実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ) 第10代崇神天皇の御世 三種神器の一つ「八咫鏡」を笠縫邑伊勢神宮の起源にお祀りする際 皇居にお祀りする新たな御鏡を鋳造したのが 鏡作神社を中⼼とした鏡作の匠で この時 試作鋳造された御鏡を「天照国照⽇⼦⽕明命」としてお祀りされています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鏡作坐天照御魂神社(Kagamitsukurinimasu amaterumitama shrine

通称名(Common name)

・鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

奈良県磯城郡田原本町大字八尾字ドウズ816

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神

中座〉天照国照日子火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)

右座〉石凝姥命(いしこりどめのみこと)鏡作の遠祖

左座〉天糠戸命(あまのぬかとのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史記載社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)
(鏡作神社)

祭神 天照国照彦火明命・石凝姥命・天糠戸命

由緒

  倭名抄 」鏡作郷の地に鎮座する式内の古社である。

 第十代崇神天皇のころ、三種の神器の一なる八咫鏡を皇居の内にお祀りす ることは畏れ多いとして、まず倭の笠縫邑にお祀りし(伊勢神宮の起源)、更に別の鏡をおつくりになった。社伝によると、「崇神天皇六年九月三日、この地において日御像の鏡を鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。本社は其の( 試鋳せられた )像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」とあり、ご祭神は鏡作三所大明神として称えられていた。

 古代から江戸時代にかけて、このあたり鏡作師が住み、鏡池で身をきよめ鏡作りに励んだといい、鏡の神様としては全国で最も由緒の深い神社である。
田原本町

現地案内板より

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御由緒

上代人が神の御魂の宿るものとして尊んだ鏡の鋳造を業とした鏡作部がこの地に住居しこの神社を氏神としてお祀りしていた

三種の神器の一なる八咫鏡をお作りになった石凝姥命を鏡作伊多の神と称えて右座に その御父 天糠戸命を鏡作麻気の神と称えて左座にお祀りし 中座には天照国照彦火明命と申し上げて 崇神天皇六年九月三日この地で内侍所の神鏡が鋳造せられた際の試鋳の像鏡を御祭神として奉祀する

鏡作三社大明神として遍く知られ式内大社に列し鏡作師はこの地に集り鏡の池の水を以て秘法を授けられたと縁起に伝える 古来鏡業界に於ては業祖として信仰篤くまた心も姿も美しくありたいと祈願する人々の参拝も多く鏡の神様としては全国で唯一の格別に御由緒の深いお社である。
奉献 聖界凰導
昭和四十七年十月吉日 宮司  正明 

現地石碑文より

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【由  (History)】

由緒

 上代人が 己ガ魂の宿るものとして 最も崇啓尊重した鏡類を製作鋳造することを業としていた鏡作部が この地一帯にわたって住居し 御鏡(天照国照彦火明神)並びに遠祖(石凝姥命)を氏神として奉祀したのが当神社であって 古来 鏡鋳造鋳物元祖の神として尊崇信仰されている
 第十代崇神天皇のころ 三種の神器の一なる八咫鏡を皇居におまつりすることは畏れ多いとして別の所におまつり致し(伊勢神宮の起源)更に別の御鏡をおつくりになった。
その神鏡を八咫鏡をおつくりになった石凝姥命の子孫 鏡作師がこの地に於いて崇神天皇6年9月3日に鋳造した。それを内侍所の神鏡と称するが その鋳造に当たって斌鋳せられた像鏡は 之を天照国照彦火明命と称えておまつりした。これが当社の起源である。
 中座は天照国照彦火明命であり 右座は鏡作の遠祖石凝姥命,左座は天糠戸命を祀り申し上げている。
 御由緒が尊いので 昭和11年県社に列し更に官幤社昇格の運動を進めていたが終戦と共にそれも沙汰やみになってしまったのは仕方ないことです。
 古来から有名な神社であり 江戸時代も鏡商の信仰が随分厚かった様であったがその後途絶えていたのを最近復活,鏡業界の方々の参拝していただく様になったのは誠によろこばしいことです。鏡作大神もさぞかし御満悦下され鏡業界の繁栄と発展をお護り下されお進め下さることと存じます。
 終戦後一時 神社の信仰も軽んじられましたが30年余も経過した今日は従来の姿に復帰し日本人本来の神の道への奉仕が自覚反省せられ伊勢神宮をはじめ各神社の尊崇参拝もいよいよ盛んになって参りましたことはよろこびにたえません。とりわけ鏡業界の方々にとっては業界の遠祖であり生みの大おやである鏡作大神との深き御関係に思いを致され心の故郷として今後共に当神社に御参拝御信仰お心をお寄せ下さいます様ここに一言御挨拶もうしあげます。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇奈良縣 大和國 磯城郡都村大字八

郷社 鏡作坐天照御魂(カガミツクリニマス アマテルミタマノ神社

祭神
 天照國照日子火明命(アマテルクニテルヒコ ホアカリノミコト
 石凝姥命(イシコリトメノミコト)
 天屋根命(アメノコヤネノミコト)

 本社創建の年代詳かならすと雖も、延喜式内の古社にして、祭神は天日神命神社覈録及び 鏡作連の祖神たり〔舊事記神宮類例集
聖武天皇 天平年、鏡作社に神戸租稲百束を以て祭神  神嘗酒料に充てられ正倉院文書
平城天皇 大同元年 大和伊豆の地 十八戸を神封に充て奉り新抄格勅符
清和天皇 貞観元年 從五位下より從五位上を授けらる三代実録
醍醐天皇 延喜の制大社に列り、祈年、月次、新嘗の案上幣帛に預る延喜式
 古へ此社内に鏡池と称する池水あり、之れ天照大神 天の岩戸に籠らせ給ひし時、石凝姥命 天香具山の銅を採りて日像の鏡を鋳造せらるる時に、用ゐられたる水なりと云ふ、然れども今乾涸して其跡なし〔國華萬葉記、和州
宮古村近郊七ケ村の氏神として、毎年九月十九日祭を行ひ、〔奈良縣神社取調書明治年郷社に列せらる。

社殿は本殿、拝殿等の建物あり、境内二千九百五十二坪(官有地第一種)、大和平野の中央に位し、老樹森々として繁茂し、頗る風致に富めり。

境内神社
 天照皇大神社 住吉神社 手力雄神社 天兒屋根神社 少彦名神社
 大國主神社 猿田彦神社 市杵鳥姫神社 事代主神社 八意思兼神社
 保食神社 狹衣比女神社 鍵取神社 火産靈神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

鏡作坐天照御魂神社 本殿〈三間社流造〉
中座天照照彦天火明命
右座石凝姥命鏡作の遠祖
左座天糠戸命

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・〈本殿向って右 境内社〉天照皇太宮・手力雄神社・住吉神社・春日神社

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・〈本殿向って右前 境内社〉鏡作坐若宮神社《主》天八百日命(あめのやおひのみこと)

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鏡作坐天照御魂神社 拝殿

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・拝殿の前

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・〈本殿向って左 境内社7社合殿

 向って右から〔猿田彦神社・大國主神社・保食神社・厳嶋神社・事代主神社・粟嶋神社・八意思兼神社〕

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・梵鐘

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神社に釣り鐘?

 此処より西域は昔の寺領で、神佛習合時代 神宮寺、真言宗「開楽院」と称する寺院があり、明治五年に廃寺となるも鐘楼のみ 今に残っています。
現社務所は旧寺院跡です。
この「釣り鐘」は太平洋戦争時に金属類供出の国策に従い、泉州の軍事工場まで運ばれ、鋳潰される寸前に終戦となり、運良く元の鐘楼に帰りました。毎年撞く除夜の鐘の音は近郷の村々に響き渡っています。

◎「この鐘を撞くと良き運に恵まれるかも」(自由に撞いて下さい。無料です。)

文 堀内篤夫

現地立札より

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・銀杏

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・〈鐘楼の裏 境内社〉3社合殿〔愛宕神社・稲荷神社・王子神社

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〈境内向かって左 境内社〉2社〔笛吹神社・鍵取神社〕

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・〈境内向かって右 境内社〉狭依姫神社

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・〈石碑 境内社〉金刀比羅神社《主》金刀比羅神

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・手水鉢

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・鏡池

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・鏡石

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鏡作坐天照御魂神社

「鏡石」について

 此の鏡石は江戸時代に前の鏡池より出土したもので、古代の「鏡」製作時、近辺の鏡作郷よりの粗鏡の仕上げ、即ち鏡面の研磨工程時使用された用具かと推察される。

 鋳造面を「鏡面」への研磨時、この鏡石の凹面に粗鏡を固定し上方から水を流し乍ら、二上山の麓より採取した金剛砂等で、「平面加工」や「鏡面加工」を施した時の用具かと考察される。

文 堀内篤夫

現地立札より

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・遥拝所

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・参道

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・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

京畿七道諸神267社と ともに鏡作天照御魂神として 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申

京畿七道諸神に 進階(くらいをすすむ)び つ (すべて)二百六十七社なり

奉授

淡路國
 无品勳八等 伊佐奈岐命一品
備中國
 三品 吉備都彦命二品
・・・
・・・
・・・

大和國
 從一位 大己貴神正一位
 正二位 葛木御歳神 從二位勳八等 高鴨阿治須岐宅比古尼神 從二位高市御縣鴨八重事代主神 從二位勳二等大神大物主神 從二位勳三等大和大國魂神 正三位勳六等石上神 正三位高鴨神 並に從一位
 正三位勳二等 葛木一言主神 高天彦神 葛木火雷神 並に從二位
 從三位 廣瀬神 龍田神 從三位勳八等多坐彌志理都比古神 金峰神 並に正三位
 正四位下 丹生川上雨師神 從三位
 從五位下 賀夜奈流美神 正四位下
 從五位下勳八等 穴師兵主神 片岡神 夜岐布山口神 並に正五位上
 從五位下 都祁水分神 都祁山口神 石寸山口神 耳成山口神 飛鳥山口神 畝火山口神 長谷山口神 忍坂山口神 宇陀水分神 吉野水分神 吉野山口神 巨勢山口神 葛木水分神 鴨山口神 當麻山口神 大坂山口神 伊古麻山口神 並に正五位下

 從五位下 和爾赤坂彦神 山邊御縣神 村屋禰富都比賣神 池坐朝霧黄幡比賣神 鏡作天照御魂神 十市御縣神 目原高御魂神 畝尾建土安神 子部神 天香山大麻等野知神 宗我都比古神 甘樫神 稔代神 牟佐坐神 高市御縣神 輕樹村神 天高市神 太玉命神 櫛玉命神 川俣神 波多井神 坐日向神 卷向若御魂神 他田天照御魂神 志貴御懸神 忍坂生根神 葛木倭文天羽雷命神 長尾神 石園多久豆玉神 調田一事尼古神 金村神葛木御縣神 火幡神 往馬伊古麻都比古神 平群石床神  矢田久志玉比古神 添御縣神 伊射奈岐神 葛木二上神 並に從五位上
 无位 水越神 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭

月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭(つきなみのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所

〇座別に以下のように 社ごとに幣帛(神への供物)を奉る

・絁(あしぎぬ)五尺
・五色の薄絁(うすぎぬ)各一尺
・倭文(やまとぬの)一尺
・木綿(ゆう)二両
・麻五両
・倭文・絁・布をそれぞれ刀の形にしたもの(まきかたなかた)各一口
・四座をまとめて一束 八座をまとめて一束とする
・弓一張、靫(ゆき)一口
・楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿
・鹿の角一隻、鍬一口
・庸布(ちょうふ)一丈四尺
・酒四升
・鰒(あわび)・堅魚(かつお) 各五両
・腊(ほしにく)二升
・海藻・滑海藻・雑海菜 各六両
・堅塩一升
・酒坩(かめ)〈酒を入れる壺〉一口
・裹葉薦(うらはこも)五尺
・祝詞(のとこと)を奏する座の敷物として短畳一枚

〇前一百六座(下位の神)への奉献

次に 前一百六座の神々(小社)は次の幣帛を奉る

・絁五尺
・五色薄絁各一尺
・倭文一尺
・木綿二両、麻五両
・四座ごとに一束 八座ごとに一束とする
・楯一枚
・槍鋒一口
・葉薦五尺

〇特別な奉献を受ける神々

これらの神々への祭祀は 祈年祭(2月)と同様に行うが 特に次の四神には馬一疋を加えて奉る

太神宮(内宮:伊勢神宮)
度会宮(外宮:伊勢神宮)
高御魂神(たかみむすびのかみ)
大宮女神(おおみやめのかみ)

ただし 太神宮と度会宮にはさらに「籠頭料(こもがしらりょう)庸布一段」を加える

〇祭の準備と執行

祭の五日前に 忌部(いんべ)九人と木工一人を召して 神に供えるための器物(供神調度)を作らせる
その監造者および清浄な衣 食の費用は 祈年祭の例に準じる
祭が終わると 中臣官(なかとみのつかさ)の一人が宮主および卜部らを率いて宮内省へ行き 神に供える「今食(いまけ=その日の御饌)」の奉仕者(小斎人(みのひと)を卜占によって定める

〇今食(いまけ)に供する品目

神に供える「今食(いまけ)」の品およびその料(材料)は次の通り

・紵(からむし)一丈二尺(御巾料)
・絹二丈二尺(篩(ふるい)料)
・絲四両(縫篩などの料)
・布三端一丈(膳部巾料)
・曝布一丈二尺(覆水甕料)
・細布三丈二尺(戸座襅(へさたまき)および褠料)
・木綿一斤五両(結ふ御食(みけ)料)
・刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚
・筥(はこ)六合 麁(あら)筥二合、明櫃三合
・御飯・粥料の米 各二斗、粟二斗
・陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶(かめ)各五口
・都婆波・匜(はふさ)・酒垂 各四口
・洗盤・短女杯(さらけ) 各六口
・高盤二十口、多志良加(に瓶のような器)四口
・陶鉢八口、叩盆四口、臼二口
・土片椀(もひ)二十口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口
・手洗二口、盤八口、土手湯盆(ほん)二口、盆(ほとき)四口、堝十口
・火炉二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚
・槲(かしわ)四俵、匏(ひさご)二十柄
・蚡鰭(えひのはた)槽(二隻:御手水用)
・油三升
・橡帛三丈(戸座服料、冬絁一疋、綿六屯、履一両)

〇供御の奉仕と終了後の処理

右に掲げた供御および雑物は それぞれ内膳主水などの司に付け 神祇官の官人が神部を率いて 夕暁(よひあかつき)〈夕方と翌朝〉の二度 内裏に参って奉仕する
供え終わった諸物は 祭が終わると中臣・忌部・宮主らに下賜され その取り扱いは 大嘗会(だいじょうえ) の例に準じて行う

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り 天皇がその年の新穀(しんこく)を神に供え みずからもこれを食して その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿

社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座

座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を

右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る

伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

 

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城下郡 17座(大3座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 鏡作坐天照御魂神社大月次新嘗
[ふ り が な ](かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kusanaki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

古代 大和國の「鏡作郷」に鎮座したと思われる式内社の論社について

鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社・鏡作麻氣神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます

延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作坐天照御魂神社(大 月次 新嘗)(かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)

・鏡作坐天照御魂神社(田原本町)

一緒に読む
鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御世 三種神器の一つ「八咫鏡」を笠縫邑〈伊勢神宮の起源〉にお祀りする際 皇居にお祀りする新たな御鏡を鋳造したのが 鏡作神社を中⼼とした鏡作の匠で この時 試作鋳造された御鏡を「天照国照⽇⼦⽕明命」としてお祀りされています

続きを見る

・鏡作神社(三宅町石見)

延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)

・鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)

・鏡作伊多神社(磯城郡田原本町宮古)

延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)

・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄橿原線 田原本駅から北方向へ約1km 徒歩での所要時間は15~20分程度

鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾に参着

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案内板の横に駐車場があります

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて参道を進みます

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由緒の石碑が建っています

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参道の脇には 鏡池があります

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鏡池の前には 鏡池から出土して「鏡石」があります

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拝殿にすすみます
拝殿の前には 玉垣で囲われた空間となっています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には透塀に囲まれて 三殿の本殿が祀られています

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本殿の左右には境内社が祀られています

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 鏡作坐天照御魂神社大月次新嘗〕について 所在は゛八尾村に在す、社傍有 鏡池、池今乾涸、゛〈現 鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾〉と記しています

【抜粋意訳】

鏡作坐天照御魂神社大月次新嘗

鏡作は 加々美豆久里と訓べし、和名鈔郷名部鏡作〔假字上の如し
天照御魂は 阿麻氏留美多麻と訓べし、

〇祭神 天日神命

〇八尾村に在す、社傍有 鏡池、池今乾涸、大和志、同名所圖會〕

類社
 山城國葛野郡 木島坐天照御魂神社の下見合すべし

神位

 三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉授 大和國從五位下 鏡作天照御魂神從五位上、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 鏡作坐天照御魂神社大月次新嘗〕について 所在は゛ 鏡作ノ郷 八尾村鏡池の側にあり、゛〈現 鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾〉と記しています

【抜粋意訳】

鏡作坐天照御魂(カガミツクリニマス アマテルミタマノ神社、

 鏡作ノ郷 八尾村鏡池の側にあり、州舊跡幽考、大和志、神名帳考證、舊事紀、神宮例集引神宮記、〕
〔〇 神宮記に、,火明命の子 天香山命を鏡作の遠祖とするもの、舊事記と併せ證すへく、又 今昔物語十市郡奄知村に、鏡造氏居りし事みゆ本國 鏡作氏ありし事知へし、附て考に備ふ、〕

平城天皇 大同元年、大和伊豆地十八戸を神に充奉り新抄格勅符
天皇 貞観元年正月甲申、從五位下より從五位上を授け、〔三代実録〕
醍醐天皇 延喜の制、大社列り、祈月次新嘗の案上幣帛に預る、〔延喜式〕
 九月十九日祭行ふ、〔奈良縣神社取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 鏡作坐天照御魂神社大月次新嘗〕について 所在は゛八尾村〔字堂主〕(磯城郡都村大字八尾)゛〈現 鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾〉と記しています

【抜粋意訳】

鏡作坐天照御魂(カガミツクリニマス アマテルミタマノ神社 大月次新嘗

祭神 天照國照天火明命(アマテルクニテル ホアカリノミコト

 今按 天照御魂神は 山城 木島(コノシマノ)神社の條に辨へたるが如く天照國照天火明命なるが 神宮雑例集に神宮記に引て侍所神鏡のことをる文に 神鏡 者是非 人間之所爲 既ニ •天地開闢之初當ニ 於高天原 天鏡作ノ神乃遠祖 天ノ香山ノ命乃 八百萬皇神達共(ヤホヨロズ スメカミタチトトモニ)銅ヲ鋳造ル之神鏡也〔或云 天香山命 以古鋳作之〕とある故に 其 御父神を主として其事に巾ある天糠戸命 石凝姥命をも合せ祭れるなるべきを社傳に天糠戸命 石凝姥命 天兒屋根命として主とある天火明命を記さヾるは誤なるベし 故今 之を訂せり

神位

 清和天皇 貞観元年正月二十七日甲申 奉授大和國從位下 鏡作天照御魂 從五位上

祭日 九月十九日
社格 郷社

所在 八尾村〔字堂主〕(磯城郡都村大字八尾)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾 (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

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