実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

勝速日神社(鈴鹿市白子本町)〈通称 勝手さん 勝手大明神〉

勝速日神社(かつはやひじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社であった〈伊勢の森に鎮座した゛福徳さん〉が 寛永11年(1634)紀州藩の別邸と代官所を創設する時に 久留真神社を移転した その際 氏子が南北に分かれ「久留真神社」と「勝速日神社」に分社し 創設されたものです

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

勝速日神社(Katsuhayahi shrine

通称名(Common name)

・勝手さん(かってさん)

【鎮座地 (Location) 

三重県鈴鹿市白子本町 10-15

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》
正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひめのおしほみのみこと)

建速須佐之男命(たてはやすさのをのみこと)
稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
天御蔭命(あめのみかげのみこと)

《合祀神》春日神社を合祀〉
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
屋根命(あめのこやねのみこと)
天美津玉照比売命(あめみつたまてるひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・勝運の神、縁結び、商売繁盛、学業成就、武道競技・政治必勝成就、厄除け、病気平癒

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

御祭神

正勝吾勝勝速日天忍穂耳
建速素盞嗚

稲田姫命
天御蔭命
武甕槌命
経津主命
屋根命
天美津玉照比売命

由緒

当勝速日神社は文明(室町時代)以前の創建と言われ 創建時は八重賀岐神社として 素戔鳴尊(牛頭天王)と(出雲の国で八岐大蛇を退治された)稲田姫命の二柱が祀られていた。

祭神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊・建速須佐之男命の二神と天御蔭命・櫛稲田姫命の四柱を主神としている。
寛永11年八重垣神社の神域に龍源寺の境内に祀られていた勝手明神(天之忍穂耳命・天御蔭命)の二柱を遷し 元禄に至るまで二社を相並べて祭祀し奉り元禄以後 一社殿として、近郊の多くの人々の信仰を集めた。

明治41年付近の小祠を併せて字境の春日神社(祭神)武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比咩神を合祀し 勝速日神社と単称され 主神は英遇優秀福耳をもたれた等で 特に勝運に優れ人々を慈しみ 御神徳を授け給い 五穀豊穣、商売繁盛、学問向上と崇敬者の信仰を深めている。

勝速日神社

現地案内板より

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勝速日神社 祭礼用山車有形民俗文化財

当地の春の祭礼日(4月中旬の土・日曜日)に用いる山車で、木造の二階屋形で 高さ約3.6m漆塗、金箔仕上げの華麗な山車で、江戸時代(約400年前)に作られたと伝へせれている。
見送り幕は、豪華な(西陣)綴れ織の刺繍が美しい。

管理町名
西町自治会
中町自治会
東町自治会
山中町自治会
鈴鹿市指定文化財 昭和49年11月25日

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

 当社の創祀については詳にし難いが、社伝によれば文明年間(一四六九~一四八六)の創建といわれ勝手大明神と牛頭天王の二神を二社に祀っていたのを、元禄の頃(一六八八~一七〇三)勝手明神を主神とし他を殿の神とし、勝手大明神と称し、近郊の人々の崇敬をあつめた、と伝えている。

 寛永一一年紀州藩の指示によって社地を移転以降、現在地に奉祀し勝手神社と称したのは、寛文一一年(一六七一)と伝えられている。
 明治四一年(一九〇八)春日神社他附近の小祀六社を合祀している。 宝物等 山車四台(鈴鹿市民俗文化財)

三重県神社庁皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63752

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

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・本殿の横 境内社 金毘羅大権現?

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・拝殿

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・優勝祈願 絵馬

勝速日になぞって『勝=Victory』『速=Speed』『日=Rising Sun』という モータースポーツを連想させ 縁起の良い漢字が並ぶ名前の神社ということで (Victory,Speed,RisingSun)の文字とチェッカーがあしらわれた絵馬が 拝殿の向拝の下に掛けられています

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・参道の石燈籠

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カエルの手水

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈旧鎮座地〉通称 伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)

白子小学校の辺りと云われています

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)奄藝郡 13座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 久留神社
[ふ り が な ]くるまの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kuruma no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社について

延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社であった〈伊勢の森に鎮座した゛福徳さん〉が 寛永11年(1634)紀州藩の別邸と代官所を創設する時に 久留真神社を移転した その際 氏子が南北に分かれ「久留真神社」と「勝速日神社」に分社されたとのこと

・久留真神社(鈴鹿市白子)
〈伊勢の森 福徳之宮 車之女神〉

一緒に読む
久留真神社(鈴鹿市白子)〈伊勢の森 福徳之宮 車之女神〉

久留真神社(くるまじんじゃ)は 往昔 伊勢の森という神域に鎮座゛福徳さん゛と称され 樹齢1千年以上の゛福徳の松〈御植木〉゛が天に聳えていたと云う その後 第21代雄略天皇の御代(465年頃)相殿に漢織姫尊を合祀して゛福徳の車の女神゛と称された 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社です

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・勝速日神社(鈴鹿市白子本町)
〈通称 勝手さん 勝手大明神〉

一緒に読む
勝速日神社(鈴鹿市白子本町)〈通称 勝手さん 勝手大明神〉

勝速日神社(かつはやひじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社であった〈伊勢の森に鎮座した゛福徳さん゛〉が 寛永11年(1634)紀州藩の別邸と代官所を創設する時に 久留真神社を移転した その際 氏子が南北に分かれ「久留真神社」と「勝速日神社」に分社し 創設されたものです

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・逆川神社〈龍王大権現〉(津市栗真小川町)

久留真神社の別宮゛伊勢久留麻神社淡路市久留麻゛について

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伊勢久留麻神社淡路市久留麻「伊勢の久留真神社の御祭神をお遷しした」事を表す名称とされます

延喜式内社 淡路國 津名郡 伊勢久留麻神社(いせくるまの かみのやしろ)

・伊勢久留麻神社(淡路市久留麻)

一緒に読む
伊勢久留麻神社(淡路市久留麻)〈淡路國三之宮〉

伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)は 伊勢國の式内社 久留真神社より勧請せるものと云われます 第三十代敏達天皇〈西暦572~585年〉御病気平癒 祈願の砌り(名)明神祭を奉祀し 快復されましたことにより「明神社」の称号を賜った 延喜式内社 淡路國 津名郡 伊勢久留麻神社(いせくるまの かみのやしろ)です

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄名古屋線 白子駅から 約100m 徒歩2分程度

勝速日神社(鈴鹿市白子本町)に参着

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社号標には゛勝速日神社゛と刻字されています

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一礼をして 鳥居をくぐると 石燈籠が立ち並んでいる参道を進むことになります

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参道には 由緒書きの案内板があります

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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勝速日になぞって『勝=Victory』『速=Speed』『日=Rising Sun』という モータースポーツを連想させ 縁起の良い漢字が並ぶ名前の神社ということで (Victory,Speed,RisingSun)の文字とチェッカーがあしらわれた絵馬が 拝殿の向拝の下に掛けられています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 久留眞神社について 所在は゛白子村南栗間に在す、今勝手大明神と称す゛〈現 勝速日神社〈通称 勝手さん 勝手大明神〉(鈴鹿市白子本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

久留眞神社

久留眞は假字也

○祭神 呉織、考証、俚諺

〇白子村南栗間に在す、今勝手大明神と称す、考証、俚諺

類社
 淡路國 津名郡 伊勢久留麻神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 久留眞神社について 所在は゛白子村の南栗間にあり、゛〈現 勝速日神社〈通称 勝手さん 勝手大明神〉(鈴鹿市白子本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

久留神社

今 白子村の南栗間にあり、〔神名帳考証、勢陽雑記〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 久留眞神社について 所在は゛白子村 字栗間゛〈現 久留真神社(鈴鹿市白子)〉(鈴鹿市白子本町)〉だが どう見ても古社ではないが 寛永十一年に紀州藩の陣屋があった所に鎮座した゛白子栗間の福得天王と稲する祠゛から 現在地に遷座したものと云い これに従う と記しています

【抜粋意訳】

久留真神社

祭神
祭日 三月十二日
社格 村社

所在 白子村 字栗間(河藝郡白子町大字白子)

今按るに 白子栗間の福得天王と稲する祠を 文政四年に紀藩より判定して本社とす 其社域 古社の體裁ならざるを以て 質すに 舊は今社より北 紀藩の陣屋在たる地にありたるを 寛永十一年に今の社地に遷移する所なりとぞ 依て今はこれに從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

勝速日神社(鈴鹿市白子本町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

一緒に読む
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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