実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

率川阿波神社(奈良市本子守町)

率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)は 創建について 社伝には「宝亀二年771)藤原是公 夢のお告げ」によるとされ 当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが 時代と共に衰微し 大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し その後 末社 春日社・住吉社と共に現在地に遷座 式内社の率川阿波神社とされます

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

率川阿波神社(IsagawaAwa shrine)

 [通称名(Common name)]

奈良市最古の「えびす様」

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市本子守町18

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》事代主神ことしろぬしのかみ

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

商売繁盛生活守護の神様

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 大和国一之宮 大神神社 摂社

【創  (Beginning of history)】

 率川神社(いさがわじんじゃ)

御祭神
玉櫛姫命たまくしひめのみこと) 向かって右殿(御母神)
媛蹈韛五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと向かって中殿 (御子神)
狭井大神さいのおおかみ 向かって左殿(御父神)

御例祭
六月十七日 三枝祭さいくさのまつり(ゆりまつり)

御由緒
 当神社は 推古(すいこ)天皇元年(五九三年)大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が 勅命によって創祀(そうし)した奈良市最古の神社であります 
父母神が御子神を両側から見守るようにして鎮座奉斎していることから 子守明神と称えられ安産あんざん育児いくじ息災延命そくさいえんめいの神様として篤い信仰を集めております
 例祭の三枝祭さいくさのまつり 御祭神に縁の深い笹百合(ささゆり)(古名 さいくさ)の花で白酒しろき)黒酒くろき)の酒樽さかだるを飾ってお祭りするところから付けられた名前であり 大宝令(七〇一年)に国家の祭祀として定められている古式ゆかしい神事で疫病除けの祭りとして今に受け継がれ「ゆりまつり」の名で知られています
 本殿は一間社春日造檜皮葺の建物三棟が東西一列に並び南面しており 近世初頭の社殿形式を伝えるものとして奈良県有形文化財に指定されています

率川阿波神社いさがわあわじんじゃ

御祭神 事代主神ことしろぬしのかみ(奈良市最古のえびすさん)
例祭日 六月十七日
初 戎はつえびす一月五日

現地案内板より

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摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)

御祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)

例祭日 6月17日

大物主大神の御子神さまである事代主神さま(恵比須さま)をお祀りし、『延喜式』にも見える古社。

社伝によれば光仁天皇の宝亀年間(770~780)に藤原是公(ふじわらこれきみ)が創祀したと記されています。
当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが時代と共に衰微し、明治期には小祠を残すのみとなりました。その後、大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し、昭和34年の率川神社境内整備に伴い末社の春日社・住吉社と共に現在の位置に遷座となりました。

奈良市最古の恵比須社であり、毎年正月4日の宵戎(よいえびす)、翌5日の本戎(初戎)には、商売繁盛を願う多くの参拝があります。

公式HPよりhttps://isagawa-jinja.jp/jinja/keidaimap/awasha/

【由  (History)】

摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)

御祭神 事代主神ことしろぬしのかみ

御例祭 6月17日
初戎祭 1月5日

御由緒
この御社は平安時代の「延喜式」にも記され、御祭神・事代主神は本社の大物主大神の御子神で、俗に恵比須様と申し上げます。
社伝によると宝亀二年771)藤原是公が 夢のお告げにより 阿波国より勧請したと伝えられています。

1月5日の初戎祭は奈良で一番古い福徳成就の祭で 商売繁盛をはじめ生活守護の神様として多くの参拝者で賑わいます。
現地立札より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

末社 春日社(かすがしゃ)《主》春日大神(かすがおおかみ)

例祭日 6月17日

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末社 春日社(かすがしゃ)

御祭神
武甕槌命(たけみつちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめのかみ)

御例祭 六月十七日

御由緒
御祭神は、春日(奈良市)の神四柱を祀り、国家安泰を始め諸願安全の御神徳篤い神様であります。

現地立札より

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末社 住吉社(すみよししゃ)《主》住吉大神(すみよしおおかみ)

例祭日 6月17日

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末社 住吉社(すみよししゃ)

御祭神
上筒男命(うわつつのをのみこと)
中筒男命(なかつつのをのみこと)
底筒男命(そこつつのをのみこと)
氣長帯比売命(おはながたらしひめのみこと)(神功皇后 じんぐうこうごう

