実践和學 Cultural Japan heritage

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片山御子神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社の第1摂社〉

片山御子神社かたやまみこじんじゃは 賀茂別雷神社第一摂社として 上賀茂神社境内に鎮座します 六国史『日本文徳天皇實録』齊衡三年(856の条に゛山城國 片山神を官社に列し 相甞祭に預る゛と記され 又 延喜式(927年)に 山城國 愛宕郡 片山御子神社(大月次相嘗新嘗)かたやまのみこの かみのやしろと所載される由緒ある古社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

片山御子神社Katayamamiko shrine

通称名(Common name)

片岡社(かたおかしゃ

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市北区上賀茂本山339(上賀茂神社境内

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》賀茂玉依比賣(かもたまよりひめのみこと)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・縁結び、子授け、安産

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

賀茂別雷神社 第一摂社 片山御子神社

祭神 玉依比賣命 一柱一座

 延喜式内の古社である。「延喜式」には、「片山御子神社 大、月次、相嘗、新嘗」と載せている。賀茂縣主族の祭祀の權を握って居られた最高の女性、本宮御祭神 別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕え申し上げておられたのである。
よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先ず当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭は、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
 古来第一摂社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屡々あった。天正十九年六月十一日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢の禍を懼(おそ)れて地下に埋没したという。

現地案内板より

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【由  (History)】

片山御子神社は、楼門近くに鎮座する、賀茂別雷神社 (上賀茂神社)境内にある24社ある摂末社の中で第1摂社に定められる神社(通称「片岡社」)で、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神の母神、賀茂玉依姫命をお祀りしております。
賀茂玉依姫命は平安の昔より、縁結び、子授け、安産の御神徳により特に女性から厚い信仰を受けております。

天正19年(1591)6月11日には朝廷より神様の最も高い位である「正一位」という神階が授けられ、片岡社に対する篤い信仰があったことが伺えます。

賀茂別雷神社公式HPより
https://www.kamigamojinja.jp/shaden/kataokasha/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

片山御子神社上賀茂神社1摂社〉は 賀茂別雷神社京都市北区上賀茂本山の境内に鎮座します

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

一緒に読む
賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)〈山城國一之宮〉

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は 京都最古の歴史を有する一社です 往古この地を支配した古代氏族゛賀茂氏゛の氏神を祀る・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉で 賀茂神社〈賀茂社〉と総称されます 平安京への遷都後は皇城の鎮護社として祀られてきた 山城國一之宮です

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉の境内・境外・摂社・末社についての詳細は

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山の摂社・末社について

一緒に読む
賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内・境外の摂社・末社について

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

山城國 片山神を官社に列し 相甞祭に預る と記されています

【抜粋意訳】

卷八 齊衡三年(八五六)戊辰廿七

○戊辰

に 山城國 片山神於官社 相甞

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

京畿七道諸神 総267社が 神階の奉授がなされ 山城國 片山神 從五位上 と記されています

【抜粋意訳】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申

京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社

奉授
淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品

神祇官 无位神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産日神。足産日神並從一位。 无位生井神。福井神。綱長井神。波比祇神。阿須波神。櫛石窓神。豐石窓神。生嶋神。足嶋神並從四位上

宮内省 從三位園神。韓神並正三位。大膳職正四位下御食津神從三位。左京職從五位上太祝詞神。久慈眞智神並正五位下。大膳職從五位下火雷神。大炊寮從五位下 大八嶋竈神八前。齋火武主比命神。内膳司從五位下庭火皇神。造酒司從五位下大戸自神等 並從五位上。无位酒殿神從五位下。

山城國 正二位勳二等松尾神從一位。葛野月讀神。平野 今木神並正二位。正四位下稻荷神三前並正四位上。正四位下大若子神。小若子神。酒解神。 酒解子神並正四位上。平野從四位下久度古開神從四位上。正五位上貴布禰神。正五位下乙 訓火雷神。從五位上水主神等並從四位下。正五位下合殿比神正五位上。從五位下樺井月讀神。木嶋天照御魂神。和攴神並正五位下。從五位下祝園神。天野夫攴賣神。 岡田鴨神。岡田園神。樺井月神。棚倉孫神。許波多神。出雲井於神。片山神 鴨川合神等並從五位上。正六位上與度神。石作神。向神。簀原神。鴨山口神。小野神。久 我神。高橋神。雙栗神。水度神。伊勢田神。无位小社神並從五位下。

・・・
・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ 春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛宕郡 21座(大8座・小13座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 片山御子神社(大月次相嘗新嘗)
[ふ り が な ]かたやまのみこの かみのやしろ
[Old Shrine name]Katayama no miko no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

片山御子神社上賀茂神社1摂社〉は 賀茂別雷神社京都市北区上賀茂本山の境内に鎮座します

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉の境内・境外・摂社・末社についての詳細は

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山の摂社・末社について

一緒に読む
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉の境内 楼門の東20m程度 片岡橋の前に鎮座します

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片山御子神社京都市北区上賀茂本山に参着

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 片山御子神社大月次相嘗新嘗〕について 所在は゛上賀茂村別雷社の前に在す、今片岡社と称す、゛〈現 片山御子神社京都市北区上賀茂本山〉と記しています
祭神については 不明であるとしており 賀茂縣主 祖神 玉依彦命ではないと 考察しています

【抜粋意訳】

片山御子神社大月次相嘗新嘗

片山御子は加多夜麻美古と訓べし

〇祭神詳ならず

○上賀茂村別雷社の前に在す、今片岡社と称す、山城志

○式二四時祭下相嘗祭神七十一座、並大云々、片山社一座、

○別雷社の摂社也

考証云、千載集、神祇賀茂政平、「さりともと頼みぞかくる木綿手繦吾片岡の神と思へば、」按稱ニ吾片岡神者、可知賀茂縣主祖神玉依彦命也とは、推量の説と云べし、こは詞書に、片岡の祝にて侍るを、おなじ社の禰宜にわたらんと申ける頃、よみて書付けるとありて、ただ転職の歓びに読る也、」
新千戴集、神祇賀茂教久、「年を経ておひそふ松の数々にわが神山の影ぞさかゆく」と読るも同じ事にて、其所にて其所をいふには、吾某といふが常也、甚しきは吾日本とさへいふにあらずや、是を以て賀茂氏の祖神を祭るとはいはれぬ事也、

神位 官社
文徳実録、齊衡月戊辰、以山城國 片山神 於官社、兼預相嘗祀、
三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉授山城國 從五位下 片山神 從五位上、
百練抄、寛仁元年十二月朔日乙丑、授片岡神正二位、依行幸之賞也、野府記の文川合社の下に見ゆ
別雷社神庫所蔵、口宣案天正十九十一日、片岡社奉授ニ正一位々記、上卿中山大納言、職事蔵人左中弁藤原宣繁、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 片山御子神社大月次相嘗新嘗〕について 所在は゛今 上賀茂の東 片岡山の西麓にあり、片岡神とも云ふ別雷神の摂社とす、゛〈現 片山御子神社京都市北区上賀茂本山〉と記しています

【抜粋意訳】

片山御子(カタヤマノミコノ)神社

今 上賀茂の東 片岡山の西麓にあり、〔山城志、瀬見小河、〕

片岡神とも云ふ、〔日本紀略、小右記、〕
別雷神の摂社とす、〔神社啓蒙、三才圖會〕
文徳天皇斉衡三年五月戌辰、官社に列り、相嘗祭に預らし給ひ、〔文徳実録〕
醍醐天皇 延喜の制、大社に列り、月次相嘗新嘗祈年案上の幣に預る、〔延喜式〕
後一条天皇寛仁元年十二月、賀茂行幸の賞に依て、從二位より正二位に進め奉りき、〔小右記、左経記、日本紀略〕
凡賀茂神社、諸祭ある每に神官先 此に至て 祝詞申し、供物を奉り .其後賀茂社の祭を行ふ、〔賀茂社年中神事次第〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 片山御子神社大月次相嘗新嘗〕について 所在は゛今も賀茂別雷神の摂社なるが 式に片山御子神とあるは 片山と云處にます 別雷神の御子神と云義なるべし゛〈現 片山御子神社京都市北区上賀茂本山〉と記していますが 祭神は゛別雷神の御子神゛であるとしています

【抜粋意訳】

片山御子(カタヤマノミコノ)神社大月次相嘗新嘗

〇稱 片岡社

祭神 片山御子神

 この社は寬仁元年 記に十一日 太閤云行幸ノ日〔賀茂行幸を云り〕

河合 片岡 貴布禰三座 明神奉増神位云々とありて 賀茂に由ある神なるこし著く 今も賀茂別雷神の摂社なるが 式に片山御子神とあるは 片山と云處にます 別雷神の御子神と云義なるべし

神位
文德天皇 齊衝三年五月戌辰以ニ山城國片山神 列ニ於官社兼預ニ相嘗ノ祀
清和天皇 貞観元年正月二十七日甲申、奉授山城國 從五位下 片山神 從五位上
後一条天皇 寛仁元年十二月乙丑 詔授ニ片岡神 正二位 依ニ行幸之賞也
〔後一条巳下 日本紀略 按左経記に此時 叙階を片山等神とあれば 片岡とも片山ともいひしこと明らかなり〕

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

片山御子神社京都市北区上賀茂本山 (hai)」(90度のお辞儀)

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片山御子神社上賀茂神社1摂社〉は 賀茂別雷神社京都市北区上賀茂本山の境内に鎮座します

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

一緒に読む
賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)〈山城國一之宮〉

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は 京都最古の歴史を有する一社です 往古この地を支配した古代氏族゛賀茂氏゛の氏神を祀る・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉で 賀茂神社〈賀茂社〉と総称されます 平安京への遷都後は皇城の鎮護社として祀られてきた 山城國一之宮です

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賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉の境内・境外・摂社・末社についての詳細は

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山の摂社・末社について

一緒に読む
賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内・境外の摂社・末社について

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)は 御祭神を祀る「本殿(ほんでん)」と常設の仮殿である「権殿(ごんでん)」が国宝に指定されています 広大な境内には 多くの摂社・末社が鎮座しています 平成六年(1994)に境内全域がユネスコ世界文化遺産に登録されています 更に 境外にも摂社・末社が多数鎮座します

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山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

一緒に読む
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです

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  • B!

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています