春日神社・千代神社(かすがじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とされます 天長年間(830年頃)洪水によって社殿が流れ 大安寺に漂着し遷座 大正九年(1920)地元の崇敬が厚く 当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
春日神社・千代神社(Kasuga shrine・Chishiro shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
奈良県磯城郡田原本町千代1158
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
三棟の本殿が鎮座
中央
春日神社
《主》武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比咩大神(ひめのおほかみ)
東側〈向かって右〉
千代神社《式内社》
《主》八千千姫命 (やちちひめのみこと)
西側〈向かって左〉
祇園神社
《主》素盞鳴命 (すさのをのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
田原本町 町・村の歴史 大字 八条
八条村の歴史 H22.12.16
江戸時代の初め、八条村から阿部田村が分村する。明治八年(1875)に両村合村し千代村となる。明治二十二年(1889)に多村の大字千代村となる。昭和三十一年(1956)に田原本町の大字になる。八条村とは、奈良時代の条里制で城下郡路東十八条一里に立地したことから、十八条から「十」を略した村名である。また、天平十九年(747)の大安寺の記録によれば、当地に十市郡千代郷があり、神社の荘園であった。
村屋神社の記録によれば、当地に千代神社があったが、天長年間(830年頃)の洪水により社殿が大安寺領に漂着し、そこで祀ったとある。しかし、地元の崇敬が厚く、大正九年(1920)には、当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっている。
当地には古くから勝楽寺(しょうらくじ)があって明治七年(1874)に廃寺になったが、その由緒のため、明治三十一年(1898)に添上郡にあった本光明寺を勝楽寺跡に移して再興した。本光明寺の十一面観音立像は、平安時代中期の作で国・重要文化財。明善寺は、永正十年(1513)、僧空念の開基創立と伝える。妙称寺は、天文元年(1532)、僧達念の開基創立と伝える。極楽寺は、近在の大字の墓郷を管理した墓寺であり、本尊の阿弥陀如来立像は十三世紀の作。宝暦三年(1753)、当八条村ほか八村が年貢の減免を求めて一揆をおこしたが、幕府の弾圧を受けた。当村庄屋山口与十郎はこの時、伊豆の新島にながされたが、その子庄右衛門が新島へ渡って父を助け、安永七年(1778)に赦免されて帰郷した。庄右衛門の事跡は安永八年刊行の「八条ものがたり」に詳しい。
CN35周年事業 大和磯城ライオンズクラブ贈 平成23年度 LNo26八条自治会
現地案内板より
鳥居を出ると その傍らに 「孝子庄右衛門誕生地」の碑 がありました
【由 緒 (History)】
『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が、洪水の為に流失して下流に流れ着き、現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている。」と記されている。宮司家の伝承では天長年間(824年~)の洪水。
森市神社は 明治中期に当地より西のカキノモリというところからへ遷座している。
千代神社は 千代連が天八千千姫命を祭った神社と思われる。
『播磨国風土記 揖保郡大法山』に推古天皇の世、遣いに大倭千代連勝部をして墾田とあり、勝部であり、秦氏に属していた氏族ではなかったかと思われる。
祭神の天八千千姫命は 少し北方方面(磯城郡川西町唐院)の比売久波神社の祭神でもある。また次のような伝承もあります。
川東村大安寺にあり。元千代(ちしろ)にありしかども、洪水のために社殿流失し、大安寺村に漂着せるにより、ここにまつれるなりと。その後 神社を元の千代に持ち帰りてまつりしことありしが、神の崇りにて米の出来不作なりしかば、遂に大安寺にまつりしという。(『磯城郡川東村外三ヶ村風俗誌』より)
所在地:奈良県磯城郡田原本町大安寺11-2村屋坐彌冨都比賣神社 公式HP「森市神社・千代神社」より
http://murayajinja.com/keigaisessha/moriichijinja/
【境内社 (Other deities within the precincts)】
三棟の本殿の両脇に鎮座
・稲荷神社《主》保食神 (うけもちのかみ)
・琴平神社《主》大物主命 (おおものぬしのみこと)
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城下郡 17座(大3座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 千代神社
[ふ り が な ](ちしろの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Chishiro no kamino yashiro)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の論社は 三つあります
『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され
『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に
更に明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈現 八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀、同九年十六日合祀済 と記しています
・春日神社・千代神社(田原本町千代)
春日神社・千代神社(かすがじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とされます 天長年間(830年頃)洪水によって社殿が流れ 大安寺に漂着し遷座 大正九年(1920)地元の崇敬が厚く 当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっています
春日神社・千代神社(田原本町千代)
・森市神社・千代神社(田原本町大安寺)
森市神社・千代神社(もりいちじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)とされます
森市神社・千代神社(田原本町大安寺)
・八阪神社・千代神社(田原本町阪手)
八阪神社・千代神社(やさかじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 式内社 千代神社は 千代村に鎮座 春日神社の境内摂社だったが 洪水の為に流失して下流 大安寺の森市神社の境内に祀られた 明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈現 八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の現在の合祀先とされます
八阪神社・千代神社(田原本町阪手)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄橿原線 笠縫駅から 寺川を渡り 東へ約600m 徒歩8分程度
千代の集落の中心あたり 本光明寺の東横 もともとは 本光明寺と同一の敷地と思われる
春日神社・千代神社(田原本町千代)に参着
鳥居の左右に春日神社・千代神社 各々の社号標が立ちます
一礼をして鳥居をくぐると 境内南東に手水鉢の体で つくばい が設置されて「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の文字が記されています
「足ることを知る人の心は 穏やかであり 足ることを知らない人の心は いつも乱れている」との釈迦さまの説法です 寺の境内にあった祠でしょうから 仏教色を感じさせます
鳥居から石畳の参道をまっすぐに拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 基壇の上に玉垣に囲まれて 手前には鳥居が建ち 三つの本殿が鎮座しています
中央の本殿が「春日神社」
東側〈向かって右〉の本殿が「千代神社」
西側〈向かって左〉の本殿が「祇園神社」
さらに本殿の手前の左右に二社の境内社「稲荷神社」「琴平神社」が祀られています
一礼をして参道を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 千代神社の所在について 田原本町法貴寺の辺りにある斎宮之社 と記しています
【抜粋意訳】
千代(チシロノ)神社
書記 千敷神
〇今 法貴寺辺りに有る 斎宮之社 按に道祖(和抄)佐倍乃加美 佐倍乃宮の訛字
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 千代神社の所在について「八條村に在す、今 八幡宮と称す」〈現 春日神社・千代神社(田原本町千代)〉と記されています
【抜粋意訳】
千代神社
千代は 知之呂と読り
〇祭神 詳ならず
〇八條村に在す、今 八幡宮と称す、今 十市郡に属す、大和志
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 千代神社の所在について 大安寺村 森市神社境内 と記しています
【抜粋意訳】
千代(チシロノ)神社
祭神 八千千姫(ヤチチヒメノ)命
祭日 九月十三日
社格 (明細帳に森市神社境内 千代神社とあり無格社)
(大安寺村字西馬場 無格社 森市神社あるのみ 覈録には十市郡八條村とあり 明細帳には見えず この森市境内の方なるべし)所在 大安寺村字西馬場(磯城郡 川東村大字大安寺)
【原文参照】
『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承
式内社 千代神社の所在について 旧跡は〈現 春日神社・千代神社(田原本町千代)〉
その後 森市神社境内神社、千代神社〈現 森市神社・千代神社(田原本町大安寺)〉と記し
更に明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈現 八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀、同九年十六日合祀済 と記しています
【抜粋意訳】
千代(チシロ)神社
川東村大字大安寺にあり、延喜式神名帳に「城下郡 千代神社」とこれなり。
もと十市郡にあり、大安寺流記資材帳に「大倭國伍處、一は在に十市郡千代郷に・・」と 即ち その所なり。
後、洪水の為に社殿を流失し、本郡大安寺に漂着せるにより 遂に ここに祭れるものと云う。年代詳ならず、村屋神主の家には天長中と云へり 旧址 彼の郡八條にありて 今尚 千代と字せり。註(註)神社明細帳に、森市神社境内神社、千代神社、祭神 八千千姫命、明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社に合祀、同九年十六日合祀済とあり。
【原文参照】
春日神社・千代神社(田原本町千代)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)