鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 創立年歴は不詳ですが 初めは 天速玉姫命を祀っていたと云い 又『新編常陸国誌』には 鎮座地の春友(はるとも)は 旧名を速玉(はやたま)と云ったと記されていて このことから延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社とされています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鹿嶋神社(Kashima shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
茨城県常陸太田市春友町406
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》武甕槌命 (たけみかずちのみこと)
天速玉姫命 (あめのはやたまひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・五穀豊穣、勝運、家内安全、厄除け、延命長寿等
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
【御由緒】
創立年歴不詳であるが、初め天速玉姫命を祀るという。
1800年代ごろまで、この地は速玉村といわれていた。
久慈地方神社総代会HPより
https://ibarakikuji.com/hitatiota/hitatiota_ota/9_kashima.html
【由 緒 (History)】
『新編常陸国誌』に記される内容
鎮座地の春友は 旧名を速玉と云った と記しています
【抜粋意訳】
第五巻 巻三十至巻五十八 村落 久慈郡 〔春友 波留登毛〕
村名 舊 速玉と唱へしと云ふ、束西は常福寺村、南は赤須、常願寺二村、東は町屋、赤須二村、北は西河内下村に界して、其小名を鶴内、田幡、堀ノ内、堀込、向ヒ田、橘、安戸内、河原、石畑と云ひ・・・・・・
〔鹿島明神〕
神殿は板葺、高八尺三寸、方三尺一寸、神體は幣、社領は六石一斗六合なり、
・・・
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・鹿嶋神社 本殿
・〈本殿向かって右脇〉境内社 八幡神社・その脇に石祠
・〈本殿向かって左脇〉境内社 天満神社・その脇に石祠
・〈本殿向かって右下〉境内社 古刀比良神社・その脇に石祠
・鹿嶋神社 拝殿
・〈参道向かって左手〉境内社 稲荷神社
・社頭
・神社の全景
※境内社には その他に・水神社・富士神社・雷神社・葦穂神社があるとされています 石祠が該当すると想いますが どの祠に度の祭神が祀られているのかは判りません
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)〈和銅6年(713年)〉』に記される伝承
泉神社(日立市水木町)の境内北側に湧出している湧泉 について記されています
延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)については 記されていません
【抜粋意訳】
久慈郡
この所を高市(たけち)と稱す
此より東北のかた二里に密筑里(みつきのさと)があり 村の中に清浄(いずみ)あり
俗(くにひと)大井(おほゐ)と謂(いう)夏は冷かにして冬は温かく 湧流(わきなが)れて川となる夏の暑き時 遠邇(おちこち)の郷里(むらさと)より酒と肴(さかな)を持ち寄り 男女(だんじょ)集会(つど)いて 休遊(あそ)び飲(さけのみ)楽しめり
その東南は 海浜に臨(のぞむ)〔石決明(アワビ)・棘甲蠃(ケウニ)・魚介の類 甚だ多し〕
西北は山野を帯びる〔ここに椎・櫟・榧・栗が生え 鹿・猪が住む〕
この山海の珍味を悉(ことごとく)記(しるす)ことは不可能です
【原文参照】
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
天之速玉神とされ 從五位下を授ると記されています
【抜粋意訳】
卷十二 貞觀八年(八六六)五月廿七日庚午
○廿七日庚午
授に
常陸國
從五位上勳七等 薩都神 正五位上
正六位上 天之白羽神 天之速玉神 並に從五位下を備前國 旱疫す以て 正税十萬束を假に貸窮民に
【原文参照】
天之速玉神とされ 從五位上を授ると記されています
【抜粋意訳】
卷二十六 貞觀十六年(八七四)十二月癸未廿九日
○癸未廿九日
授に
常陸國
正五位上勳七等 薩都神 從四位下
從五位下 天之白羽神 天之速玉神 並從五位上河内國
正六位上 掃部神
佐渡國
正六位上 花村神 並從五位下是の日 詔め以て 權律師法橋上人位興照を爲に少僧都と 權律師法橋上人位宗叡を爲に權少僧都と 傳燈大法師位平恩 傳燈大法師位眞然 傳燈大法師位圓宗並に爲律師と 傳燈大法師位長朗 傳燈大法師位平智 傳燈大法師位豐榮 傳燈大法師位延壽並に爲に權律師と
酉時 地大震動
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)常陸國 38座(大7座・小31座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)久慈郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天速玉姫命神社
[ふ り が な ](あめのはやたまひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ameno hayatamahime no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社について
・泉神社(日立市水木町)
泉神社(いずみじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』に「密筑里(みつきのさと)の清浄(いずみ)大井(おほゐ)と謂(いう)夏は冷たく 冬は温かく 湧流(わきなが)れて川となる」と記されます 又『三代實録』天之速玉神・『延喜式』常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です
泉神社(日立市水木町)〈三代實録 天之速玉神・延喜式 天速玉姫命神社〉
・鹿嶋神社 (常陸太田市春友町)
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 創立年歴は不詳ですが 初めは 天速玉姫命を祀っていたと云い 又『新編常陸国誌』には 鎮座地の春友(はるとも)は 旧名を速玉(はやたま)と云ったと記されていて このことから延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社とされています
鹿嶋神社(常陸太田市春友町)〈延喜式内社 天速玉姫命神社の論社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR常陸太田駅から R349号経由で里川に沿って北上 約8.1km 車で15分程度
里川に架かる春友橋を渡り500m程進むと 春友のバス停があり その辺りを右折するとすぐです 車道からは少し下るような感じです
古墳のような丘陵に鎮座しています
鹿嶋神社(常陸太田市春友町)に参着
木製の両部鳥居の扁額には゛鹿嶋大明神゛と記されています
一礼をして 鳥居をくぐります
参道を歩み 手水舎があり 清めてから
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿が建てられているのは古墳だろうか?
その大きさにギリギリに社殿が建てられていて 周囲は崖の様になっています
社殿の廻りに祀られている境内社にお参りをしながら 一周して石段を下ります
参道を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天速玉姫命神社について 所在は゛水木村に在す、今泉明神と称す、今多珂郡に属す、゛〈現 泉神社(日立市水木町)〉とし
常陸國誌には 所在不明である とも記しています
【抜粋意訳】
天速玉姫命神社
天速玉姫は 阿女乃波夜多麻比賣と訓べし
○祭神 明か也〔鎮坐云、以玉為に神靈矣〕
○水木村に在す、今泉明神と称す、今多珂郡に属す、〔地名記〕
例祭月日、
常陸國誌には、今不知に所在と云り、
神位
三代實録、貞観八年五月二十七日庚午、授に常陸國 正六位上 天之速玉神 從五位下、
同十六年十二月二十九日癸未、授に常陸國 從五位下 天速玉神 從五位上、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 天速玉姫命神社について 所在 祭神については記されず 六国史の神階奉授のみ 記されています
【抜粋意訳】
天速玉姫命(アメノハヤタマヒメノミコトノ)神社
清和天皇 貞観八年五月庚午、正六位上 天之速玉神に從五位下を授け、十六年十二月癸未、從五位上を加ふ、〔三代実録〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 天速玉姫命神社について 所在は゛多珂郡水木村〔字和泉山〕(多賀郡水木村大字泉山)゛〈現 泉神社(日立市水木町)〉としていますが
ここは泉大明神と云われていて 郡も違い疑わしいが 他に候補もないので 定めている と記しています
【抜粋意訳】
天速玉姫命神社 稱 泉神社
祭神 天速玉姫命
今按 此神の神系詳ならず
神名式伊豆に波夜多麻和氣命神社あれど 別神なるべし
ただ陸奧志太郡 敷玉早御玉神社は 新沼村敷玉森にありて速御玉姫命を祭ると云もの由ありけに聞ゆ神位
清和天皇 貞観八年五月庚午、正六位上 天之速玉神に從五位下を授け、十六年十二月癸未、從五位上祭日 二月十三日 四月八日
社格 郷社所在 多珂郡水木村〔字和泉山〕(多賀郡水木村大字泉山)
今按 郡郷考に 天速玉姫命神社は今 多珂郡水木村にあり 中世 泉大明神と稱すとあれど 享祿三年棟札にも泉大明神とありて 速玉姫命神社とはなく 郡も違へれば疑しきに似たれど 他にあつべき社もなければ 水木村の泉大明神を定めて式内とすべきか姑附て考に備ふ
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
泉神社(日立市水木町)について 近年 式内社 天速玉姫命神社である事を 疑う説が多い 後の人々に託すとあります
【抜粋意訳】
〇茨城縣 常陸國 多賀郡坂上村大字水木
郷社 泉(イズミノ)神社
祭神 天速玉姫(アメノハヤタマヒメノ)命
御神體は瓊にして、社傳に云ふ、泉中より出つる所なりと、創立年代詳ならず、
三代實録に 清和天皇貞観八年五月庚午正六位上天之速玉神に從五位下を授け、同十六年十二月癸未、從五位上を加へ給へり、延喜の制式内小社に列せらる、
元と天速玉姫命神社と稱し奉りしが、〔〇延喜式〕享録三年佐竹義篤泉大明神と改称す、蓋、祠北に泉あり、甚だ著名にして、既に常陸風土記に見えたり、云く、「蜜築里、村中浄泉俗謂大井、夏冷冬温湧流成川、夏暑之時、遠邇郷里、酒肴斎来。男女集會、休遊飲樂、」
と、清深鏡潔、人労に至り小叫すれば小湧し、叫彌大なれば湧出彌甚しと、此の泉に因り山を泉森と稱し、地又舊く泉と號す、社號の泉大明神亦然らん、
享禄三年佐竹義篤神殿を営繕し、永禄三年同義昭又営繕せりと、徳川光圀什器若干を納奉りしと、徐地五斗一升三合、明治維新の後 社格制定に当り郷社に列せらる、社殿は本鍛、拝殿、境内千十六坪(官有地第一種)閑雅幽邃、風色絶佳なり。當社 式の天速玉姫命神社、國史の天速玉姫命なりとは郡郷考 及 二十八杜考等の説く所なるが、近時之を疑ふ者多し、
新編常陸「泉大明神ナリト云ヘリ、未ダ正シキ證ヲ得ズト雖他ニ本社アリト云コトモ聞エネバ。此社ト定ムベキニヤ」と云ひ、
特選神名 亦「疑シキニ似タレド、云々定メテ式内トスベキカ」と云へり、姑く附て後考に備ふ。境内神社
嚴島神社 八坂神社 豐稔神社 稲荷神社 鷺森神社 富士神社
【原文参照】
鹿嶋神社(常陸太田市春友町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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常陸国(ひたちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 常陸国には 28座(大7座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
常陸國 式内社 28座(大7座・小21座)について