥居は北向きです 冬二月午前中の太陽が 雪の降った境内と鳥居の上に輝いて 幻想的な神域へと進みます

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朝日に向かい 30弱の石段を上がります

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石段を上がると 正面に拝殿が建ちますが 北向き山の中腹にある境内は 陽の光は差し込んできません

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拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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賽銭箱の横にあった書置きの朱印頂き 初穂料を納めます

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拝殿は瓦屋根の入母屋造 外く 祭壇には瓶子祀られています

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拝殿の奥 石垣の上 瑞垣中門 その中に神明鳥居が建ち 朱塗り春日造本殿江戸時代後期 式年造替 春日大社の本殿第一殿を移築鎮座しています

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先程迄 暗かった境内に 突如 本殿の奥から 陽が入り始め 狛犬にも陽射しが当たります

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それでも 拝殿や境内社の辺りは薄く陽射しが入る程度です

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拝殿には正月の祭りの案内などが張り出されていました

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古語拾遺(kogojui)〈大同2年(807年)〉』に記される伝承

宮中の神祇官(じんぎかん) 御歳神(みしのかみ)を 田の神として祭る 由縁が記されています

御歳神年神様りを回避する為にか 古代 大和朝廷における祈年祭では この御歳神社には特別に 白猪(しろい)・白馬(しろうま)・白鶏(しろかけ)を献じて その祟り鎮めていました

【抜粋意訳】

御歳神の段

 神代に 大地主神(おおとこぬしのかみ)が 田を(つくる)日に 牛の(にく)〈肉〉を田人(たひと)に食べさせた
そのとき 御歳神(みしのかみ)の子が その田に来て (あへ)に唾して帰り その状況を父 御歳神告げると〈御歳神怒り発して その田に(いなむし)〈イナゴ〉を放った 苗葉は たちまちに枯れ そこなわて篠竹(しのたけ)のようになった

ここに 大地主神は 片巫(かたかんなぎ)志止止鳥(しとととり・肱巫(ひじかんなぎ) 俗に 竃の輪 及び 米占(よねうら)なり〉に その理由を占い求めると
御歳神の祟りの為なり 白猪(しろい)・白馬(しろうま)・白鶏(しろかけ)を献じて その怒りを解
よって教えのままに御歳神にりました

御歳神は 答えいう
「実に私のである 麻柄(あさがら)を以て (かせ)〈紡いだ糸を巻き取る道具作り (かせ)をもちいて その葉を掃(はら) 天押草(あめのおしくさ)を押 烏扇(からすあふぎ)檜扇を以て扇げ

もしこのようにして去らなければ
牛の(にく)〈肉〉 溝口灌漑用の排水溝の入口に置いて 男茎(おはせ)の形男性器のものを作り それに添えて
これは その御歳神気持ちを和めるよう まじなうためなり
薏子つすだま蜀椒なるはかみ胡桃(くるみ)の 及び 塩を 田の畔にまいておきなさい と言われた
古語では 薏子つすだま 都須玉つすだまと言う

そこで その教えのままに従えば 苗葉が又茂り 年穀(たなつも)も豊かに稔(みの)りました
これは今神祇官(じんぎかん) 白猪(しろい)・白馬(しろうま)・白鶏(しろかけ)を以て 御歳神を祭る由縁なり

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本,明治02年,木村正辞https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047473&ID=&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本,明治02年,木村正辞https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047473&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

神階奉授が記されています

【抜粋意訳】

仁寿二年(852)四月庚申(24日の条

加ふ 大和御歳神に 従二位

【抜粋意訳】

仁寿二年(852)十月甲子(2日の条

加ふ 大和御歳神に 正二位
・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

京畿七道の諸神267社が記され その名で大和国の上位の神々と共に 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

貞観元年(859)正月27甲申の条

京畿七道の諸神に進む階(くらいを)及び 新たに叙(のべる)惣(すべ)て267社なり

くに

大和国(やまとのくに)
従一位 大己貴神(おほあなむちのかみ)に 正一位

正二位 葛木御歳神(かつらきのみとしのかみ)
従二位勲八等 鴨阿治須岐宅比古尼神(かもあじすきたかひこねのかみ)
従二位 高市御縣鴨八重事代主神(たかいちみあがたのやえことしろぬしのかみ)
従二位勲二等 大神大物主神(おおみわのおおものぬしのかみ)
従二位勲三等 大和大国魂神(おほやまとおほくにたまのかみ)
正三位勲六等 石上神(いそのかみのかみ)
正三位 高鴨神(たかかものかみ)

びに 従一位

・・・

三歳神は 古くから神主が無かった 新たにこれを置いたところ 祟りがあ停止したと記されています

【抜粋意訳】

貞観八年(866)二月十三日の条

神祇官(じんぎかん)奏言す
大和國 三歳神 旧(もともと)神主(かんぬし)無し 而して 新たにこれ〈神主〉を置き致すと 祟咎(たたり とが)を實(みち)るに
ここに 仍(よっ)て 更に停(とめ)る 焉

大和国三歳神(みとしのかみ)葛木御歳神社〉・大和神社・廣瀬大社・龍田大社 幣を奉り 雨の無いように〈河内国に築かせている水害除け〉祈りを捧げたと 記しています

【抜粋意訳】

貞観十二年(870)秋七月二十二日(壬申)の条

この日 朝廷は使いを遣わし 河内国に築かせているが 成功する前に 重ねて水害に見舞われること恐れ 大和国三歳神(みとしのかみ)葛木御歳神社〉・大和神〈大和神社〉・広瀬神〈廣瀬大社〉・龍田神〈龍田大社〉に幣を奉り 雨の無いように祈った 河内の水源出るのは すなわち大和国なり

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内 名神大葛木御歳神社所在は 持田村東記しています

【抜粋意訳】

葛木御歳神社 名神大月次新嘗

葛木は加豆良岐、」御歳は美登志と訓べし、
○祭神明か也
○持田村東に在す、大和志、同名所図会
○式三、臨時祭 名神祭二百八十五座、中略 大和國 葛木御歳神社一座、
○古事記上云、大年神、又 娶香用比売生子、中略 次御年神、旧事紀同じ
○古語拾遺云、昔在神代、大地主神営田之日、以牛完食田人、于時御歳神之子、至於其田唾饗而還、以状告父、語歳神発怒以蝗放其田、苗葉忽枯損似篠竹、御歳神為祟、宜献白猪白馬白鶏以解其怒、是今神祇官以白猪白馬白鶏、祭御歳神之縁也、」
式一 四時祭上 祈年祭條に、御歳社加白馬白猪白鶏各一、
古事記傳 十ニノ三十八丁 云、
旧事紀に、妹 高照光姫大神命、坐倭国 葛上郡 御歳神社と云るは、式に鴨都波八重事代主命神社、次に葛木御歳神社とならべる故に、事代主命の御妹神を、おしあてにあてたる物にて、例の妄ことなり、ゆめまよはさるゝこと勿れ、と云るは尤然る事也、」
考証に、與 市郡 御歳神 同名異神也と云るは、旧事紀の妄説に泥める映也、
連胤云、御歳神は、もとより年穀を守る神に坐すが故に御年といふ、即ち年穀より出たる御名也、
祈年祭祝詞に.御年皇神等能前爾白久、奥津御年乎水沫画垂向股爾泥書寄弖、取作牟奥津御年乎云々、とある御年も穀をいふにて、これ御歳神と申すも、穀の豊饒を守う給ふよりの御名也、さるを高照光姫大神と称すべき謂れはなき事也、

類社
当国 高市郡 御歳神社

神位
文徳実録、仁寿二年四月庚申、加大和國御歳神從二位、同年十月甲子、加大和國御歳神正二位、
三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉授大和国正二位葛木御歳神從一位、

官幣
三代實録、貞観十二年七月二十二日壬申、是日遣朝使築河内國堤、恐成功未畢重有水害、由是奉幣大和国三歳神、祈無雨労、以河内水源出自大和國也、

社職
三代實録、貞観八年二月十三日己未、神祇官奏言、大和國三歳神、旧無神主、而新置之、致崇咎實由此、仍更停焉、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

式内 名神大葛木御歳神社御祭神 御年(みとしの)について 記しています

【抜粋意訳】

奈良縣 大和國 南葛城葛城大字東持田

郷社 葛木御歳(かつらきみとしの)神社

祭神 御年(みとしの)神 高照姫(たかてるひめの)大神

創建年代詳ならず、
本社は 大年神の子御年神を祭る 古事記
此神は 蓋穀を知りて大なる功ます神なり 古語拾遺
始め 大地主神 御田を営りしゝ時田人に牛肉を食はしむ、御年神の子 其田に至り 御饗に唾して還り座し、父神に其を告す、御年神 大に怒り坐て、其田に蝗を放ち給ひしかば、苗葉忽に篠竹なす枯損ねき、故 大地主神、片巫肱巫をして占求給へと白しき、故教のまゝに御年神に奉謝給ふ時に、答へ給はく、是は誠に吾御意也、故麻柄を加世岐に作り、其葉を以て之を払ひ、天押草をもて其を押し、鳥扇を以て扇げ、如此して猶去ずば、溝口に牛肉を置き、薏子山椒呉桃葉及塩を其畔に班置けと言教給ひき、茲に大地主神其教の随行ひ給ふ時に、苗葉復茂りて年穀に稔リき、是神祇官白猪馬鶏を以て此神を祭る縁也 古語拾遺と、
此如き由緒あるを以て 歴朝の崇敬 最篤く、称徳天皇 天平神護元年大和讃岐等十三戸を神封に充てり 新抄格勅符
文徳天皇 仁寿2年4月庚申 御年神に従二位を授け、同10月甲子正二位に進め奉り 文徳実録
清和天皇 貞観元年正月甲申 正二位 葛木御歳神に從一位を授けらる 三代実録
初大田田根子の裔本社の祝たりしより後、神主を置く事なかりしが、8年に至りて再び神主を置きしに、神の崇甚だ著るきより、敕して之を停しめ
12年7月壬申幣を奉りて、河内の堤 重ねて水害なからむ事を祈らしめ給ひ 三代実録
醍醐天皇 延喜の制 名神大社に列り、祈年、月次、新嘗の案上幣帛に預り、祈年祭例幣の外 必ず白猪白馬白鶏 各一を加奉らしむ 延喜式
西持田、小殿、佐田、下茶屋村の氏神たり 大和志、大和名所図会
明治6年郷社に列し、凡毎年8月27日28日を以て祭を行う 奈良県神社取調書。

社殿は本殿、拝殿、社務所等を具備し、境内950坪(官有地第一種)吉野葛城南両山脈の麓御年山にあり。

境内神社
味鋤高彦根命神社
天稚彦命神社
一言主命神社
高皇産命神社
神皇産霊命神社
稚日女命神社
天照皇大神神社

例祭日 八月二十八日
・・・

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内 名神大葛木御歳神社御祭神 御年(みとしの)について 記しています

【抜粋意訳】

葛木御歳(かつらぎみとせ)神社

葛城大字東持田あり
延喜式神名帳葛木御歳神社 名神大月次新嘗」と見ゆ。今 郷社たり。

祭神
御祭神に高照光姫命を配祀す。故に 当社の別名を長柄比賣社と称す。長柄比賣は 即ち下照光姫の異名なり。
大神分身類社鈔 曰 長柄比賣神社一座 大和國葛上郡 曰 御年神社 高照光姫命 配祀の由緒詳ならず。

神戸 社職
新鈔格勅符抄 曰 御年神 十三戸 大和三戸 讃岐十戸 天平神護元年
三代実録 曰 貞観八年二月 神祇官奏言、大和國三歳神、旧無神主、而新置之、致崇咎實由此、仍更停
姓氏録 大和神別 曰 三歳祝意富大多根子命の後なり

祭祀 奉幣
延喜四時 祈年祭 式に「御年社ニ加ニ 白猪白馬白鶏 各一」とありて、殊に馬・猪・鶏を加ふるは 古語拾遺に「昔在神代、大地主神営田之日、以牛完食田人、于時御歳神之子、至於其田唾饗而還、以状告父、語歳神発怒以蝗放其田、苗葉忽枯損似篠竹、御歳神為祟、宜献白猪白馬白鶏以解其怒、是今神祇官以白猪白馬白鶏、祭御歳神之縁也、」伝説に基くなり。

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

葛木御歳神社(御所市東持田)に (hai)」(90度のお辞儀)

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