狩山八幡宮(かりやまはちまんぐう)は 社伝に 聖武天皇の御宇元年〈大宝元年〉(701)九州宇佐八幡宮を勧請し創建とあります 字清水に鎮座した月根尾神社〈『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「佐世社(させ)のやしろ」の論社〉を大正8年(1919)12月に合祀しています
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記733 AD.』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳927 AD.』
➂最後に『出雲國風土記733 AD.』と『延喜式神名帳927 AD.』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
月根尾神社〈大正8年12月 狩山八幡宮に合祀〉が論社
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 大原郡(ohara no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】佐世社
【読み】(させ)のやしろ
【How to read】(sase no) yashiro
➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
月根尾神社〈大正8年12月 狩山八幡宮に合祀〉が論社
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 大原郡(ohara no kori)
【社名】佐世神社
【読み】させの かみのやしろ
【How to read】Sase no kami no yashiro
➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
狩山八幡宮(Kariyama Hachimangu)
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県雲南市大東町下佐世837
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》誉田別命(ほむたわけのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
《合》須佐能袁命(すさのをのみこと)
月夜見命(つきよみのみこと)〈合祀 月根尾神社〉
大国主命(おおくにぬしのみこと)
【御神格】(God’s great power)
・諸災祓・武芸開運・福徳愛敬・家内安全・安産守護
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載社
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創建】(Beginning of history)
由緒
祭 神 譽田別命 足仲彦命 息長足姫命
合祀神 須佐能袁命 月夜見命 大國主命当社は 聖武天皇の御宇元年 佐世末葉遠江守源朝臣正真 霊夢に依り 九州宇佐八幡宮を勧請し創建したと伝えられている。
以来 開運・長寿・安産・勧学・生業の守護神として 広く世人の尊信するところなり。
就中 佐世城主 佐世越中守幸勝公、清宗公 相次いで深く崇敬の誠を寄く 神事の隆盛を図ったが 更に 文録四年 佐世伊豆守正勝公に至り 社殿を修覆し神領を寄進した。その際 再興された祈願神事は 頭神事として今に伝えられている。大正8年、月尾根神社を合祀し、昭和4年 郷社に列せられ 神饌幣帛料供進社に指定されたが、昭和二十七年以来、神社本庁所属神社(宗教法人)となる。
境内西側に 佐世伊豆守源正勝公の墓所 及び 狩山八幡宮付属神宮寺の阿弥陀如来本尊を安置した堂宇あり。南約500米の地点には 佐世城跡城山公園がある。
例大祭11月3日 特殊神事 神幸式 頭神事式
現地案内板より
【由緒】(history)
由緒
天平元年、九州宇佐八幡宮より勧請、特殊神事として頭神事式、神幸式あり。頭神事式は中古において中絶したのを文禄4年に再興して以来今日まで約400年間断なく行われている。頭神事には祓清め獅子舞天地陰陽舞、弓引行事、12番相撲絹着せ儀頭渡し、頭受行事等がある。
島根県神社庁HPより
【境内社】(Other deities within the precincts)
・稲荷神社 と ・御井
・社日碑
・阿弥陀如来本尊を安置した堂宇 と・佐世伊豆守墓の五輪塔
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「佐世社(させ)のやしろ」の論社について
論社は二つあります
・佐世神社
佐世神社(させじんじゃ)は 『雲陽志』に「里人は「白神明神」を本宮と号す」「白神八幡」は「当国 八所八幡宮 第八番なり」とあり 2社が別々に記されています 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「佐世社(させ)のやしろ」の論社とされています
佐世神社(雲南市大東町下佐世)
・〈狩山八幡宮に合祀〉月根尾神社
狩山八幡宮(かりやまはちまんぐう)は 社伝に 聖武天皇の御宇元年〈大宝元年〉(701)九州宇佐八幡宮を勧請し創建とあります 字清水に鎮座した月根尾神社〈『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「佐世社(させ)のやしろ」の論社〉を大正8年(1919)12月に合祀しています
狩山八幡宮(雲南市大東町下佐世)
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
JR木次線 出雲大東駅から 県道24号経由 西へ約2km 車5分程度
石段参道の両脇に手水舎と案内板 その先に注連柱 社号標「郷社狩山八幡宮」 明神鳥居 石段の先に社殿の屋根が見えています
狩山八幡宮(雲南市大東町下佐世)に参着
参道石段を上がると中段に開けた場所があり 土俵や参集所が設けられています
ここで 先程から気になっていたのですが 鳥居をくぐった所から 参道の正中に盛砂が続いています
社殿の建つ 一番上の檀まで続いていて 上の檀まで来ると 東の裏参道からも盛砂が続いていて 交わって拝殿へと続いていきます
参拝日が11/14だったので 例大祭11/3の時 潔斎の名残りでしょうか
拝殿は 太い注連縄が掛かる入母屋造りで 掲げられている扁額は「狩山八幡宮」と記されています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 幣殿 本殿が鎮座しています
拝殿向かって左に建てられているのは「神饌殿」でしょうか?
拝殿の東側には 境内社の稲荷神社 と 御井が祀られています
拝殿の西側へも道があり 社日碑 と 阿弥陀如来本尊を安置した堂宇 と 佐世伊豆守墓の五輪塔が祀られています
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』にある伝承
【意訳】
佐世郷(させのさと)
郡家の正東 九里二百歩
古老の伝に云う 須佐能表命(すさのをのみこと)佐世の木の葉を頭に刺して 踊躍(おどあがり)為したまう時 刺していた佐世の木の葉 地に墜ちる所故に佐世と云う
【原文参照】
『雲陽志(unyo shi)1835AD.』大原郡 下佐世 にある伝承
月根尾神社〈大正8年12月 狩山八幡宮に合祀〉が 記されています
『雲陽志(unyo shi)』では
「月根尾大明神」と記され
「風土記に載る 佐世社なり 天照太神 月弓尊をまつる
本社五尺に六尺 祭禮 九月九日 国家の安全を祝祷す」 と記しています
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社の佐世神社の所在については 巡拝記の説として 白神明神〈現 佐世神社(雲南市大東町下佐世)〉月根尾明神〈現 〈狩山八幡宮に合祀〉月根尾神社〉共に佐世神社と紹介しつつ 所在は不明で 尚よく考えるべきと記しています
【意訳】
佐世神社
佐世は 仮字なり 和名鈔 郷名部 佐世
〇祭神 素戔嗚尊 巡拝記
〇在所 詳らかならず〇出雲風土記に云う「古老の伝に云う 須佐能表命(すさのをのみこと)佐世の木の葉を頭に刺して 踊躍(おどあがり)為したまう時 刺していた佐世の木の葉 地に墜ちる所故に佐世と云う」
巡拝記に、下佐世村 白神明神、月根尾明神、共に佐世神社といへり、未だ孰(いず)れこれなるかしらず、雲陽志は、同社を載せて共に式社たる事をいわず、よく考ふべし
【原文参照】
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)1906AD.』 にある伝承
式内社の佐世神社の所在について 下佐世村の假山大明神(かりやまだいみょうじん)〈現 〈狩山八幡宮に合祀〉月根尾神社〉と記しています
【意訳】
佐世神社
風土記に同じ 下佐世村の假山大明神といふなり 神殿二間に三間 拝殿あり
今 八幡宮を合せ祭る 八幡宮は文禄四年 佐世伊豆守正勝建立なりといへり故に祭日 八月十五日〇佐世は風土記云に「古老の伝に云う 須佐能表命(すさのをのみこと)佐世の木の葉を頭に刺して 踊躍(おどあがり)為したまう時 刺していた佐世の木の葉 地に墜ちる所故に佐世と云う」
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
式内社の佐世神社の所在について 郷社 佐世(させの)神社〈現 佐世神社(雲南市大東町下佐世)〉としながらも
ある説として 白神明神〈現 佐世神社(雲南市大東町下佐世)〉月根尾明神〈現 〈狩山八幡宮に合祀〉月根尾神社〉共に佐世神社といへり と記しています
【意訳】
〇島根縣 出雲國 大原郡 佐世村大字下佐世
郷社 佐世(させの)神社
祭神 須佐能袁命(すさのをのみこと)
奇稲田姫命(くしいなたひめのみこと)延喜式神名帳所載の神社なれども、創立年代詳らかならず、
出雲風土記 佐世郷に「古老の伝に云う 須佐能表命(すさのをのみこと)佐世の木の葉を頭に刺して踊躍(おどあがり)為したまう時刺していた佐世の木の葉地に墜ちる所故に佐世と云う」とあり、出雲式社考に「下佐世村の假山大明神といふなり 神殿二間に三間 拝殿あり
今 八幡宮を合せ祭る 八幡宮は文禄四年 佐世伊豆守正勝建立なりといへり故に祭日 八月十五日」或人曰く「巡拝記といふものに、同村 白神明神、月根尾明神、共に佐世神社といへり、
横山永福が風土記考には月根尾大明神、又 本宮大明神と申すとあり云々」境内に一老樹あり、佐世の杜と称す、風土記に記載せられたる古事を伝えたるものなるべし、
されば古より祭典の日、木の葉を刺して踊を為す神事を存せり、明治四年十二月、郷社に列し、上佐世、下佐世 両村の産土神と定められぬ(社記)、
社殿は本殿、拝殿を具へ、境内坪数六百九十坪 外に上地林一反八畝十二歩明治三十八年内務省指令甲第百六十号を以って境内に編入許可。境内社
・白神(しらかみ)八幡宮・武内(たけしうちの)神社・住吉(すみよしの)神社・堤(つつみの)神社例祭日 十月九日
【原文参照】
『出雲国風土記考証(Izumonokuni fudoki koshiyo)〈大正15年(1926)〉』に記される伝承
風土記の「佐世社(させ)のやしろ」の所在について 出雲八所八幡宮の第八番目の佐世八幡宮と同所にある白神大明神〈現 佐世神社(雲南市大東町下佐世)〉と記しています
【意訳】
佐世社(させ)のやしろ
風土記鈔に「佐世郷 加剗大明神(かざしだいみょうじん)」といってある。加剗大明神とは、白神大明神をいふか。白神大明神は 須佐乃袁命(すさのをのみこと)を祀る。同所に出雲八所八幡宮の第八番目の佐世八幡宮がある。その八幡宮の、弘安三年辰八月の造営棟札に、「奉造営白神八幡宮御社一宇」とあって、裏に「当山 佐瀬神社 素戔嗚尊 鎮座地也 正八幡建立時二ノ宮ト唱」とある。今の佐世社は、飯田から上佐世へ通ふ路が 佐世川を横ぎる点より南南東 直線八町の位置にある。
【原文参照】
狩山八幡宮(雲南市大東町下佐世)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社
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出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について