香取神宮(かとりじんぐう)の 摂社(せっしゃ)9社・末社(まっしゃ)21社・合計30社と境内・境外の要所について
本社 香取神宮
・香取神宮(香取市)下総国一之宮の記事を見る
香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です
香取神宮(香取市)下總國一之宮
〈摂社〉香取神宮の摂社〈9社〉について
1.側高神社 大倉 香取神宮第一摂社 本殿は県指定文化財
2.返田神社 返田 本殿は市指定文化財
3.大戸神社 大戸 所蔵の羅龍王面、和鏡などは県指定文化財
4.忍男神社 津宮 津宮河岸近くにある、東ノ宮とも
5.膽男神社 津宮 津宮河岸近くにある、西ノ宮とも
6.又見神社 香取 又見本殿脇の又見古墳は市指定史跡
7.奥宮 香取 宮中
8.鹿島新宮社 境内
9.匝瑳神社 境内
1・側高神社(そばたかじんじゃ)
《主》不詳
・側高神社(香取市大倉)
側高神社(そばたかじんじゃ)は 古来 御祭神は神秘として口にすることを許されず 俗に言わず語らずの神とのみ伝えられ 香取神宮の旧記には「起請することあれば必ずこの神に質(ただ)す」とあります 香取神宮の第一摂社ですが 創建は神宮と同じ「神武天皇十八年戊寅歳始建」とあり 造営についても 本宮と共に常に朝廷の造立されたと伝わります
側高神社(香取市大倉)
2・返田神社(かやだじんじゃ)
《主》軻遇突智神(かぐつちのかみ)
埴安姫神(はにやすひめのかみ)
返田(かやだ)神社
また萱田とも作る。香取町返田にあり。御祭神は軻遇突智神、埴安姫神なりと。世人此神を悪王子(あくおうじの)神と云ふ。是は母神 所焦退(やれてかむさり)賜ふ故に然云と云へり。
土御門天皇建仁の頃 千葉介常胤の五男 國分五郎胤通、同郡 矢作(やはぎ)城に在り。一曰 吾が神官に詣(まゐ)らむとして此處を過ぐ。従者謂へらく、此處は返田神社に直に向へぱ下馬し賜へと、胤通きかず、然るに乗馬俄に驚き、遂に馬より堕つ。胤通、神怒ます事を知りて、直に馬鞍を取て道の傍の松に掛けて神に奉り、其の罪を詫び徒歩にて神宮に参りしと云ふ。『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
3・大戸神社(おおどじんじゃ)
《主》天手力男神(あめのたぢからおのかみ)
・大戸神社(香取市大戸)の記事をご覧ください
大戸神社(おおとじんじゃ)は 社伝に 第十二代 景行天皇40年(111)日本武尊 東征の時 蝦夷征討祈願のため大戸〈古くは大津〉の地に勧請し 白鳳二年(662)更に之を再営す と伝わり 江戸時代まで香取神宮の第一末社(明治から摂社)で 当時 他の末社とは違い 神領も香取・大戸と区分され 独自に神主・大禰宜などの神官26人と社僧8人の合計34人が勤めた大きな神社でした
大戸神社(香取市大戸)
4・忍男神社(おしおじんじゃ)
《主》伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
・忍男神社・瞻男神社(香取市津宮) の記事をご覧ください
忍男神社(おしをじんじゃ)・瞻男神社(まもりをじんじゃ)は 香取神宮の摂社で 東の宮・西の宮とも呼ばれます 鎮座地の地名 津宮は 港の宮の意で これは往昔 香取海から香取神宮への参道口にあたる津〈港〉〈現在は根本川〉に浜手守護の神として 両宮が東西両岸に鎮座したからです
忍男神社・瞻男神社(香取市津宮)
5・膽男神社(まもりおじんじゃ)
《主》大名持命(おほなむちのみこと)
・忍男神社・瞻男神社(香取市津宮) の記事をご覧ください
忍男神社(おしをじんじゃ)・瞻男神社(まもりをじんじゃ)は 香取神宮の摂社で 東の宮・西の宮とも呼ばれます 鎮座地の地名 津宮は 港の宮の意で これは往昔 香取海から香取神宮への参道口にあたる津〈港〉〈現在は根本川〉に浜手守護の神として 両宮が東西両岸に鎮座したからです
忍男神社・瞻男神社(香取市津宮)
6・又見神社(またみじんじゃ)
《主》天苗加命(あめのなえますのみこと)
武沼井命(たけぬいのみこと)
天押雲命(あめのおしくものみこと)
又見神社
香取町又見にあり。御祭神は天苗加命、武沼井命、天押雲命なり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
又見神社
御祭神は天苗加命が香取大神の御子神にして相殿に武沼共命鹿島大神の御子神 天押雲命「天児屋根命の御子神」を奉祀す
当社は香取神宮の摂社にして御祭神に因みて往古は若宮「この地名は今は若久と記す」と申せしがこの地に遷座せるを以つて又見の宮と称するに到れり
昭和四十年八月一日建之
現地石碑より
7・奥宮(おくのおみや)
〈奥宮〉《主》経津主神の荒御魂(あらみたま)
・香取神宮 奥宮(香取市)の記事をご覧ください
〈経津主大神の荒御魂(あらみたま)を祀る〉
香取神宮 奥宮(おくのみや)は 御祭神として 経津主大神の荒御魂を祀ります 香取神宮の境内域は「亀甲山(かめがせやま)」と呼ばれる台地に鎮座していて その頂上付近を通る香取神宮の旧参道の中程に 奥宮は鎮座しています 現在の社殿は 昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るものです
香取神宮 奥宮(香取市)
8・鹿島新宮社(かしましんぐうしゃ)
〈本殿の向かって右後方に鎮座〉
《主》武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)〈鹿島神宮の御祭神〉
天隠山命(あまのかくやまのみこと)
〈別神名 初代 神武天皇に布都御魂(ふつのみたま)〈霊剣〉をもたらした高倉下命(たかくらじのみこと)〉
9・匝瑳神社(そうさじんじゃ)
《主》磐筒男神(いわつつおのかみ)
磐筒女神(いわつつめのかみ)
・匝瑳神社(香取神宮 境内 摂社)の記事をご覧ください
匝瑳神社(そうさじんじゃ)は 香取神宮の9つある摂社の内 本殿に最も近い〈本殿西奥〉に鎮座し 香取大神の親神〈磐筒男神(いわつつをのかみ)・磐筒女神(いわつつめのかみ)〉を祀ります 一説には 匝瑳郡の祖 物部小事(もののべ の おごと)公を祀るとも云われます
匝瑳神社(香取神宮 境内 摂社)
香取神宮の末社〈21社〉について
1・天降神社(あまくだりじんじゃ)〈市神社に合祀〉
《主》伊伎志爾保神 鑰守神
今は市神社に合祀したり、御祭神は 伊伎志爾保神(いきしにほのかみ)鑰守神(かぎもりのかみ)なり。伊伎志爾保神は天孫降臨供奉三十二神の中の一神なり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
2・市神社(いちがみしゃ)
《主》事代主神
事代主命を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
3・馬場殿神社(ばばどのじんじゃ)
《主》建速須佐之男命
建速須佐之男命を祭る。馬場に在るを以て、然、呼べりと。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
※現在・馬場殿神社・市神社・天降神社の三社は 並んで祀られています
4・諏訪神社(すわじんじゃ)
〈楼門の前に鎮座〉《主》建御名方神
武御名方命を祭る。この神は大己貴命の御子なり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
5・櫻大刀自神社(さくらおおとじじんじゃ)
〈本殿の奥 歯固の石収所〉《主》木花咲耶姫命
木花咲耶姫命を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
6・花薗神社(はなぞのじんじゃ)〈六所神社に合祀〉
《主》靇神
靇神を祭る。六所神社へ合祀したり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
7・六所神社(ろくしょじんじゃ)
《主》須佐之男命 大国主命 岐神 雷神二座
〈境外の末社〉
8・押手神社(おしてじんじゃ)
《主》宇迦之御魂神
・香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)の記事をご覧ください
香取神宮 要石(かなめいし)は 香取・鹿島の二柱の大神が 葦原中國を平定し 香取ヶ浦に至った時 地震を起こす大鯰(おおなまず)を鎮めるため 地中深くに石棒を差し込み 鯰の頭尾をさし通した霊石だと古くから伝えらます 押手神社(おしてじんじゃ)は この要石を向いて 宇迦之御魂神〈農耕の神〉を祀ります
香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)
9・姥山神社(うばやまじんじゃ)
《主》一言主命
また優婆山神社に作る。香取町宮下にあり。一言主(ひとことぬし)命を祀る。姥山は狐坐山、佐山と共に鼎の足の如く相並べり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
10・佐山神社(さやまじんじゃ)
《主》田心姫神
香取町宮下にあり、田心(たごり)姫神を祭れり。天照大神と素戔男尊御誓の時 出生(れいで)し神なり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
11・狐坐山神社(こざやまじんじゃ)
《主》命婦神
香取町御手洗にあり、命婦神を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
12・王子神社(おうじじんじゃ)
《主》経津主神の御子神
香取町王子台にあり、當神宮の御兒神を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
13・沖宮(おきのみや)
《主》綿津見命
香取郡津宮村にあり、綿津見命を祭る。六月夏越(なごし)の祓の時この社を祭りしと云ふ。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
14・龍田神社(たつたじんじゃ)
《主》級津彦神 級津姫神 倉稲魂神
香取郡津宮村にあり、級津彦神 級津姫神 倉稲魂神を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
風神様(龍田神社)
香取神宮の末社、“天候の神”“お百姓の神”と尊ばれた風の神々である、うかのみ玉命、しなつ彦命、しなつ媛命(風神三社)を祭っている。境内東側に元渕生の利根川岸にあった「渕生稲荷神社」が明治44年の河川改修工事のため当地に合祀された。また昭和44年には、鹿島線開通による香取駅の拡張工事のため、香取駅南側にあった「御霊宮」を境内西側に遷した。風神様には五社が祭られている。
(津宮まぢづくり協議会)
現地案内板より
15・璽神社(おしでじんじゃ)
《主》宇迦之御魂神
香取町宮司邸内にあり、もと神宮の御正印殿(みしょういんでん)なり。神官任符に此の御正印を用ゐし由なり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
16・裂々神社(さくさくじんじゃ)
《主》磐裂神 根裂神
〈祭神2柱は磐筒男神・磐筒女神(経津主神の親神)の親神〉
香取町舊大禰宜邸内にあり。磐裂神 根裂神を祭る。古正月三日、四日の夜 亀卜矢的(きぼくやまと)の神事この社前にて行はれたり。これを東御占(みうら)、東矢的の神事と云へり。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
17・日神社(香取市香取)
《主》天照大御神
香取町宮中 高木英幸邸内にあり、天照大御神を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
18・月神社(香取市香取)
《主》月豫見命
香取町宮中 伊藤平次郎邸内にあり、月豫見命を祀る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
19・大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
《主》大山祇命
香取町長部山にあり、大山祇命を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
20・三島神社(みしまじんじゃ)〈又見神社境内に鎮座〉
《主》香取連三島命
香取町 又見神社境内にあり、香取連三島命を祭る。
『香取神宮志』香取神宮社務所 編〈昭和13年(1938)〉より
21・護国神社(ごこくじんじゃ)〈昭和21年9月創建〉
《主》明治以降の国難で殉じた香取郡出身者を祀る
【其の外】
・鳥居河岸(とりいがし)〈津宮浜鳥居〉(つのみやはまとりい)
香取神宮の御祭神である経津主大神は、海路ここから上陸されたと伝えられ、往昔の表参道口で大鳥居があります。十二年に一度、午年に行われる式年神幸祭には、ここから御神輿をのせた御座船が大利根を遡ります。
平成十四年三月、式年大祭記念事業として、香取神宮の御用材をもって立て替えが行われました。
・津宮河岸の常夜灯(じょうやとう)
浜鳥居(はまとりい)常夜灯(じょうやとう)与謝野晶子歌碑
香取神宮表参道の“一の鳥居”であるこの鳥居は、利根川の津宮河岸に建つ。
現在の鳥居は、平成14年に竣工された。この辺りの利根川は、もともと香取が浦(香取の海)と呼ばれ、鳥居も水中に建ち、浜鳥居と呼ばれた。香取・鹿島・息栖の三社参詣の際は、この鳥居をくぐった。ここに建立されている常夜灯(香取市指定文化財)は、明和6年(1769年)に三社参詣の講中の人々が航路の安全を祈願し香取神宮に奉納した。高さは2.8mあり、利根川を行き交う船の目印となった。その傍らに、歌人与謝野晶子の歌碑がある。晶子は、明治34年(1911年)に銚子を訪れた際に津宮に立ち寄り、鳥居河岸の宿屋で歌を詠んだ。
~かきつばた香取の神の津の宮の宿屋に上る板の仮橋~
(津宮まちづくり協議会)現地案内板より
・董橋(ただすばし)
董橋(ただすばし)草履抜橋(ぞうりぬきばし) じょん抜き橋
根本川に掛かるこの橋は、香取神宮への表参道に掛かり、例幣使(れっぺいし)の参向時には、ここで身を滌(すす)いだといわれ、衛兵(えいへい)の見張所もあったことから”董橋”の名がつき、”津宮大橋”とも呼ばれた。
人々は、この場所で豊富な湧き水の流れに身を清め、衣と草履を履き替えて神宮に向かったことから、”草履抜橋””靴脱(くつぬぎ)橋””じょん抜き橋”と転化(てんか)されたともいれる。
※例幣使・・朝廷から毎年神社に幣帛(へいはく)〈神に奉納するもの〉を奉(たてまつ)るために遣(つか)わされる勅使(ちょくし)(津宮まちづくり協議会)
現地案内板より
・神道山古墳群(しんどうやまこふんぐん)
神道山古墳群(しんどうやまこふんぐん)
神道山の大半は香取神宮の所有地です、昔は、香取神宮が「香取山根本寺(こんぽんじ)」を置き寺領(じりょう)として與え守護させたが、安政年間(1780年頃)に廃寺となった。
神道山には、古墳時代5~6世紀に構築された古墳12基があった。現在は主墳(しゅふん)「前方後円墳」1基、陪塚(ばいちょう)と呼ばれる円墳が6基残っており、昭和52年に市指定の遺跡となった。なお、山頂には「枡原稲荷(ますはらいなり)」が祀られている。
(津宮まちづくり協議会)
現地案内板より
・香取神宮 社頭の鳥居
・総門前の鳥居
・勅使門(ちょくしもん)
・総門(そうもん)
・手水舎(ちょうずしゃ)
・楼門(ろうもん)
・黄門櫻(こうもんざくら)
この櫻は貞亭元年(1684)に水戸光圀公が参宮の折に 植樹奉納したと伝へる
幕末に至り斎昭公が参拝して
「恵ある風にしられていちじるし 香取の宮の花の盛りに」現地立札より
・御神木(ごしんぼく)
・宝物館(ほうもつかん)
・さし石
・神楽殿(かぐらでん)・社務所(しゃむしょ)
・拝殿(はいでん)
・御本殿(ごほんでん)
・神庫(ほくら)
・大和心(石碑)
〈香取神宮奉賛会長 安倍晋三氏の題辞〉
・三本杉(さんぼんすぎ)
・神饌殿(しんせんでん)
・御神砂(おすな)
・練習船かとりの錨
・御神井道
・要石(かなめいし)
・香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)の記事をご覧ください
香取神宮 要石(かなめいし)は 香取・鹿島の二柱の大神が 葦原中國を平定し 香取ヶ浦に至った時 地震を起こす大鯰(おおなまず)を鎮めるため 地中深くに石棒を差し込み 鯰の頭尾をさし通した霊石だと古くから伝えらます 押手神社(おしてじんじゃ)は この要石を向いて 宇迦之御魂神〈農耕の神〉を祀ります
香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)
〈旧摂社・末社〉について
・神崎神社(神崎町神崎本宿)
・高房神社(香取市多田)
・切手神社(香取市大根)
・東大社(香取郡東庄町宮本)
・木内神社(香取市木内)
香取神宮の境内社・境外社(香取市)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
・香取神宮(香取市)下総国一之宮の記事を見る
香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です
香取神宮(香取市)下總國一之宮