実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

伊古乃速御玉比売神社 奥宮〈旧鎮座地〉(滑川町伊古)

伊古乃速御玉比売神社 奥宮(いこのはやみたまひめの じんじゃ おくのみやは 第24代 仁賢天皇(即位488退位498年)の御代に創祀された 延喜式内社 武蔵國 比企郡 伊古乃速御玉比神社(いこのはやみたまひめの かみのやしろ)の当初の鎮座地〈二ノ宮山上とされます 文明元年(1469)に現在地に遷座したと伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊古乃速御玉比売神社 奥宮(Ikonohayamitamahime no shrine okunomiya

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

埼玉県比企郡滑川町伊古二ノ宮山上

  (Google Map)

<iframe src="https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d8125.849789089745!2d139.3275935384731!3d36.07530374968773!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x601ed5b65165700d%3A0x4a862fc39dab651a!2z5LyK5Y-k5LmD6YCf5b6h546J5q-U5aOy56We56S-KOWlpeWurik!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1688785366954!5m2!1sja!2sjp" width="600" height="450" style="border:0;" allowfullscreen="" loading="lazy" referrerpolicy="no-referrer-when-downgrade"></iframe>

【御祭神 (God's name to pray)】

〈現在の御祭神〉
《主》気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后
   大鞆和気命(おほともわけのみこと)応神天皇
   武内宿禰(たけうちのすくねのみこと〈武内宿禰〉

〈元来の御祭神〉
伊古乃速御玉比賣神(いこのはやみたまひめのかみ

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社〈旧鎮座地〉

【創  (Beginning of history)】

改築記念

宮司七十八翁能見武一先生篆額

鎮守 伊古乃速御玉比賣神社は この二宮の山上に祭祀されていた 仁賢天皇の御代の草創といわれ 延喜式神社帳にも明記されており 昔は阿州大明神とよばれた大社で比企郡の総社でもあった
文明年間 当時の伊子村の中央 現在地に移し祀られたと伝えられている そして里人は 二宮山上の跡地には小さな祠を建て 奥の院と称して崇敬してきた 豊作の神として名高い群馬県の榛名神社を合祀し毎年四月十五日に例祭を行っている
現在の祠は いつの頃建てられたものか つまびらかでないが ながい風雪のため老朽化したので 今回氏子総代等相謀り建築委員会を組織して 大字内及び郷土出身の人々知名人などの協賛を仰ぎここに社殿の改築をしたのである
昭和四十八年四月吉辰 早川文泉撰文 木村倉之助書 武藤次郎施工

現地記念石碑より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

ふるさと創生二ノ宮山周辺整備事業

 滑川町では「ふるさと創生事業」の資金活用について、
広く住民参加による計画を進めるため、町民のみなさんからアイディアを募集したりアンケート調査を行いました。
 町民が望んでいることは、「自然を生かしながら、人とのふれあい」を求めていることでした。
 二ノ宮山周辺は、赤松・ナラ・クヌギなどが自生して自然が美しく、四季を通じて趣があります。
頂上に立つと西北に秩父・三国連山を望み、東南には広々とした平野を見下ろす景観は当地方屈指の景勝地です。

 二ノ宮山は、その昔武内宿彌(たけのうちすくね)が東国を巡察した折り、この山に登り里の状況を視察したと伝えられています。
その後子孫が宿彌、神功と応神の三神を祀ったのが比企郡の総社といわれる伊古乃速御玉比売(いこのはやみたまひめ)神社です。
 山頂の神社は、伊古乃速御玉比売神社の奥社として祀られており古くは二ノ宮山自体が信仰の対象となっていました。
 この自然と歴史ある山頂に町のシンポル施設として、
展望塔を建設しました。

二ノ宮山の位置
北緯 36度4分19秒
東経139度20分6秒
海抜131.8m

展望塔の概要
高さ 全高23.7m 展望台21.Om 中間展望台7.3m
面積 展望台41.0㎡ 中間展望台82.4㎡
建設年度 平成年度
平成三月 滑川町

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・共有山林開発と伊古乃速御玉比売神社 奥社 合祀 榛名神社の改築計画感性の記念碑

Please do not reproduce without prior permission.

八大龍神

八大龍神がいつ頃から二宮山上に祀られたかは 詳らかでないが 榛名神社を伊古神社の奥の院に合祀した頃ではないかと推測される
 旱魃の時里人が この龍神に雨乞祈願をすると必ず雨が降るという霊験から雨乞の碑と呼ばれ崇敬されてきた
 近年碑が朽ちたので地元の篤志者大沢福次氏の寄進によって今日再建されたのである
歳雄 謹記  伊古神社宮司 能見武一先生代 奉納 大沢福次
昭和四十八年八月一日建

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈現在の鎮座地〉

・伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)

一緒に読む
伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)

伊古乃速御玉比売神社(いこのはやみたまひめのじんじゃ)は 第24代 仁賢天皇(即位488~退位498年)の御代に創祀と伝わる 延喜式内社 武蔵國 比企郡 伊古乃速御玉比賣神社(いこのはやみたまひめの かみのやしろ)とされます 鎮座当初は 二ノ宮山上にあったが 文明元年(1469)当地に遷座したと伝わります 昔は 阿州大明神とよばれた大社で比企郡の総社でもありました

続きを見る

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)比企郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊古乃速御玉比神社
[ふ り が な ]いこのはやみたまひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ikonohayamitamahime no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)は 別名「淡洲明神」と云われる

伊古乃速御玉比賣神社 別名「淡洲明神」ともいい 昔は 阿州大明神とよばれた大社で比企郡の総社でもあった

「淡洲明神アワスミョウジン)の呼び方は の文字を゛島(しま)゛とも読み(あわしまみょうじん)と呼ばれていました〈付会かもしれませんが〉

このため

和歌山県の加太之浦に鎮座する淡嶋神社(和歌山市加太)の祭神 淡島明神を分霊を受けたも云われています

詳しくは記事を

式内社 紀伊国 名草郡 加太神社(かたの かみのやしろ)

・淡嶋神社(和歌山市加太)

別名の「淡洲明神」を勧請した淡洲社゛が 滑川町域内の「鎮守さま」として祀られています

淡洲神社滑川町土塩)〈創建 天明3年(1783年)7月3日

《主》速御玉比売命

淡洲神社(滑川町福田 上福田)創建 応永2年(1395年)

《主》息長足日売命

淡洲神社(滑川町山田 上山田) 創建 応永2年(1395年)

《主》誉田和気命・息長足日売命・素盞鳴命

大雷淡洲神社(滑川町山田 下山田)創建 応永2年(1395年)

《主》火雷大神、息長足日売命

阿和須神社滑川町水房)〈(創建)永仁年間(1293年~1298年)字御山の台 寛永元年(1624年)に現在地に遷座

大和国添上郡の率川阿波神社(現在は率川神社の境内社)を勧請とする

《主》大鞆和気命、息長足日売命、武内宿称命

淡洲神社嵐山町太郎丸)〈創建 元禄8年(1695年)

水房村の淡洲明神社(現在の阿和須神社)を分霊とする

《主》速御玉姫命((補足)

淡洲神社嵐山町勝田)〈創建)宝永年間(1704年~1711年)

《主》大鞆和気命、息長足日売命、武内宿称命

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)から おおむらさきゴルフ倶楽部の横 伊古の里の駐車場まで 徒歩15分程度

Please do not reproduce without prior permission.

山頂には展望塔があり 駐車場も完備されています
伊古の里の駐車場から 二ノ宮山の山頂を目指します
登山と言っても 二ノ宮山〈131.7m〉の低山で距離も0.7km程度で 登山道もありますが 立派な車道〈車両は通行禁止〉もあり テクテクと登ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

途中 開けた場所があり 展望が良くなってきました

Please do not reproduce without prior permission.

山頂に近づくと 標識がありますので 道には迷いません

Please do not reproduce without prior permission.

二ノ宮山頂 伊古神社へと進むと石段があり登ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がると 大きく開けた山頂に出ます 左手に展望台が降り 正面が奥宮です

伊古乃速御玉比売神社 奥宮〈旧鎮座地〉(滑川町伊古)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

彌勒菩薩の石塔があり その先には社殿があります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿には 多分 詠まれた詠が書き記されているのだと だが判読不能

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の中には 三柱の神を祀る本殿が祀られています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿は 拝殿と本殿の覆屋が一体化した造りになっています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の向かって奥には 展望塔があります
案内板に「二ノ宮山は、その昔武内宿彌(たけのうちすくね)が東国を巡察した折り、この山に登り里の状況を視察したと伝えられています」とありましたので 登りたくなってしまいました

Please do not reproduce without prior permission.

展望塔を登り始めると すぐ下に奥宮が見えます

Please do not reproduce without prior permission.

展望塔の上からは 関東平野 秩父の山並み等を一望に出来ます
武内宿彌国見したとの伝説もうなずける景色です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

武蔵國の国見を終えて 展望塔の階段を下ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 山を下ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承

伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)について 天正四年二ノ宮から遷座した 式内社とされる正確な証はないが 村の名前が「伊古」また比企郡の総社であり 社伝にある通り式内社であるだろう と記しています 

【意訳】

巻之百九十四(比企郡之九 伊子村

伊古乃速御玉比神社

一ニ淡州明神ト云、今ハ専伊古乃御玉比賣神社ト唱ヘリ、
此社元ハ村ノ坤ノ方小名二ノ宮ニアリシヲ、天正四年東北ノ方今ノ地二移シ祀レリ。
祭神詳ナラズ。左右二稲荷、愛宕ヲ相殿トス。
当社ハ郡中ノ総社ニシテ、延喜式神名帳、二比企郡伊古乃速御玉比売神社トアルハ、即チ此社ノコトナリ。
往古ハ殊二大社ニテ、一ノ鳥居ハ、近村石橋村ノ小名内青鳥ト云所二立リシト云、按ルニ此内青鳥ト云所ハ小田原役帳二青鳥居トアリ。サレバ古へ鳥居ノアリシヨリ地名ニモ負ヒシナド云ハ、サモアルベケレド、當社ノ鳥居ナリシコトハ疑フべシ。コトニ其間二里余ヲ隔テタリ。
又此社式内ノ神社ト云コト、正キ証ハ得サレド、村名ヲモ伊古トイヒ、且此郡中総社トモ崇ルコトナレバ、社傳二云ル如ク、式社ナルモシルべカラズ。トニカク、旧記等モナケレバ、詳ナラズ。
例祭九月九日ナリ、
別当円光寺 天台宗、東叡山ノ末、岩曜山明星院ト号ス。

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 伊古乃速御玉比神社について 伊古村に在す〈現 伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)〉とし 阿波洲大明神と称すことから 祭神の速御玉比 安房國 天比理乃咩神の異名であろうと記しています

【抜粋意訳】

伊古乃速御玉比神社

伊古乃は假字也、一本渭後に作る、(和名鈔に沼乃之利と読り)
速御玉は波夜美多麻と訓べし、比は假字也、
○祭神明か也
○伊古村に在す、(地名記、式社考、参考)、今 阿波洲大明神と称す、(式社考)
例祭  日、

蓮胤云、今阿波洲と称すによりて考れば、速御玉比は、安房國天比理乃咩神の異名なるべし、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 伊古乃速御玉比神社について 所在は〈現 伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)〉 祭神は三島大明神の后神に坐 伊古奈比咩命を祀る と記しています

【抜粋意訳】

伊古乃速御玉比賣(イコノハヤミタマヒメノ)神社

今 伊子村にあり、阿波洲大明神といふ、神名帳考土代、神名帳 打聞 盖三島大明神の后神に坐 伊古奈比咩命を祀る 延喜式大要

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 伊古乃速御玉比神社について 所在は伊古村〈現 伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)〉 祭神は伊古乃速御玉比賣神 と記しています

【抜粋意訳】

伊古乃速御玉比神社

祭神 伊古乃速御玉比賣神

祭日 九月十五日
社格 郷社

所在 伊古村(比企郡宮前村大字伊古)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

伊古乃速御玉比売神社(滑川町伊古)について 式内社 伊古乃速御玉比神社であるとし 一時 淡洲明神と称されていたことから 祭神について考証しています

【抜粋意訳】

埼玉縣 武蔵國 比企郡宮前村 大字伊古

郷社 伊古乃速御玉姫(イコノハヤミタマヒメノ)神社

祭神 気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
   大鞆和気命(おほともわけのみこと)
   武内宿禰(たけうちのすくねのみこと

本社は一時 淡洲明神と称せしが、幕末に至り復称せり、
創立年代詳ならずと雖も、当社明細帳に依るに
「人皇 廿四代 仁賢天皇ノ御宇 蘇我石川宿禰ノ末裔 此の里ヲ開キ、君祖三韓平治ノ廣徳ヲ仰キ、宇二ノ宮山ノ上ニ、弓箭ノ祖、安産ノ祖ト崇敬シ、三柱ノ神霊ヲ祭祀、」

元々と、又云 当社 延喜式内、郡中の総社にして往古甚だ大社たりと、往古は二の宮山にあらせられしが、文明元年 今の地に遷座云々と傳ふ、

当社祭神に関しては、神祇志料は、延喜式大要を引いて「蓋三島大神の后神に坐伊古奈比咩命を祀る」とし、新編武蔵風土記稿には「祭神詳ナラズ。左右二稲荷、愛宕ヲ相殿トス」と記し、明細帳 又 上掲の如しと雖も、伊古乃速御玉比賣なることは、神社覈録の所謂「祭神明か也」にて知るべく、特選神名牒亦之に賛せり、
明治の初 郷社に列せらる、社殿は本殿、上屋、境内は千四百坪あり。

境内神社
稲荷神社 天神社 愛宕神社 琴平神社 八菅神社

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

伊古乃速御玉比売神社 奥宮〈旧鎮座地〉(滑川町伊古) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る       

一緒に読む
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について

武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

 

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています