実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

伊豆毛神社(長野市豊野町)

伊豆毛神社(いづもじんじゃ) 大永31523上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊豆毛神社(Izumo Shrine)
いづもじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長野県長野市豊野町豊野下伊豆毛845

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》素盞嗚尊(Susanowo no mikoto)
   大己貴命(Ohonamuchi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

大永31523上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座

【由  (History)】

伊豆毛神社の由緒


祭神
素盞鳴命(すさのおのみこと)(出速雄命)天照大神の弟神農神
大国主命(おおくにぬしのみこと)(大己貴命)素盞鳴命の御子縁結び・国土の神

沿革
927  延長5 延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に伊豆毛神社登載1523 大永3 八雲台から 下伊豆毛の現在地に遷座
1580 天正8 上杉景勝 出雲大明神領 一貫五百文を寄進
1609 慶長9 松平忠輝 出雲大明神領 の年貢一石寄進
1786 天明6 延喜式内「伊豆毛神社」の呼称認可
1873 明治6 長野県北第25大区16村の郷社に指定
1902 明治35 伊豆毛神社 創立1800年記念祭を執行
1907 明治40 郡内公認郷社 5社の内に指定
1924 大正13 郷社から県社に昇格
1935 昭和10 天満宮を境内に併祀
1936 昭和11 玉垣造営工事竣工

平成6年10吉日 社務所

社頭の案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

天満宮《主》菅原道真公

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

八雲台古墳にある 伊豆毛神社【旧鎮座地】

一緒に読む
伊豆毛神社【旧鎮座地】(長野市豊野町)

伊豆毛神社【旧鎮座地】は 八雲台古墳の上に鎮座しています 里俗の口碑によれば 太古には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する出雲族の神社とも考えられます『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の古社で 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座しました

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)信濃国 48座(大7座・小41座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)水内郡 9座(大1座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊豆毛神社
[ふ り が な ]いつも かみのやしろ)
[Old Shrine name]Itsumo no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社 出雲神社(イツモノカミノヤシロ)とその論社について

①『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)出雲神社(イツモノカミノヤシロ)の論社

・素鵞社〈出雲大社の本殿奥〉

一緒に読む
素鵞社(出雲市)【前編】

素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです  御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています

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・富神社(出雲市斐川町富村)

一緒に読む
富神社(出雲市斐川町富村)

富神社(とびじんじゃ)は 社伝によると 出雲国風土記 国引き神話において 八束水臣津野命が 出雲郡の神名火山(かんなびやま)(仏経山)の山上に立ち 国引きを思いつかれて その大事を成しとげられた後 神門水海に近い この豊かな土地に鎮座し出雲社としたとあります

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・長浜神社(出雲市西園町)

一緒に読む
長浜神社(出雲市西園町上長浜)

長浜神社(ながはまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』意宇郡の総記に 御祭神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の国引き神話が書かれ「その引いた綱は 薗の長浜(そののながはま)」とあるその地に鎮座します 出雲郡 神祇官社「出雲社(いずも)のやしろ」の論社でもあります

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・諏訪神社(出雲市別所町)

一緒に読む
諏訪神社(出雲市別所町)

諏訪神社(すわじんじゃ)は 明治以前は鰐淵寺を別当とした「諏訪神社」に〈八束水臣津野神を祀る「出雲神社」〉と〈五十猛命を祀る「韓國伊大弖神社」〉が合祀されています 元社地は「帆柱山」の山中に鎮座と伝わり『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社となっています

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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「丹波國 桑田郡 出雲神社 名神大」の論社

どちらも磐座(イワクラ)を信仰の拠所としています

・出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲後田無)

一緒に読む
出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります

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・出雲神社(亀岡市本梅町井手西山)

一緒に読む
出雲神社(亀岡市本梅町)

出雲神社(いずもじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の丹波國 出雲神社(名神大社)の論社です 創建年代は不詳ですが 境内には 巨岩が 磐座として祀られていて 最古の祭祀形態を存じています かつては磐座の横に出雲大明神といふ祠が祀られていたと伝へ 昭和3年(1928)に大改築を行ない 現在の社殿・鳥居・石段などが整備され 磐座の横の祠から遷座したと伝わります

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➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「周防國(スオウノクニ)佐波郡(サハノコオリ)出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラの論社

・出雲神社(山口市徳地堀) 

一緒に読む
出雲神社(山口市徳地堀)

出雲神社(いづもじんじゃ)は 第44代 元正天皇 霊亀元年(715)鎮座と伝えら 周防国二之宮です その起源はさらに古く 大古 出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い その祖神を鎮祭したものと考えられています 式内社 周防國 佐波郡 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)とされています

