神御魂神社(かみむすびじんじゃ)は 対馬の北部・上県町 佐護に鎮座します 対馬の天道信仰の中心地とされる南部・厳原町 豆酘と ここ佐護は 対馬の南北での対称の地とされ 祀られている神社も対をなすように 豆酘には「多久頭魂神社」佐護には「天神多久頭魂神社」が鎮座し この両神社にもペアの様に天道法師の母神を祀る神社として 豆酘には「 高御魂神社」があり ここ佐護には当神社「神御魂神社」が鎮座しています かつては 赤米神事に深く関与し 司祭者がいたと伝わります 例祭は 旧3月3日です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
神御魂神社(Kamimusubi Shrine)
(かみむすびじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市上県町佐護北里字坂尻45
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》神皇産靈尊(Kamimusubi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・不詳
【創 建 (Beginning of history)】
・不詳
『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~
神御魂神社 かみむすびじんじゃ
周辺の雰囲気・環境など
対馬の北西部に位置する佐護は、対馬では珍しい農耕地帯であり、良港となる入り江に恵まれ、古代から集落が形成されていたと考えられています。
ツシマヤマネコの生息や野鳥の飛来など自然が豊かで、棹崎公園には環境省の対馬野生生物保護センターがあり、春・秋の野鳥の渡りの時期には、バードウォッチャーで賑わいます。神社のプロフィール
佐護川の河口部の森のなかに鎮座しています。古事記には、カミムスビの性別をイメージさせる描写はありませんが、対馬のカミムスビは女房神と俗称され、御神体は日輪を抱いた女性の木像で、女神と考えられていたようです。
北(佐護)に女神カミムスビ、南(豆酘)に男神タカミムスビがいて、その子神タクズダマが両地域で祭られ、対馬固有の天道信仰(P29)の2つの中心地を形成していました。『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221 『対馬神社ガイドブック』
【由 緒 (History)】
・不詳
· 神御魂神社(かみむすびじんじゃ)
佐護(さご)に鎮座している古社ですが、式内社ではありません。
なぜ式内でないのか定かではありませんが、天神多久頭魂神社と非常に強く結びつく神社です。
①対馬の北《佐護》・天神多久頭魂神社(てんじんたくつたま)式内・神御魂神社(かみむすびじんじゃ)
②対馬の南《豆酘》・多久頭魂神社(たくつたまじんじゃ)式内・高御魂神社(たかみむすび神社)※式内名神大※たくづたま、たくつだま、という説もある。天道信仰において、①佐護②豆酘はかなり重要な集落です。天道山と神社が対をなしているのには必ず意味があります。
かつて、この両集落には「供僧(ぐそう)」という神仏習合の司祭者がおり、赤米神事に深く関与してきた人々です。対馬島内の神仏習合は江戸時代に対馬藩主によって改められ、元禄年間に島内の有力な神職家(宮司家みやじけ)の人々に対して、社僧から神職に復帰するように命が下っています。
これを受けて、対馬各地の宮司(みやじ)は、身分の高い社僧(別当)から神職に戻りましたが、豆酘と佐護は特例だったようです。最後に残った供僧は豆酘の本石家、主藤家で平成22年の調査時はご存命でしたが、現在は全て途絶えました。昔の祭祀は徐々に失われ行くのでしょう。でもそういうものがあったことを忘れてはなりませんね。十数年振りに歩いてみて、変化の速度にも驚きました。和多都美神社(対馬)2019年11月6日 公式FBより
https://www.facebook.com/wamiya.nii/posts/2552621641497810?comment_id=2552663664826941
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
対馬の天道信仰の中心地に鎮座する 主要な神社について
当神社は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載されていません
しかし 天道信仰の中心地「佐護」に鎮座し 天道法師の母神を祀る神社とされて天道信仰に深い関わりがあります
天道信仰の中心地とされるのは 対馬の南部・厳原町豆酘と対馬の北部・上県町佐護です
豆酘には「多久頭魂神社」
佐護には「天神多久頭魂神社」が鎮座します
この両神社にはペアの様に天道法師の母神として
豆酘は「 高御魂神社」があり ここ佐護には当神社「神御魂神社」が鎮座しています
対馬の北部・南部の 天道信仰の中心地 天道信仰に深く関わる式内社
当神社「神御魂神社」の他の3社はすべて式内社です
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の3論社
①対馬の北部・上県町佐護 「對馬嶋 上縣郡 天神多久頭多麻命神社」
・天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)
天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)は 対馬固有の天道信仰の主要な神社です 天道信仰の中心地は 対馬島の南北対称の地〈・南部は厳原町 豆酘・北部は ここ佐護〉にあり 祭神「多久頭魂神」も 豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社」が 佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が対をなし鎮座します 更に この両神社には 天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」 ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座します 対馬固有の「天道信仰」は 天童法師という超人の伝承を中心として・霊山崇拝・穀霊崇拝・太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです
天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)対馬固有の天道信仰の主要な神社
②対馬の南部・厳原町豆酘 「對馬嶋下縣郡 多久頭神社」
・多久頭魂神社(対馬 豆酘)
多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ)は 天神地祇を祀る神体山「龍良山」の遥拝所〈豆酘の里人が遠くからお祈りをする処〉で 古くは『延喜式神名帳』所載の由緒ある古社です 平安期より 神仏習合時して 対馬特有の天道信仰の中心地でした 中世以降は 豆殴御寺と称しましたが 明治に現社号に復しています しかし 境内には未だに神仏混合の名残りがあり 社殿も旧観音堂を使用しています
多久頭魂神社(対馬 豆酘)対馬特有の天道信仰の中心地
③対馬の南部・厳原町豆酘 「對馬嶋下縣郡 高御魂神社 名神大」
・高御魂神社(対馬 豆酘)
高御魂神社(たかみむすびじんじゃ)は『日本書記』顕宗天皇3年条に「対馬の日神の託宣(タクセン)により 高皇産霊神に磐余(イワレ)の田14町を献上し その祠官として対馬下縣直がつかえた」という記載があり 『延喜式』の名神大社として大変立派な由緒を持つ古社です 元々は 豆殿浦の東側の海岸に鎮座しましたが 昭和32年(1957)豆酘中学校の建設により 現在の多久頭魂神杜の境内に遷座しました
高御魂神社(対馬 豆酘)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
鎮座地の「佐護(サゴ)」について
鎮座地の「佐護(サゴ)」は 対馬の8郷〈・豊崎郷・佐護郷・伊奈郷・三根郷・仁位郷・与良郷・佐須郷・豆酘郷〉の中の一つに佐護郷があり 郷内に8ヶ村の集落〈・深山・仁日内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須〉がありました 弥生時代からの遺蹟も多く 古墳もあり 古から人の営みが在った地です
佐護に鎮座する式内社〈『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)の所載社〉
2つの神社ですが その論社の多さに この地「佐護」の神と人との係わりの深さを感じます
①「對馬嶋 上縣郡 天神多久頭多麻命神社」
・天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)
天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)は 対馬固有の天道信仰の主要な神社です 天道信仰の中心地は 対馬島の南北対称の地〈・南部は厳原町 豆酘・北部は ここ佐護〉にあり 祭神「多久頭魂神」も 豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社」が 佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が対をなし鎮座します 更に この両神社には 天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」 ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座します 対馬固有の「天道信仰」は 天童法師という超人の伝承を中心として・霊山崇拝・穀霊崇拝・太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです
天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)対馬固有の天道信仰の主要な神社
・天神神社(対馬 佐護北里)
天神神社(てんじんじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「對馬嶋上縣郡 天神多久頭多麻命神社(あめのかみたくつまのみことの かみのやしろ)」の論社です もともと天神(あめのかみ)と称する祭祀所であったとされます
天神神社(対馬 佐護北里)
②「對馬嶋 上縣郡 天諸羽命神社」
・天諸羽神社(対馬 佐護恵古)
天諸羽神社(あめのもろはじんじゃ)は 佐護郷6ヶ村〈恵古 深山 仁田ノ内 井口 友谷 湊〉の中心であった恵古に鎮座します 藩政時代には 島主の宗家は 対馬の吉凶を 亀卜(キボク)や太占(フトマニ)により占わせたと伝わり 豆酘〈下縣〉と佐護〈上縣〉の地では〈明治4年(1871)の廃藩までは〉毎年旧暦の正月3日に 亀卜神事が執り行われていたようです
天諸羽神社(対馬 佐護恵古)
・天諸羽神社(対馬 吉田)
天諸羽神社(あめのもろはじんじゃ)は 対馬の卜部の系列の神社とされ その卜術は 亀の甲羅を火に焙って 占を行う「亀卜」と呼ばれるもので 神功皇后に従って三韓に渡り 帰途 対馬に留って縣直(あがたのあたい)となった 中臣鳥賊津使主が 亀卜の法を伝えたといわれ 対馬では 雷大臣命として卜部の神社に祀られています 当神社も卜部の関係した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「對馬嶋 上縣郡 天諸羽命神社」の論社です
天諸羽神社(対馬 吉田)
・天諸羽神社(対馬 佐護深山)
天諸羽神社(あめのもろはじんじゃ)は 佐護郷6ヶ村〈恵古 深山 仁田ノ内 井口 友谷 湊〉の深山に鎮座します 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 天諸羽命神社(あまのもろはのみことの かみのやしろ)」の論社との説もあり かつては「つのかみ明神」と呼ばれました 深山村落の裏山〈中々わかりにくい所〉に鎮座しています
天諸羽神社(対馬 佐護深山)
・春日神社(対馬 佐護東里)
春日神社(かすがじんじゃ)は 佐護郷6ヶ村〈恵古 深山 仁田ノ内 井口 友谷 湊〉の深山に鎮座します 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 天諸羽命神社(あまのもろはのみことの かみのやしろ)」の論社です 深山では「春日大明神(かすがだいみょうじん)」と呼ばれ 深山村落の鎮守のようです
春日大明神(対馬 佐護東里)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
対馬空港から R382号を北上 約55km 車70分程度
佐護から 佐護川に沿いながら 佐護湾の方向へ道を折れます 佐護川の河口付近で川を渡り 東岸の雌嶽の麓の丘に鎮座します 西岸の雄嶽の麓には天神多久頭魂神社が鎮座しています
蘇鉄(ソテツ)が 鳥居の前に植えられています 大変珍しいです
神御魂神社(Kamimusubi Shrine)に参着
蘇鉄(ソテツ)は 日本列島に自生する唯一の種で 自然分布では 日本列島の固有種とされ 現在生きている植物の中では 最も原始的なもののひとつといわれています
この蘇鉄(ソテツ)が鳥居の前に 狛犬の様に植えられていて まるで 日本の原始信仰を持つ神社と誇示しているかのようです
鳥居には「神御魂神社」〈消えかかっている〉と手書きで記されています 一礼をして 鳥居をくぐります
境内は 下草が刈られていて その先に本殿と拝殿の覆屋が建っています
本殿と拝殿の覆屋にすすみます 戸は開きませんので 扉の前の踏み石に紙が敷かれていますので こちらに賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
参道を戻り 鳥居を過ぎて 振り返って一礼をします
佐護川の対岸に鎮座する天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)へと向かいます
・天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)
天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)は 対馬固有の天道信仰の主要な神社です 天道信仰の中心地は 対馬島の南北対称の地〈・南部は厳原町 豆酘・北部は ここ佐護〉にあり 祭神「多久頭魂神」も 豆酘(ツツ)には「多久頭魂神社」が 佐護(サゴ)には「天神多久頭魂神社」が対をなし鎮座します 更に この両神社には 天道法師の母神を祀る神社として 豆酘は「 高御魂神社」 ここ佐護には「神御魂神社」が鎮座します 対馬固有の「天道信仰」は 天童法師という超人の伝承を中心として・霊山崇拝・穀霊崇拝・太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などさまざまな要素が絡み合い形成されているようです
天神多久頭魂神社(対馬 佐護西里)対馬固有の天道信仰の主要な神社
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『祭祀と空間のコスモロジー 対馬と沖縄』鈴木 正崇 著 2004年春秋社に記される伝承
天道信仰と当神社の関わりについて記されています
「佐護湊の祭祀と村落空間」より抜粋
北部の佐護湊の天神多久頭魂(あまのたくつたま)神社も 天道信仰で山上に御子神を祀り
山麓の水辺にある神御魂(かみむすび)神社には 天道の母神を祀り 母子神信仰である
対馬の天道信仰について
『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~
天道信仰と天道法師 タクズダマ
【日本神話】 なし(対馬固有の信仰)
【対馬の伝承・異伝】
7世紀後半、内院(ないいん。厳原町)に高貴な女性が虚船(うつろぶね)に乗って漂着し、太陽に感精して子を産みました。「太陽の子」は天道法師と呼ばれ、嵐をまとって空を飛び、天皇の病気を治すなどの奇跡をおこします。
豆酘(つつ)の北東に広がる龍良山(たてらさん)中の八丁角(はっちょうかく。北と南の2ヶ所にある石積み)は、天道法師とその母の墓所とされ、多久頭魂神社境内の不入坪(イラヌツボ)とあわせて「オソロシドコロ」と呼ばれ、龍良山という聖域の結界を構成しています。
対馬固有とされる天道信仰は、天道法師という超人と霊山・龍良山を中心に、太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などの要素が複雑に絡み合い、平安時代ころに成立したと考えられています。多久頭魂(たくずだま)神社(番号21)の現在の祭神は天神・天孫系ですが、古くは龍良山を御神体として社殿はなく、対馬固有のタクズダマ(多久頭魂)を祭り、神仏習合時代にはタクズダマ=天道法師とされていました。天道信仰の南の中心部・豆酘には高御魂(たかみむすび)神社(番号22)が、北の中心部・上県町佐護には神御魂(かみむすび)神社(番号9 5)があり、多久頭魂神は、両社にまつられたタカミムスビとカミムスビの子神とされています。(P7)
豆酘は対馬の南端に位置し、陸路による他地域との交流が少ない反面、航路の拠点として国内外の文化が流入する地域であり、亀卜や天道信仰、赤米神事など独自の文化・歴史が形成されてきましたが、近年は過疎・高齢化のため、伝承の存続が危ぶまれています。 なお、龍良山はその強烈なタブーにより、標高120mの低域から山頂558mまで良好な照葉樹原始林(スダジイ・イスノキ・アカガシなど)が残り、国の天然記念物に指定されています。龍良山に入ると、「森の神」が生きていた縄文時代の森の雰囲気を感じることができます。『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221~神話の源流への旅~
神御魂神社(Kamimusubi Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)