出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori) 条
神祇官社(jingikan no yashiro )【社名】 杵築大社
【読み】 (きづき の)おおやしろ
【How to read】(kizuki no) ohoyashiro
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)【社名】 杵築大社 名神大
【読み】(きづき の おほやしろ)
【How to read】(kizuki no ohoyashiro)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
出雲大社(Izumo ooyashiro)
(いずも おおやしろ)
【通称名】(Common name)
出雲大社(いずもたいしゃ)(izumo taisha)
【鎮座地】(location)
島根県出雲市大社町杵築東195
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》 大国主大神(okuninushi no okami)
《配》 天之御中主神(ameno minakanushi no kami)
高皇産霊神(takamimusuhi no kami)
神皇産霊神(kami musubi no kami)
宇麻志阿斯訶備比古遅神(umashi ashikabihikoji no kami)
天之常立神(ameno tokotachi no kami)
和加布都努志命(wakafutsunushi no mikoto)
【御神格】(God’s great power)
大国主大神(okuninushi no okami)様 の 御神徳はあまねく及びます
出雲大神様の御神徳
〝だいこくさま〟としてお慕い申し上げている人も多い
大国主大神様は天神の御神勅に従われ、「幽冥(かくり)のこと」をつかさどられる神として出雲大社にお鎮まりになりました。
「幽冥のこと」とは目には見えない心に写る世界を指し、大神様はその御神徳によって悩み病める心から私たちを救い、心に幸せをお授け下さります。また「国造りの神」でもあらせられる大神様は農業、商業をはじめあらゆる企業を災厄から守り、栄えさせていただけると
同時に、大地を支配しお守りくださる「地鎮の神」として土木、建築工事の作業安全をお計らいいただいています。その ほかにも御神徳は遍く及び、まとめますと
○人々に幸福をお授けになる福の神、縁結びの神
出雲大社 北島国造館HPより
〇方除の守護神
○家内安全、身体健康、無病息災の守護神
○農業繁栄、海上安全、漁業繁栄の守護神
○土木、建築工事などの作業安全の守護神
○交通安全の守護神
○死後の世界の守護神
ということになります
【格式】(Rules of dignity)
・出雲國 一之宮(izumo no kuni ichinomiya)
・延喜式内社 名神大社 (engishikinaisha myojintaisha)
・別表神社
【創建】(Beginning of history)
神代
Shrines are very old, from the days when the gods flourished. And the faith is still going on
【由緒】(history)
出雲大社の由緒
八雲立つ出雲の国が神の国、神話の国として知られておりますのは 神代の神々をまつる古い神社が今日も到る処にあるからであります。
そして、その中心が「だいこくさま」をおまつりした出雲大社であります。
だいこくさまは「天の下造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土を開拓され、国造り、村造りに御苦心になり、農耕・漁業をすすめて人々の生活の基礎を固めて下され、殖産の法をお教えになりましたし、医薬の道をお始めになって、人々の病苦をお救いになる等、慈愛ある御心を寄せて下さったのであります。
だいこくさまは 救いの親神さまであると共にすべてのものが 自然の姿にあるように護って下さる親神であります。
また、だいこくさまといえば 出雲の神さま、出雲の神さまといえば 縁結びの神さまと申しますが、この縁結びということは、単に男女の仲を結ぶことだけでなく、人間が立派に成長するように、社会が明るく楽しいものであるように すべてのものが幸福であるようにと、お互いの発展のためのつながりが結ばれることであります。
だいこくさまが 福の神と慕われ、すべての人々から 広く深く信仰をおうけになっているのも、この「むすび」の御神徳、即ちいいかえますと、我々に愛情を限りなく注いで下さる神さまであるからであります。
だいこくさまは 私達の家庭の親が、子供の幸福を願って教導保護するように、人間の幸福の「縁を結んで下さる」親神さまであります。このような御神徳をおもちになっている「だいこくさま」には 多くの御別名があります。
大国主神と申しあげる外に、大己貴神・大物主神・大地主神・大穴持神・八千矛神・葦原醜男神・大国魂神・顕国魂神・奇甕魂神・広矛魂神・所造天下大神・三穂津彦神・伊和大神・幽冥事知食大神等と申し上げます。これらの御神名には それぞれの御神徳があるわけで、大国主神の御神徳が如何に広く深いものであるかがわかり、福の神として、日本の永い歴史にあって変わらない信仰をおうけになっていることが知られるのであります。
大国主神は 多くの御別名がありますように、人々のために数限りない「むすび」の御霊力をおそそぎになって、住みよい日本の国土を築いて下さいました。
豊葦原の瑞穂国と呼ばれるような、あらゆるものが豊かに成長する国を造り上げて下さったのです。
この国造りの大業が完成すると、日本民族の大親である天照大神に、その豊葦原の瑞穂国をおかえしになって隠退されました。そこで天照大神は 国造りの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、これから後は、この国の政治のことは 私の子孫があたることとし、あなたは人々のために「むすび」の霊力を与えて幸福に導いて下さい。
また、あなたのお住まいは 天日隅宮と云って、私の住居とおなじ様式にして、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして建築しましょう。
そうして、私の第二子の天穂日命をして仕へさせて末長くおまもりさせます。(日本書紀)と、申されました。そこで 天照大神の御命令で諸神がおあつまりになって、宇迦山の麓に壮大なる宮殿を造営され、ここに大国主神は永久にお鎮まりになって、人々の幸福のために愛情をそそいで下さることになり、今に至るまで厚い信仰をおうけになっています。
そうして 天穂日命の子孫は 代々一系に大国主神のおまつりを司っています。この天日隅宮の外に 出雲大神宮・巌神之宮・杵築大社・杵築宮・石くま之曽宮と称へられていますが、今は出雲大社と申します。
本殿は 大国主神の御事蹟に対して建てられた宮であり、御神徳にふさわしい比類のない日本一の大規模な木造建築であったと 古事記・日本書紀という日本最古の書物にしるされています。
950年頃(平安時代)に出来た 口遊という本によりますと、高さは 東大寺の大仏殿十五丈をこえる16丈にも達した日本最大の建物であったようであります。1200年頃(鎌倉時代)になってからは 規模を小さくし、現在の本殿は高さ8丈6間4面で、1744年(延享元年、江戸時代)再建されたのであります。
各神社の本殿中、最古の甚だ特異な様式であり「大社造」と呼ばれています。本殿の白木造りで簡素な直線的気高い姿は、今日でも 壮観で圧倒的に印象を与えています。
今よりも更に高大であった鎌倉時代以前の偉容は 想像をこえたものであったでしょう。「雲にわけ入る千木」とか「この世のこととも覚えず」と当時の参拝者は 驚異の眼をみはっています。
「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社】(Other deities within the precincts)
瑞垣(mizu gaki)内 摂社・末社
・大神大后神社(御向社 mimukai no yashiro)
(okami okisaki no kamino yashiro)
《主》須勢理毘売命(suserihime no mikoto)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)御向社(mimukai no)yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社坐大神大后神社(名神大)
・神魂伊能知比売神社(天前社 amasaki no yashiro)
(kamimusubi inochihime no kamino yashiro)
《主》蚶貝比売命(kisakahime no mikoto)
蛤貝比売命(umukahime no mikoto)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)御魂社(mitama no)yashiro
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)企豆伎社(kizuki no)yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社坐伊能知比賣神社
・神魂御子神社(筑紫社 tsukushi no yashiro)
(kamimusubi miko no kamino yashiro)
《主》多紀理毘売命(takirihime no mikoto)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)御魂社(mitama no)yashiro
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)企豆伎社
同社(onajiki )yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社坐神魂御子神社
・門神社(mikado no kamino yashiro)(東)
《主》宇治神(uji no kami)
・門神社(mikado no kamino yashiro)(西)
《主》久多美神(kutami no kami)
荒垣(ara gaki)内 摂社・末社
・素鵞社(soga no yashiro)
《主》須佐之男尊(susanoo no mikoto)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)出雲社(izumo no)yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 出雲神社
・氏社(uji no yashiro)(北)
《主》天穂日命(ameno hohi no mikoto)
・氏社(uji no yashiro)(南)
《主》宮向宿禰命(miyamuki no sukune no mikoto)
・釜社(kama no yashiro)
《主》宇迦之御魂神(ukano mitama no kami)
・十九社(juku sha)(東)
《主》八百萬神(yaoyorozu no kami)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受支社(azuki no)yashiro
同阿受支社(onajiki azuki no)yashiro
同社(onajiki )yashiro
・十九社(juku sha)(西)
《主》八百萬神(yaoyorozu no kami)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受支社(azuki no)yashiro
同阿受支社(onajiki azuki no)yashiro
同社(onajiki )yashiro
荒垣(ara gaki)外 摂社・末社
・祓社(harae no yashiro)
祓戸神四柱
《主》瀬織津比売神(seoritsuhime no kami)
速秋津比売神(hayaakitsuhime no kami)
気吹戸主神(ibukidonushi no kami)
速佐須良比売神(hayasasurahime no kami)
・杵那築の森(kinatsuki no mori)
《主》大国主大神(okuninushi no okami)
・出雲森 (izumo no mori)
《主》八束水臣津奴命(yatsuka mizuomitsunu no mikoto)
事代主命(kotoshironushi no mikoto)
《配》御子命百八十柱(miko no mikoto momoyaso hashira)
・野見宿禰神社(nomi no sukune jinja)
《主》野見宿禰命(nomi no sukune no mikoto)
境(kei)外 摂社・末社
・神魂伊能知奴志神社 (命主社 inochinonushi no yashiro)
(kamimusubi inochinushi no kamino yashiro)
《主》神産巣日神(kami musuhi no kami)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)御魂社(mitama no)yashiro
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)企豆伎社
同社(onajiki )yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社神魂伊能知奴志神社
・大穴持御子玉江神社(乙見社 otomi no yashiro)
(onamochi mikono tamae no kamino yashiro)
《主》高比売命(takahime no mikoto)=下照比売命(shitateruhime no mikoto)=
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)企豆伎社
同社(onajiki )yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社大穴持御子玉江神社
・大穴持御子神社 (三歳社(mitose no yashiro)
(onamochi miko no kamino yashiro)
《主》事代主神(kotoshironushi no kami)
《配》御年神(mitoshi no kami)
高比売命(takahime no mikoto)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)企豆伎社
同社(onajiki )yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社神大穴持御子神社
・上宮(kami no miya)
《主》須佐之男尊(susanoo no mikoto)
《配》八百萬神(yaoyorozu no kami)
・出雲井社(izumoi no kamino yashiro)
《主》岐神(kunado no kami)
・因佐神社(速玉社hayatama no yashiro)
(inasa no kamino yashiro)
《主》建御雷神(takemikazuchi no kami)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)伊奈佐乃社(inasa no)yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 因佐神社
・湊社(minato no yashiro)
《主》櫛八玉神(kushiyatama no kami)(水戸神の孫)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)支豆支社(kitsuki no)yashiro
・下宮(shimo no miya)
《主》天照大御神(amaterasu omikami)
・大歳社(otoshi no yashiro)
《主》大歳神(otoshi no kami)
《配》八千矛神(yachihoko no kami)
・大穴持伊那西波岐神社(onamochi inasehagi no kamino yashiro)
《主》稲背脛命(inasehagi no mikoto)
《配》白兎神(hakuto no kami)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)企豆伎社
同社(onajiki )yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同社大穴持伊那西波伎神社
(合祀)大社町鷺浦の社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)佐支多社(sakita no) yashiro
・阿須伎神社(阿式社 ajiki no yashiro)
(azuki no kamino yashiro)
《主》阿遅須伎高比古根神(ajisuki takahikone no kami)
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki) 阿受伎社(azuki no)yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 阿須伎神社
(合祀)同[出雲]社 韓國伊大弖神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki) 御魂社(mitama no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[出雲]社 韓國伊大弖神社
(合祀)同[阿湏伎]社 神韓國伊大弖神
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki) 阿受枳社(azuki no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 神韓國伊大弖神
(合祀)同[阿湏伎]社 天若日子神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
同阿受枳社(onajiki azuki no)yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 天若日子神社
(合祀)同[阿湏伎]社 湏佐袁神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki) 阿受枳社(azuki no) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 湏佐袁神社
(合祀)同[阿湏伎]社 神魂意保刀自神
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 神魂意保刀自神
(合祀)同[阿湏伎]社 神阿湏伎神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 神阿湏伎神社
(合祀)同[阿湏伎]社 神伊佐那伎神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 神伊佐那伎神社
(合祀)同[阿湏伎]社 神阿麻能比奈等理神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)
同[阿湏伎]社 神阿麻能比奈等理神社
(合祀)同[阿湏伎]社 神伊佐我神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 神伊佐我神社
(合祀)同[阿湏伎]社 阿遲湏伎神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 阿遲湏伎神社
(合祀)同[阿湏伎]社 天若日子神社
出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)
阿受枳社
同社(onajiki ) yashiro
延喜式神名帳(engishiki jimmeicho) 同[阿湏伎]社 天若日子神社
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社 出雲神社(イツモノカミノヤシロ)とその論社について
①『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)出雲神社(イツモノカミノヤシロ)」の論社
・素鵞社〈出雲大社の本殿奥〉
素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです 御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています
素鵞社(出雲市)【前編】
・富神社(出雲市斐川町富村)
富神社(とびじんじゃ)は 社伝によると 出雲国風土記 国引き神話において 八束水臣津野命が 出雲郡の神名火山(かんなびやま)(仏経山)の山上に立ち 国引きを思いつかれて その大事を成しとげられた後 神門水海に近い この豊かな土地に鎮座し出雲社としたとあります
富神社(出雲市斐川町富村)
・長浜神社(出雲市西園町)
長浜神社(ながはまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』意宇郡の総記に 御祭神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の国引き神話が書かれ「その引いた綱は 薗の長浜(そののながはま)」とあるその地に鎮座します 出雲郡 神祇官社「出雲社(いずも)のやしろ」の論社でもあります
長浜神社(出雲市西園町上長浜)
・諏訪神社(出雲市別所町)
諏訪神社(すわじんじゃ)は 明治以前は鰐淵寺を別当とした「諏訪神社」に〈八束水臣津野神を祀る「出雲神社」〉と〈五十猛命を祀る「韓國伊大弖神社」〉が合祀されています 元社地は「帆柱山」の山中に鎮座と伝わり『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社となっています
諏訪神社(出雲市別所町)
➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「丹波國 桑田郡 出雲神社 名神大」の論社
どちらも磐座(イワクラ)を信仰の拠所としています
・出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲後田無)
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります
出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉
・出雲神社(亀岡市本梅町井手西山)
出雲神社(いずもじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが『延喜式』(927年)所載 丹波國 出雲神社(名神大社)の論社で 境内に巨岩が磐座として祀られ 最古の祭祀形態を現存させます かつては磐座横に出雲大明神の祠が祀られたが 昭和3年(1928)現在の社殿・鳥居・石段などが整備され 磐座の横の祠から遷座したと伝わります
出雲神社(亀岡市本梅町)〈延喜式内社 名神大社〉
➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「周防國(スオウノクニ)佐波郡(サハノコオリ)出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)」の論社
・出雲神社(山口市徳地堀)
出雲神社(いづもじんじゃ)は 第44代 元正天皇 霊亀元年(715)鎮座と伝えら 周防国二之宮です その起源はさらに古く 大古 出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い その祖神を鎮祭したものと考えられています 式内社 周防國 佐波郡 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)とされています
出雲神社(山口市徳地堀)
・出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)
熊野神社(くまのじんじゃ) は 明徳三年(1392)大内義弘公は 将軍 足利義満から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた時 野上修理亮に命じて 紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し この地に熊野権現を創建したと伝わり 境内社 出雲社(いずもしゃ)は 延喜式内社との伝承もあります
熊野神社 & 出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)
➂『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「信濃國(シナノノクニ)水内郡(ミノチノコオリ) 伊豆毛神社(イツモノカミノヤシロ)」の論社
・伊豆毛神社(長野市豊野町)
伊豆毛神社(いづもじんじゃ)は 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます
伊豆毛神社(長野市豊野町)
因みに 出雲大社(出雲市)は
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)杵築大社 名神大(きづきの おほやしろ)
・出雲大社(出雲市)
出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています
出雲大社(出雲市)【前編】
各神社のお詣りについては 出雲大社【後編】をご覧ください
出雲大社(いずものおおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(okuninushi no okami)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(amatsu kami)」が 天日隅宮(amenohisumi no miya)を献上されたことに始まるとされています
出雲大社(出雲市)【後編】
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社
『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る
出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について