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・出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田) 

一緒に読む
熊野神社 & 出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)

熊野神社(くまのじんじゃ) は 明徳三年(1392)大内義弘公は 将軍 足利義満から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた時 野上修理亮に命じて 紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し この地に熊野権現を創建したと伝わり 境内社 出雲社(いずもしゃ)は 延喜式内社との伝承もあります

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➂『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「信濃國(シナノノクニ)水内郡(ミノチノコオリ) 伊豆毛神社(イツモノミノヤシロ)の論社

・伊豆毛神社(長野市豊野町) 

一緒に読む
伊豆毛神社(長野市豊野町)

伊豆毛神社(いづもじんじゃ)は 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます

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因みに 出雲大社(出雲市)

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)杵築大社 名神大(きづきの やしろ)

・出雲大社(出雲市)

一緒に読む
出雲大社(出雲市)【前編】

出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

豊野駅から 県道368号を北東へ650m 徒歩8分程度

玉垣に囲まれた境内が現ると社頭には大きな石の社号標
「縣社 伊豆毛神社」と刻まれています
伊豆毛神社(Izumo Shrine)に参着

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二重になった玉垣の内側には 神柱と鳥居が建ちます

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一礼をして 狛犬の構える鳥居をくぐります 石畳みの参道の先に社殿が建てられています

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社殿の両脇から横に羽が延びるように 社務所が建てられ 幅の広い建物になっています

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拝殿にすすみます 扁額には「伊豆毛神社 元師 海軍大将 大勲位爵 東郷八郎 謹書」とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿に社務所が直結してます

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本殿を見るには 一旦回り込むように境内を出て 裏手の道路から 仰ぐようになります 本殿は石垣の上に覆い屋で囲われています

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境内に戻り 梅の木に囲まれている境内社の天満宮にお詣りをします

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石畳の参道を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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伊豆毛神社【旧鎮座地】八雲台古墳にある場所は 北へ道のりにして約1km程 山を登った方向に在ります

一緒に読む
伊豆毛神社【旧鎮座地】(長野市豊野町)

伊豆毛神社【旧鎮座地】は 八雲台古墳の上に鎮座しています 里俗の口碑によれば 太古には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する出雲族の神社とも考えられます『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の古社で 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座しました

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

大和国の式内社 出雲建雄神と同神であろうと記しています

【意訳】

伊豆毛(イツモノ)神社

倭姫世記 出雲神の子 出雲建子命いづもたけこのみこと一名 伊勢彦神いせつひこのかみ退令 住む信濃の国

信友云う 伊勢都彦付いて考あり別に云う
信地 今 按 出雲国 出雲々にイマス 日御碕神社と同神にや 又 貞観2年授 出速神 従5位下 この神おそらくは脱字あるへし 同15年4月授 出早雄神 従5位上 元慶2年2月授 出速雄神 正5位下
今 按 以上の神名 当社に当れり 
大和国式社 出雲建雄神やと見えたり 同号にて 建速須佐之雄命なるへし

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

御祭神は 出雲建子命と記しています

【意訳】

伊豆毛神社

伊豆毛は 仮字なり
〇祭神 出雲建子命
〇神代村に在す
〇倭姫世紀云う「出雲神の子 出雲建子命いづもたけこのみこと一名 伊勢彦神いせつひこのかみ

伊勢風土記 万葉注釈引用 云う 伊勢彦神 退令 住むに信濃国
頭注に 伊豆毛素戔嗚命なりと云うは粗漏なり

類社 丹波国 桑田郡 出雲神社下見すべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

祭神を社伝に従い「大己貴命」と記しています

【意訳】

伊豆毛神社

祭神 大己貴命

今按〈今考えるに〉
倭姫世紀に 出雲神子 出雲建子命 一名 伊勢津彦命とみえ 伊勢風土記に伊勢津彦神 近令 住む信濃国とある 伊勢津彦神は ここに由ありけなれど その御父神なる出雲神は 大己貴命なるべければ 今 社伝に従う

祭日 3月15日 7月18
社格 郷社
所在 神代村 伊豆毛(上水内郡神郷村大字豊野)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

特筆するのは 里俗の口碑実にこの地は 水内海の沿岸にして 西山東峰は自然の堤防となり 南峯北岳に波打ち寄せしは事実なるべく 現に大湖の遺物 常に散見する所なり」と大きな湖があり 出雲族の活躍の痕が記しています

【意訳】

長野縣 信濃國 上水内郡 神郷村 大字 豊野 字 下伊豆

郷社 伊豆毛(イヅモノ)神社

祭神 素盞嗚命(スサノヲノミコト)大己貴命(オホナムチノミコト)

創立の年代詳らかせずと雖も 延喜式 水内郡 伊豆毛神社とある神社なり
神名帳考証伊豆毛神社 伊勢津彦命 倭姫世紀に 出雲神子 出雲建子命 一名 伊勢津彦命とみえ 伊勢風土記に伊勢津彦神 近令 住む信濃国とある

神社覈録伊豆毛神社 伊豆毛は 仮字なり〇祭神 出雲建子命〇神代村に在す〇倭姫世紀云う「出雲神の子 出雲建子命いづもたけこのみこと一名 伊勢彦神いせつひこのかみ伊勢風土記 万葉注釈引用 云う 伊勢彦神 退令 住むに信濃国 頭注に 伊豆毛素戔嗚命なり

大日本神祇志に伊豆毛神社〇今在 神代村 伊豆毛の地 蓋祀 出雲大神

神祇志料伊豆毛(イヅモ)神社 今 神代村 伊豆毛にあり 出雲宮と云う 蓋 出雲神子 出雲建子命 一名 伊勢津彦命 一名 櫛玉命を祀る 〇按 社説に大己貴命を祭るとあれど 実は相殿に坐るを神功の世に高きより この神の神名のみ伝わりしなるべし 中略 凡3月15日を例祭とす

信濃地名伊豆毛ノ神社 今按 出雲國 出雲郡 出雲郷にいます日御碕神社同神にや 亦 貞観2年授 出速神 従5位下 この神おそらくは脱字あるへし 同15年4月授 出早雄神 従5位上 元慶2年2月授 出速雄神 正5位下 今 按 以上の神名 当社に当れり 大和国式社 出雲建雄神やと見えたり 同号にて 建速須佐之雄命なるへし 云々

里俗の口碑云う 旧村名 神代伊豆耕地なれば 伊豆神社称するは 神代より起りしものや 又 景行帝の朝 水理を治めて社檀を修められしと云うは これ水内海なるや 実にこの地は 水内海の沿岸にして 西山東峰は自然の堤防となり 南峯北岳に波打ち寄せしは事実なるべく 現に大湖の遺物 常に散見する所なり 之を野史に見るに「推古帝15年 大仁鳥臣住 東国に廻り箕野に至り科野 治める水内海 云々」と

而して この地は 又 信越通路の要道たりしなるべし
延喜年中神名帳にも記載せれたれば 神戸神田をも置かれたりしが如し 今 この地に御刀代神社あり 御刀代はミトシロ 又 ミタシロ この社 本年神社整理に合併 地を接して大田石牟體黄倉浅野等いづれも姓より出たる地名あり 昔時は境内も広潤にして 東西1里にわたり 南北2里に餘りて 末社12社あり
地を神代と云うは 或いは神領の義に出でしか 
現社地を隔てる5町余り北方の山腹平坦の地には
旧社地の遺跡と称する所あり 今 小祠を建つ 弘長文永の頃 伊豆毛大明神と改称し 
大永2年(1522)壬牛3月15日 現地に移す
天明6年(1786)10月 伊豆毛大明神を改めて 伊豆毛神社の旧称に復す

例祭は4月15日 即ち大永2年(1522)現地に移りし日を以ってこれを行う

又 特有の祭事 式年祭 除夜式 新嘗祭等の神事あり 
式年祭は 往古より50年毎にこれを行い
除夜式は 即ち 除夜に行うの祭儀にして神饌の調理幣帛の用意等まで 社司自らこれを行い 水は社前を廻る小川の清流を用い 更に人をしてこれを行はしめず
而して 翌日 元旦四方拝を庭前に行い 氏子崇敬者などの朝賀を受く

新嘗祭の事は 伊豆毛神社の年中行事に見えて 式は本社に於いて これを行わず 摂社 伊勢社に於いて行うの例たり 而して の神饌幣帛の如きいづれも皆 本秋の作物のみを用う 神酒の如き 亦 清酒を用いずして 今秋収穫の新米にて醸せる甘酒を供進するものとす 誠に千古の遺風を存する淳朴の神事たり 

社司を大田氏と云う 当社累代の神職にして 昔より今に至る連綿たり
古文書 及び 宝物の所蔵 亦少なからず 明治6年4月郷社に列す

社殿は 本殿 幣殿 祝詞殿 社務所を具備し 境内地567坪あり
樹木森立遠近の観望ありて 又四時の風致を存す

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

伊豆毛神社(Izumo Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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信濃国 48座(大7座・小41座) に戻る

一緒に読む
信濃國 式内社 48座(大7座・小41座)について

信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 信濃国(しなののくに)には 48座(大7座・小41座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています