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Shrine-heritager

伊努神社(出雲市西林木町)

伊努神社(いぬじんじゃ)は 出雲風土記733 AD.所載の出雲郡 神祇官社 1.伊努社(いぬ)のやしろ」2.「伊農社(いぬ)のやしろ」3.「[伊農社] 同社」4.「[伊農社] 同社」5.「伊努社(いぬ)のやしろ」と合祀社も含めて5ヶ所の「(いぬ)のやしろ」の論社で 式内社5ヶ所の論社でもあります

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ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます

①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した出雲風土記

➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)完成した『延喜式神名帳』

➂最後に出雲風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています

①【約1300年前】About 1300 years ago

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.

〈本社 神祇官社1〉と〈合祀 神祇官社4社〉 5つの論社となっています

①「伊努社」〈本社〉⇒ 式内社「伊努神社」

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】伊努社 
読み(いぬ)のやしろ
How to read(inu no) yashiro

➁「伊農社」〈合祀〉⇒ 式内社「同[伊努]社 比古佐和氣神社」

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】伊農社 
読み(いぬ)のやしろ
How to read(inu no) yashiro

➂「[伊農社] 同社」〈合祀〉⇒ 式内社「同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社」

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】同社 
読みおなじきやしろ
How to read(onajiki ) yashiro

④「[伊農社] 同社」〈合祀〉⇒ 式内社「同[伊努]社神魂神社」

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】同社 
読みおなじきやしろ
How to read(onajiki ) yashiro

➄「伊努社」〈合祀〉⇒ 式内社「意布伎神社」

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】伊努社 
読み(いぬ)のやしろ
How to read(inu no) yashiro

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

➁【約1100年前】About 1100 years ago

延喜式神名帳engishiki jimmeicho所載社(Place of publication)
The shrine record was completed in December 927 AD.

〈本社 式内社1〉と〈合祀 式内社4社〉 5つの論社となっています

「伊努神社」⇒『出雲國風土記733 AD.』所載の「伊努社(いぬ)のやしろ」〈本社〉

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

【社名】伊努神社 
読みいぬの かみのやしろ
How to readInu no kami no yashiro

➁「同[伊努]社 比古佐和氣神社」⇒出雲風土記733 AD.所載の「伊農社(いぬ)のやしろ〈合祀〉

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

【社名】同[伊努]社 比古佐和氣神社 
読みおなじきやしろ ひこさわけの かみのやしろ
How to readOnazikiyashiro Hikosawake no kami no yashiro

➂「同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社」⇒出雲風土記733 AD.所載の「[伊農社] 同社 おなじきやしろ〈合祀〉

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

【社名】同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社 
読みおなじきやしろ かんたまいつのひめの かみのやしろ
How to readOnazikiyashiro Kantamaitsunohime no kami no yashiro

④「同[伊努]社 神魂神社」⇒出雲風土記733 AD.所載の「[伊農社] 同社 おなじきやしろ〈合祀〉

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

【社名】同[伊努]社 神魂神社 
読みおなじきやしろ かんたまの かみのやしろ
How to readOnazikiyashiro Kantama no kami no yashiro

➄「意布伎神社」⇒出雲風土記733 AD.所載の「伊努社(いぬ)のやしろ〈合祀〉

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 出雲郡(izumo no kori)

【社名】意布伎神社 
読みいふきの かみのやしろ
How to readIfuki no kami no yashiro

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用

➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine

【神社名】(shrine name) 

伊努神社(Inu shrine)

【通称名】(Common name)

西の宮(にしのみや)

【鎮座地】(location)

島根県出雲市西林木町376

【地 図】(Google Map)

【御祭神】(God’s name to pray)

〈本社 ⇒式内社の伊努神社〉
《主》赤衾伊努意保須美比古佐倭気命

  (あかぶすま いぬ おほすみひこ さわけのみこと

《配》天之甕津日女命あめのみかつひめのみこと)〈主祭神の后神〉

〈合祀 日乃都麻明神 ⇒式内社の同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社〉
《合》速秋津比売命(はやあきつひめのみこと)

〈合祀 西林木権現 ⇒式内社の同[伊努]社 神魂神社〉
《合》神魂命(かみむすびのみこと)

〈合祀 朝村権現(佐子乃権現) ⇒式内社の同[伊努]社 比古佐和氣神社〉
《合》赤衾伊努意保須美比古佐倭気命
あかぶすま いぬ おほすみひこ さわけのみこと

〈合祀 葺宮明神 ⇒式内社の意布伎神社〉
《合》鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
《合》玉依毘売命(たまよりひめのみこと)

〈合祀 八幡〉
《合》誉田別皇命(ほむたわけのみめらみこと)
《合》息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
《合》武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)

【御神格】(God’s great power)

家内安全産業発展

【格式】(Rules of dignity)

・『出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.所載社
・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創建】(Beginning of history)

伊努神社  西林木町の氏神

   例祭日・・・・・4月19日   

 出雲国風土記、延喜式に載る古社で、古きは伊努卿の卿社であったと言われている。

 御祭神は赤衾伊努意保須美比古佐和気能命という「穀霊の神」である。

 赤衾伊努意保須美比古佐和気能命は 国引きをされた意美豆努命(八束水臣津野命)の御子であり、この卿は今の東、西両林木町・日下町・矢尾町を含む地域を指している。

 当社は郡内58社中第6位に置かれ、大社町の阿受伎神社や、日御碕神社より社格が高かったと思われる節がある。

 伊努神社の位置は伊努卿の中心部にあり、伊努谷川の扇状地の扇頂付近に鎮座している。

 また東西に信仰圏を控え、峠を越すと鰐淵寺川の上流に出て日本海に通じ、南は低地に接するという、いわゆる 「4通8達」の要衛にある。

 当社の御神名については 赤衾はイヌ(寝ぬ)の枕詞でオオヌシヒコ=大州見彦で大きな砂州を看視する男神を意味する。

サワケのサは接頭語でワケ=分けで分け掌るの意味だと解される。               つまり伊努の地の砂州の守護神が鎮座していることになる。

 もともと北山山地の南斜面は急傾斜が多く、豪雨に見舞われた際、その度に山が抜け、大災害をもたらした。地域に住む人々は災害地の急速な整地や次への予防のため神の保護を求め、そして有力者の出現を促しここに神社を祀った。

伊努神社(鳶巣コミュニティセンターホームページより

【由緒】(history)

伊努(いぬ)神社は、「出雲国風土記」「延喜式」にも記載されている古社で、西林木町の氏神です。

 御祭神は、穀霊神の「赤衾伊努意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおうすみひこさわけのみこと)」です。赤衾はイヌ(寝ぬ)の枕詞で、大きな砂州を看視する男神を意味し、サワケは接頭語のサとワケ(分け)で分け掌るの意味だとされています。

 もともとこの地域は急斜面が多く、豪雨に見舞われる度に山が崩れ大災害となっていました。このため、地元の人々が神の保護を求め、ここに神社を祀ったと言われています。
 駐車場が無いため、お越しの際は鳶巣コミュニティセンターまでお問合せください。

御祭神
 御祭神の赤衾伊努意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおうすみひこさわけのみこと)は、『出雲国風土記』の冒頭にある国引き神話で、新羅の余った土地に綱をかけて「国来、国来(くにこ、くにこ)」と引っ張って出雲の国にくっつけたとされる出雲の創造神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」の御子であると言われています。

出雲市役所公式HP 経済観光部 観光課伊努神社」より

【境内社】(Other deities within the precincts)

・稲荷神社

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・石祠と道祖伸

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・荒神

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

東の宮」と「西の宮について

伊努神社から東へ1.5㎞所に 都我利神社(つがりじんじゃ)という式内社あります

都我利神社(東林木町)東の宮
伊努神社(西林木町) 西の宮 里人は呼んでいます

東の宮都我利神社(東林木町)も伊農社(いぬ)のやしろ」と関係が深く 風土記「同社同社」の2社の論社となっています

①『出雲國風土記733 AD.』所載の「[伊農社] 同社 おなじきやしろ」
⇒ 式内社「都我利神社」

➁『出雲國風土記733 AD.』所載の「[伊農社] 同社 おなじきやしろ」
⇒ 式内社「伊佐波神社

一緒に読む
都我利神社(出雲市東林木町)

都我利神社(つがりじんじゃ)は 2つの式内社〈本社(都我利神社)と合祀社(伊佐波神社)〉とされます 又 出雲郡 伊努(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」に係る二つの社が東西の林木町にあって 里人は 都我利神社(東林木町)を「東の宮」と呼び 伊努神社(西林木町)を「西の宮」と呼んでいます

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出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.には「(いぬ)の郷」が二ヶ所登場します
「秋鹿郡 伊農(いぬ)郷出雲郡 伊努(いぬ)郷」 それぞれに「伊努社(いぬ)のやしろ」が 所載されています

・秋鹿郡 伊農(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」について

伊努神社(出雲市美野町)の御祭神は 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)を主祭神として祀ります
「出雲国風土記」の国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の御子神・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)の后神です

一緒に読む
伊努神社(出雲市美野町)

伊努神社(いぬじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「伊努社(いぬ)のやしろ」とされ 御祭神の天甕津姫命(あめのみかつひめのみこと)は「風土記の国引き神話」に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の御子神・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)の后神です

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・出雲郡 伊努(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」について

伊努神社(出雲市西林木町)の御祭神は
「出雲国風土記」の国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の御子神・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)を主祭神として 配祀神にその后神 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)を祀ります

一緒に読む
伊努神社(出雲市西林木町)

伊努神社(いぬじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社 1.「伊努社(いぬ)のやしろ」2.「伊農社(いぬ)のやしろ」3.「[伊農社] 同社」4.「[伊農社] 同社」5.「伊努社(いぬ)のやしろ」と合祀社も含めて5ヶ所の「(いぬ)のやしろ」の論社で 式内社5ヶ所の論社でもあります

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美濃国大野郡の 花長上神社(はなながかみじんじゃ)と花長下神社(はなながしもじんじゃ)について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社』で美濃国大野郡〈岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧谷汲村)〉に
 赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)と天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)を祀る神社があります
古代出雲との深い関連性や繋がりを感じます

花長上神社(はなながかみじんじゃ)
《主》天甕津姫命(あめのみかつひめのみこと)

・花長上神社(揖斐郡揖斐川町)

花長下神社(はなながしもじんじゃ)
《主》赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)

・花長下神社(揖斐郡揖斐川町)

一緒に読む
花長下神社(揖斐川町谷汲名礼)

花長下神社(はなながしもじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』美濃國大野郡に所載の式内社です 御祭神「赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかぶすまいのおおすみひこさわけのみこと)」は『出雲国風土記』に登場する神とされ 同地区には 御祭神が夫婦神同士 祭礼が交互に行われるなど密接な関連の式内社 花長上神社も坐まします

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

一畑電車の川跡駅から北上約1.2km 車4分程度

住宅街に 石の鳥居が建ち
その横に木製の社号標「伊努神社(出雲風土記延喜式載る古社)
伊努神社(出雲市西林木町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐると 直線の参道の先に社殿が南向きに建っています

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拝殿の扁額は「伊努神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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大社造り 千木(外削ぎ)の本殿 御神紋は出雲大社と同じ二重亀甲に剣花菱

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境内社にお参りをします 本殿の横に稲荷神社 奥には 荒神が祀られています

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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

それぞれの文献では 次のように伝承しています

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.出雲郡にある伝承

伊努郷(いぬのこおりの条に ご祭神「赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命あかすま いぬ おほすみひこ さわけのみこと」の神社が鎮座するので 伊農(いぬ)という と記されています

【意訳】

伊努郷(いぬのこおり

郡家の正北八里七十二歩の所
国引きをなさ伊美豆努命(おみづぬのみことの御子
赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命あかすま いぬ おほすみひこ さわけのみことの社が 郷の中に坐(まし)〈鎮座〉ます だから 伊農(いぬ)という 神亀三年(726)に字を伊努と改めた

【原文】

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『雲陽志(unyo shi)1835AD.』盾縫郡 西林木 にある伝承

伊務谷大明神」と記され 合祀された社も記されています

『雲陽志(unyo shi)では

〈本社 伊努谷大明神 ⇒式内社の伊努神社〉について
伊努谷大明神
「伊弉諾尊なり
本社 七尺四方 南向き 拝殿二間と三間
祭祀 九月十九日なり
風土記伊努神社とある これなり」

〈合祀 西林木権現 ⇒式内社の同[伊努]社 神魂神社〉について
「若宮(わかみや)大古利姫神(おおこりひめのかみ)なり・・・

〈合祀 日乃都麻明神 ⇒式内社の同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社〉について
「日乃都麻明神(ひのつまみょうじん) 高皇産霊尊なり・・・」

〈合祀 葺宮明神 ⇒式内社の意布伎神社〉について
「葺宮明神(ふきみやみょうじん)葺不合尊(ふきあえずのみこと)なり・」

〈合祀 朝村権現(佐子乃権現) ⇒式内社の同[伊努]社 比古佐和氣神社〉について
「朝村権現(あさむらごんげん) 天津彦根命をまつる・・・・

〈合祀 八幡〉について
「八幡(はちまん)神功皇后 応神天皇 武内宿祢を祀る・・・・」 と記しています

『原文』参照

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)1906AD.出雲郡 にある伝承

合祀された式内社も含め5社について 記しています

意訳

『 伊努神社
いぬの かみのやしろ

風土記に 伊努社四社 伊農社三社あり 帳と数あへり
西林木村 伊努谷大明神これなり
祭神 社家の説 伊弉諾尊といへり
祭日 九月十九日
林木村 いまは盾縫郡に属す 

『 同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社
 (おなじきやしろ かんたまいつのひめの かみのやしろ

この社は 伊努社同社にて 西林木村にありと思い 何れの社か詳ならず 若しくは伊努社に合祭なり』

『 同[伊努]社 神魂神社
おなじきやしろ かんたまの かみのやしろ

 西林木村なり 日乃都麻大明神の社 高皇産霊尊を祭ると云へて 神魂高御魂御名似る故に 後世誤記あり恐しい この社ならむ 又 次に比古佐和氣神社あれいその神の御父神を神魂というなりしに この社は臣津野命を祭る

『 同[伊努]社 比古佐和氣神社
 (おなじきやしろ ひこさわけの かみのやしろ

この社も林木村の内にありへきが未詳
風土記に「国引きをなさ伊美豆努命(おみづぬのみことの御子
赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命あかすま いぬ おほすみひこ さわけのみことの社が郷の中に坐(まし)〈鎮座〉ます だから伊農(いぬ)という神亀三年(726)に字を伊努と改めた」とあれい
必ず 伊努神社に近き所に祭りならむ 若しくは 伊努社に合祭なる不詳 』

『 意布伎神社
いふきの かみのやしろ

この社は 林木村の内にあり 不詳 』

『原文』参照

※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用

※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『出雲国風土記考証(Izumonokuni fudoki koshiyo)』〈大正15年(1926)〉に記される伝承

【意訳】

伊努社 いぬのやしろ

風土記鈔に西林木(にしはいしき)の犬谷(いぬだに)大明神をこれに充てて居る。伊努意保須美比古佐倭気能命を祀る。

【意訳】

伊農社 いぬのやしろ 同社 同社

前にあった伊努社と、後にあるものと合せて、前後七社ある。
延喜式に伊努神社・同[伊努]社 神魂伊豆乃賣神社(おなじきやしろ かんたまいつのひめの かみのやしろ)・同[伊努]社 神魂神社(おなじきやしろ かんたまの かみのやしろ)・同[伊努]社 比古佐和氣神社(おなじきやしろ ひこさわけの かみのやしろ)・意布伎神社(いふきの かみのやしろ)・都我利神社(つがりのかみのやしろ)・伊佐和神社の七社がある。

風土記には独立なイヌイ社かが五社書いてあるが、延喜式には独立の社は四つになって居る。この伊農社には、東林木(ひがしはいしぎ)の八王子大明神(はちおうじだいみょうじん)とて、味鋤高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと)を祀るものを充てる。

【意訳】

伊努社 いぬのやしろ 同社 同社

前の伊農社(二二二頁)を見よ。これ等の社には、追ノ権現(さこのごんげん)、比賣大明神、日妻(ひのつま)大明神をあてる。

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『出雲国風土記考証』大正15年(1926)後藤蔵四郎 著 出版者 大岡山書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020570映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『出雲国風土記考証』大正15年(1926)後藤蔵四郎 著 出版者 大岡山書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020570映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『出雲国風土記考証』大正15年(1926)後藤蔵四郎 著 出版者 大岡山書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020570映像利用

伊努神社(出雲市西林木町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

一緒に読む
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る

一緒に読む
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について

出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています