実践和學 Cultural Japan heritage

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神部神社(山梨市上神内川)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 社記によれば 景行天皇43 甲斐国造 塩海足尼勅を蒙り 近江国 比叡山より分霊し 神日吉と云ふをもって゛神部゛これによって神部神社と称し 国郡鎮護の社とされ 江戸時代には゛山王権現゛と称されました 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神部神社(Kanbe shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

山梨県山梨市上神内川920

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)〈第2代 綏靖天皇
   大山咋命(おやまくみこと〈山末之大主神〉
   大穴牟遅命
(おほあなむぢのみこと〈大国主命〉

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容

【抜粋意訳】

第二 延喜式内社 山梨郡九座

・神部神社 村社

東山梨郡加納岩村上神内川組字神戸鎭座

祭神 大己貴命  神渟名川耳命 大山咋命

社記云。神部神社也。 國志所載山王権現にして 往古大社なりしが、元弘・建武の頃 廢壊して 神家巫戸等離散せり。近邊に神田・神戸・馬置・古宮・分木・立石・天津司・天神原・奉幣塚等の小地名あり、古神領の封ならんか。

【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

【由  (History)】

由緒沿革:

相伝 延喜式内所載社にして景行天皇四十三年癸丑秋 甲斐国造 塩海足尼勅を蒙り、近江国 比叡山より遷し祭り、神日吉と云ふを詰て、神部、依って神部神社と称し 国郡鎮護の社とす。
成務天皇三年正月己亥日 神渟名川耳尊を合祭、圭田二十五束三毛田を給る故に所の名を神渟名川県といふ。
其後 諸国庄郷等の名に天皇之御諱を付す事、向後禁ず可き旨勅命有り依って神奈川とす。後 神部川と改め今 神内川、同年六十年六月丁亥日大穴牟遅命を祭り同社とす。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2037

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神部神社
[ふ り が な ]かむへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuhe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式』に所載されている神部神社(かむへの かみのやしろ)について

 『延喜式』には 駿河國に一か所 甲斐國二ヶ所が 所載されています

延喜式内社 駿河國 安倍郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・静岡浅間神社(静岡市)

一緒に読む
静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)〈『延喜式』神部神社・大歳御祖神社〉

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 駿河国総社として崇敬され(通称 おせんげんさま)と云い 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社の総称です 徳川家康公(幼名 竹千代)の元服式より幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です

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延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・神部神社(甲州市塩山)

・神部神社(山梨市上神内川)

神部神社(山梨市上神内川)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 社記によれば 景行天皇43年 甲斐国造 塩海足尼勅を蒙り 近江国 比叡山より分霊し 神日吉と云ふをもって゛神部゛これによって神部神社と称し 国郡鎮護の社とされ 江戸時代には゛山王権現゛と称されました 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・賀茂春日神社(笛吹市春日居町)

賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂)〈『延喜式』神部神社〉

賀茂春日神社(かもかすがじんじゃ)は 賀茂社〈欽明天皇の御代(540)〉春日社〈文武天皇(698)〉が並んで祭祀されていたが 天正十年に社殿が兵火に罹り神寶古文書等が焼失 天正十四年(1517)洪水で両社共に流失し 相殿として合併されたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・神明神社(笛吹市石和町窪中島)

延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・〈旧 三輪神社の山宮〉八幡神社(南アルプス市上宮地)

・〈旧 三輪神社の里宮〉神部神社(南アルプス市下宮地)

一緒に読む
神部神社(南アルプス市下宮地)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 垂仁天皇の御代 大和の三輪神社から大物主神を勧請し「三輪明神」とも云う 上古 甲府盆地は湖水で 社前迄湖であった 例祭の゛舟引祭゛は 大和から奉遷の時 船にて此地に渡った遷座の状況を神事として伝えていると云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・白山神社(明野町上神取)

・神部神社(須玉町小尾)

・熱那神社(北杜市高根町)

・南宮大神社(韮崎市大草町)

・神部社(南アルプス市寺部)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 山梨市駅から北へ約1km 車で3分程度

神部神社(山梨市上神内川)に参着

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鳥居をくぐり抜けると細い参道があり 境内の入口には 隋神門が建ちます

隋神門を抜けると 広い砂地のグラウンドのような境内地があり 子供の遊具〈ブランコ〉なども設置されています

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 祭神 在所等は不明と記されています

又『甲斐名勝志』に゛加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)〉との説
萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉との説
゛『甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なり〈現 神部神社(甲州市塩山)を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社

神部は加牟倍と読り

○祭神 在所等詳ならず

○当國 巨摩郡 神部神社あり

 甲斐名勝志云、加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり、云々、延喜式所載 神部神社なり、
又云、萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、云々、相伝 延喜式所載 神部神社也、
神戸  ガウトと唱ふ、前に云 加茂神社も神部の説あれば、何れか是なる事を考分ちがたし、』
甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なりといへり、

類社
 駿河國 安倍郡 神部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神部神社について 所在は゛今 上荻原村にあり、岩間明神と云、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

【抜粋意訳】

神部(カンベノ)神社

今 上荻原村にあり、岩間明神と云、〔甲斐名勝志、甲斐國志、山梨縣取調書〕〔〇按 社の東方に神戸山あり、岩間奥御殿と云しとぞ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 所在は゛上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

又 別の説として
゛一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)
上神内川村山王社なり〈現 神部神社(山梨市上神内川)〉を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社 稱 岩間明神

祭神
 今按 社傳 祭神 神直日神 八十柱津日神に三柱筒男神 三柱少童神とあれど こは何れも後人の附會と聞ゆれば信がたし

祭日 三月二十九日
社格 村社

所在 上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)

 今按 一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ 又 上神内川村山王社なりと云へど 神部と云ふ證なし 唯 萩原村なるは往古 上中下萩原郷を神部庄と號すと云ひ 又 神戸神田等の地名あり 又 當社の東方に神部山と云ありと云ふもの證とするに足れり 故今定めて記しつ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神部神社(山梨市上神内川) (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る

一緒に読む
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について

甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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