実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〈『延喜式』牛庭神社〉

伊勢庭神社(いせばじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社とされています 明治40年(1907)神社合祀令により漕代神社(現 葉生田神社)に合祀されましたが 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊勢庭神社(Iseba shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県松阪市 伊勢場(いせば)町395

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

《配》誉田別命(ほんだわけのみこと)
   水波能女神(みずはめのかみ)
   水分神(みまくりのかみ)

祭神

一 伊勢庭神社
 天忍穂耳命(アマノオシオミミノミコト)

一 八幡神社
 誉田別命(コンダワケノミコト)

一 雨水神社
 水波能女神(ミズハノメカミ)
 水分神(ミクマリノカミ)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)は 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀され 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

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・拝殿

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・葉生田神社(松阪市法田町)

伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)は 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀され 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました
現在は 葉生田神社(松阪市法田町)の飛地の境外社です

一緒に読む
葉生田神社(松阪市法田町)〈『延喜式』牛庭神社・神垣神社〉

葉生田神社(はふだじんじゃ)は 平安時代末期から土田(はふだ)村の神仏混淆の産土神「日天八王子社」でした 明治3年 神仏分離により「葉生田神社」と改称 明治40年の県令により 漕代(こいしろ)村の22社26祭神を合社・合祀 昭和28年に分社・分祀するも 正式な手続きは社名変更のみで 現在も22社26祭神が祀られています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[旧 神社 名称 ] 牛庭神社
[ふ り が な ](うしにはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ushiniha no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社

・牛庭神社(松阪市下蛸路町)

一緒に読む
牛庭神社(松阪市下蛸路町)〈『延喜式』牛庭神社〉

牛庭神社(うしばじんじゃ)は 往古 里人が神社の前の野に牛を放ち飼いにしていたので牛飼場と呼ばれたと云う 旧名を牛庭牛頭天王 又は牛嶺天王社と云い 明治六年(1873)社寺御改めに際し 牛庭神社と改称しました 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社です

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・牛庭神社 跡(松阪市東久保町)
〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社 跡〉

一緒に読む
牛庭神社 跡(松阪市東久保町)〈『延喜式』牛庭神社〉

牛庭神社 跡(うしばじんじゃあと)は 明治41年 (1908) 二十五柱神社に合祀された 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の旧跡地で 元々は現在地の北東75mの位置 牛草町に鎮座していました この跡地の石碑は 昭和六十年三月に耕地整理によって 現在地に移転しています

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〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

・伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)

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伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〈『延喜式』牛庭神社〉

伊勢庭神社(いせばじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社とされています 明治40年(1907)神社合祀令により漕代神社(現 葉生田神社)に合祀されましたが 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました

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・葉生田神社(松阪市法田町)
伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)は 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀され 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました
現在は 葉生田神社(松阪市法田町)の飛地の境外社です

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葉生田神社(松阪市法田町)〈『延喜式』牛庭神社・神垣神社〉

葉生田神社(はふだじんじゃ)は 平安時代末期から土田(はふだ)村の神仏混淆の産土神「日天八王子社」でした 明治3年 神仏分離により「葉生田神社」と改称 明治40年の県令により 漕代(こいしろ)村の22社26祭神を合社・合祀 昭和28年に分社・分祀するも 正式な手続きは社名変更のみで 現在も22社26祭神が祀られています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄山田線 漕代駅から南方向へ祓川を遡るように約2km 車で5分程度

神社の東側を流れる祓川です

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祓川を渡ったときに詠んだ藤原定家の歌

藤原定家(ふじわら ていか)西暦1162~1241年 平安・鎌倉時代の歌人

 伊勢参宮の帰りに祓川を渡ったとき藤原定家詠んだ歌

  のちに又 たれか来て見む 竹河や
   むすぶしずくも 紅葉ちる山

 このころ斎宮には、高倉天皇の皇女があいついで、斎王となっています。
功子(いさこ 在任1177~1179年)、潔子(きよこ 在任1185~1198年)

 藤原定家は、潔子内親王が斎王であったとき、この歌を詠んだのです。
 高倉天皇の長男(安徳天皇)が、平家滅亡とともに瀬戸内海で没しますが天皇の行在所(あんざいしょ)が明石にあったとき、淡路島の北端の岬(松帆の浦)で、藤原定家詠んだ歌
「来ぬひとを まつ帆の海の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ」

現地案内板より

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伊勢場町の標板

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田の中に鎮守の杜が見えてきました

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鎮守の杜の東側は 畑になっています
畑の奥の杜のような所が祓川です

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伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)に参着

社頭は南を向いて 鳥居が建てられています

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一礼をして 鳥居をくぐると 社号標があり゛伊勢庭神社゛と刻字されています

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境内は 参道に直角に接していて 西を向いています

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社殿は 一番奥に本殿 次に神門 割拝殿 鳥居の順に建っています

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拝殿にすすみます

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御祭神の案内版です

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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社前の畑です

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 牛庭神社について 所在は゛蛸路村に在す、゛〈現 牛庭神社(松阪市下蛸路町)〉と記しています

【抜粋意訳】

牛庭神社

牛庭は 宇志尓波と訓べし

〇祭神詳ならず

〇蛸路村に在す、〔考証、俚諺〕今 飯野郡に属す

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 牛庭神社について 所在は゛今 伊勢場村産神゛〈現 伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〉と記しています

【抜粋意訳】

牛庭(ウシハノ)神社

 伊勢場村産神 盖是也、
〔〇按 神宮雑例集、神鳳鈔、牛庭御園あり、藤波氏古文書、牛庭御厨あり、神領目録に伊勢場御園あり、所謂 牛庭訛て伊勢塲となりし事著し、附て考に備ふ、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 牛庭神社について 所在は 諸説あって一定しない と記しています

諸説の所在は
 飯野郡に伊勢場村あり其村の東北 畠中に産神社あり是に配すへし゛〈現 伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〉
神鳳抄に云ふ所とは 東西大に懸隔せりと云ひ
神名帳考諦等には 飯野郡蜻路村牛嶺にあり゛〈現 牛庭神社(松阪市下蛸路町)〉
明細帳には 本郡の牛草村なりと云゛〈現 牛庭神社 跡(松阪市東久保町)〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社 跡〉〉

【抜粋意訳】

牛庭神社

祭神
祭日
社格

所在 (合併)

 今按 檢錄に雜例集神鳳抄に飯野郡牛庭御菌あり 當社所在の地名なり 然るに神領目錄には伊勢庭御蘭に作る 今 飯野郡に伊勢場村あり其村の東北 畠中に産神社あり是に配すへし
 下宇爾村新茶屋の北に牛庭長者舊址と唱ふる地あり
 神鳳抄に云ふ所とは 東西大に懸隔せりと云ひ
神名帳考諦等には 飯野郡蜻路村牛嶺にありとし
明細帳には 本郡の牛草村なりと云て一定せず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

伊勢庭神社(松阪市伊勢場町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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