稲乃比賣神社(いなのひめじんじゃ)は 天正18年(1590)鉢形城が落城した際 兵火により 社記録など焼失し 由緒不詳ですが 神職家の「相馬家」が「天長元年(824)6月28日相馬清太輔宗満祠官となる」以降も1200年相当に渡り 現在も代々継承されているようです『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵國 男衾郡 稲乃賣神社」の論社です 江戸時代には 氷川社と呼ばれていたと記されています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
稲乃比賣神社(Inanohime Shrine)
(いなのひめじんじゃ)
[通称名(Common name)]
氷川様(ひかわさま)
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県大里郡寄居町鉢形2336
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》稲田姫命(Inadahime no mikoto)
素盞嗚尊(Susanowo no mikoto)
大己貴命(Ohonamuchi no mikoto)
少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
天正18年(1590)鉢形城が落城した際 兵火により 社記録など焼失
由緒不詳ですが
神職家の「相馬家」が「天長元年(824)6月28日相馬清太輔宗満祠官となる」以降も1200年相当に渡り 現在も代々継承されているようです
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・愛宕神社《主》軻遇突智神
・八坂神社《主》素盞嗚命
・など
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)男衾郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 稲乃賣神社
[ふ り が な ](いなのひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Inanohime no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「武蔵國 男衾郡 稲乃賣神社」の 2つの論社について
・稲乃比売神社(寄居町鉢形)
稲乃比賣神社(いなのひめじんじゃ)は 天正18年(1590)鉢形城が落城した際 兵火により 社記録など焼失し 由緒不詳ですが 神職家の「相馬家」が「天長元年(824)6月28日相馬清太輔宗満祠官となる」以降も1200年相当に渡り 現在も代々継承されているようです『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵國 男衾郡 稲乃賣神社」の論社です 江戸時代には 氷川社と呼ばれていたと記されています
稲乃比売神社(寄居町鉢形)
・塚田三嶋神社(寄居町赤浜)
塚田三嶋神社(つかだみしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵國 男衾郡 稲乃賣神社」の論社です 神社に伝わる鰐口は「武藏国男衾郡塚田宿三嶋宮鰐口 応永2年(1395)乙亥3月27日」とあり 塚田は中世に鋳物業が盛んであったと伝えられ この鰐口も地元在住の鋳物師によって造られたものと考えられています
塚田三嶋神社(寄居町赤浜)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
寄居駅から 県道30号経由 荒川を渡り南へ約2.6km 車7分程度
荒川の玉淀河原の南岸の崖の上には 鉢形城跡があります そこから南東方面の丘陵地帯に静かに坐している小さなお社です
稲乃比売神社(Inanohime Shrine)に参着
石鳥居は金具で補強され その左横には 自然石の社号標があり「稲乃比賣神社」と刻まれています 一礼をしてくぐります
すぐに手水舎があり 清めます
瓦屋根の社殿は 拝殿を兼ねた 本殿の覆い屋となっています
拝殿にすすみます 拝殿の外壁に懸る扁額には「稲乃比賣神社」 内側の大きな奉納額には「稲乃比賣神社 普露吉慶 永錫盈豊」と記されています
この奉納額の下に 本殿が鎮座しています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の覆い屋〈拝殿〉があるお陰で 本殿の状態は良く保たれています
本殿には 見事な彫刻が施されています
傘寿(さんじゅ)…80歳の記念として奉納板に「刀」が奉納されています
その奉納板には 平成30年(2018)4月吉日とあり 宮司「相馬文彦」と記されています
神職家の「相馬家」が「天長元年(824)6月28日相馬清太輔宗満祠官となる」以降も1200年相当に渡り 代々継承されているようです 凄いことです
社殿向かって右手に鎮座する境内社の合殿にお詣りをして 参道を戻ります
鳥居を抜けて振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社の稲乃賣神社の所在について 塚田三嶋神社(寄居町赤浜)を比定して
木待村〈現 稲乃比売神社(寄居町鉢形)〉も論社と記しています
【意訳】
稲乃賣(イナノメ)神社
日本書紀 粮(くらひもの)の名をば厳稲魂女(いつのうかのめ)〈神武前紀戊午年9月〉
和 抄 稲魂 宇介乃美太万
式社考 塚田神 三嶋宮 或いは云う はかく御木待村
〇信友云う 兼永本 朱書き入れ云う 稲田姫なり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
現 稲乃比売神社(寄居町鉢形)は 氷川社と呼ばれていた 式内社と云われるが 確かな証拠が見当たらないと記しています
【意訳】
巻之223 男衾郡之2 鉢形領1 木持村 の条
氷川社(ヒカワノヤシロ)
村の鎮守なり 相伝ふ 延喜式神名帳に載る所の当郡三座の内 稲乃賣神社なりと云えど 慥(タシカ)なる証跡なし 折原村 神主 相馬播旧持ち
〇愛宕社 立原村 般若寺持ち
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
式内社の稲乃賣神社の所在について 寄居町鉢形の稲乃比売神社を比定した上で 塚田三嶋神社(寄居町赤浜)にあると記しています
【意訳】
稲乃賣神社
稲乃賣は 伊奈能女と訓ずべし
〇祭神 明らかなり
〇鉢形領 鉢形町に在す
式社考に 塚田村三島宮と云えり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社の稲乃賣神社の所在について 鉢形郷木持村〈現 稲乃比売神社(寄居町鉢形)〉と記しています
【意訳】
稲乃賣神社
祭神 稲乃賣命
祭日 9月19日
社格 村社
所在 鉢形郷木持村(大里郡鉢形村大字鉢形)
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
稲乃比売神社(Inanohime Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について