実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

春日大社(奈良市春日野町)

春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社・比売神〈河内国 枚岡神社を併せ 御蓋山(みかさやま)麓四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

春日大社(Kasuga Taisha Shrine)

 [通称名(Common name)]

お春日さん(おかすがさん)

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市春日野町160

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》向って右(東)から
常陸国 鹿島神宮より勧請第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
下総国 香取神宮より勧請第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
河内国 平岡神社より勧請第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
河内国 平岡神社より勧請第四殿 比売神(ひめかみ)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

国家鎮守平城京の守護〉・国の繁栄国民の繁栄を祈願

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 旧 官幣大社
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

春日大社御祭神

第一殿 武甕槌命様 たけみかづちのみことさま
第二殿 経津主命様 ふつぬしのみことさま
第三殿 天児屋根命 あめのこやねのみことさま
第四殿 比売神様  ひめがみさま

 春日大社は、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って神護景雲二年(七六八)、御蓋山(みかさやま)の中腹のこの地に社殿を造営し、四柱の神々様を併せお祀り申しあげたのがはじまりです。
 この四柱の神々様は、それぞれ壮麗な春日造(かすがづくり)の御本殿(国宝)に鎮座されており、春日皇大神様(かすがすめおおかみさま)、春日大明神様(かすがだいみょうじんさま)と尊称され、崇敬を集めてまいりました。
 今も昔と変わらず、朝夕の御饌祭(みけさい)をはじめ、年間二千二百余度のお祭りが行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、共存共栄が祈り続けられております。

現地案内板より

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【由  (History)】

第一殿 武甕槌命 たけみかづちのみこと

第二殿 経津主命 ふつぬしのみこと

第三殿 天児屋根命 あめのこやねのみこと

第四殿 比売神 ひめかみ

 当大社は今から千二百余年前平城(ナラ)に都が出来た頃、神代に功績のあらせられた、鹿嶋の武甕槌命を都の東方春日御蓋山(三笠山)の頂上浮雲峯にお祀りし、国土安泰、国民繁栄をお祈りしたのが始まりで称徳天皇神護景雲二年(七六八)十一月九日今の地に社殿を造営し、香取の経津主命(又は斎主命とも申す)河内枚岡の天児屋根命、比売神の三柱の大神を共にお祀りし四社明神と崇め奉ったものである。

 創立以来上下の崇敬厚く、一条天皇永祚元年(九八九)二月二十二日の御幸を始め行幸など三十余度、藤原氏一門又衆庶の参拝夥しくその折々の祈願、慶祝、報宴には種々の神宝調度の奉納.燈籠の寄進があり又御神徳は春日講の結成、春日曼荼羅、三社託宣、御物春日権現霊験記となって現われ.且つ全国至る処に春日の分社か創立された。

 境内は御蓋山及び春日野一帯釣三十万坪が旧来より境内地と定められている。

 境内に異彩を放つ可受い神鹿は、現在約千余頭でこれは御祭神武甕槌命が、鹿嶋から春日三笠山に御遷座の折お乗りになった白鹿の繁殖したものと伝えられ、以来神使として受撫育成されている。

境内立札より

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世界遺産 春日大社

創立は、社伝では768年とされていますが、実際には奈良時代の初めにさかのぼると考えられています。古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山・御蓋山(みかさやま)の西麓に、四柱の神々をまつったもので、藤原氏や朝廷の崇敬をうけて繁栄しました。

社殿の配置は古代からほとんど変わることなく、建物が周囲の自然とみごとに調和し、日本古来の神社のようすを伝えています。

“春日若宮おん祭”や、参道の石燈籠や廻廊の釣燈籠に一斉に点火される“万燈籠”などの年中行事はつとに有名です。
本社本殿4棟(江戸時代)が国宝建造物に指定されています。

奈良市役所HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・境内社について春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社の記事をご覧ください

一緒に読む
春日大社(奈良市春日野町)・摂社・末社

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社について 記載しています

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御蓋山(みかさやま)の禁足地に鎮座する本宮神社

摂社本宮神社《主》武甕槌命、経津主命、天児屋根命

式内社 御蓋山の山頂武甕槌命が祀られていた場所に鎮座〉【頂きに鎮座する摂社・本宮神社は 通常 神職でさえ例祭(十一月九日のみ入れる聖域

本宮神社は 式内社 大和日向神社(鍬靫)(おほやまと ひむかの かみのやしろ)の論社

・本宮神社(奈良市春日野町)〈春日大社 境内摂社 一般参拝不可〉

本宮神社遙拝所 (ほんぐうじんじゃようはいしょ)

《本殿横 東廻廊の外》

御蓋山浮雲峰遙拝所 (みかさやまうきぐものみねようはいじょ)

後殿(うしろどの)末社参拝所

末社八雷神社《主》八雷大神

末社栗柄神社《主》火酢芹命

末社海本神社《主》大物主神

末社杉本神社《主》大山咋神

末社佐軍神社《主》布津之霊

《中門御廊の内》

末社多賀神社《主》伊弉諾命

・ 藤浪之屋 (ふじなみのや)

・ 御手洗川 (みたらしがわ)

末社風宮神社《主》級長津彦神、級長津姫神

末社椿本神社《主》角振神祭神は別名「隼の明神」

末社手力雄神社《主》天手力雄神
末社飛来天神社《主》天御中主神

《南廻廊の内》

末社岩本神社《主》表筒男命、中筒男命、底筒男命かつては住吉社

・大杉・柏槙(真柏)

末社辛榊神社《主》白和幣

末社青榊神社《主》青和幣

末社穴栗神社《主》穴次神

末社井栗神社《主》高御産霊神〈式内社〉

井栗神社は 式内社 宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)(うなたりにます たかみむすひの かみのやしろ)の論社

・井栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町) 

一緒に読む
井栗神社・穴栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

井栗神社(いぐりじんじゃ)・穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は もとは奈良市横井町付近〈横井村〉に鎮座していた 井栗神社は 雨多利(ウタリ)と云う田畝にあり 式内社の宇奈太理坐高御魂(うなたりにますたかみむすひ)神社とされていました 保延元年(1135)八月三日 穴栗(穴吹)・井栗の二社を現在地の春日大社境内へ遷座したと伝わります

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・ 幣殿・舞殿 (へいでん・ぶでん)

摂社榎本神社《主》猿田彦大神式内社 当地の地主神中世までは祭神は巨勢姫明神

榎本神社は 式内社 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社

・榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

一緒に読む
榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

榎本神社(えのもとじんじゃ)は 春日大社の境内社で 本社廻廊の南西の角に鎮座します 式内社 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社です 春日大社が 現在地(春日野)に創建される以前からの 当地の地主神で 一時安倍山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが 承平5年(935)再びこの場所へ御帰座になったと伝えられています

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若宮十五社めぐり

①・摂社若宮神社《主》天押雲根命比売神の御子神

・若宮神社の末社通合神社《主》中臣祐房朝臣若宮神社の北
・若宮神社の末社手力雄神社《主》天手力雄神若宮神社の南
・若宮の大楠 (おおくす)

➁・末社三輪神社(一童神社)《主》少彦名命

➂・末社兵主神社《主》大己貴命
④・末社南宮神社《主》金山彦神

➄・末社広瀬神社《主》倉稲魂神
・  赤乳白乳両社遥拝所
⑥・末社葛城神社(橋社)《主》一言主神

➆・末社三十八所神社《主》伊弉諾命、伊弉冊命、神日本磐余彦命若宮神社の(摂社)

⑧・末社佐良気神社《主》蛭子神

➈・ 春日明神遥拝所

⑩・末社宗像神社《主》市杵島姫命〈かつて空海が天河弁財天を勧請

・護摩壇

⑪・摂社紀伊神社《主》五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命

・龍王珠石

⑫・ 伊勢神宮遥拝所

⑬・ 枚岡神社遥拝所

⑭・末社金龍神社《主》金龍大神〈別名「禁裡殿」

末社夫婦大国社(大国神社)《主》大国主命、須理姫命日本で唯一の大国主夫妻を祀る社

水谷九社めぐり

①・末社総宮神社《主》伊勢神、春日神、八幡大神もとは興福寺五重塔の鎮守社

➁・末社一言主神社《主》一言主神もとは興福寺南円堂の鎮守社

末社龍王社《主》龍王大神平成30年(2018)に再興

摂社水谷神社《主》素戔嗚命、大己貴命、奇稲田姫命かつては牛頭天王

末社浮雲神社《主》天児屋根命もと興福寺の子院・四恩院で祭祀〉

浮雲神社は 式内社 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社〈参考〉

・浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)〈参考〉

一緒に読む
浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

浮雲神社(うきぐもじんじゃ)は もと興福寺の子院・四恩院の鎮守社として祭祀されていましたが 明治の廃仏毀釈により現在地に遷座し 春日大社境内社となっています 「御蓋山(みかさやま)の頂上 浮雲峰(うきぐものみね)」に鎮座する本宮神社(禁足地内 一般参拝不可)と同体とされます

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末社聖明神社《主》聖明神もとは興福寺の子院・四恩院で祭祀〉

末社愛宕神社《主》火産霊神もとは興福寺の子院・四恩院で祭祀〉

末社天神社《主》天常立尊もとは興福寺の子院・四恩院で祭祀〉

末社船戸神社《主》衝立船戸神

【その他の末社

末社壷神神社《主》酒弥豆男神、酒弥豆売神

末社祓戸神社《主》瀬織津姫神二之鳥居の横に鎮座 戸時代までは摂社

末社酒殿神社《主》酒弥豆男神、酒弥豆売神酒殿

末社竃殿神社《主》興津彦神、興津姫神竃殿

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

春日山鎮座奥山5社〈・鳴雷神社高山神社神野神社上水谷神社大神神社

①・境外末社鳴雷神社《主》天水分神式内社 春日山に鎮座〉

鳴雷神社は 式内社 鳴雷神社(大 月次 新嘗)(なるいかつちの かみのやしろ)の論社

・鳴雷神社〈春日神社境内 春日山林内〉

一緒に読む
鳴雷神社&高山神社〈春日大社末社〉(奈良市春日野町 春日山内)

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)&高山神社(こうせんじんじゃ)は 佐保川と能登川の源流 春日山の分水嶺 香山(こうせん)に鎮座する水神様 水源祭祀の御神体として龍王池を祀る鳴雷神社は 明治8年(1875)までは香山龍王社とも呼ばれ 又『延喜式神名帳AD.927』所載 宮中神 36座 主水司坐神(もいとりのつかさにましますかみ)1座 鳴雷神社は 大和国の式内大社 鳴雷神社〈当社〉を遷座したものとされます

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➁・境外末社高山神社《主》春日四座、若宮、祓戸神、水谷神春日山に鎮座〉

➂・境外末社神野神社《主》甕速日神、火速日神、崇道盡敬皇帝春日山に鎮座〉

④・境外末社上水谷神社《主》春日四座、若宮、水谷神、猿田彦神、祓戸神春日山に鎮座〉

➄・境外末社大神神社《主》大物主神春日山に鎮座〉

【その他の境外末社

境外末社赤乳神社《主》稚日咩神

境外末社白乳神社《主》志那斗弁神

境外末社住吉神社《主》表筒男命、中筒男命、底筒男命

境外末社市ノ井恵毘須神社《主》事代主命

境外末社野上神社《主》草野姫命
境外末社石荒神社《主》火産霊神

境外末社手力雄神社《主》天手力雄神もとは興福寺三重塔の鎮守社

境外末社南市恵毘須神社《主》事代主命〈市場の守護神〉

境外末社高天市恵毘須神社《主》事代主命〈興福寺寺門郷に鎮座〉
境外末社大福稲荷神社《主》大福稲荷大神昭和23年(1948)餅飯殿町 大宿所の横に移築

境外末社拍子神社《主》拍子神創建は永保元年(1081)

境外末社采女神社《主》采女命猿沢池の横に鎮座〉

・采女神社(奈良市樽井町)の記事をご覧ください

御巫祭神
采女神社(奈良市樽井町)

采女神社(うねめじんじゃ)は 現在 春日大社の末社で 猿沢池のほとりに鎮座します 『大和物語〈平安時代(951年頃)までに成立〉』には 奈良時代 天皇の寵愛が薄れたことを嘆き 猿沢池に身を投じた采女(うねめ)の物語が記されています 神社の創建は この采女の霊を慰めるために祀られた祠が始まりです

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境外末社初宮神社《主》宮中八神殿、伊勢神、春日神、住吉神平城宮にあった神祇官八神殿の後身

式内社 宮中神 36座神祇官西院坐御巫等祭神 23座(並 大 月次 新嘗)(かんづかさ にしのいんにます みかんなきのまつるかみ)
御巫祭神 8座(並 大 月次 新嘗・中宮東宮御巫亦同)(みかんなきのまつるかみ はちくら)
神産日神(かむむすひのかみ)
髙御産日神(たかみむすひのかみ)
玉積産日神(たまるむすひのかみ)
生産日神(いくむすひのかみ)
足産日神(たるむすひのかみ)
大宮賣神(おほみやひめのかみ)
御食津神(みけつのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)

初宮神社は ※延喜式の制定以前〈平城宮にあった神祇官八神殿の後身〉

・初宮神社(奈良市鍋屋町)

御巫祭神
初宮神社(奈良市鍋屋町)

初宮神社(はつみやじんじゃ)は 平城京〈710~794年頃〉奈良時代 宮中の神祇官にて祀られていた八神殿の跡〈第九代 開化天皇の時代〈BC.157~BC.98年〉の八神殿であるとも伝〉とされる聖地です 八神殿は その後 京都への遷都とともに京都に遷り 現在は東京の皇居に鎮座しています 現在の初宮神社は 世界遺産・春日大社(かすがたいしゃ)の境外末社となっています

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・境内社については 春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社をご覧ください

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社

一緒に読む
春日大社(奈良市春日野町)・摂社・末社

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社について 記載しています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 神祇 四時祭上

「延喜式四時祭式」によれば 春日祭は小祀とされ 祭日は二月と十一月の上申日(かみのさるのひ 月の最初の申日)となっている

【抜粋意訳】

延喜式巻1 神祇 四時祭上 

凡践祚(あたのしたしろしめす)大甞祭(おほむへのまつり)を為大祀と
祈年(としこひ)月次(つきなみ)神甞(かんにへ)新甞(にいなへ)賀茂等の祭を為中祀と
大忌(おほみ)風神(かさかん)鎮花(はなしつめ)三枝(さいくさ)相嘗(あいむへ)鎮魂(たましつめ)鎮火(ひしつめ)道饗(みあい)
園韓神(そのからかみ)松尾(まつのお)平野(ひらの)春日(かすか)大原野(おほはらの)等の祭を為す小祀
〈風神祭已上は 並に諸司斎す之 鎮花祭已下は 祭官斎之を 俱に小祀の祭官斎する者は 内裏不斎 其れ遣の勅使を之祭は者斎之を〉

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 神祇 四時祭上 二月祭 春日神四座祭

【抜粋意訳】

巻1 神祇 四時祭上 二月祭 春日神四座祭(かすかのかみ しくらのまつり)

春日神四座祭

祭神料
安芸木綿大一斤、絁七尺、調布二丈三尺、〈已上官物、神祇官所請〉
曝布(さらしぬの)一端八尺、商布十二段、筥八合〈已上封物、内膳司所請〉 稲六束〈神祇官所送〉 米、糯米各三斗、大豆、小豆各五升〈已上大炊寮所送〉 酒一石五斗〈用社醸酒〉 塩五升、鰒、堅魚、烏賊、平魚(くくひ)、海藻各六斤、腊十二斤、鮨三斗、雑菓子二斗、橘子一斗、韓竈(からかま)四具、由加二口、叩盆四口、盆六口、堝十口、洗盤六口、片盤、片坏、各卌口、窪坏廿口、椀形(もひかた)卅口、酒盞八口〈加台〉水桶二口、折櫃四合、匏(なりひさこ)四柄、杓二柄、箕一枚、籮(したみ)一口、槲(かしは)二俵、置簀(をきす)四枚、食薦十枚〈已上大膳職所送〉

散祭料
白紙廿張、色紙卌張、曝布一端〈已上封物〉 酒六斗〈用社醸酒〉 五色薄絁各二丈、木綿二斤、麻一斤、五色木綿一百枚、五色玉二百枚、絁一疋、絲一絇、綿一屯〈已上官物、神祇官所請〉 米、糯米各一斗五升、大豆、小豆各五升〈已上大炊寮所送〉 鰒、堅魚、平魚各六斤、鮭二隻、海藻六斤、塩五升、雑菓子(くさぐさのくたもの)三斗、槲一俵、折櫃四合、食薦二枚〈已上大膳職所送〉

解除料
五色薄絁各二尺、木綿三斤、麻二斤、鍬四口〈已上官物、神祇官所請〉 酒七升〈用ふ社醸を〉 鰒、堅魚、腊(きたい)の雑盛(まぜもり)二籠、海藻六斤、塩一升、盆一口〈已上大膳職所送〉 米五升〈大炊寮所送〉 稲二束〈神祇官所送〉 庸布一段、商布二段〈已上封物〉

餝神殿料
五色薄絁各二丈四尺、絁四尺、綿一屯、木綿八斤、麻一斤〈已上官物、神祇官所請〉 黒葛(つつら)十斤、桧榑(ひくし)一村〈已上木工寮所送〉 琴緒料絲六両〈神祇官所送〉

醸神酒(つくりみわ)并駈使等の食料〈前祭請之〉

黒米四石、調の布五尺、匏二柄、杓一柄、籮(したみ)一口、韓竈一具、槲(かしは)十把〈已上封物、醸神酒料〉 酒缶十四口、酒壷二口〈祭の日納酒料〉 庸布一段、〈覆 (みか)四口、缶十四口料〉 白米三斗六升、鮨三升、海藻卅把、塩九合〈已上醸酒女一人、駈使二人、十五日食料〉

醸(かもす)に神酒(みわ)解除(はらへ)の料〈前祭請之〉
五色帛各四尺、絁四丈、絲四絇、綿四屯、木綿、麻各二斤、白米一斗、酒二斗、鰒、堅魚、腊、海藻各六斤、塩四升、稲四束、黄蘗八枚、鍬、盆、堝各四口、坏六口、食薦二枚、匏一柄、槲廿把、庸布四段、祝詞料布一端

醸(かもす)に神酒(みわ)竈(かま)の祭料〈前祭請之〉
五色帛各二尺、倭文一尺、木綿、麻各八両、鍬二口、米、酒各四升、鰒、堅魚各二斤、腊八両、海藻二斤、塩二升、祝詞料布一端、

斎服料
物忌一人料、夾纈(かうけちの)帛三丈五尺、羅の帯一條、紫絲四両、錦鞋一両〈已上封物〉 錦二條〈一條長三尺五寸、一條長六尺、並広四寸〉 絁三疋二丈九尺、緑絁一疋、紗七尺、韓櫛二枚、紅花一斤二両、東絁三尺五寸、綿三屯半、攴子五升、神主一人、神祇(かんつかいの)官人一人、別に當色一領〈内蔵寮所充〉 絁二疋、綿二屯〈已上官物〉 細布二端、調布二端〈封物〉 神主の軾(ひさつき)料絁二疋、絲三絇、調布二端、弾琴二人、別に絁一疋三丈、綿三屯、膳部八人、卜部二人、別に佐渡の調布二丈七尺、紅花二両〈已上官物〉 守神殿仕丁二人、別商布二段〈已上封物〉

右祭の料依に前件、春二月、冬十一月の上申日祭れ之、其封物は者割て下總常陸両国香取鹿嶋二神封の調布五百端〈香取神封二百端、鹿嶋神封三百端〉
庸布三百段、商布六百段、麻六百斤〈已上鹿嶋神封〉紙六百張を〈香取神封〉 送る神祇官に、仍て収官庫に、依件に充用、其の雑給料は、所司各供備之、其の物忌一人か食、日に白米一升二合、塩一勺二撮、預神部二人、別日白米一升六合、塩一勺六撮、仕丁二人〈常陸国鹿嶋神封仕丁〉 別日黒米二升、塩二勺、其衣服神部別夏絁四丈五尺、冬絁一疋三丈、綿四屯〈並用神封物〉

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に  

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

名神祭 二百八十五座
・・・
・・・
春日神社座 大和國
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 春日祭神四座(並 名神大 月次 新嘗)
[ふ り が な ](かすかにまつるかみ しくら)
[Old Shrine name]Kasukanimatsurukami Shikura

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

春日大社の元宮〈・鹿島神宮・香取神宮・枚岡神社〉について

社記によると
春日大社(かすがたいしゃ)は 奈良時代の神護景雲(じんごけいうん)二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社・比売神〈河内国 枚岡神社を併せ 御蓋山(みかさやま)麓四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています

一説には
奈良時代の初め 平城京鎮護のために茨城県鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂に祀ったのが起こりとし
神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)称徳天皇の勅命により 現在の場所に社殿を造営し 千葉県香取から経津主命(ふつぬしのみこと)大阪府枚岡から天児屋根命(あめのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)をあわせて祀ったとします

詳しくは三神社の記事をご覧ください

河内国(kawachi no kuni)一之宮 枚岡神社 (大阪府)

・枚岡神社(東大阪市出雲井町)

一緒に読む
枚岡神社(東大阪市出雲井町)〈河内國一之宮〉

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は 神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じ・天児屋根命・比賣御神の二柱を霊地゛神津嶽゛に祀り創建されました 白雉元年(650)現在地に奉還 神護景雲二年(768)天児屋根命・比賣御神の二神が 春日大社に分祀され「元春日」と呼ばれた後・経津主命・武甕槌命の二柱が増祀され 現在の四殿となりました

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・神津嶽本宮〈枚岡神社創祀の地〉

一緒に読む
神津嶽本宮(東大阪市出雲井町)〈枚岡神社 創祀の地〉

神津嶽本宮(かみつだけほんぐう)は 枚岡神社 創祀の斎場であり 太古の聖地です 神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じて天種子命が 天児屋根命・比売御神の二神を霊地・神津嶽に祀り創建されました その後 白雉元年(六五〇)神津嶽の霊地より現社地〈枚岡神社〉に社殿を造営〈中臣氏の平岡進等により〉奉遷しました

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下総国(shimosa no kuni)一之宮 香取神宮 (千葉県)

・香取神宮(香取市)

一緒に読む
香取神宮(香取市)下總國一之宮

香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です

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常陸国(hitachi no kuni)一之宮 鹿島神宮 (茨城県)

・鹿島神宮(鹿嶋市)

一緒に読む
鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉

鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています

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春日大社から最初に分社された 別称「京春日」京都の大原野神社について

京都の大原野神社(おおはらのじんじゃ) 「京春日(きょうかすが)」の別称があります
延暦3年(784)桓武天皇が 長岡京へ遷都した際皇后の藤原乙牟漏ふじわら おとむろ しばしば鷹狩を行っていた大原野に 藤原氏の氏神 奈良春日大社の分霊を勧請して 祀ったのに始まるとされます

式外社延喜式四時祭上 大原野神四座祭 大原野神

・大原野神社(大原野南春日町)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄奈良駅から約850mで一の鳥居です
東向商店街を南下して 三条通りを東へ猿沢池を眺めながら 徒歩10分程度 一の鳥居に着きます

春日大社(奈良市春日野町)に参着

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社頭に建つ一の鳥居に一礼をして くぐります

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東から西へと続く表参道を進みます

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境内には 観光客に馴れた鹿がゆったりとしています

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二の鳥居が建ちます 一礼をしてくぐります

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参道は 廻廊の前で北に折れて 社殿は南を向いています
参拝者を迎い入れる南門が建ちます

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南門をくぐると 廻廊内へと入ります 幣殿舞殿等がある庭園内を進むと 本社中門が建ちます

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本社中門は拝所を設けていて 拝殿の役割もしています

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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・境内社については 春日大社(奈良市春日野町)・摂社・末社の記事をご覧ください

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社

一緒に読む
春日大社(奈良市春日野町)・摂社・末社

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社について 記載しています

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『大和名所図会(Yamato Meisho Zue)』〈寛政3年(1791年)刊〉に記される伝承

【抜粋意訳】

春日大宮四社(かすがおおみやよんしゃ)大明神

三笠山(みかさやま)の麓(ふもと)に御鎮座(ごちんざ)あり 帝都(ていと)より行程十一里

延喜式神名帳曰 春日祭神四座
・・・・・・云々

中院小社六座 瑞垣(みずがき)の外(そと)
岩本祠 神護寺 青榊祠 辛榊祠 穴栗祠 井栗祠

門院小社二座 瑞垣(みずがき)の裏(うち)
手力雄神 飛来天神
・・・・・・云々

内院小社 若宮の内院に二座あり
手力雄神 通合神

外院小社 若宮の外院
廣瀬祠 懸橋祠 丗八所祠 佐良氣祠 紀伊祠 弁財天社 居石
・・・・・云々

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

御祭神の第四殿 姫について 諸説を記しています

【抜粋意訳】

春日祭神四座(並 名神大 月次 新嘗)

春日は前に同じ
〇祭神 武甕槌命 斎主(イハイヌシノ) 屋根命 姫

〇春日三笠山麓に在す
〇諸社根本記云
 第一 武甕槌命(常陸国 鹿島)
 第二 斎主命(下総国 香取)
 第三 屋根命(河内国 平岡)
 第四 姫(伊勢大神宮)云々

神名秘書云
幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと) 於に春日 者 第四神殿坐也

薩戒記 慶永三十三年三月十六日

今夜夢想云
春日社 第一賓殿 第四御娘也 武雷尊 同殿 又 賀茂別雷同座 この内云々 後記之

〇式三 臨時祭 名神祭二百八十五座 中略 大和國 春日神社四座
〇江家次第 祈年穀奉幣 春日 藤原氏五位

二十二社注式云 上七社 春日
〇拾芥抄云 丗番神 春日 十五日

公事根源云
春日四所大明神と申奉るは云々
三笠山に跡をたれ給ひて 屋根命 斎主命 姫大の御もとへ 各此よしを申させ給ければ 斎主命は 下総の国香取よりうつらせ給ふ 屋根命は 河内国平岡よりうつり給ふ 姫大は 伊勢国よりうつらせ給ふ すなはち天照大神の分身にてましますなるべし 云々 この事は 注式 根元記等挙たり 故に挙げ

〇二十一社記云
春日社は屋根命坐 藤原氏大中臣等の祖神なり 本社 河内国平岡なり 此神御事 神代往因日本紀等に見え之 不能注之 天孫天降給ひし時 八百万ノ神の首にて丗二神 其の中に猶五部神 五部神の中に第一にて 殊に天孫をは可輔山 天照大神勅坐す異他事なり 當社鎮座の初めは 神護景雲年中の事なり 今 興福寺の鎮守に坐す 彼寺は本山背山科に在す之・・・・・

鎮座
二十二社注式云
称徳天皇 神護景雲元年丁未六月二十一日 伊賀国名張郡夏身郷一瀬川御沐浴 以鞭為験立給 威 樹生付
自 其渡に御同国 葛生中山 数月御宿 中略
同年十二月七日 大和国 城上郡 安倍山御坐
同二年正月九日 大和国 添上郡 三笠山御垂跡
同年十月九日寅日寅時 宮柱立御

諸社根本記云
称徳帝神護景雲二年正月九日 大和国 添上郡 三笠山御垂跡
同十一月九日寅日寅時 宮柱立御 御被造訖 自に常陸国 御影向 御乗物以て鹿為御馬以て木枝為御鞭

神位
続日本紀
宝亀八年(七七七)七月乙丑十六日〉の条 ○乙丑。内大臣従二位藤原朝臣良継病。叙其氏神鹿嶋社正三位。香取神正四位上

續日本後紀
承和三年(八三六)五月丁未日〉の条 ○丁未。奉授下総國香取郡從三位伊波比主命正二位。常陸國鹿嶋郡從二位勳一等建御賀豆智命正二位。河内國河内郡從三位勳三等天兒屋根命正三位。從四位下比賣神從四位上。其詔曰 云々
承和六年(八三九)十月丁丑廿九日〉の条 ○丁丑。奉授坐下総國香取郡正二位伊波比主命。坐常陸國鹿嶋郡正二位勳一等建御加都智命並從一位。坐河内國河内郡正三位勳二等天兒屋根命從二位。從四位上比賣神正四位下

日本三代實録
貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条 ○廿七日甲申。京畿七道諸神、進 階及新叙。惣二百六十七社 河内國從一位勳三等枚岡天兒屋根命正一位 正四位上勳六等枚岡比咩神從 三位

官幣 神寶

日本三代實録
貞觀元年(八五九)七月十四日丁卯〉の条 ○十四日丁卯。遣使諸社。奉神寳幣帛 從四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統爲春日社使
貞觀十二年(八七〇)十一月十七日乙丑〉の条 ○十七日乙丑。園韓神祭如常。是日。分遣使者諸社。奉鑄錢司及葛野鑄錢所新鑄錢。賀茂御祖別雷兩社使前安藝介從五位下大中臣朝臣是直。松尾社使神祇權大祐正六位上齋部宿禰高善。稻荷社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道。石清水社使主水佑正六位上大中臣朝臣坂田麿。平野社使神祇少副正六位上大中臣朝臣有本。梅宮社使大物從五位下橘朝臣茂生。春日社使雅樂少允從七位上大中臣朝臣冬名。大原野社使主水正正六位上大中臣朝臣鹿主
元慶八年(八八四)八月廿六日甲寅〉の条 ○廿六日甲寅。勅令尾張國愛知郡、以定額願興寺、爲國分金光明寺。縁本金光明寺災火燒損也。(『日本紀略』)
新造神琴二面、奉充春日神社。以神護景雲二年十一月「九日所充破損也(『日本紀略』)」

遷宮
百練抄
長興宿禰記

祭祀
式一 四時祭上 二月祭 春日神四座祭 云々・・・・
公事根源云
春日祭 上申日 是も二月と十一月に行はる 先未の日使たつ 近衛の中少将つとむ 萬賀茂の祭の如し・・・・

神田
日本紀略 治安元年十月十四日丙辰 寄進 春日社大和国添上郡・・・

行幸 行啓
日本紀略 永祚元年三月二十二日 天皇行幸 春日社・・・

斎女
日本三代實録
貞觀八年(八六六)十二月廿五日丙申〉の条 ○廿五日丙申。詔以藤原朝臣須惠子爲春日并大原野神齋
貞觀十年(八六八)閏十二月廿一日庚戌〉の条 ○廿一日庚戌。授肥後國從四位上阿蘇比神正四位下。因幡國從四位下宇倍神從四位上。但馬國正六位上大岡神。左長神。七美神。菅神。播磨國正六位上射目埼神。土左國無位宗我神並從五位下。
是日。宣詔内外曰。春日大原野兩社齋女藤原朝臣可多子。太政官貞觀八年十二月廿五日下所司。注藤原朝臣須惠子。今追改焉
貞觀十年(八六八)閏十二月廿五日甲寅〉の条 ○廿五日甲寅。勅令大和國。差充騎兵册人。執杖士廿人。春日齋女參社之威儀。毎至春祭。在前差課國郡司各二人。相共祗承。立爲恒例
貞觀十一年(八六九)二月八日丙申〉の条 ○八日丙申。春日祭如常。是日。齋女始參於社。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈〓〉春日大神〈能〉廣前〈爾〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈倍止〉申〈久〉。先々〈爾〉祷申賜〈布〉事有〈天〉。掛畏〈岐〉皇太神〈乃〉齋女〈爾〉。藤原朝臣可多子〈乎〉定〈天〉令奉仕之状〈乎〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉平〈久〉御坐〈志米〉。食國〈能〉天下〈毛〉無事〈久〉令有賜〈倍止〉爲〈天奈毛〉。從四位上行左中辨兼皇太后宮亮藤原朝臣家宗〈乎〉差使〈天〉。禮代〈能〉大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出賜〈布〉。此状〈乎〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉寳位無動〈久〉。常盤堅盤〈爾〉。夜守日守〈爾〉。護幸奉賜〈比〉。天下平安〈爾〉。風雨隨時〈天〉。五穀豐登〈志米〉賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申
貞觀十七年(八七五)六月八日己未〉の条 ○八日己未。遣從四位下行左馬頭藤原朝臣秀道於春日神社奉幣兼祷。欲奉齋女以祈甘雨也。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉春日大神〈乃〉廣前〈爾〉恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈倍止〉申〈久〉。近來經日渉旬〈天〉。雨澤不降〈之天〉。百姓農業枯損〈奴之倍〉。因卜求〈爾〉。皇大神〈乃〉齋女不奉〈爾〉依〈天〉。致此賜〈倍利止〉卜申〈世利〉。是非故怠。今必卜定〈天〉令奉仕〈牟〉。仍且其由〈乎〉爲令祷申〈止之天奈毛〉。從四位下行左馬頭藤原朝臣秀道〈乎〉差使〈天〉。禮代大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出賜〈布〉。此状〈乎〉平聞食〈天〉。甘雨忽降〈之〉。五穀茂熟〈之天〉。天皇朝庭〈乎〉常磐堅磐〈爾〉夜守日守〈爾〉護奉賜〈倍止〉。畏〈美〉畏〈美毛〉申賜〈波久止〉申。』遣左衞門佐從五位上藤原朝臣利基於山城國大原野神社。其祷同春日社。告文曰〈云々〉。准春日神社
貞觀十七年(八七五)十一月四日癸未〉の条 ○四日癸未。藤原朝臣意佳子爲春日大原野神齋。以前齋藤原朝臣可多子遭喪也。意佳子。中納言從三位兼行右近衞大將皇太后宮大夫藤原朝臣良世之女也

社職
諸社根元記云 神護景雲元年云々・・・・

別当
扶桑略記 寛治三年三月十一日午 行幸春日神社 別当・・・

雑事
續日本後紀
承和八年(八四一)三月壬申朔〉の条 ○三月壬申朔。勅。大和國添上郡春日大神神山之内。狩獵伐木等事。令當國郡司殊加禁制

日本三代實録
元慶二年(八七八)十一月十六日丁未 ○十六日丁未。先是、去年天皇聖体違予。右大臣斎戒粛祇、祷翌日之〓。是日、身向大和國春日神社奉幣。賽先祷也
元慶六年(八八二)十月廿五日甲子〉の条 ○廿五日甲子。志摩國年貢御贄四百卅一荷、令近江・伊賀・伊勢等國、驛傳貢進。」令大和國、結作春日神社馬場埒、并加掃除。先是、毎年春秋祭日、令興福寺、結作馬埒、洒掃塵穢。寺家言。佛神異道、忌祟応避。寺之此作、實乖物情。故改之。」能登國金光明寺、遭激雷廻〓、堂舎多壞。充通三寶布施稻一萬七千三百六束三把二分、令修理焉

・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

第四殿 比賣神を天照大御神とする説があるが これは誤りである 屋根命また其の姫神である と記しています

【抜粋意訳】

春日祭神(カスカニマツルカミ)四座(並 名神大 月次 新嘗)

祭神 武甕槌命

 斎主(イハイヌシノ)
 屋根(アメノコヤネノ)
 姫(ヒメカミ)

今按
帝王編年記
一ノ御殿ハ 甕槌 常陸ノ国 鹿島云々
ノ御殿ハ 伊波比主(イハイヌシ)ノ命 下総ノ国 香取
三ノ御殿ハ ノ兒屋根命 河内国 枚岡(ヒラヲカ)
ノ御殿ハ 比賣神 伊勢国 相殿自ニ伊勢大神宮 遷御など諸書にあれど

祝詞式 春日祭條に四座の神を挙たるに 比賣神をば 其の第四に記して所在をいはず 比賣神の神階も三座の下に序られ玉ふを以て 考ふるに伊勢大御神に非ること明けしこは 平岡神を河内より遷奉る時 かの平岡にます屋根命また其の姫神をも同じく遷されたる故に 屋根命 比賣神と並べて記せるものなるべし故 今 延喜式に因て是を訂せり

神位
続日本紀
宝亀八年(七七七)七月乙丑十六日〉の条 ○乙丑。内大臣従二位藤原朝臣良継病。叙其氏神鹿嶋社正三位。香取神正四位上

續日本後紀
承和三年(八三六)五月丁未日〉の条 ○丁未。奉授下総國香取郡從三位伊波比主命正二位。常陸國鹿嶋郡從二位勳一等建御賀豆智命正二位。河内國河内郡從三位勳三等天兒屋根命正三位。從四位下比賣神從四位上。其詔曰 云々
承和六年(八三九)十月丁丑廿九日〉の条 ○丁丑。奉授坐下総國香取郡正二位伊波比主命。坐常陸國鹿嶋郡正二位勳一等建御加都智命並從一位。坐河内國河内郡正三位勳二等天兒屋根命從二位。從四位上比賣神正四位下

日本三代實録
貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条 ○廿七日甲申。京畿七道諸神、進 階及新叙。惣二百六十七社 河内國從一位勳三等枚岡天兒屋根命正一位 正四位上勳六等枚岡比咩神從 三位
貞觀元年(八五九)七月十四日丁卯〉の条 ○十四日丁卯。遣使諸社。奉神寳幣帛 從四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統爲春日社使

祭日 二月一日
社格 官幣大社
所在 奈良(奈良市春日野町)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

春日大社(奈良市春日野町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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