御例祭 六月十七日

御由緒
御祭神は、伊邪那岐神が禊(みそ)ぎをした時にお生まれになられた神様です。

大阪・墨江(住吉)に鎮る神と同神であり神功皇后の遠征守護神として申し上げ海洋の神様であります。
現地立札より

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

率川阿波神社(奈良市本子守町)は 大和国一之宮 大神神社 の摂社です

・大神神社(桜井市三輪)

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

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率川阿波神社(奈良市本子守町)は 率川神社(奈良市本子守町)の境内に鎮座します

・率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)

一緒に読む
率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)

率川坐大神御子神社(いさがわにます おおみわみこじんじゃ)は 大和国一之宮 大神神社の摂社で 「大宝令」〈大宝元年(701)制定〉に 国家の祭祀として 例祭 三枝祭(さいくさのまつり)は 既に規定されていました 鎮花祭〈大神神社 例祭〉と共に古くから疫病を鎮める祈りのお祭りです 『延喜式神名帳AD.927』にも記される古社です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 率川阿波神社
[ふ り が な ]いさかはあはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Isakahaawa no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

創建について 社伝にある「宝亀二年771)藤原是公 夢のお告げついて

『大和志料』より
社伝に曰く
宝亀二年(771年)
この大納言 藤原是公の夢に云う
「我は 狭井御子神(さいのみこのかみ)なり お前の氏神 建布都神(たけふつのかみ)と共に阿波国(あわのくに)に住んでいる  皇孫命(すめみまのみこと)召集(しょうしゅう)により 建布都神(たけふつのかみ)と共に都(みやこ)〈奈良〉にいる
建布都神(たけふつのかみ) 御笠山(みかさやま)〈春日山〉 我は率川辺(いさがわのべ)に住み居たいと思う 敬い祀れ」と夢に告げられた
神殿を造り 阿波国(あわのくに)より勧請したので 阿波神(あわのかみ)なり」とあります

阿波国(あわのくに)建布都神(たけふつのかみ)を祀る式内社について

阿波国(あわのくに)に 狭井御子神(さいのみこのかみ)の名は 見あたりません
しかし『延喜式』には 阿波国 阿波郡に「建布都神社」が載せられています

建布都神(たけふつのかみ)
『古事記』に載る神の名で
建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)建御雷神(たけみかづちのかみ)
亦の名〈別名〉を 建布都神(たけふつのかみ)豊布都神(とよふつのかみ)と記されます

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
阿波國 阿波郡 建布都神社(たけふつのかみのやしろ)の〈論社〉

・建布都神社(阿波市市場町)

・建布都神社・西宮神社(阿波市土成町)

・赤田神社(阿波市土成町)

・八幡神社〈杉尾大明神〉(阿波市市場町)

・伊笠神社(阿波市市場町)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR奈良駅から 西へ約600m 徒歩8分程度
近鉄奈良駅から 南へ約350m 徒歩4分程度

やすらぎの道沿いに鎮座する 率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)の境内の北東に祀られています

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率川阿波神社(奈良市本子守町)に参着

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玉垣が廻された神域の中央に鳥居が建ち

向かって右に 春日社
正面に 率川阿波神社
向かって左に 住吉社 が祀られています

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拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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つづいて 率川神社(奈良市本子守町)にお詣りをします

・率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)

一緒に読む
率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)

率川坐大神御子神社(いさがわにます おおみわみこじんじゃ)は 大和国一之宮 大神神社の摂社で 「大宝令」〈大宝元年(701)制定〉に 国家の祭祀として 例祭 三枝祭(さいくさのまつり)は 既に規定されていました 鎮花祭〈大神神社 例祭〉と共に古くから疫病を鎮める祈りのお祭りです 『延喜式神名帳AD.927』にも記される古社です

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

率川坐大神御子神率川阿波神が並んで神階の奉授が 記されています

【抜粋意訳】

仁寿二年(852)十一月辛丑(9日) の条

特加(ことにくわ)ふ 大和國(やまとのくに)
金峯神に 従三位を

率川坐大神御子神(いつかはにます おほみわの みこのかみ)
狭囲神(さいのかみ)
率川阿波神(いさかはのあわのかみ)に 並びに 授(さづ)く 従五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

当初は 奈良市西城戸町に鎮座していた と記されています

【抜粋意訳】

率川阿波神社

率川は前に同じ、阿波は假字也、

〇祭神詳ならず
○南都西新屋町に在す、大和志
〇奈良人某が話に、当所町人惣年寄の内、西城戸町清水源
が宅地之辺、率川阿波神社の旧地にて、同町南裏馬場町と云は、阿波社の馬場の跡と云、今は廃亡よし志れすと云り、
〇年中行事秘抄云、南家口伝云、率川社、右大臣藤原是公卿所建立也云々、全文前なる率川坐大神御子神社の下見合すべし

類社
伊賀國 山田郡、伊豆國 賀茂郡 阿波神社、各一座
下野國 寒川郡 阿房神社、

神位
文徳實録、仁寿十一月辛巳、大和國 率川阿波神 授從五位下、

祭祀
公事根元云、率川祭、二月上酉日、この祭は、春日祭のあくる日行はる、神祇令に載する三枝祭と同じかるべくば、四月にて有べし云々、委しき事は、また三枝祭の所にのすべし、・・・云々

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

率川阿波神社の 旧社地として 奈良市西城戸町と記しています

【抜粋意訳】

率川阿波(いざかはのあはの)神社

祭神 事代主神ことしろぬしのかみ

神位 文徳天皇 仁寿二年十一月辛丑 大和國 率川阿波 授從五位下
祭日 二月 十一月 酉日
社格 村社
所在 奈良西城戸町(奈良市西城戸町)
今按〈今考えるに〉
社地は 大和志に西新屋町とあれど 神社覈録に当所町人惣年寄の内 西城戸町清水源が宅地 即 即旧地にて 同町南裏馬場町と云は 阿波社の馬場の跡と云とみえたるは たしかなる証と聞こえ 注進状にも この地として今人家の宅地内に在て稍く社殿あめのみと云るも打合たれば 今この地とさだめて記せり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

率川坐大神御子神社と率川阿波神社について記しています
絵地図には 阿波神社の古跡も載っています

【抜粋意訳】

率川坐大神御子(いざかはにます おほみわみこ)神社 附 阿波神社

奈良市本子守町にあり。
延喜式神名帳に「率川坐大神神御子神社 三座」と見ゆる即ち是
俗に 子守(こもり)社と称す。又 その祭義に依り三枝(さいくさの)神とも称せり。
率川の一名を子守川と云ひ、社地を本子守と云うも 皆 社名に因めるのみ。
中殿は 媛蹈韛五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと
左殿は 玉櫛姫命たまくしひめのみこと)即ち 子守神
右殿は 大己貴荒魂命 即ち 狭井神さいのかみ)を祭る、

五十鈴姫は 大神大物主命(おほみわ おほものぬしのみこと)の御子なり、
故に大神御子神と称す。

推古天皇 勅して 大神御子神ノ社殿をこの所に建て、大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)をして これを祭らしめ給う。即ち是、当社の創祀にして、養老中に至り藤原不比等、子守(こもり)狭井(さい)の二神を その左右に斎ひ祭る、子守の称蓋しここに起る、言ふは二神 左右に座し その子を擁護するの義なり、

その 率川阿波神社は 率川の若宮、又 三枝御子社と称し事代主命を祭り、宝亀中 藤原是公の阿波国より勧請する所なり。

 当社は もと山邊郡 大倭神社の別社たりしを以って かの社 仁安中の注進状には 率川社記を これが付録となせり、後、大神神社の別社に属せり、故に嘉禄二年勧作の大三輪三社鎮座次第には これを春日三枝神社と称し 別宮小社の部に収めたり。所謂 大倭社注進状に付録したる当社記は左の如し。

・・・・・云々

社伝に曰く
宝亀二年(771年)
この大納言 藤原是公の夢に云う
「我は 狭井御子神なり お前の氏神 建布都神(たけふつのかみ)と共に阿波国(あわのくに)に住んでいる  皇孫命(すめみまのみこと)召集(しょうしゅう)により 建布都神(たけふつのかみ)と共に都(みやこ)〈奈良〉にいる
建布都神(たけふつのかみ) 御笠山(みかさやま)〈春日山〉 我は率川辺(いさがわのべ)に住み居たいと思う 敬い祀れ」と夢に告げられた
神殿を造り 阿波国(あわのくに)より勧請したので 阿波神(あわのかみ)なり
。。。。。云々

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

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率川阿波神社(奈良市本子守町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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大神神社(桜井市三輪)の・境内社・境外社 の記事を見る

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大神神社(桜井市三輪)摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・別宮(べつぐう)巡り

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています