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『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています 又延喜式神名帳』所載の「いそへのかみのやしろ」の社号(いそへ)の読みに充てる字は 「石部」「石邊」「部」「磯部」などがあり 様々です

延喜式神名帳』に所載の「いそへのかみのやしろ」の社号について

(いそへ)の読みに充てる字は 「石部」「石邊」「」「磯部」などがあり 様々です

・石部神社(いそへのかみのやしろ)
部神社(いそへのかみのやしろ)
・礒部神社(いそへのかみのやしろ)
・石邊神社(いそへのかみのやしろ)
・石部鹿鹽上神社(いはへのかしほかみの かみのやしろ)などがあります

古代の氏族・石邊公」「石部氏」に関係するとする神社
又は 海人族の「磯部氏」に関係するとする神社などがあります

「いそへ」の音を文字から捉えたら

音が同じく「いそへ」ですが 混用されることが多くあります しかし「石部」と「磯部」とは性格が大きく異なる部族と考えられています

「石部」を字義の通り捉えれば

 文字どおり石を原材料とする部族〈品部(しなべ)〉と考えられ その具体的な作業は 石の切り出し 石棺や様々な石製品の調達・製作 又 陵墓・石室などの築造をする品部ということでしょうか

「磯部」を字義の通り捉えれば

 文字どおり磯つまり 漁撈が主体の部族〈品部(しなべ)〉と考えられます

 

の文字は

 石の文字に 山ヘン(山偏)と書いて 岩に通じるような文字で 巨石〈磐座〉信仰を彷彿させるものでもあります

『姓氏家系大辞典』に記載される「磯部」と「石部」について

【抜粋意訳】

イ(い)ヰ(ゐ)

磯部(イソベ)

太古以来の大族にして、もと漁猟航海を職業とせし品部名より起る。
磯部は蓋し海部と東西相對せしが如く。即ち海部漁民は安曇氏之を率る、本邦西部に多く、 此は専ら東部に活動せり、而して其の本據は伊勢にして、伊勢に最も多きが故に又 伊勢部とも呼ばれしものと考へらる。

古事記 應神段に「此の御世に海部、山部、山守部、伊勢部を定め賜ふ也」と見ゆるより、海部山部の如き大品部と匹敵せしを想像するに足らむ。
而して伊勢國造これを管理せしが如く。

又 石部とも云ふ、敢磯部を敢石部と瓦記するによりて察すべき也。

猶ほ次の項を見よ。
・・・〈以下略〉各地の磯部について記されています 詳しくは原文参照・・・

礒部(イソベ)

磯部に同じ、諸書に多く互用す。

磯邊(イソベ)

磯部氏に同じ。安西軍策等に秀吉方 磯邊氏見ゆ。
因幡志、智東郡用瀬村景石城條に、「秀吉、磯部氏部大輔を置く、其の子に新七郎、平七郎あり」と

礒邊(イソベ)

伊勢神宮内宮権禰宜に礒邊氏あり。又 副宮守物忌父たり。荒木田姓にして、本姓 石部とあれば古代 石部の後裔なるや明白なり。

五十部(イソベ)

磯部に同じきか。

石部(イソベ イシベ)

後世イシベと云ふも、古くはイソベにして磯部と通じ用ふ(磯部條を見よ)

・・・〈以下略〉各地の石部について記されています 詳しくは原文参照・・・

【原文参照】

太田亮 著『姓氏家系大辞典』第1巻,姓氏家系大辞典刊行会,昭和9-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1130845

太田亮 著『姓氏家系大辞典』第1巻,姓氏家系大辞典刊行会,昭和9-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1130845

太田亮 著『姓氏家系大辞典』第1巻,姓氏家系大辞典刊行会,昭和9-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1130845

各々の「いそへのかみのやしろ」の祭神について

石部神社の祭神の多くは 大物主神の御子とされている 石邊公〈石部〉の祖・『日本書紀』に大物主神の御子 天日奇日方命(『古事記』に櫛御方命)「別名 久斯比賀多命」とあります

このことから 大物主神を祀る三輪氏族の末裔であろうとされますが そうであったとしても 表舞台 例えば 記紀神話以降の六国史などには登場しない部族です

しかしながら 延喜式内社「いそへのかみのやしろ」は 数多くの式内神社が 祀られている事実があります〈式内社以外でも 数多く祀られています〉

そして 祭神としては その他の神を祀るものも多くあります

たとえば 石部神社(福井県鯖江市磯部町)は 祭神「吉日古(えひこ)命・吉日賣(えひめ)命」です

この「吉日古命・吉日賣命」は
式内社 石部鹿塩上神社の論社〈吉姫神社(湖南市石部東)〉の祭神は「吉彦命 吉姫命」であり 「吉日古命・吉日賣命」と同神であるとも云われます

「吉彦命 吉姫命」「吉日古命・吉日賣命」の何れも 多氣氏の祖神として祀られています
しかし 延喜式内社「いそへのかみのやしろ」と多氣氏の関連性は 良くわかっていません


石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)
の祭神は 少彦名神(すくなひこなのかみ)櫛日方命(くしひかたのみこと)を祀ります
櫛日方命は 石邊公〈石部〉の祖・『日本書紀』に大物主神の御子 天日奇日方命と同神です

しかし 少彦名神との繋がりは 良くわかっていませんが 近江國の息長氏は 少彦名神の後裔であり 近江北部に定着後 更に北陸道を進んで 越前「三尾君氏」・加賀「江沼臣」氏・能登「羽咋君氏」などが派生しています
少彦名神を奉斎する服織部の式内社 服織神社が付近にある場合が数例あって これらは古代の氏族・「石邊公」「石部氏」と「服織部」関係性を感じます

石部神社の近隣にある「物部氏」の痕跡

全国に点在する式内社 石部神社の祭神に経津主神を祀るものがあり 又 御島石部神社(柏崎市西山町石地)は 別名を「二田神社」と呼称し 近辺には式内社 物部神社の論社〈二田物部神社(柏崎市西山町二田)〉があります

又 式内社 阿知江部神社の論社〈阿知江磯部神社(与謝野町岩屋)〉には 巨石信仰があり 祭神は長白羽命と伝えます この長白羽命は服部連の祖神とされ 「服織部」が祖とするのは少彦名神です

阿知江磯部神社の付近には 物部氏族 矢田部氏の式内社 矢田部神社(与謝野町石川)があります 巨石信仰の類例があります

古代の氏族・石邊公」「石部氏」と「物部氏」には 何らかの関係があるのでしょうか

こちらのサイトは良く調べられています
「磯部探しH  越後の磯辺神・石部神」https://ameblo.jp/asahonmati/entry-12864560464.html
「日子坐王の行軍路に鎮座する「石部神社」と「磯部神社」の分布について」https://jp248.exblog.jp/28883583/

延喜式内社「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社 一覧

 延喜式内社「いそへのかみのやしろ」には 音は同じ「いそへ」でも その要因は 々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

表記「石部神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ式内社の論社

伊勢國 朝明郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)

・石部神社(四日市市朝明町)

一緒に読む
石部神社(四日市市朝明町)〈『延喜式』石部神社二座・(合祀)太神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)の論社です 明治末期の神社合祀令により 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)を大正5年(1916)合祀しています 太神社は昭和22年(1947)石部神社から(北野山の現在地)に分祀されています

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・石部神社(いなべ市大安町石榑南)〈参考論社〉

近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いへのかしほのかみの かみのやしろ)

・吉姫神社(湖南市石部東)

鹿鹽上社 吉比女宮跡〈御旅所〉(湖南市石部東)
〈寛保3年(1743)遷座 吉姫神社旧鎮座地〉

・吉御子神社(湖南市石部西)

上葦穂神社 (湖南市柑子袋)〈参考論社〉

柏木神社(甲賀市水口町北脇)〈参考論社〉

近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)

・石部神社(蒲生郡竜王町七里)
〈旧称 磯部大明神〉

一緒に読む
石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)〈『延喜式』石部神社〉

石部神社〈磯部大明神〉(いそべじんじゃ)は 創立年代は不詳ですが 社伝によれば 正応2年(1289)池内真清等により社殿を奉遷と云い 古くは磯部大明神と称したが 延寶七年(1679)吉田家より正一位の宗源宣旨を受け 石部神社と改称された 延喜式内社 近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です

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・石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)

一緒に読む
石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〈『延喜式』石部神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 創祀年代不詳ですが 社伝には 景行天皇21年 吾地山に社殿を造営し 勅使の参向を得 盛大なる鎮座祭を斉行 同22年更に勅使参向の栄に浴し 安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称すと伝える 延喜式内社 近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です

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近江國 愛智郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)

・石部神社 下社(愛知郡愛荘町沓掛)

一緒に読む
石部神社 下社(愛知郡愛荘町沓掛)〈『延喜式』石部神社二座〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 「石部・石邊君」などの古代氏族と関係が深く 社伝に創立は崇神天皇の御代 天日方奇比方命を石部邑に奉齋 翌八年九月 大名牟遅尊を相殿に勧請 次いで垂仁天皇の御代 奇比方命の神託により天照皇大神を正座に奉祀と云う 延喜式内社 近江國 愛智郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)です

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・石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)
〈現在は 石部神社 下社の御旅所〉

越前國 今立郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)

・石部神社(鯖江市磯部町)

加賀國 江沼郡 菅生石部神社(すかふのいそへの かみのやしろ)

・菅生石部神社(加賀市大聖寺敷地)〈加賀國二之宮〉

加賀國 能美郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)

・石部神社(小松市古府町)

一緒に読む
石部神社(小松市古府町)加賀国 総社〈惣社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 加賀国の誕生にかかわる古社で 弘仁14年(823)3月 越前国から分割して加賀国ができた際には 国府庁の南に すでに当社が「府南社」と称して祀られていたと伝えられます ここから加賀国の一之宮であるとも 加賀国総社であるともされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社です

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越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)

・桐原石部神社(長岡市上桐)

一緒に読む
桐原石部神社(長岡市上桐)〈『延喜式』桐原石部神社〉

桐原石部神社(きりはらいそべじんじゃ)は 創立年月日は不祥ですが 社殿は白雉年間(650~654)に造営 文明八年(1476)再建とある 延喜式内社 越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)の論社です 又 村内に往時を語る地名として叡慮出・油田・丹波田・身洗場・小鯛郷池谷 等の小字名がありました

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・桐原石部神社(長岡市寺泊下桐)

一緒に読む
桐原石部神社(長岡市寺泊下桐)〈『延喜式』桐原石部神社〉

桐原石部神社(きりはらいそべじんじゃ)は 祭神 天日方奇日方命が 神武天皇の御代 食国政申大夫として 勅命を奉じて越後に降り 此地に神去り給ふたと古記にあり その御廟と伝わる゛桐原石部神社御廟所゛も付近にあります 延喜式内社 越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)の論社です

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越後國 三嶋郡 御嶋石部神社(みしまのいそへ かみのやしろ)

・御嶋石部神社(柏崎市北条字清水尻)

一緒に読む
御嶋石部神社(柏崎市北条字清水尻)〈『延喜式』御嶋石部神社〉

御嶋石部神社(みしまいそべじんじゃ)は 石部公の祖 久斯比賀多命を祭神として祀ります 御祭神が天下を平治し 越後国に趣かれ 八石山の麓 石部平(現在の清水尻)に鎮座と伝わる 延喜式内社 越後國 三嶋郡 御嶋石部神社(みしまのいそへ かみのやしろ)の論社です 昭和40年(1965)現在地の丘陵地に遷座しています

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・御島石部神社(柏崎市西山町石地)

一緒に読む
御島石部神社(柏崎市西山町石地字二田添)〈『延喜式』桐原石部神社〉

御島石部神社(みしまいそべじんじゃ)は その昔 大己貴命が頚城郡居多より御船にて石地の浜に至り 岩の懸橋が海中より磯辺まで続き不思議に思われ船を寄せると 当地の荒神二田彦・石部彦の二神が出迎え卮(さかずき)に酒を盛り敬意を表したと云う 延喜式内社 越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)です

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但馬國 朝來郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)

・石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)

・熊野神社(朝来市山東町塩田)

但馬國 朝來郡 刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)

・石部神社〈刀我石部神社〉(朝来市和田山町宮)

但馬國 出石郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)

・石部神社(豊岡市出石町下谷)

播磨國 賀茂郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)

・石部神社(加西市上野町)

表記「部神社」(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ式内社の論社

加賀國 江沼郡 宮村部神社(みやむらいそへの かみのやしろ)

・宮村部神社(加賀市宮町)

丹波國 船井郡 出石鹿部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)

・何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)

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何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〈『延喜式』出石鹿いそ部神社〉

何鹿神社(いつしかじんじゃ)は 創祀は白鳳十二年(672)と伝えられ 大寶二年(702)から出石鹿部神社と號して 延喜式内社 丹波國 舩井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかの いそへの かみのやしろ)とされます 正和四年(1315)から何鹿神社と称したと云うことです

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・岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)
〈出石鹿部神社の旧鎮座地との説あり〉

一緒に読む
岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)〈『延喜式』辨奈貴神社・出石鹿いそ部神社〉

岩山神社(いわやまじんじゃ)は 元々は辨奈貴岩の上に鎭座する辨奈貴大明神と称し 延喜式内社 丹波國 船井郡 辨奈貴神社(へなきの かみのやしろ)の論社 又 往古から何鹿神社(曽根竿代)の奥宮と云い延喜式内社 丹波國 船井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)の旧鎮座地とも云われます

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丹波國 氷上郡 部神社(いそへの かみのやしろ)

部神社(丹波市氷上町石生字剣璽山)

・柏原八幡宮(丹波市柏原町柏原)

丹後國 與謝郡 阿知江部神社(あちえいそへの かみのやしろ)

〈阿知江磯部神社 旧鎮座地〉
 雲岩〈雲巌〉(与謝野町岩屋)の辺り

・阿知江磯部神社(与謝野町岩屋)

・須津彦神社・須津姫神社(宮津市須津)

表記「礒部神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ式内社の論社

越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)

・磯部神社(氷見市磯辺)

・神明宮(氷見市磯辺 上宮)
〈礒部神社の元鎮座地〉

越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまの いそへの かみのやしろ)

水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)

一緒に読む
水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉

水嶋磯部神社(みずしまいそべじんじゃ)は 数度の火災の爲 旧記等悉く燒失 口碑によれば 天智天皇10年12月 吉野より磯部臣(いそべのおみ)民部と称す人が来たり この地を水嶋の里と定め 先祖を祀り 白鷗2年辛未(671)社殿を創建と云う 延喜式内社 越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまのいそへの かみのやしろ)です

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・水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)

一緒に読む
水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉

水嶋礒部神社(みずしまいそべじんじゃ)は 中古 諏訪大明神と称した 文化十一年(1814)「筒石村の磯邊近く岩礁の島の内に泉の湧出る所があり」とし吉田家の許可を得て現在の社号 延喜式内社 越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまのいそへの かみのやしろ)の社号としましたが 式内社古跡とする証據は何もないとされます

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・水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)

一緒に読む
水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉

青柳神社(あおやぎじんじゃ)は 『坊ケ池誌』に「神殿正面に「水嶋磯部神社(みずしまいそべのかみのやしろ)」の御霊代を その左脇に「弁財天神社」祭神の御霊代 その右脇に「諏訪神社」の祭神の御霊代を安置し奉った」とあり 坊ケ池の弁天島に祀られていた祠を 明治27年(1894)溜池改修工事により現在地に移して改称したものです

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表記「石邊神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ式内社の論社

近江國 野洲郡 馬路石邊神社(むまみちのいそへの かみのやしろ)

・馬路石邊神社(守山市吉身)

一緒に読む
馬路石邊神社(守山市吉身)〈『延喜式』馬路石邊神社〉

馬路石邊神社(うまじいそべじんじゃ)は 社伝に 白鳳三年(675)建速須佐之男命を奉斎し創祀 朱鳥元年(686)大己貴命を合祀と云う 社名の馬路は「馬道首」に因む地名 石邊は馬道郷の土豪「石邊君氏」の姓 馬道(路)郷の石邊君の氏社で 延喜式内社 近江國野洲郡 馬路石邊神社(むまみちのいそへの かみのやしろ)とされます

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延喜式神名帳所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内とその論社 (hai)」(90度のお辞儀)

参考として 別称「磯部の宮」と云われる神社について

・伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)(志摩市磯部町上之郷)〈内宮域外の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 答志郡 粟嶋坐伊射波神社二座(貞・並大)(あはしまのます いさはの かみのやしろ ふたくら)

・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》天照大御神御魂

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伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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