飯豊比賣神社(いいとよひめじんじゃ)は 創建年代 由緒ともに不詳です 江戸時代には鹿島大明神と称されていたようです 大正十四年(1925)建立の社号標には 神名に鎮座地の飯土用村の名を用いて゛奉納 延喜式 飯土用姫命゛と刻字があります 延喜式内社 陸奥國 白河郡 飯豊比賣神社(いひとよひめの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
飯豊比賣神社(Iitoyohime shrine)
【通称名(Common name)】
鹿島宮(かしまのみや)
【鎮座地 (Location) 】
福島県白河市大信豊地字鰻谷地19
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》飯豊比賣神(いいとよのひめのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
由緒不祥
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿の向かって左横に祀られる石祠
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・一の鳥居〈東へ1km程の白河街道沿い〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)白河郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 飯豊比賣神社(貞)
[ふ り が な ](いひとよひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihitoyohime no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『陸奥國風土記 逸文』に記される゛飯豊山(いいとよさん)゛について
福島県会津地方では「いいとよさん」と呼ばれています
文中の飯豊蒼尊(イヒトヨアヲノミコト)は 記紀に伝えられる5世紀末の皇族〈履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女〉とされる飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)と伝わっています
ただし これを疑う説として「後人が 飯豊青尊の名前から飯豊山という山名を付けた偽作」とするものもあります
又 飯豊山(いいとよさん)についても 飯豊山(いいでさん)〈福島県・新潟県・山形県の三県の県境にある飯豊本山〉では無く 白河の飯豊比賣神社であろうとする説もあります
【抜粋意訳】
飯豊山(いひとよのやま)
陸奥國風土記(むつのくにふどき)に 曰(いわく)
白川郡(しらかはのこほり)、飯豊山(いひとよやま)、
この山は 豊岡姫命(トヨヲカヒメノミコト)の忌庭(ゆには)である
又 飯豊蒼尊(イヒトヨアヲノミコト)が 物部臣(モノノベノオミ)を遣わせて 御幣(みてぐら)を奉りました 故に山の名となりました古老が曰(いわく)
昔 巻向珠城宮(まきむくたまきの宮)に御宇天皇〈垂仁天皇〉27年 戊午年の秋 飢饉(としうえ)て 人民(たみくさ)多くは 亡(う)せました
これにより 宇惠々山(うええのやま)と云う 後(のち)に名を改めて 豊田(とよた)と云い 又 飯豊(いいとよ)と云う陸奥國 白河郡八槻村 都々古和氣神社 別當 大善院舊記載本文
【原文参照】
『延喜式神名帳』陸奥國に所載される゛飯豊゛と名の付く式内社の論社について
陸奥國には゛飯豊゛と云う地名や社名は多くありますが 式内社では三つ所載されています
・陸奥國 白河郡 飯豊比賣神社(いひとよひめの かみのやしろ)の論社
・飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)
飯豊比賣神社(いいとよひめじんじゃ)は 創建年代 由緒ともに不詳です 江戸時代には鹿島大明神と称されていたようです 大正十四年(1925)建立の社号標には 神名に鎮座地の飯土用村の名を用いて゛奉納 延喜式 飯土用姫命゛と刻字があります 延喜式内社 陸奥國 白河郡 飯豊比賣神社(いひとよひめの かみのやしろ)の論社です
飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)
・陸奥國 賀美郡 飯豊神社(いひとよの かみのやしろ)の論社
・飯豊神社(加美町麓山)
・賀美石神社(加美町谷地森根岸)
・陸奥國 安積郡 飯豊和氣神社(いひとよわけの かみのやしろ)の論社
・飯豊和氣神社(郡山市三穂田町下守屋妙見)
・飯豊和氣神社 遥拝殿(三穂田町下守屋上豊舘)
・安達太良神社(本宮市本宮舘ノ越)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR白河駅からR294号経由で北上 約9.1km 車15分程度
仙台湾に注ぎ込む 阿武隈川の支流の又又支流だろうか〈阿武隈川水系〉の外面川(とずらがわ)に沿って 県道281号が走る その道沿いの小山に鎮座します
何が言いたいのかと云うと ここから約7km南下したところに 白河の街があり 阿武隈川の本流が流れています
一級河川の阿武隈川は 西郷村を水源域として始まります 下流〈北上する〉へと進むと 郡山⇒二本松⇒福島⇒伊達⇒角田⇒岩沼⇒亘理⇒太平洋に出る 古代の内陸地 今でいう福島県の゛中通り゛の水上交通の要所です
この地に式内社として祀られている飯豊比賣神社は 由緒もはっきりとはしないのですが 地理的条件などからは 太古 繁栄していた土地であったことが 納得できそうな気がします
河川に沿って河口までの 現在の道路ルートを作成したら約173kmで河口です
外面川(とずらがわ)の作り出した谷間の平地
しかし 見渡す限りの稲穂 まさに゛飯豊゛の景色となっています
この小山〈まるで古墳のような〉に鎮座しています
この小山の東側に 木立の中に参道らしき小道があります
間違いはない様です 石灯籠の先に 山頂に向けて一直線に石段が伸びています
飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)に参着
大正十四年(1925)建立の社号標には 神名に鎮座地の飯土用村の名を用いて゛奉納 延喜式 飯土用姫命゛と刻字があります
石段を上がります
100段程度だろうか 上にくると社殿の覆屋が見えてきます
社殿にすすみます 境内には石祠も祀られています
覆屋の扉は お参りをするときには開くようです
立派な御本殿が鎮座します
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
小山の頂上なので 小さく丸い境内には 大きな磐などもありました
社殿の扉を閉めて 一礼 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 飯豊比賣神社について 白河郡イヒトヨ村アリ〈現 飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)〉又は 會津ニ飯豊山アリ〈現 飯豊山神社 奥宮(喜多方市山都町一ノ木)〉と記しています
【抜粋意訳】
飯豊比賣(イヒトヨヒメノ)神社
「聞老」顯宗姉有飯豊皇女 然是時 皇化未及東奥
〇忠満云 白河郡イヒトヨ村アリ 又 會津ニ飯豊山アリ 國中ノ大山ニテ 出羽越後カケテ三國ニマタガレリ 四時雪タエズ 山上ニ社アリ 飯豊権現ト云フ 飯豊國俗イヒデト呼 白河郡ナルハ 此社ヲ 後ニ此処ニモ マツレルナルベシ
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 飯豊比賣神社について 飯土與村に在す、今 鹿嶋大明神〈現 飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)〉と記しています
【抜粋意訳】
飯豊比賣神社
飯豊は伊比登與と訓べし、比賣は假字なり、
〇祭神 明らかなり
〇飯土與村に在す、今 鹿嶋大明神し稱す、
例祭 九月九日
〇當國安積郡 飯豊和氣神社、賀美郡 飯豊神社もあり、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 飯豊比賣神社について 飯土用村にあり、鹿島神と云ふ〈現 飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)〉と記しています
【抜粋意訳】
飯豊比賣(イヒトヨヒメノ)神社
今 飯土用村にあり、鹿島神と云ふ、即ち是なり、白河故事考、巡拝舊祠記、神名帳打聞、
凡 九月九日祭を行ふ、陸奥式社考
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 飯豊比賣神社について 飯豊村 鹿島社〈現 飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)〉としていますが 鹿島神は建御雷神で男神 姫神ではないので何故なのだろうか
又 白河郡島崎鎮座の稲荷神社を飯豊比賣神社〈現 東堂山満福寺(田村郡小野町小戸神日向)〉も論社ではあるとしています
【抜粋意訳】
飯豊比賣神社
祭神 飯豊媛命
祭日 九月九日
社格 村社所在 飯豊村 鹿島社 〇今属 磐城國(田村郡飯豊村大字飯豊)
今按〈今考えるに〉
磐前縣注進状に 白河城二里隔たる 飯土用村 鹿島神社を飯豊比賣神社と改称し式社とすれ共 鹿島神は建御雷神なり 飯豊比賣神は豊宇氣姫神なるべし
飯土用村の地名により 強て式内と称し 建御雷男神を姫神に附會す 何ぞ誤れるの甚しきや
又 或は白河郡鳥崎鎮座の稲荷神社を飯豊比賣神社と云も 社撰なり 今 磐城國 田村郡の内飯豊 吉野邊山上属股田小戸神 其支村なり は古への白河郡小野郷の内なるが 其支村小戸神村はもとは美女(ツトメ)神村と称したるを訛りて 小戸神とせし也 この村の東堂山観音堂の地 即 其社迹なるを応仁以後の大乱に神社 破壊せし時 観音を祭りし也と云れど 飯豊姫神社ありしと云 證據もなく小戸神を美女神なりと云も附會に近ければ従がたし
又 福島縣注進に 飯豊村の社は 天保七年焼失せしを以て社記等もなく 土人の口碑に 式内古社と唱ふるのみ 改正前 鹿島と云りとみえたれば 徴とすべきものなければいかにとも決め難きに似たれと 諸国式社をあやまりて 八幡とし天神と唱ふる類もいと多かれば 鹿島神と唱ふるのみを以て 直に飯豊比咩神社にあらすとも云べからず 既に 寶暦中に記せる舊神祠記にも 飯豊村 鹿島神社を以て本社に宛たるなど 故あるべく思はるれば 姑く之に従へり
【原文参照】
飯豊比賣神社(白河市大信豊地日向)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について