実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

今城青坂稲實池上神社(神川町関口)

今城青坂稲実池上神社(いまきあおさかいなみいけがみ じんじゃ 天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 関口村の鎮守として 現在地(関口字池上)遷座しまし もとは阿保神社の裏に鎮座していたと伝わる式内社 今城青坂稲實池上神社(いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)の論社゛丹生明神(にうみょうじん)でした

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

 【神社名(Shrine name

今城青坂稲実池上神社(Imakiaosaka inamiikegami Shrine

 通称名(Common name)

 【鎮座地 (Location) 

埼玉県児玉郡神川町関口38(関口字池上)

  (Google Map)

 【御祭神 (God's name to pray)】

 《主》淤迦美神(おかみのかみ)
   豊受毘(とようけひめのみこと)
   罔象女神(みずはめのかみ)
   埴安姫命(はにやすひめのみこと)

 【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

 もとは阿保神社の裏に鎮座していたと伝わる式内社 今城青坂稲實池上神社の論社゛丹生明神゛
天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 関口村の鎮守として 現在地に遷座した

 【由  (History)】

 62回伊勢神宮式年遷宮記念

今城青坂稲実池上いまきあおさかいなみいけがみ神社

神川町関口三八(関口字池上)

 □御縁起(歴史)
 関口は神流(かんな)川右岸に位置している。地名は安保(あぼ)領一三か村の用水(安保用水)の堰口(せきぐち)に当たることに由来するという。
 当社は、関口の小名の一つである池上に鎮座している。その境内地は台地の端にあり、西方の低地には水田が開かれている。
 『延喜式』神名帳に見える賀美郡四座のうちの「今城青坂稲実池上いまきあおさかいなみいけがみの神社」の比定社の一つとされ、『風土記稿』では「丹生(たんしょう)明神社」とある。
 その由緒は『明細帳』によると、創立年月は不詳であるが、当社は延喜式内当国四十四座の一つである今城青坂稲実池上神社であると言い伝える。
往古は阿保村と一村であった時、六所社と丹生社が同村にあったが、天正五年(一五七七)三月の分村の際に丹生社を本村の鎮守と定め、今の地に遷(うつ)し祀ったという。当社の社号はもとの領主であった安保氏の祖先が大和国丹生川上(にふかわかみ)神社をこの地に遷し祀ったので丹生社と称するという。 一方『群村誌』によれば、延喜式内小社の今城青坂稲実池上神社と言い伝え、勧請は神亀元年(七二四)二月のことであるという。 以下は『明細帳』と同様で、阿保村から分村の際に丹生社を遷し祀った旨が記されている。
 別当は真言宗光徳寺で、丹生山延命院と号し、中興開山広重は寛文三年(一六六三)の没という。 同寺は明治六年に廃寺となった。
 大正十五年には、延喜式選上一千年記念として社務所を新築した。

 □御祭神
・淤迦美(おかみ)神 ・豊受毘賣(とようけひめ)命
・罔象女(みずはめ)神 ・埴安姫(はにやすひめ)命

 □御祭日
・新年祭 (一月二日)・春祭り (三月十九日)・蚕影祭 (四月二十三日)
・お精進 (七月二十四日)・秋祭り (十月十九日)・新嘗祭 (十二月十日)  

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・社殿〈・拝殿・幣殿・本殿覆殿〉

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社殿 左右に石祠〉

・石祠五宇〈社殿 向かって左側〉・蚕影社・愛宕社・諏訪社・八坂社・不明

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・石祠宇〈社殿 向かって右側〉・疱瘡社・稲荷社・八幡社・菅原社

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・石碑 御改築記念

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・石祠一宇〈境内の西端〉〈東照宮か?

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・直角に折れる境内参道

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・御神木

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・石灯籠

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・手水舎

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・社務所

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・社頭の鳥居

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・社頭の社号標゛延喜式内 今城青坂稲池上神社
 ゛延喜式撰二千年祭記念゛の石碑

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・社頭の゛庚申゛゛甲子塔゛゛行者塔゛

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

阿保神社の裏に鎮座していたと伝わる式内社 今城青坂稲實池上神社の論社゛丹生明神゛の旧鎮座地

・阿保神社(神川町元阿保)
〈元阿保村と関口村が分立の際 関口村の鎮守として遷座した今城青坂稲實池上神社の論社 丹生明神社の旧鎮座地 境内に旧鎮座地として再建(慶應三年)石祠あり〉

一緒に読む
阿保神社(神川町元阿保)

阿保神社(あぼじんじゃ)は 村老の伝に「大古、阿保人上(にんじょう)武蔵介の建立せし所なり、其後阿保次郎實光、当国府中六所明神を移し合祀せしと云。社名は今城青坂稲實(いまきあおさかいなみ)明神なりと言伝はるを記す。古社なるべし。」とあり 阿保は゛あお゛とも読み 今城青三社の゛青゛と通じ 式内論社となっています

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 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

 この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

 『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

 延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

  [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵國 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀美郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 今城青坂稲実池上神社
[ふ り が な ](いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Imaki awosaka inamino ikekami no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)について

 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)について その所在は4社ともに確証がなく 尚且つ明治期の合祀によって それぞれが入り乱れて論社となっています それぞれの論社を参照

長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)

・長幡部神社(上里町長浜)

一緒に読む
長幡部神社(上里町長浜)

長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)のすべての論社となっています 創建年代は不詳で 此の地域に進出した長幡部氏〈高度な機織り技術を持った渡来系氏族〉が 神流川南岸の字宮の西的場に機織りの神゛天羽槌雄命゛を祀ったことが起源と伝わり 天永元年(1110)洪水のため社地が流亡し現在地に遷座と伝えています

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今城青八坂稲實神社(いまき あを やさか いなみの かみのやしろ)

・天神社(上里町五明)

一緒に読む
天神社(上里町五明)

天神社(てんじんしゃ)は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 今城青八坂稲實神社(いまき あをやさか いなみの かみのやしろ)の論社です 創建年代は不詳ですが 社名の起源について゛今城(いまき)゛とは 此の地域に進出した渡来系氏族 長幡部氏〈高度な機織り技術を持った今来漢人(いまきかんじん)〉が 当初の居住地゛大和国 今来郡゛から移住したもので ゛稲實(いなみ)゛は 稲霊を祀ったことによるとされます

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・熊野神社(神川町八日市)

一緒に読む
熊野神社(神川町八日市)

熊野神社(くまのじんじゃ)は 延喜式内社 今城青八坂稲實神社(いまき あをやさか いなみの かみのやしろ)の論社の一つです 口碑によれば 当社は村内 字 今城(いまき)から今の森下の地に遷座されたと伝えられ かつては 今城の社名を号していたことを窺わせます 神社に奉納される゛八日市の獅子舞゛は 神川町指定民俗文化財となっています

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・阿保神社(神川町元阿保)

一緒に読む
阿保神社(神川町元阿保)

阿保神社(あぼじんじゃ)は 村老の伝に「大古、阿保人上(にんじょう)武蔵介の建立せし所なり、其後阿保次郎實光、当国府中六所明神を移し合祀せしと云。社名は今城青坂稲實(いまきあおさかいなみ)明神なりと言伝はるを記す。古社なるべし。」とあり 阿保は゛あお゛とも読み 今城青三社の゛青゛と通じ 式内論社となっています

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・七本木神社(上里町七本木)
〈七本木神社に合祀 榛名大神社 

一緒に読む
七本木神社(児玉郡上里町七本木)〈延喜式内社論社〉

七本木神社(しきほんぎじんじゃ)は 七本木村の鎮守 八幡神社(金井家〈新田義重の後裔〉邸内社)に 明治42年(1909)村社(7社)と境内社を合祀して 社名改称がなされ 合祀中の一社゛榛名大神社゛は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡の三座゛今城青八坂稲實神社゛゛今木青坂稲實荒御魂神社゛゛今城青坂稲實池上神社゛の論社とされます

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・長幡部神社(上里町長浜)
〈長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字久保)〉

一緒に読む
長幡部神社(上里町長浜)

長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)のすべての論社となっています 創建年代は不詳で 此の地域に進出した長幡部氏〈高度な機織り技術を持った渡来系氏族〉が 神流川南岸の字宮の西的場に機織りの神゛天羽槌雄命゛を祀ったことが起源と伝わり 天永元年(1110)洪水のため社地が流亡し現在地に遷座と伝えています

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・皇大神社(上里町長浜神田)
〈長幡部神社に合祀された 稲荷社(上里町長浜字久保)の旧鎮座地〉

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皇大神社(上里町長浜神田)

皇大神社(こうだいじんじゃ)は 口碑によれば この地に゛稲荷社゛があったが 長幡部神社に合祀され 跡地に゛神明社゛が祀られたと云う その後 明治5年 長浜村の村社となり 社号を「皇大神社」と改めたが 明治41年 長幡部神社に合祀され 昭和22年 氏子の希望により旧地のここに遷されたものです かつて合祀された゛稲荷社゛は 式内社 武蔵國 賀美郡の三座〈・今城青八坂稲實神社・今木青坂稲實荒御魂神社・今城青坂稲實池上神社〉の論社でした

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今木青坂稲實荒御魂神社(いまき あをさか いなみあらみたまの かみのやしろ)

・熊野神社(上里町堤)

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熊野神社(上里町堤)

熊野神社(くまのじんじゃ)は 式内社 武蔵國 賀美郡 今城青坂稲實荒御魂神社であると伝わっていますが 証はなく 町内にある他の熊野神社が中世の武士団の信仰と関わりがあり付会ともされますが 本殿のすぐ後ろが 熊野神社古墳(東堤古墳群8号墳)となっていて この古墳を祀る故に熊野神社が勧進される以前に式内社があった可能性を示唆し 式内論社とされています

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・七本木神社(上里町七本木)
〈七本木神社に合祀 榛名大神社〉

一緒に読む
七本木神社(児玉郡上里町七本木)〈延喜式内社論社〉

七本木神社(しきほんぎじんじゃ)は 七本木村の鎮守 八幡神社(金井家〈新田義重の後裔〉邸内社)に 明治42年(1909)村社(7社)と境内社を合祀して 社名改称がなされ 合祀中の一社゛榛名大神社゛は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡の三座゛今城青八坂稲實神社゛゛今木青坂稲實荒御魂神社゛゛今城青坂稲實池上神社゛の論社とされます

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・阿保神社(神川町元阿保)に合祀
〈今木青坂稲實荒御魂神社の論社 稲荷神社(
字稲荷宿)を明治43年(1910)阿保神社に合祀

一緒に読む
阿保神社(神川町元阿保)

阿保神社(あぼじんじゃ)は 村老の伝に「大古、阿保人上(にんじょう)武蔵介の建立せし所なり、其後阿保次郎實光、当国府中六所明神を移し合祀せしと云。社名は今城青坂稲實(いまきあおさかいなみ)明神なりと言伝はるを記す。古社なるべし。」とあり 阿保は゛あお゛とも読み 今城青三社の゛青゛と通じ 式内論社となっています

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・長幡部神社(上里町長浜)
〈長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字久保)〉

一緒に読む
長幡部神社(上里町長浜)

長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)のすべての論社となっています 創建年代は不詳で 此の地域に進出した長幡部氏〈高度な機織り技術を持った渡来系氏族〉が 神流川南岸の字宮の西的場に機織りの神゛天羽槌雄命゛を祀ったことが起源と伝わり 天永元年(1110)洪水のため社地が流亡し現在地に遷座と伝えています

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・皇大神社(上里町長浜神田)
〈長幡部神社に合祀された 稲荷社(上里町長浜字久保)の旧鎮座地〉

一緒に読む
皇大神社(上里町長浜神田)

皇大神社(こうだいじんじゃ)は 口碑によれば この地に゛稲荷社゛があったが 長幡部神社に合祀され 跡地に゛神明社゛が祀られたと云う その後 明治5年 長浜村の村社となり 社号を「皇大神社」と改めたが 明治41年 長幡部神社に合祀され 昭和22年 氏子の希望により旧地のここに遷されたものです かつて合祀された゛稲荷社゛は 式内社 武蔵國 賀美郡の三座〈・今城青八坂稲實神社・今木青坂稲實荒御魂神社・今城青坂稲實池上神社〉の論社でした

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・稲荷神社(上里町八町河原)〈参考〉

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稲荷神社(上里町八町河原)

稲荷神社(いなりじんじゃ)は 中世後期の創建を伝え 宝徳年中(1449-1452)天文年中(1532-1555)天正年間(1573-1592)の勧請と諸説あります 延喜式内社ではないだろうか とも伝わっていますが これは式内社の゛稲実(いなみ)゛と゛稲荷(いなり)゛の音が通じているための誤りであろうとされています

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今城青坂稲實池上神社(いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)

・今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

一緒に読む
今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

今城青坂稲実池上神社(いまき あおさか いなみいけがみ じんじゃ)は 社伝によれば 和銅四年(711)に勧請と伝わる 延喜式内社 今城青坂稲実池上神社(いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)の論社です 社名の「いまき」は今城すなわち新来の意で 渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し゛稲魂゛を祀ったものとされ 江戸時代には゛稲荷社゛と呼ばれていました

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・今城青坂稲実池上神社(神川町関口)
〈天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 六所社(現 阿保神社)の裏当たりに鎮座していた今城青坂稲實池上神社の論社゛丹生明神゛を関口村字池上に遷座し 関口村の鎮守としたもの〉

一緒に読む
今城青坂稲實池上神社(神川町関口)

今城青坂稲実池上神社(いまきあおさかいなみいけがみ じんじゃ)は 天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 関口村の鎮守として 現在地(関口字池上)に遷座しました もとは阿保神社の裏に鎮座していたと伝わる式内社 今城青坂稲實池上神社(いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)の論社゛丹生明神(にうみょうじん)゛でした

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・阿保神社(神川町元阿保)の境内
〈天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 関口村の鎮守として遷座した
今城青坂稲實池上神社の論社゛丹生明神゛の旧鎮座地に石祠を祀奉り 境内に再建(慶應三年)〉

一緒に読む
阿保神社(神川町元阿保)

阿保神社(あぼじんじゃ)は 村老の伝に「大古、阿保人上(にんじょう)武蔵介の建立せし所なり、其後阿保次郎實光、当国府中六所明神を移し合祀せしと云。社名は今城青坂稲實(いまきあおさかいなみ)明神なりと言伝はるを記す。古社なるべし。」とあり 阿保は゛あお゛とも読み 今城青三社の゛青゛と通じ 式内論社となっています

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・七本木神社(上里町七本木)
〈七本木神社に合祀 榛名大神社〉

一緒に読む
七本木神社(児玉郡上里町七本木)〈延喜式内社論社〉

七本木神社(しきほんぎじんじゃ)は 七本木村の鎮守 八幡神社(金井家〈新田義重の後裔〉邸内社)に 明治42年(1909)村社(7社)と境内社を合祀して 社名改称がなされ 合祀中の一社゛榛名大神社゛は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡の三座゛今城青八坂稲實神社゛゛今木青坂稲實荒御魂神社゛゛今城青坂稲實池上神社゛の論社とされます

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・長幡部神社(上里町長浜)
〈長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字久保)〉

一緒に読む
長幡部神社(上里町長浜)

長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)のすべての論社となっています 創建年代は不詳で 此の地域に進出した長幡部氏〈高度な機織り技術を持った渡来系氏族〉が 神流川南岸の字宮の西的場に機織りの神゛天羽槌雄命゛を祀ったことが起源と伝わり 天永元年(1110)洪水のため社地が流亡し現在地に遷座と伝えています

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・皇大神社(上里町長浜神田)
〈長幡部神社に合祀された 稲荷社(上里町長浜字久保)の旧鎮座地〉

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皇大神社(上里町長浜神田)

皇大神社(こうだいじんじゃ)は 口碑によれば この地に゛稲荷社゛があったが 長幡部神社に合祀され 跡地に゛神明社゛が祀られたと云う その後 明治5年 長浜村の村社となり 社号を「皇大神社」と改めたが 明治41年 長幡部神社に合祀され 昭和22年 氏子の希望により旧地のここに遷されたものです かつて合祀された゛稲荷社゛は 式内社 武蔵國 賀美郡の三座〈・今城青八坂稲實神社・今木青坂稲實荒御魂神社・今城青坂稲實池上神社〉の論社でした

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

 JR八高線 丹荘駅から北へ約750m 徒歩9分 車3分程度

社頭は東向きに鳥居が建ちます

今城青坂稲実池上神社(神川町関口)に参着

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社号標の横を細めの石畳みの参道あり
一礼をして 鳥居をくぐり境内へと進みます

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境内には ブランコが設置されていて 近所の子供たちが遊ぶのでしょう

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社頭は東向きですが 社殿は南向き
参道は ほぼ直角に折れて進みます

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拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には゛延喜式内 今城青坂稲池上神社゛とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の内部

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社殿は 拝殿の奥に幣殿 本殿覆屋が一体化しています

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境内には 多くの石祠が祀られています

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境内社をお参りをして 境内を一巡します

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

 『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

 式内社 長幡部神社の所在について 下郷長濱村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社・式内社 今木青坂稻荒御魂神社・式内社 今城青坂稻池上神社について 三社を合祭て榛名大明神〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社〉と記しています
・式内社 今木青坂稻實荒御魂神社・式内社 今城青坂稻實池上神社について 青坂は゛青八坂゛が正しく 八の字が抜けている と記しています

 【抜粋意訳】

長幡部(ナガタヘ)神社

 古事記 日子坐王子神大根王者ーーー連之祖
式社考 下郷長濱村にあり

 今城青八坂稲實(イマギアヲヤサカイナミ)神社

大嘗會式 稜穂田稲実 卜部

 旧  事 奉献 天瑞立今木 又云 五十櫛 亦曰 今木刺饒於布都主劔
万葉 集 五十串立神酒座奉
式社 考 本長濱村今城云々の三社を合祭て榛名大明神と称す 太田氏式社細見録に見えたり

 今木青坂稻荒御魂(イマキアヲサカイナミアラミタマ)神社

 〇信友云 青下脱八字

 今城青坂稻池上(イマキアヲサカイナミイケガミ)神社

 〇信友云 青下脱八字

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承

 今城青坂稲実池上神社(神川町関口)ついて 關口村にあり゛丹生明神社゛と記しています

 【抜粋意訳】

新編武蔵風土記稿 巻之二百四十四 加美郡之二 安保領 關口村

 丹生明神社

 村の鎮守なり 光徳寺持 社地に東照宮の御宮あり

 末社 稲荷 疱瘡神

 〇神明社〇金毘羅社〇赤子社〇天王社 以上幸春院持
〇愛宕社〇三峰社 以上村持

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

 式内社 長幡部神社の所在について 長濱下郷村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社の所在について 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社

 式内社 今木青坂稻荒御魂神社の所在について 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社 

 式内社 今城青坂稻池上神社の所在について 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社

と記しています

【抜粋意訳】

長幡部神社

 長幡部は 奈賀波多倍と訓べし
○祭神 長幡部連祖歟、(地名紀、祭神比咩大神と云、)
〇長濱下郷村に在す、(地名記)今長幡五社宮と称す、証考

例祭  日、
〇古事記、(開化段)日子坐王之子大根王者、長幡部連之祖、

 類社
常陸國 久慈郡 長幡部神社

 今城青八坂稲實神社

 今城青八坂稲實は 伊麻岐阿袁夜佐加伊奈美と訓べし

祭神 稚産靈尊地名記
七本木村に在す、地名記、証考

 今木青坂稻荒御魂神社

 今木は 前に同し、青坂は 佐加と訓べし、疑ふらくは、前に同じく、青八坂なる八の字を脱せるか、
は前に同じ、荒卿魂は阿良美多麻と訓べし、

○祭神 天児屋命、此咩大神、地名記

七本木村に在す、同上

例祭  日、

 今城青坂稻池上神社

 今城青坂稲 前に同、池上は 伊介賀美と訓ベ

○祭神 伊吹戸主命、地名記

 〇七本木村に在す、同上
例祭  日、

 前件三社、
太田氏式社細見録には、本長瀬村に合祭して榛名大明神と称すと云り、
地名記も、村名はかはれども、同所鎮坐の由は同じ、さて祭神の説は、記のまゝに載すといへども疑はし、猶考ふべし、

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

 『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

 式内社 長幡部神社の所在について 下郷長濱村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社は「八坂」となっていて
・式内社 今木青坂稻荒御魂神社・式内社 今城青坂稻池上神社について 「八」の文字が抜けている 本来は「八坂」であると記しています

 【抜粋意訳】

長幡部(ナガタベノ)神社

  下郷長濱村にあり、長幡部五社といふ、巡拝舊祠記、神名帳土代、
蓋 長幡部連の祖神 大根王を祀る、斟酌古事記、延喜式、

 今城青八坂稲實(イマキアヲヤサカイナミノ)神社

 今木青坂稻荒御魂(イマキアヲサカイナミノアラミタマノ)神社

今城青坂稻池上(イマキアヲサカイナミノイケガミノ)神社

〇按 已上二座、坂の上疑くは八字を脱せり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

 式内社 長幡部神社について 長濱村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社について 社名のみ記載

式内社 今木青坂稻荒御魂神社について 社名のみ記載

式内社 今城青坂稻池上神社について 忍保村〈現 今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

と記していますが 参考として論社を挙げています

實神は 八日市村の熊野権現〈現 熊野神社(神川町八日市)
實神は 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)
荒御魂神社は 七本木村の榛名明神〈現 七本木神社(上里町七本木)
池上神社は  伊吹戸主命にて同所〈現 七本木神社(上里町七本木)

 この三社を本長濱村に合わせ祭りて榛名大明神と称す〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社
三座とも長幡部神社の相殿〈現 長幡部神社(上里町長浜)の相殿

関口村の丹生〈現 今城青坂稲実池上神社(神川町関口)〉 七本木村の榛名〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社〉 忍保村の稲荷〈現 今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

 【抜粋意訳】

長幡部神社

 祭神
今按
武藏式社道程命附に祭神 姫大神とあり
神社覈録に地名記を引るにも同じ
されど 長幡部は 古事記に 日子坐王之下大根王者 長幡部連之祖とあるに據らば神 大根王を祭れる歟
又 常陸久慈郡に長幡部神社あり 常陸風土記 古老曰 珠賣美萬命 自天降時為織御衣從而降之神名綺日安命 本自筑紫國 日向二神之峰至 三野國引津根之丘後 及 美麻貴天皇之世 長幡部造祖 多弖命 避 自三野遷于久慈造立機殿 初織之其所 織服自成衣装更無裁縫い謂之内幡とあるによる時は綺日安命 或は多弖命を祭れるか こは皇別の長幡部とは出自異にして神別の氏人 なるべし

 祭日
社格 村社
所在 長濱村(児玉郡長幡村大字長幡)

 今城青八坂稲實神社

 祭神
祭日
社格
所在

 今木青坂稻荒御魂神社

 祭神
祭日
社格
所在

 今城青坂稻池上神社

 祭神
祭日
社格 村社(郷社)
所在 忍保村(児玉郡神保原村大字忍保)

 
岩鼻縣神社考に 武蔵國四十座命附に實神八日市村の熊野権現 素戔嗚命 今本書を考るに實神社 祭神 稚産霊命  七本木村とあリ然るを八日市村と云るは誤りなるべし
荒御魂神社は 七本木村の榛名明神 天兒屋根命
池上神社は  伊吹戸主命にて同所にありとみえ
細見録に この三社を本長濱村に合わせ祭りて榛名大明神と称す
又 三座とも長幡部神社に相殿にますとも
又 関口村の丹生 七本木村の榛名 忍保村の稲荷とも云ひて
其所詳かならず
而 関口村なるは思ひ捨がたく 忍保村なるは池上神社ならんと云り
故 今姑く之に從へり 武蔵演露 に求凉雑記を引いて本門寺境内の七面社 是 往古の池上神社なるべしとあれと 忍保村なるは今も池上明神とも云へば七面社と云よりは勝りてきこゆ

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

今城青坂稲実池上神社(神川町関口) (hai)」(90度のお辞儀)

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